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モノガリのユディ  作者: ササユリ ナツナ
第一章 ひとりめ
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03翡翠の空、紫苑の夜(中)

 まだ外は暗い。

 青年は静かに起き上がり、老人に貸りた貫頭衣のような部屋着を脱ぎ、旅装束に着替え始める。

 妖精を起こさないように、外に出るつもりだった。


「んん……ご主人サマ、どこかへ行かれるのですか~~…?」


 目を擦りながら状態を起こす妖精に、青年は申し訳なさそうな顔をする。


「あ……ごめん、起こしちゃった? もうじき夜明けだなって、思って…」


「またですか~~? 毎日毎日、飽きませんね~~」


 妖精はまだ目が空いていない状態のまま、ふらふらと羽を揺らして飛び上がった。

 そのまま青年の肩に着地を決める。


「付き合ってあげます~~…」


 むにゃむにゃ言いながら寄り掛かってくる妖精に、青年は困ったように笑った。

 結局何も返さずに、静かに老人の家を出て行く。

 長老の家はやはり大きく、広々とした庭があった。


 夜と朝の隙間時間を、冴え冴えと澄んだ外の空気が満たしている。

 青年は、大きく深呼吸して、空を見上げた。

 東の空から、紫紺の夜が明け始める。

 宝石のような明かりが差し込むにつれ、シャラシャラと透徹な音が混じっていく。

 結晶化した空気が砕けていく音だ。


「天からの、贈り物……」


 呆けたように、青年は呟く。

 曖昧な記憶の中で、一番初めに見た景色がこれだった。

 また、涙が頬を伝う。

 この光景を見ると、どうして泣いてしまうのか。

 毎日明け方の空を見てしまうのは、その手がかりをつかむためなのだろうか。

 自分でもわからない。



「おにいちゃん、どうしたの?」


 唐突に、横合いから声がかけられた。

 青年は慌てて手の甲で、濡れた頬をぬぐいとる。


「おなか、いたい?」


 目を向けると、昨日の女の子だった。

 当たり前のようにそこに居るその子は、心配そうに青年を見上げている。

 こんな朝早くに不意打ちのような来訪を受けては、彼の肩に居る妖精が、いつもの胸ポケットに隠れ損なっても仕方がなかった。


「きゃ~~っ、見つかってしまいました~~!?」


 ツツジ色の妖精は、わたわたと慌てながら、女の子の視線から隠れるように、青年の肩口に顔をひっこめた。

 女の子は驚いたように、ぱちくりと瞬きをする。


「…だれ?」


 青年は、観念したようにため息をつくと、あやすように、肩口に向けてちょいちょいと指で招く。


「…リルハープ、出ておいで。見つかってからかくれんぼをするなんて、まるであべこべだ」


「うう~~一生の不覚です~~、ご主人サマとのランデブータイムをこんなカタチで邪魔されるだなんて~~! まったく人間はロクなことをやりませんね~~っ」


 妖精は、悔し気に地団駄を踏みながら、青年の指の上にまで羽を揺らして飛んでいき、そこが自分の陣地と言わんばかりに腰かけた。

 透き通った七色の羽は、明けたばかりの陽の光を透かして、少し緑がかったプリズムを見せている。


「キレイ!」


 思わず、といったように、女の子は歓声を上げる。

 その素直な感想に、妖精は「まあ~~!」と気を良くしたようだった。


「素直ないい子ですね~~、よくわかっているじゃないですか~~! 今のでノックのない訪問も許して差し上げます~~っ」


 妖精は、つんと鼻を高く上げるような姿勢をして、尊大に女の子を許した。

 青年は、困ったような笑顔を、女の子へと向ける。


「妖精を見るのは初めて? できれば、リルハープのことは、誰にも内緒にしていてほしいんだけど……」


「ナイショ? ナイショのヒミツなの?」


 女の子は、興味津々に、その宝石のような妖精に視線を奪われたままだ。


「そうなんだ。珍しい生き物だからね、下手に騒ぎになって混乱を生むわけにはいかないから」


 女の子は、青年の言葉を吟味するような間を空けると、勢い良く頷いた。


「わかった、ナイショのヒミツね!」


「ありがとう」


 青年は、ふっと目を細めて微笑んだ。


