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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第一章 ひとりめ
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07叡智の街

 リルハープの言う通り、街は森からそう遠くない場所にあった。

 おかげで昼前には、街の入口にたどり着くことができた。


「叡智の街へようこそ!」


 西門と書かれたプレートの下で、二人の門番が、誇らしげにユディたちを迎える。

 全身鎧のリコリネと、軽装のユディという組み合わせがよほど珍しかったのだろう、門番たちには、しげしげと眺められた。


「この街は、入るのは簡単ですが、出るにあたっては持ち物を改めさせていただいております。高価な書物の盗難を防ぐためです。街を出るときは、東門をご利用ください」


 儀礼的な挨拶のように、門番の片方がつらつらと説明を並べ立てていく。

 ユディはあまりの物珍しさで、門番の言葉にいちいち「はい」「なるほど」「そうなんですか」と相槌を打っていく。

 リコリネは、どっしりと構えているだけだ。

 妖精のリルハープは、胸ポケットの中で大人しくしている。

 門番はユディの態度が気に入ったのか、にこやかな笑顔で「では、ごゆるりと滞在して行ってくださいね」と、優しく門を通してくれた。


 ユディは、まだ夢見心地のように、街の中をきょろきょろと見渡す。


「大きな街だねえ…!!」


 ユディの様子に、リコリネは、思わず…といったように、フルフェイスの中で小さな笑い声をあげた。


「主、まるで子供のようですよ。惜しいことをしました、まずは私の故郷から案内しておけば、街に対する耐性が付いたでしょうに。この街は私も初めてですから、完全無比なガイドができないことは残念です」


「でも、頼りにしているよ、リコリネ」


 興奮で頬を上気させながら、ユディは朗らかに微笑んだ。

 リコリネは、張り切るように背筋を伸ばす。


「は。お任せください。まずは昼食をとることから始めましょう。酒場ですね」


「酒場…って、お酒を飲むところだよね? 僕はお酒なんて飲んだことはないし、軽食店とかでいいんじゃないの?」


「やはり主は世間のことをご存じでない。街に入ったら、まずは酒場で情報収集をするのです。そして主が白乳を頼み、私が泡酒でも頼みましょう。すると、こういった儀式が発生します。ガラの悪い男数人が、主のことを取り囲みます。そして、『ボウヤハママノオチチデモノンデロヨ』等の言語を発しながら、主に突っかかるのです」


「へええ、トラディショナルな儀式なんだねえ」


「ええ、まさに。そこで私が、そのうちの一人の首でもへし折ってやれば、残りの者が、我々の欲しい情報をくれるのです。本で読みました」


「お待ちください~~!?」


 リルハープが、焦ったように胸ポケットから顔を出そうとして、ユディは慌ててそれを押さえた。


「こらリルハープ、ダメだよ、大人しくしていないと」


「む~~っ!? も、もう~~、知りませんからね~~!」


「リルハープ殿も待ちきれないご様子。では参りましょう」


 リコリネは先陣を切り、颯爽と歩きだす。

 ユディはその後に続きながら、立ち並ぶ店店を、まだ物珍しげに見ている。


「こんなにお店があって、全部潰れずに維持できているなんて、よっぽど人口が多いんだね?」


「それもありますが、主、店の看板を良くご覧ください。あれは智の精霊エティナイのマーク、すなわち本屋です。あちらは力の精霊ゴルドヴァのマーク、つまり武器屋です。きちんと他と被らないような品ぞろえを主張しております。住み分けをして、競合を避けているのです。さすが名高い叡智の街、良くできたシステムです」


「リコリネの故郷は違ったの?」


「いえ、それが、私はめったに屋敷から出してはもらえませんでしたから、我が掘削の街の構造がどのようなものであるかは、杳として知れません。しかしご安心ください。知識だけは潤沢に蓄えております故、たとえ初めての街であっても、街案内に隙はありません」


