05人間大の拾いもの(上)
数日は歩いただろうか。
草原の嵩が減っていき、次第に舗装された道が見えてき始めた。
今まで、うっそうと茂った大地しか見たことのないユディは、珍し気にそれを見る。
「すごいね、これは。この途方もない長さの道の分を、誰かが草を刈って、石を敷いて…? なんだか、不思議な感覚だ。僕は今、人が築き上げた苦労の上を、土足で踏みしめているんだね。何らかのカタチで、カンシャ…? 謝意、を表したい衝動が来るよ」
こめかみをトントンと叩きながら、自分の中からなかなかすんなりと出てこない言葉を探している。
「ご主人サマったら、先日はしゃっきりとしていらしたのに、またぼんやりモードに逆戻りですか~~?」
鈴の音のような声が、からかうようにころころと笑う。
「う、うるさいなあ、あの時は妙に意識がハッキリしていたんだよ。すぐにあの状態を長続きさせてみせるさ。リルハープ、たまにはからかう以外のこともしないと、ワンパターンだよ?」
ユディはいつものように、拗ねたように妖精へと言葉を返す。
ここまで、誰ともすれ違って来なかった。
それほどまでに、自分たちは辺境から来た…ということなのだろう。
おかげで妖精のリルハープは胸ポケットに隠れずに済み、のびのびと他愛のないお喋りを交えながら、快適な旅を満喫していた。
「!?」
だからこそ、そこから小一時間ほど進んだ先で出会った光景は、あまりにも予想外のものだった。
数本の馬車道が交わる道の脇に、小ぶりの岩がある。
それに寄り掛かるようにして、全身鎧の甲冑を着た人間が、背中から凭れ掛かるように倒れていた。
「い、行き倒れでしょうか~~!?」
肩に乗ったリルハープは、隠れるのも忘れて、あわあわとユディの髪を引っ張った。
頭が真っ白になっていたユディは、その刺激で、慌てて我に返る。
さっと周囲に視線をやるが、血の跡も戦闘の跡もない。
全身鎧の人が背負っている大きな戦斧も、使われた形跡はないようだ。
大怪我を負っている可能性は少ないと判断した。
「大丈夫ですか!?」
すぐに駆け寄って、全身鎧の前にしゃがみ込む。
咄嗟に肩をゆすろうとしたのを、なんとか踏みとどまる。
下手に刺激を与えて、それがトドメになってしまったら目も当てられない。
「ウ……」
フルフェイスの中から、くぐもった唸り声がする。
「よかった、意識はあるみたいだ! 大丈夫ですか? 僕になにか、手助けができますか?」
触っていいものかどうかを決めあぐねるかのように手を彷徨わせながら、ユディは恐る恐る、全身鎧を窺う。
「しょ……」
「……!」
鎧の中の人が何かを言おうとしていることに気づいて、ユディは口をつぐんだ。
一言も聞き漏らすまいと、意識を集中する。
「しょくじ……を……」
「討ち死にじゃなくて飢え死にでしたか~~、よかったです~~!」
「言い方!?」
リルハープの言葉に思わず言いながらも、ユディの方で手助けできそうな内容に、内心で安堵していた。
「どうぞ、これを。ゆっくり食べてくださいね?」
ユディは手早く水の入った皮袋を差し出し、ナッツなどの渇き物は避けて、先日立ち寄った村で得ていた果物類を差し出す。
全身鎧の人は、フルフェイスの口元だけを上にあげ、差し出されたものを夢中で食べ始めた。
咀嚼が正常になされていることを確認すると、ユディは頃合いを見計らって、干し肉なども差し出していく。
全身鎧の人は、一言も発さずに、必死に栄養を補給していった。
見ていて心地いいくらいの食べっぷりだった。
やがて、人心地ついたのだろう。
その全身鎧の人は、生を確かめるように大きく息をつくと、フルフェイスの口元をカシャリと下げて元通りに直し、礼の形に正座して、ユディに向き直る。
「助かりました、なんと礼を申せばよいか…! 四辻にはヒダルガミが在すると話には聞いておりましたが、山道の辺りで振り払えたものとばかり思っておりました。恥ずべき油断です」
「え、あ……」
話の半分も理解できなかったが、それよりも驚いたのは、それが若い女性の声だったことだ。
確かに、よくよく見れば、鎧のデザインはとてもシャープなものであり、そんなに無骨でもないように見える。