「じゃあ、さっき、おにいちゃんが泣いてたのも、ヒミツ?」


 今度は、青年のほうがわずかに答えに窮した。

 そして、風の粒が砕けていった、その残滓を探るように目を細める。


「そう、それもヒミツ。…朝の、あの光景を見ると、どうしてか、泣いてしまうみたいなんだ」


「…そうしたら、毎日泣いているの?」


 女の子の癖は、大きく一度瞬きをすることなんだろう。

 それに気づいた途端、青年は少し笑ってしまった。


「…ううん、雨の日は大丈夫だよ。だって僕の代わりに空が泣いてくれているから…なんてね?」


 冗談めかして言う彼の笑顔を見ると、女の子は安堵したようだった


「ねえねえ、いままでに何回泣いてきたの?」


「…ええ?」


 予想外の問いに、一瞬言葉が詰まる。


「うーん……いっぱい、かな?」


「泣いてしまうクセに、わざわざ早起きをしてこの光景を見たがるなんて~~、まったくもってご主人サマはマゾなんですから~~!」


 とりとめのない会話に、妖精の声が入ってくる。


「ええ…? ひどいなリルハープ、そんな風に思っていたの?」


「当然です~~、毎日毎日泣かれる方の身にもなってください~~! リルちゃんは見守るくらいしかできないのが、たまに歯痒いのです~~。このままでは歯が痒すぎて、人間でいう虫歯になってしまいます~~っ」


「…君って変なことばかり知っているよね? 痒いどころじゃないらしいよ、噂では……」


 そういったやりとりを見るのは初めてだったのだろうか、女の子はくすくすと笑いはじめた。


「おにいちゃん、妖精さんと、仲いいんだね! ふたりだと、きっと旅も、楽しくなるね!」


「…そんなに旅の話が聞きたかったの? こんなに朝早くに来て」


 青年が問いかけると同時に、霊樹の方から、ようやく朝鳥の鳴き声が響いてきた。

 まだ村の誰も出歩いていないところを見ると、早起きの風習があるとも思えない。


「うん! だってたくさんね、知らない話がありそうで」


「…そっか。知らないことを知りたい年頃なんだね。わからないでもないなあ…」


 口元にまだ笑顔の名残を残したまま、青年は近くにあった薪割り台に腰かける。

 女の子の背丈と近くなった。

 その割に、女の子の方を見るでもなく、自分の中の言葉を探るかのように、視線をどこかへ彷徨わせた。


「…でもね。世の中にはいろいろな情報があるけど、生きていくために必要なものなんて、ほんの一握りしかないんだよ」


 女の子の顔を見なくとも、大きな瞬きがなされたことは容易に想像がついた。

 青年は言葉を探すように、じっくりと考え考え、話を続ける。


「ウーーーーンと…むずかしいな。何かを説明しようとするときって、コトバを重ねすぎるとすごく無粋になってしまう気がするんだ。もちろん、僕の話し方が下手だっていう原因も、多分にあるんだけどね」


 青年は、手持ち無沙汰とでも言いたげに、話の合間に、傍らに刺さっていた薪割り用の鉈を手に取る。

 刀身は曇っていて、手入れの必要を感じた。

 妖精は青年の肩に移り、刃物の存在を、びくびくと眺めている。

 女の子はただ、首をかしげているだけだ。


「ええと、だから、つまり…そう。情報に操られないように、自分の世界のための取捨選択をするには、まだ君は若すぎるんじゃないかなって、そういう話なんだ」


「…んっと…? お外の話は、まだしらないほうがいいってこと?」


「…そういうこと。だってそうだろう? 今の君にはキサーシャさんの看病のほうが大事なことのはずだよ。今あるものを大事にしないと、大切なものはいつ大切にできなくなるかわからないんだから。足元にある花を踏みつぶしてまで、空にある星に手を伸ばすものじゃない」


 女の子は眉間に柔らかなしわを寄せ、なんとか話を噛み砕くそぶりを見せた後、大きく頷いた。


「わかった! あのね、お見舞い、絵をね、描いてあげてくる!」


 「あ…」と、引き留める間もなく女の子は走ってしまっていた。

 青年の手は、虚しく差し伸べられたままだ。


「まあ~~、思ったよりも残虐嗜好な女の子です~~。きっとお見舞いの果物の絵を描いて、枕元に置いてあげる気なんですよ~~! リルちゃんがそれをされたら憤死です~~、本物が食べたいのに~~って」


