07エピローグ
ここがいつなのか、どこなのかもわからない。
「はあ、はあ、はっ…!!」
それでもキオは走り続ける。
この先に行かなければならない気がしていた。
約束も何もないはずなのに、誰かが待っているという予感がある。
遠くに、海を臨む岬が見えた。
そこに立つ、華奢な人影を認める。
金色の長い髪が、風になびいていた。
まだ夜明け前の乏しい明るさの中にあっても、美しく輝いている。
「リコリネ!!」
岬の端までたどり着くと、名を呼ぶ。
その人影は、背を向けたまま、ふっと笑ったようだった。
「…ああ、見つかってしまいましたね」
「リコリネ……やっと見つけた、こんなところに居たんだね」
キオは、もどかし気に息を整える。
話したいことが山ほどあるのに、上手く整理ができない。
「…はい。かくれんぼ、という遊びをやっておりました。一度やってみたかったのです」
リコリネは海の方を見たまま、静かに言葉を落とした。
「翠天の世界…ですか。そのままの名であるのに、美しい響きに感じられて不思議です。主、私たちが旅をしてきた世界は、美しいですね」
「……、……うん。本当に…」
「ですが私一人では、それすらもわからなかったでしょう。私に世界の美しさを教えてくださったのは、主、あなたです。…しかし、不思議なものですね。主は世界を救うという偉業を成し遂げられたにもかかわらず、ほとんどの者がそれを知らない。あなたは人々の心ごと、世界を守っていたのかもしれません」
「それは、結果的にそうなっただけだよ。本当なら、君の行動を讃える銅像でも建ってたかもしれないな」
「ふふ、それはご勘弁願いたいですね。目立つのはあまり好きではありませんから」
キオは、背筋を伸ばしてリコリネの後姿を見た。
「リコリネ。君に言いたいことがあるんだ」
「……聞かせてください」
会話の隙間で、一度深呼吸をする。
「リコリネ。君は、僕にとっての……枯れない花だ」
ピクリと、リコリネの肩が動いた。
他に動きはない。
「…身に余るほどの表現ですね。…光栄に存じます。……。私にはもう、その言葉に応える資格はないのですが、…嬉しいという気持ちだけは、口にさせてください」
「……、……やっぱり、自分の気持ちって口に出すと、なんだか違う感じがする。すごくチープになる。本当はこんな程度じゃないのに。だけど………。もっと、早く言うべきだったね」
キオは、目を伏せた。
一拍の沈黙。
「いいえ。あなたの隣で咲けたことを、その花はきっと、誇りに思っているでしょう」
リコリネは、いつもの調子で、淡々と語り続ける。
「…主。たとえ何度、人生を選びなおせたとしても、私は必ずガッディーロの家を飛び出し、行き倒れ、あなたに出会う道を選びます。キルゼムを前にしても逃げ出さず、立ち向かい、あなたの人生の手助けをし続けるでしょう。ですから主、あなたが歩んできた道も、選んだ選択肢も、間違いではないのです」
「………」
「私に、他者の人生を犠牲にしてまで目的を遂げるエゴがあったように……世界は美しいだけではありません。きっとこれからも、様々な困難が待ち受けているでしょう。ですが、あなたなら。あなたなら、あの旅の美しさを、思い出にすがるような心のよりどころにせず、ただしく受け止めて、生きて、生きて、生きて、…笑顔を忘れないでいてくださると信じています」
「君が居ない世界で?」
「はい」
「…リコリネって、結構残酷だよね」
「…ふふ、今更でしょう。忘れたいですか?」
「頼まれたって忘れるもんか。あそこには、確かに永遠があったんだから」
リコリネは、やはり呼気の中に微かな笑みを含ませる。
「ほら、顔を上げて、空を見てください」
言われるまま、キオは空を見上げた。
隣を過ぎる風の中に、シャラシャラと透徹な音が混じる。
紫紺色の夜の空気が陽明かりで結晶化し、小さな金色の塊になった風の一部が砕けていく音だ。
「あ……そうか、『天からの贈り物』の時間」
キラキラキラキラと、すぐに溶け消える金色の粒が降ってくる中で。
リコリネが振り向いた。
風に長い髪を遊ばせながら、こちらを見てくる。
顔が見えない。
どんなに目を凝らしても、見えない。
その時、キオは気が付いた。
(そうだ、リコリネは、もう……)
見えないはずなのに。
その表情が、とても優しげで、この上なく満足な笑顔だということだけが、何故かわかった。
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「リコリネ!!」
ばっと目を開ける。
飛び起きるように上半身を起こすと、キオはベッドの中に居た。
「???」
一瞬が過ぎ、たっぷりと時間が経過しても、全然理解ができない。
不思議そうに左手を見る。
「……? ………あ、」
驚きに目を丸くした。
別に変化があったわけじゃない。
ようやく気付いた。
「今のが……『夢』?」
呆けたように呟き続ける。
「そうか、僕はもう、人間になったから……。そうか……」
何度も「そうか」と呟き続ける。
「そうか……はは……」
顔を伏せる。
こぶしを握る。
ぼろぼろと、涙がこぼれた。
もう、あの子の言葉が、新しくこの世に生み出されることはないのだと、思い知る。
「リコリネ……結局一度も、顔を見なかったな……」
笑い泣きになる。
そのうち笑いが失せて、ただただひたすらに泣いた。
ようやく泣けたなと、そう思った。