「そっか…リコリネは勉強家なんだね」


「お褒めに預かり、至極光栄に存じます」


 リコリネがキリッと返事を返すのを聞き、ユディの胸ポケットで、リルハープが大きくため息をついた。

 そのまま、拗ねたように静かにしている。


「さて、酒の精霊ススイグナのマーク……ここですね」


 リコリネは、まるで死地に赴く戦士のような覚悟を決めたかのようなたたずまいで、店の扉をくぐった。


「たのもう!」


「いらっしゃいませ~!」


 気の弱そうな男性店員が、リコリネとユディを迎え入れた。

 彼はルーティンワークの一環のように、二人を空いているテーブル席へと案内する。

 ユディが未だ物珍し気に眺める店内の壁は、深くこげ茶色に染まり、仄黒く明かりを照り返している。

 不潔というわけではなかったが、木製の壁や床は、食事などの油が染み込んでいるようで、味わい深い色味を出していた。


「こちらへどうぞ。ご注文はお決まりでしょうか?」


「適当に、腹の膨れる食事を二人分と、私に泡酒、こちらの御仁に白乳を」


「かしこまりました~!」


 店員は、全身鎧の中から聞こえたのが女の声であることに、少し驚いたようだった。

 しかしすぐさま奥へと引っ込んでいく。

 それを見送って、リコリネはそっと息をついた。


「ここまでは順調のようですね」


 その声音があまりにも緊迫感溢れるものだったので、ユディも緊張が移ったかのように、真剣な顔で頷いた。


「うん…。ところで、リコリネの得たい情報って?」


「そういえば、話してはいませんでしたね。この手紙にある、差出人の住所を知りたいのです」


 リコリネは、きっちりと封蝋の施された封筒を取り出し、それをテーブルの上に置いて見せる。


「ああ、家庭教師の人の住所?」


「ええ。さすがに道を行く人に金をやって尋ねる、などという下品なことはできませんので」


「金……。あっ、そうだ、僕、金銭は……」


「大丈夫です、主。着の身着のままということでしたよね。事情が事情ですから、ここは私が払いましょう」


「ごめんね…。そうか、ここから旅を続けるんだから、僕も何か、稼ぐ手段を考えないと…」


「ふむ…。そうですね、私も主の面子を潰したいわけではありませんし、路銀はいくらあっても困らないでしょう。先生に相談してみることから始めるのが近道かもしれませんね」