「……あのさリルハープ、前から思っていたけど、君って結構歪んでいるよね?」


「ぷんぷん~~、前からって言いますけど、ご主人サマとは出会ってからまだ数日程度ですよ~~? リルちゃんの清廉潔白さを知るには、100年あっても足りないんですから~~!」


「そう…か。まだそれだけしか経ってなかったんだね。なんだかまだ変な感じだ、君と出会ってからそれなりに時間が経ったような気もしているような、そうでもないような、ふわふわした感じというか…そのうち、この感覚も治るのかなあ」


 女の子が走り去った方角をじっと見てから、青年は結局鉈を持ち直す。


「よし、あとでお爺さんに、あの子の家の場所を聞いておこう。と、その前に」


 くるりと鉈を空中に放って遊ぶ。

 一宿一飯の礼に、薪割りをしていこう。そう思った。



-------------------------------------------



 気が済むまでの薪割りは、思ったよりも時間経過を要した。

 老人の家に戻ると、村人数人が寄り集まっているところだった。

 朝早くから全員が浮かない顔をしているところを見ると、どうやら楽しい話ではないらしい。

 青年は、妖精が胸ポケットにきちんと隠れていることを確認してから、声をかける。


「…なにかあったんですか?」


 話の区切りがつき、人がばらけた頃を見計らっての問いかけだった。


「ああ、いや、それがの……」


 老人の白いひげが逡巡にもごもごと蠢いた後、意を決したように口を開いた。


「お客人、出立はいつ頃になりますかな」


「え? ええと…この後、昨日の子の家の場所を聞いたら、すぐに旅立つ予定です」


「そうかそうか…それがええ。それが賢明じゃ…」


 老人はなおも、自分に言い聞かせるように何度も同じことをつぶやいた。


「実はここのところ、キサーシャ以外にも不調を訴える村人が増えておってな。しばらく様子を見ておったんじゃが、一向に減る気配がなく、そろそろ真剣に考えたほうがええんじゃないかという話が先ほど来たわけじゃ…」


 話を区切るように、目の前で一度呼吸が整えられた。


「まさかとは思うが、なにぶん原因がわからず、流行り病の可能性も否めんで…あんたも何かある前に早く去ったほうがええ」


 話すことで現実を認めてしまうことを憂うように、言葉が絞り出された。


「…それは……」


「いや、いいんじゃよ。仕方のないことじゃ。……ティルの家は、昨日の井戸の通りから見える、青い風見鶏の手紙受けがある家じゃて、どうか様子を見に行ってやってほしい。一人で心細い思いをしておったらいかんからの」


 老人の顔を窺うと、沈痛と言っても差し支えない面持ちになっている。


「前にも言うたが、あの年頃の子供はあの子だけでなあ。そりゃもう村人みんなで可愛がっておるんじゃ」


 老人の言葉は、青年に語り掛けるというよりも、独り言に近い響きがあった。


「笑顔が見とうて色々なものを贈ってきたんじゃが、一つだけ後悔の残ることをしてしもうた」


 どうして独り言に感じたのかは、その口ぶりがまるで、告解のそれに酷似しているからだろう。


「あれは3年前…あの子が7歳になった日に、村のみんなでとても高価な贈り物をしたんじゃ。街で買い付けた精霊道具で、『不思議な羽根ペン』という商品名じゃった…。まだ開発されたばかりのものでな。身の内にある精霊からの祝福を注げば、好きな色が好きなだけ出てくる羽根ペンでなあ。棒切れで地面に絵を描いてばかりのティルにぴったりの贈り物じゃと、誰もが思っておった」


 口をさしはさめず、青年は先を促す視線だけを静かに向ける。


「結果、ティルの内にある祝福の量は、常人にはるかに及ばないほど少量ということがわかったんじゃ。どんなに頑張っても、あの子が一日に絵を描けきつけられる量は限られてしまっておった。あの子は何日もかけて絵を完成させねばならず、そのため、どの時間帯でも模写できる自分を、手鏡とにらめっこしながら描くことしかできんかったわけじゃ」