しかし、女性がこのようなゴツイものを身に着けられるという思考が、頭になかった。
あまりの驚きに、ユディは上手く返事を返せないでいた。
「あなたは命の恩人です。ここで果てていただろうこの身を、あなたに拾っていただいた。我がすべてを差し出さねば無礼というもの。どうか、私の忠義を受け取っていただきたい」
「ちょ、ちょっと待ってください、大袈裟ですよ! たまたま通りかかっただけで、それに、僕だけじゃなく、誰だってああしたと思いますし…」
「なるほど、たまたまですか。運命的なものを感じますね」
微妙に話がすれ違っていくのを、ユディはひしひしと感じていた。
「いいじゃありませんか、ご主人サマ~~、リルちゃん、先輩面をしてみたいと、常々思っておりましたし~~。手下にしてあげましょうよ~~」
「手下って響きはどうなの?」
ユディは肩に居る妖精に目を向ける。
その時初めて、全身鎧の人はリルハープに気づいたようだ。
「……これは驚きました。妖精ですか……話には聞いていましたが、美しい」
「まあ~~! あなた、なかなか見所がありますね~~、リルハープと呼ぶことを許してあげます~~! そうです、リルちゃんの職業は、癒し系の妖精なんです~~っ。あなたの職業は何ですか~~?」
「野生の騎士をやっております」
「そんな草むらから飛び出しそうな響きをつけなくても…!?」
「いえ、私はきちんとした騎士として認められたわけではなく、憧れ一つでこのようないでたちをするに至りましたゆえ、ほとんど騎士ごっこと言っても過言ではないかなと思いまして」
「ええ? こだわりってことなのかな…でも、僕はそんなに気にしないし、普通に騎士を名乗っちゃってもいいと思うよ?」
ユディの言葉に、野生の騎士はますますかしこまった姿勢をする。
「は。主がそうおっしゃるなら、如何様にもお呼びください」
「待って勝手に主従関係を結ばないで…!?」
「なるほど、あるじは気に入りませんか。では、殿か、若でいかがでしょう?」
「さっきの呼び方でお願いします…!!」
「との~~っ!!」
リルハープは腹を抱えてオオウケしている。
どんなに断ってもついてきそうな気配に、ユディはすっかり戸惑っていた。
「…主。私は役に立ちます。いえ、立ってみせます。どうか、旅の目的をお聞かせ願えないでしょうか」
騎士は、胸に手を当てて、自己アピールをする作戦に切り替えたようだ。
微妙な心境だが、しかし話が通じそうになった流れはありがたい。
ユディは、包み隠さず伝えることにした。
「僕は、ユディ。モノガリの隠れ里から出て来たばかりで、まだ旅慣れてはいないから、君が付いてきたところで、また行き倒れる結果になるかもしれない。目的は、モノノリュウを倒すこと。きっと過酷な旅路になる」
脅すような口調で伝えたが、騎士には特におじけづいた様子はなかった。
「モノガリ…ですか。聞いたことはありますが、おとぎ話のようなものだと思っていました。本当に実在するとは…。しかし、モノノリュウとは、初耳です。強敵なのですか?」
「…わからない。手探りのような旅だから」
「その竜は、倒さなければならないのですか?」
騎士は、静かに問うてきた。
人と距離を置きたがるリルハープからは、聞かれたことのない質問だ。
ユディは、考え考え話し始める。
「僕の居た里は、モノノリュウに滅ぼされた」
案の定、リルハープは、驚いたようにユディを見上げた。
話を続ける。
「いや、詳しくは覚えていないんだ。ただ、モノノリュウの仕業ということだけは、なんとなく覚えているよ。…本当はね、モノガリを継ぐのは、僕の姉さんだったんだ。僕はいつも、その修行に付き合っていただけで、自分がモノガリになるなんて、思ってもいなかった」
ユディは、首から下げた、ララ木材で作られたオカリナを手に取った。
使い古された、暖かみのある木目を撫でる。
「このオカリナも姉さんのもので、……僕は、気が付けば、誰も居ない村に、ただ一人で立ち尽くしていた。足元にはこのオカリナが落ちていて、そして、夜明けだった。何があったかは思い出せない。なのになぜか、泣いていた。そして、あの竜を討たねばならないと、そう思っていた」