 二人で会話を弾ませていると、先程の店員が、数皿の料理と、二人分の飲み物を、器用に両手で運んできた。


「お待たせしました。追加があればまた申し付けください。それでは」


 店員は、きびきびした動きですぐにテーブルを去っていった。


「大きなジョッキだねえ…」


 ユディは木杯になみなみと注がれた白乳を覗き込む。

 リコリネがさっと待ったをかけた。


「主、ここでも儀式があります。まず、二人で互いのジョッキを掲げ、『旅の無事に乾杯』等の要項を延べ、かち合わせるのです」


「そっか、理にかなっているね、それなら確かに士気が上がるよ」


 ユディは真剣に頷きながら、中身をこぼさないように、慎重に木杯を掲げる。

 リコリネも慎重な動きで、ささやかに杯を合わせた。


「では、私と主との出会いに。乾杯」


「乾杯」


「いいですか主、ここで勢いよく杯を呷って、中身を空にしなければなりません。なにせ、杯を乾にする、という宣誓を行っているのですからね。お先に失礼」


 リコリネは、フルフェイスの口元だけを上げると、グイっと泡酒に口をつけた。


「ぐっ!? けほっ、けほけほっ、に、にが…っ!!」


「リコリネ、大丈夫!?」


 ユディは慌てて立ち上がり、リコリネの背中をさすった。

 といっても、全身鎧の背をさすったところで、何が変わるというわけでもないだろうが。


「う……大丈夫です。不覚…っ、酒というものがこんなにも苦いとは、知りませんでした…!」


「ほらリコリネ、勿体ないし、僕のと交換しよう? 僕がそっちを飲むからね?」


 ユディは有無を言わさず、リコリネに自分の杯を持たせる。

 リコリネは、よほど口の中の味を変えたかったのだろう、すぐに白乳に口をつけた。


「はあ、はあ…感謝します」


「ううん、お安い御用さ。なるほど、これは確かに苦いね。変わった味で、面白いや。一気に飲み干すのは、今日のところは許してもらおうかな」


 ユディは自分の席に戻りながら、さっそくちびりと泡酒を舐めた。


「そ…うですね。面目ない。ですが、私が白乳を飲めば、悪漢共はこちらに来るということですからね。手間が省けます」


 リコリネは、なんとか気を取り直すようにそう述べた。

 ユディは、ふっと微笑んで、食事をとり始めるリコリネをじっと見る。


「…? 主、どうされましたか?」


「ううん、大したことじゃないんだけど…。初めて、フルフェイス越しじゃないリコリネの声を聞けたなと思って」


「!」


 リコリネは、息を呑んで、口元を上げたままのフルフェイスに、一度触れた。

 その後、困ったように、あちこちに視線を彷徨わせる。


「…申し訳ありません、お耳汚しを…」


「…ええ? そんなことないよ、すごくかわいい。…なんて言うと、リルハープに怒られそうだけどね、リルハープは自分が一番かわいいって言い張るだろうから」


「……、……主は、少し口数が増え、快活になられましたね。新しいものに触れたことが、よい刺激にでもなったのでしょうか」


「そうかな? 自分では、よくわからないけど……。でも、確かに、今は楽しいよ。リコリネと出会ってからは、余計に」


 ユディの言葉に、リコリネはフルフェイスの額に手を当てて、大きく息を吐いた。


「もし私が、主の記憶の混濁を知って居なければ、『主は普段からそうなのですか?』と問うていたところです………。まったく、無自覚とは末恐ろしい」


「ええ? どういう意味?」


「いえ、こちらの話です。しかし、悪漢共はまだでしょうか。もう食べ終わってしまいました」


「もう食べたの!? 待ってね、僕も食べるから…!」


 ユディはせっせとフォークを動かし、食料を口に運んでいく。


「いえ、ゆっくりお召し上がりください。食事とは、多くの生き物にとって至福の時間。じっくりと味わうことを推奨します。そもそも、酒場とはもっと、品の悪い連中がいる場所のはずなのですが、この時間帯の客層を見ると、その限りではないようです。私は何かを間違えたのかもしれません」