 この世界の住人は、精霊の祝福を受けて生まれてくる。

 祝福を多く得た人間は、その量に比例して、様々な奇跡の力を発揮できた。

 もはや人々は奇跡に慣れきり、若い世代は徐々にそれを奇跡と呼ぶことはなくなっているほどに、身近な力だった。

 しかし精霊は気まぐれで、時にほとんど祝福を与えられない者もいるらしいことは、風の噂で知っていた。

 彼らを≪精霊の見放し子≫と呼ぶことも。

 青年は、つい先ほどまで思い出せなかったこの知識を、なぜか、すんなりと思い出すことができた。


「……見ているほうもお辛かったでしょう」


 青年は、ぽつりと相槌を打った。


「そうじゃな…。幸い、うちの村は貧困に喘いではおらんかったし、あの子の欲しがるものなら何でも与えてこられたんじゃが、精霊の祝福だけはどうにもならんかった。あの子はまだ幼いうちから、『自分は人とは違う』という劣等感を抱く結果になってしもうたんじゃ。……わしらはそのことに目を背けるかのように、またいろいろな贈り物をしてきた…。次第にあの子が絵を描いているところは見かけなくなってな、安堵すらしておった」


 青年は、女の子の姿を思い浮かべる。紙束を抱きかかえた彼女の姿を。


「ところが最近になって、また紙束を持ち歩く姿を見かけるようになったんじゃ。だのに絵を描くでもなく…、胸をえぐられるような光景じゃて…」


 ようやく、老人の告解のきっかけがわかった気がした。

 もう会うこともないだろう外の世界の人間にしか話せない話もある、ということだ。

 どう声をかけていいかを迷っていると、老人はそれを見透かしたかのように首を振るう。


「いやいや、くだらん話をしてしもうて申し訳ない。行ってやってくだされ。キサーシャの容態も心配じゃからな。ああ、もちろんこちらの都合で追い出すような真似をしてしもうたからの、食料はたんとお分けしよう」


 老人は、最後まで善意にあふれていた。


「…お世話になりました」


 食料庫に引っ込む老人の背に、ゆっくりと頭を下げる。

 完璧な所作だった。

 青年はそこから丁寧にあいさつを重ねると、老人の家を後にした。

 今の彼には、それしか選択肢はなかった。



-------------------------------------------



「いちもんめーの、いっすけさん、いちの字ーが、きーらいで~♪」


 老人に聞いた通りの道筋を進むと、可愛らしい歌声が響いてきた。

 近づくにつれ、女の子が、小さな家の庭で鞠付き遊びをしているのが見えた。


「いちまんいっせんいっぴゃくごーく、いっとーいっとーいっとーまの、おくらにおさめて~……」


 歌の途中で、女の子は鞠をキャッチしたあと、しゅんと項垂れた。

 すぐに、頭上が翳ったことを感じたのか、近づいてきた青年の方を見上げる。


「…あ、おにいちゃん!」


「おはよ…じゃなくて、こんにちは。キサーシャさんの具合はどう?」


 青年の問いかけに、女の子はまた、しゅんと鞠の方を見て項垂れる。

 とても綺麗な鞠だった。

 老人が言っていた、女の子への贈り物の一つなのだろう。

 しかし、女の子の表情は、楽しそうなものではなかった。


 沈黙が続いたことに耐えかねて、青年は別の話題を探す。


「…さっきの歌。なんだか、懐かしいメロディーだったね」


「まあ~~懐かしいだなんて、ご主人サマ、ひょっとして記憶がお戻りになったのですか~~?」


 胸ポケットから、ひょこりと妖精が顔を出してくる。


「ううん、そういうわけじゃないけど…。でも、なんだか、懐かしいと、そう感じたんだ。さっきも、おじいさんと話をしていたら、急に思い出せたこともあって…。コトバは、鍵のようなものだと思ったよ。それにカッチリとはまる鍵穴が僕の中にあって、それが一致したら、きちんと思い出せる。感覚的なものだけど、そう感じた」


 女の子は不思議そうに青年を見上げる。


「きおく?」


「ああ、いや。別に記憶喪失とか、そういうわけじゃないんだよ。ちゃんと姉さんが居たことも覚えているし、里で過ごした日々も、うっすらと思い出せるんだ。だけど、まるで霞がかかっているかのように、ぼんやりとしている……ってだけで」


「だからご主人サマはいつもぼんやりとしていて、ぼんやり村のぼんやり御飯が今日も美味しい~~って感じなんです~~。ちょっとはリルちゃんを見習ってはいかがでしょうか~~?」