ユディは顔を上げて、騎士の方を見る。
フルフェイスの奥の表情は、うかがい知れなかった。
「そういう、あやふやな理由で始めた旅なんだ。他人が付き合う義理はないよ」
「…しかし、リルハープ殿の付き添いは許されているではありませんか」
食い下がるように、騎士は言った。
「リルちゃんも、ご主人サマに助けられた身なんです~~! このご恩を返すまでは付きまとう予定ですから、ドラゴンがどうのって辺りまでご一緒するかは不明ですね~~。妖精は、他種族に借りを作ることはしないんです~~!」
リルハープは、足を組みながら、髪を背に払う。
騎士は、じっとどこかを見つめて、考え事をするかのように黙り込んだ。
「……。……私の家の家訓に、命を助けられた場合、相手を愛するか殺すかしなければならないというものがありまして…」
「それ今考えたよね?」
「くっ、何故それを…!」
ユディの言葉に、騎士は悔し気に拳を握る。
「しかし主、見たところ、戦いの手段は持っていないように見えます」
騎士の切り替えしに、ユディは言葉を詰まらせた。
「そ、それは……」
「私をお使いください。何を隠そう、私はつい先日まで、貴族の子女をやっておりました。ひと通りの戦闘訓練は受けております故、このマサカリを一振りすれば、悪漢共は粉微塵となって果てましょう。それに、隠れ里にお住まいになっていた主よりは、世間のことに詳しい自負があります」
「えっ。貴族のお嬢さんが、どうして旅を…? というか、歩きでここまで来たの?」
「いえ、歩きではなく、幼少より可愛がっていた騎乗鳥と共に旅立ちました。愛鳥とでもいうのでしょうか。しかし山道での空腹に耐えかね、先日食しました」
「愛とは~~~!?」
衝撃を受けているリルハープに、騎士は普通に返す。
「命には代えられません。愛で腹は膨れませんからね。誤算でした、まさか次の街までの距離がこんなに長いとは。地図上で見れば、小指の長さ程度の距離ですのに」
「…待って、山道っていうことは、探せば食べ物があったんじゃ…?」
ユディの言葉を、騎士は一笑に付した。
「やはり世間をご存じないようだ。面白いことをおっしゃいますね。山に市場はありませんよ、主。また、道端には皿に乗った食事が落ちているということもありません」
ユディとリルハープは、絶句した。
「失敬、何故旅に出たかへの返答がまだでしたね。私は貴族の第一子として、家を継ぐ教育を受けておりました。しかし、私が7歳になった時、弟が生まれたのです。弟が家名を継ぐことは暗黙の了解として周囲を満たし、私は余計な家督争いが生まれないように、弟が10の年を数えた先日、家を出たというわけです。聡明な子ですから、まだ彼が物の道理を分かっていないうちに、私の方から家を出る必要があったのです」
「あ…17歳だったんだね……」
全身鎧が作り出す身長は、17にしては巨大に見える。
「女の子が纏うには、その鎧は重すぎるのではないですか~~?」
リルハープが、気になることをぐいぐいと聞いていく。
距離を置くよりも、好奇心が勝ったらしい。
「この鎧は特注品のオーダーメイドですからね、丈夫で軽い金属をふんだんに使っているため、見た目ほど重くはないのです。重さで言うと、軽鎧程度ですね。そうでないと、旅の途中で吊り橋でもあった日には、目も当てられない結果になるでしょう。とはいえ、もちろん薄絹よりはよほど重たいのですが…。しかし、私が生まれながらに祝福を受けた精霊は、力の精霊ゴルドヴァです。身体強化の奇跡などは、常に行える程度の精霊力が備わっております。さすがにこんなに長い時間使用したのは初めてだったので、空腹になりやすくなる難点があったことも誤算でした」
「待って、鎧を脱げば行き倒れは阻止できたんじゃ…?」
ユディの問いに、騎士はゆるりと首を振るう。
「私は家庭教師の教育を受け、外に出ずとも世の中のことは熟知しております。曰く、扉を開けた先にうら若き乙女の姿を見れば、即座に襲い掛かる悪漢で溢れかえっていると。ですから、私はこの鎧を脱ぐわけにはいかないのです」