 リコリネは、思索にふけり始めた。

 ユディは、リコリネの意見に甘えて、じっくりと咀嚼しながら、考え込む騎士の姿を眺める。

 ちょうど、最後のパンのかけらを口の中に放り込んだ時、リコリネはポンと手を打った。


「そうか、ひょっとしたら、注文をするべきだったのかもしれません」


 言うが早いか、リコリネは店員を呼び止めた。

 気の弱そうな店員は、急いでリコリネの前にやってきた。


「はい、どうされました?」


「悪漢をこれへ」


「……はい?」


「私に、悪漢を一つ」


 店員は、何かを言いたそうに、一瞬口をもごもごと動かした。

 しかし、リコリネの全身鎧姿に……いや、背負っているマサカリに目を向けると、誤魔化すような追従笑いを浮かべた。


「…少々お待ちください」


 店員は、厨房の奥へと引っ込んでいった。

 そこから、少々どころか、それなりに長い時間が経った。

 やがてリコリネの前に、熱燗が運ばれてきた。


「では、ごゆっくり…」


 当たり前のように店員が去って行くので、ユディもリコリネも、特に何とも思わなかった。


「これが、悪漢を呼ぶために必要な儀式ということでしょうか…?」


 リコリネは、半信半疑に、ぐい飲みに液体を注いでいく。

 そして、勢いよく中身をくぴっと飲むと、また大きく咳き込み始めた。


「けほっ、こ、これも、酒…!!」


「ほらリコリネ、貸して、僕が飲むから…! すみません、お水をください!」


 ユディは急いで店員を呼び止め、店員はこわばった顔で走り寄ってきた。


「何か、不手際がありましたでしょうか…!?」


 店員は、おそるおそる、木杯に入った水をユディの前に置きながら訪ねて来た。


「あ、いえ…」


 ユディは少し悩んだが、リコリネに水を渡すと、テーブルの上にあった手紙を店員に見せる。


「実は、この住所を探していて…どう切り出そうかと悩んでいたんです」


 すると、店員は見るからにホっとした表情を浮かべた。


「ああ、そういうことでしたか! 羽根箒通りですね、これは…まず、ここを出て右手側にある屋台通りを、市場の方向へ…」


 店員の説明を、ユディは何度も頷きながら、真剣に聞いていく。

 念のためにユディは復唱し、店員の頷きを見上げてから、「ありがとうございます」と、莞爾と微笑んだ。

 店員が去るのを見ると、ユディは残った熱燗を、一気に飲み干した。

 味の名残を惜しむように、ぺろりと舌で唇を舐めとる。


「ん。慣れると美味しい味だね、これ。さ、リコリネ、行こう? 動けるかい?」


 フルフェイスを覗き込む。

 リコリネは、フルフェイスの口元を下げながら、小さく「はい…」と呟き、金色の硬貨を一枚テーブルに置いて、ふらりと店を出て行く。

 ユディは、リコリネの覚束なさを心配しながら、全身鎧に寄り添うように店を出た。

 後ろから、「お客さん、払いすぎですよ!?」という、店員の焦ったような声が聞こえたが、リコリネはそれに応じることなく、通りへと出て行った。



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「リコリネ、なんだか元気がないよ。少しそこで休もう?」


 並木道にあるベンチを示し、ユディはリコリネの手を引いた。

 リコリネは、黙ってそれに従う。

 リコリネが大人しく座ったのを見ると、ユディはなおも心配そうに隣に座った。


「リコリネ、調子が悪いの…?」


「いえ…」


 フルフェイスの中で、くぐもった声が聞こえる。


「ただただ、情けなくて……! 主のお役に立つどころか、すっかりリードして貰ってしまいました…」


 リコリネの声が震えていて、ユディはびっくりしてしまった。


「リコリネ、泣いているの…?」


「そ、そんな、ことは…!! こんな、はずでは…!」


 ユディは、慎重にリコリネの様子を見る。

 あまりにも内面を吐露しすぎているように感じる。

 感情を、隠せていない…?

 これは…。

 これは、酔っているのではないだろうか。


「リコリネ、大丈夫だよ、リコリネにはたくさん助けてもらっているよ…?」


 ユディは、全身鎧の上から、リコリネの背中を撫でた。

 たぶん、感触は届いていないだろうが、それでもよかった。


「それに、リコリネのおかげで、色々わかったことがあるし、思い出せたことだってあるよ」


 ユディは優しく声をかける。

 リコリネは、不思議そうに、フルフェイスをユディに向けた。


「…ふと思い出したんだ。村には年に一度のお祭りがあって、大人たちはそこでベロベロに酔っぱらっていたこと。酔うと、なかなか自制が効かなくなるんだよね、確か。そして、お酒に対しては、強い人と、弱い人がいるということ。どうやら僕は強い人で、リコリネは弱い人だったみたいだね」


「…弱い……私がですか……」


 リコリネは、何らかの衝撃を受けたようだった。


「お酒に対してだけだよ…! 大丈夫、酔いつぶれた大人たちも水を飲んで休んでいたんだ。しばらくすれば、落ち着いてくるからね。不安に思うことなんてないよ?」


 リコリネは、呆けたように前を向く。

 徐々に呼吸を整えていきながら、ぽつりと声を漏らした。


「私がいま不安なのは…。主に、置いて行かれることだけです」


 ユディは、少し驚いたように、フルフェイスの横顔を見る。


「リコリネ、…そこまで…?」


 ユディは、純粋に胸を打たれていた。

 そうまでして、自分の役に立ちたいという思いを向けられていたなんて、思ってもみなかった。

 リコリネは、うわごとのように、ポツポツと話し始めた。


「私の騎乗鳥は、ハリエンジュと言いました。卵から孵し、10年間、片時も離れずに、一緒に暮らしておりました。とても優しく賢い子で、頑張り屋でもありました。だからこそ、旅立ちの時、私は彼女に不必要に重たい思いをしてほしくなかった。鎧や武器は減らせませんから、食料は最低限にし、共に外の世界へと立ち向かいました」


 ユディは、唐突に始まった話を、静かに聞いている。


「地図には、略図という描写方法があります。私がそれに気づいたのは、途中で山が三つに連なっていたことを知った時でした。地図は、旅に出ると決めた時、私が自分の力で商人から買い付けたものでした。商人は、私が世間知らずの貴族の子女であることを知って、雑なものを売りつけたのでしょう。ですが私は、屋敷に引き返すわけにはいかなかった…」


「…それは、どうして?」


 ユディの問いに同意するかのように、リルハープは、ひょこりと胸ポケットから、顔だけを出してリコリネを見上げている。


「弟のためです。私は、一族で稀に見る程、力の精霊ゴルドヴァの加護を得てしまっていました。しかし、家督を継ぐのは、私よりも数段弱い弟です。私が傍に居れば、弟は肩身の狭い思いをするでしょう。それを気にする程度には、私は弟を好いておりました。口には出しませんでしたが、父も母もそう思っていたため、私の旅立ちは許されました。ですから、私は無理に旅を続けた。おそらく半分は、ムキになってしまっていたのだと思います」