「……、……。君を見習ったら、大きな蜘蛛の巣に引っかかりそうだからね、やめておくよ」


 青年は、ちょっと口をとがらせながら、反撃をした。

 妖精は、「うぐ…っ」と言葉を詰まらせる。


 女の子に小さく笑顔が戻った。


「妖精さん、蜘蛛の巣に、ひっかかったの?」


「そうなんだ。僕が通りかからなかったら、一体どうなっていたかなあ?」


 青年は、わざと意地の悪い声を出して反撃を続ける。

 妖精は、キイキイと悔し気な声音を出した。


「だ、だから、ご恩を返すためにご一緒しているじゃないですか~~! 妖精は他種族に借りを作らないんですから~~。命を助けて頂いたご恩は、ちゃんと命を助けることで返すんです~~っ。だのにご主人サマときたら、一体いつ瀕死になるのでしょう~~? リルちゃんがいつでもご主人サマの心肺停止を望んでいることを、ちゃんと覚えているのですか~~? まったくぼんやりさんなんですから~~!」


「言い方! リルハープってさ、僕に対しては何を言ってもいいって思っているだろ…? 君が口を開くたびに、僕のことを本当に恩人と思っているかどうか、怪しくなるばかりだよ、まったくもう…」


 拗ねたように言う青年に、女の子はますます笑いを深めた。

 妖精は、青年の言葉に慌てたように、女の子の方を見る。


「も、もちろん、リルちゃんはご主人サマのお役に立ちたいと、いつでも思っていますから~~! ねえあなた、先程の歌はどこで習ったのですか~~? それがわかれば、ひょっとしたら、ご主人サマの記憶がはっきり思い出せるようになるかもしれません~~っ」


 突然話を振られて、女の子は少し困ったように間を空けた。

 結局、首をかしげる。


「わかんない…。最初から、持ってたよ。あおいそらのせかい、の、お歌」


「青い空の世界…?」


 青年は、驚いたように繰り返した。

 妖精は、訝しげな表情を隠しもしない。


「青い空だなんて、おかしな話ですね~~、お空の色なんて、昼間は緑で夜は紫って決まっていますのに~~!」


 何かがツボにはまったのだろう、妖精はキャラキャラと、鈴のような笑い声を立てた。


「でもさ、そういう世界があったら、ちょっと見てみたい景色ではあるかなあ…」


 別段、フォローのつもりでも何でもなく、青年は思い浮かべるように、エメラルドグリーンの晴れ空を見上げる。


「そうでしょうか~~、リルちゃんの予想では、薄気味悪い景色だと思いますけど~~」


「…それよりも。お見舞いのお絵かきの方は、できたのかな?」


 青年は、女の子の方へ、改めて目を向ける。

 女の子は、眉を下げて、首を振った。


「あのね、ずっと探してるけど見つからないの。だから、気分転換してたの」


「探してるって、何をですか~~?」


 妖精の問いかけに、女の子はまた項垂れて、じっと鞠の花七宝模様を見つめる。

 青年は、見かねたように片膝をついて、女の子の顔を覗き上げた。


「ねえ。その探し物を見つけるの、僕に手伝わせてくれないかな?」


 女の子はまた、大きく一度の瞬きをする。

 それから勢い良く頷くと、すぐに家の方へと駆け出した。


「きて! こっち!」


 性急な訪問となったものの、彼女の後に続いて、開かれた扉をくぐり、青年はひとまず同居人のキサーシャを探す。

 失礼とは思いながらも、ベッドルームを覗き込んだ。

 そこには確かに、一人の女性が、浅い呼吸を繰り返しながら横たわっている。

 お邪魔しています、と言うつもりだった。

 しかし、その様子に、青年は言葉と共に息を飲んだ。


「これは……」


「おにいちゃん、なにしてるの? こっちだよ?」


 後ろから手を引っ張られる。

 どうやら女の子は、寄り道を許してはくれないようだ。


「すぐに行くから、先に行ってて?」


 青年が優しく声をかけると、女の子は真剣な顔で頷き、すぐに部屋の方へと戻っていく。

 その後姿を見送ってから、困ったような顔で、ため息をついた。


「リルハープ、また鍵穴が一致したみたいだ」


「……? なにか、思い出したということですか~~?」


 妖精は、不思議そうな顔で、青年の横顔を見上げる。

 青年は、ただ一言つぶやいた。


「うん。僕が、やらなきゃいけないことをね」

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