「扉を開けた先に抜き身のマサカリを担いだ乙女が居たら即座に逃げ出す人がほとんどだと思うけどね!?」
どうしよう、とユディは思った。
なんというか…放っておけない人だ。
自分と同じくらい、いや、下手をすると自分よりも世間を知らなさすぎるし、ここで別れたとしても、また彼女が行き倒れる未来が目に見えている。
とりあえず、数日間は自給自足の手ほどきをしてからじゃないと、とてもじゃないが安心できない。
ユディは、観念したように息を吐いた。
「わかった、とりあえず、次の街までは一緒に行こう。僕はユディで、この子はリルハープっていうのは、さっき言ったよね。君のことは、なんて呼べばいい?」
「…な、名前、ですか!?」
騎士に明らかに動揺が走った。
「……、…そうですね、野良騎士とでもお呼びください」
「どうして君は獣を連想させる響きにこだわるの…?」
ユディは、困り果てていた。
何をやっても、すんなりと話が進まない。
それが、楽しい…と感じ始めている自分に、困っていた。
奇想天外が具現化したような彼女と話すのは、なんだかとても楽しい。
「どうして隠すのですか~~? 言いたくないくらい間抜けな響きだったりするのですか~~?」
リルハープが興味津々で騎士の方を窺う。
騎士は、答えられないことが申し訳ないとでも言いたげに、しゅんと項垂れている。
…貴族の出ということらしいが、表情が見えないにもかかわらず、このわかりやすさで本当にやっていけるのだろうか?
ユディは思わず助け舟を出した。
「あの…名乗りたくないのなら、偽名でもいいよ…?」
「とんでもない! 主に対して偽りを突き付けるなど、騎士の恥です! その…」
騎士は、覚悟を決めたように、顔を上げた。
「リコリネ、と、申します……」
声が震えていた。
フルフェイスで顔は見えないのに、赤面しているだろうことが見て取れて、ユディは思わず笑ってしまった。
確かに、全身鎧を着た戦士にしては、可愛らしすぎる名前だ。
「まあ~~! リルちゃんの次に愛らしい名前じゃないですか~~、もっと胸を張って名乗ればよろしいのに~~!」
「あははっ、本当だよね、ステキな名前じゃないか。隠さなくてもいいのに」
リルハープの言葉に、ユディは同意した。
「いえ、…粗忽者故、名前負けしていると、よく言われますので…。恐縮です…」
リコリネの声は、どんどん小さくなっていく。
それがますます可愛らしく見えて、ユディは思わず手を差し出した。
「さあ、リコリネ、行こう。君の目的地はどこ?」
リコリネは、差し出された手に戸惑ったようだが、恐れ多そうに手甲越しの手を重ね、一緒に立ち上がった。
立ち上がると、甲冑の分だけ、ユディよりも背が高い。
「…先ほど話に出た、家庭教師が住まう街です。とても面白い男でしたが、彼は研究資金が溜まるとさっさと私の家庭教師を辞め、住処に帰って行きました。故郷を出た折には、まず彼を訪れると決めておりました。方角は、あちらです」
示された方角に目を向けて、ユディは頷いた。
「うん、あっちなら、僕の進む方角と同じだ。リコリネ、僕も多分18歳くらいだと思うから、そんなに年も変わらないし、呼び捨てでいいんだよ?」
「いえ、滅相もありません。こういったことはキッチリとしておくのが、騎士としての在り方です。ですが……」
リコリネは、少し悩むような間を空けて、改めてユディを見下ろした。
「…ですが、立場上、同年代くらいの者と話したことは一度もありませんでしたから……、仲良くしていただけると、とても、嬉しい…です」
はにかむような物言いだった。
ユディは、ふっと微笑んだ。
「うん。しばらくの間、よろしくね」
「うふふ~~、礼儀正しいお嬢さんです~~、これは拾い物ならぬ、掘り出し物かもしれませんね~~!」
ユディは、確信した。
リルハープは、退屈をしていたのではないか、と。
そこそこ楽しく旅ができていると思っていたので、その思い付きは、ちょっとショックだった。
そうは思ったが、楽しそうに騎士の頭の上に乗るリルハープの笑顔を見ていると、まあいいかな…という結論にはなった。