 リコリネは、それを悔いるかのように、フルフェイスに手当てた。


「空腹で倒れ込んだ時、それでもいいのだと思いました。私の居場所はどこにもなかったのですから、どこで果てようが同じです。ハリエンジュの手綱も解いてやり、どこにでも行けるようにと尻を叩いてやりました。ハリエンジュも、私と同じで屋敷育ちですが、野に放てば、きっと野生を思い出してくれるという確信がありました。ところが、ハリエンジュは……」


「……自ら命を絶ったのですね~~…」


 リルハープの言葉に、ユディは驚いて胸ポケットを見る。

 リルハープは、まるで騎乗鳥の気持ちがわかるとでも言いたげに、真剣な表情をしていた。

 リコリネは、肩を震わせる。


「……はい。彼女は大きく一声鳴くと、私の制止も聞かず、狂ったように、何度も何度も、木の幹に向かって突進を始めたのです。回数を重ねるたびに鮮血が飛び散り、そして最後には、動かなくなりました…。ハリエンジュがそうしたのは、私のためでした。その瞬間から、私はもう、私一人の命ではなくなりました。私はハリエンジュの亡骸を食し、そして、絶対に生き延びようと、そう思いました。ですから、二度目に行き倒れたあの時、私がどれほど無念だったか。主に助けられたことが、どれほど嬉しかったか」


 リコリネは、手甲に覆われた拳を握りしめた。


「外の世界は、危険です。あなたの助けになりたい。心から、貴方の助けに。なのに、やり方がわからない。やり方が……」


 やがて、リコリネは静かになった。

 ユディがフルフェイスに耳を寄せると、すうすうと寝息が聞こえる。

 やはり、酔って饒舌になっていたのだろう。


 ユディは、ベンチに座り直した。

 そして、頭を抱える。


「……リルハープ、どうしよう……」


 口元から、か細い声が漏れる。

 妖精は、静かにユディを見上げた。


「リコリネは、とても傷ついていた。なのに、あんなに平気な振りをして、…きっと、僕が同情で傍に置くような選択をさせまいとしていたんだ。ダメだよ、こんなの。少なくとも、今は一人にさせられない。放っておけない…。放っておけないよ……。危険な旅なのに…」


 身を切るほどの苦悶を隠すように、ユディは手の平で顔を覆った。

 リルハープは、ユディの肩に飛び乗ろうとして、…通行人の姿を認めると、すぐに顔をひっこめた。

 リルハープは、小声で言葉を転がす。


「……、……ご主人サマ、何を勘違いしていらっしゃるのですか~~?」


「え……?」


 ユディは、リルハープに目を向ける。


「それは、あなたの感情ではありませんよ~~、まったく、ぼんやりさんなんですから~~! それは、リルちゃんの感情なんです~~! リルちゃんは、リコリネが気に入りました~~。ですからリルちゃんは、この子を傍に置いておきたいのです~~!」


「……」


「なので、ご主人サマは、仕方なく、リルちゃんの我儘に付き合ってくださるのですよね~~? だって、ご主人サマは、かわいいリルちゃんのことが大好きなんですから~~! リコリネの願いをかなえてあげましょう~~。それでリコリネに何かがあったとしても、それはリルちゃんと、リコリネの責任です~~。ご主人サマは、何の憂いもなく、この騎士を連れまわしてよいのですよ~~!」


「リルハープ……」


「まったく、リコリネは一人だけ無駄に修羅の道を歩いているのですからね~~、放っておいたらまた修羅道まっしぐらに違いありません~~、困った子です~~。リルちゃんが導いて差し上げますから、ご安心ください~~!」


 ユディは、ゆっくりと顔を上げた。

 リルハープは、困ったように微笑む。


「…リコリネは、不思議な子ですね~~。リルちゃんはまだリコリネの素顔を見たことが無いというのに、なんだか可愛くて仕方がないのです~~。主はぼんやりさんですが、リコリネは不器用さんですね~~。まったく、まともなのはリルちゃんだけなのですから~~、まとめて面倒を見て差し上げます~~!」


 ユディは、人差し指でリルハープの頭を撫でた。


「……ありがとう。今は、甘えてしまってもいいかい?」


 リルハープは、返事の代わりに、気持ちよさそうに目を細めた。


 ユディはしばらくそれを続けた後、翡翠色の昼空を見上げる。


「リコリネ、夕方までに起きるかな」


 本人以外に、それに対する返事はできない。

 ユディはゆっくりと、午後のひとときを過ごした。

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