設備が老朽化も陳腐化もしない世界について
脱成長論者というのは、現在に生きていない老害か現実認識能力が欠如している愚か者以外にあり得ない。特に、社会資本形成にあたり『作るモノが無い』と主張する人間は完全にそうだ。彼らの”時間”概念は極めて特殊だ。小学校のテストで100点を取ったから高校のテストは100点だ。だの、何十年か後に死ぬ時には心電図の波形は平面を示すから、今は平面であるなどと主張する。なろう系主人公もびっくりのチート能力持ちでなければ、狂人のたわ言でしかない。
彼らは印象の世界に住んでいる。この世界では、おこげを口にしようものなら、速やかに癌になり、瞬く間に腫瘍が膨張し絶命する。根拠はなんとなくそう感じる人がいるからだ。針の穴からなんとやら、日本とアメリカでは~とか言う反面、ロシアとアメリカではどうかとか国際比較して、自分の仮説は正しいのかと考える学問的態度なんてモノは全く無い。
彼らのやってる事はアホ社会学の類と何も変わらない。
感情論100%の結論が最初にあり、それを肯定しそうな印象だけを集める。
何であろうと難癖をつけるのは簡単だ。つまり結論と論拠は同じなのである。
彼らは上から下まで同じ事を行う。彼らは”日本がこんなに豊かなハズが無い”という結論に従い、そう感じる理由をなんか探す。要するに仮説ではなく結論なのである。彼らの思考世界では突っ込み処がひとつもない完璧超人以外は、全て最底辺という訳だ。彼は言っている事とは「現実が間違っている」という事であり、”彼らの現実”と本当の現実を合致させるために必要な事が日本をもっと貧しくしようという訳だ。まさしく予言の自己実現である。
恐ろしい事に、この手の連中の論理性の欠如というのは、単にソイツがおバカだからでは済まされないレベルの問題なのである。財務省は公式に”自国通貨建ての国債が財政破綻しない”とはっきりとそう書いている。そのことを問われて、財務省の役人はなんと答弁したか? 「文章がある事は認めますが、趣旨が違います」である。財務省の役人が、匿名掲示板やSNSのアンポンタンと同じ事をしている訳だ。勿論、真の趣旨とやらの提示は無かった。
彼らは現実が大嫌いなのだろう。インフラの修繕をするとGDPの成長率が下がるとか言い出す。GDPの計算式の内訳ぐらい簡単に調べられるだろうに。GDPとは消費+投資+政府支出+(輸出-輸入)である。ぶっちゃけ金が動けばGDPは上がってしまう。そんな程度の指標も満足に上げられないのは馬鹿げているというのがまだ理解出来ないのだ。
彼らがこの式を見ると”政府支出”という言葉は消え去り、ひたすらに個人の消費や投資を増やせとか輸入を減らして輸出を増やそうと言い続ける。GDPを増やす裏ワザとして輸出を増やす! とか言っちゃう始末。彼らは労働すると天がカネを送ってくるという世界に住んでいるのだろう。デフレや総需要の不足という事柄が全く判らないのだ。
そういう極めて単純化された”セイの法則”が大好きなのである。この単純化された世界では、貧乏人しかいないスラムで高級外車の代理店を建てても飛ぶように売れるし、無人島でラーメン屋を建てても作った分は全て売れる。売れない? それは店の努力不足である。彼らの主張は大恐慌を悪化させ大量の死者を出した自由放任主義者、それもケインズが提示するカリカチュアとして自由放任主義者たちから1mmの進歩も無いのだ。デフレからの回復には淘汰が必要だ~と喚き散らして火炙り祭りをしまくったが全然デフレは回復しなかった。まぁそもそも、まともな脳みそしてたら「どうして?」もクソも無いのだが。すると彼らは「デフレが回復しないのは神の御意思だ~滅びを受け入れるのです~」と言い出す。(アダム・スミスは市場の調整機能について、”神の”などと言っていない)
妄想仕掛けの神と付き合うのも飽き飽きなのだが、そもそも事を生産性の話だけに絞っても無茶苦茶である。既存のインフラを整備しても生産性は上がらない~というのが彼らの言だ。彼らの世界が羨ましい。道具が壊れる、壊れかけの道具は使いにくい、そんな程度の事すら実感として理解出来ないのだ。壊れた道具とそうでない道具で生産性に差が生じるか否か、普通判るだろう。恐らく、おじいちゃんおばあちゃんが、ず~と元気に生きている、そんな世界に生きているのだろう。
現実世界では建造物は老朽化し、ある日、本当にいきなり崩落する。2018年の8月にイタリア北部ジェノバで高架橋が崩落し、走行していた車を巻き込み43人が犠牲となった。隣国フランスとジェノバを結ぶ高速道路が通るこの高架橋は、高さ約50メートル、長さ1.2キロのつり橋で、数十年にわたり海風にさらされ、徐々に腐食が進んでおり、常に補修作業が必要な状態だった。数十年にわたり橋の下に住み、常態化した補修工事に慣れきっていた住民は、橋が崩落するなど、まったく想像もしていなかったようだ。
橋が落ちる前の月の市議会では、昼夜を問わず行われる補修工事の騒音に、住民は我慢の限界に達していると議題に上がったが、その席上で建設から51年経ったこの橋の安全性について質問した人は、誰もいなかったそうだ。だがしかし、この橋がヤバい状態なのは皆知っていた。実際に、コンクリが剥がれ落ちて鉄骨が剥きだしになっており、真っ赤に錆びついている状態なのだ。この橋を走るトラックの運ちゃんはこの橋を通るときは加速して走っていたと言う。恐るべきことに、現場ネコは遍在している。逆に何処がどうヤバくないのか問いたいぐらいなのに、彼らは言う「ヨシッ!」
高度成長期に一斉に建設された社会資本が老朽化し一斉に修繕や作り直しが発生する問題について、適切な投資を行い修繕を行わなければ、近い将来大きな負担が生じる、と繰り返し警告されてきた。しかし、道路事業だけを見ても、平成17年の道路関係四公団民営化に際しては高速道路の管理費が約30%削減され、平成21年の事業仕分けでは直轄国道の維持管理費を10~20%削減された。社会全体がインフラのメンテナンスに関心を示さないまま、アホ臭い緊縮祭りにうつつを抜かして来た。
日本の橋梁の70%を占める市町村が管理する橋梁では、通行止めや車両重量等の通行規制が約2000箇所に及び、その箇所数は年々増加し続けている。地方自治体の技術者の削減とあいまって点検すらままならないところも増えている。2012年にはトンネルの天板が崩落して死者出す大事故が起きているが、9人程度の死者では彼らが現実を認識するには全く不足だったようだ。彼らが現実を認識する為には、あと何百人が犠牲にならんといかんのかねェ?
だいたい、既存のインフラ整備だけでなく、東京圏ですら新規の高速網の拡充を必要としている。完璧で不便さなど欠片も存在しない100点満点の日本などどこにも存在しない。高度経済成長期に『狭い日本そんなに急いで何処に行く』とほざいていた人間は、インフラ整備に関心も知識も経験も何もないのに、偉そうに印象論をブチ蒔いていた。彼らはいまどうしているのだろうか? 答えは簡単、今も『狭い日本そんなに急いで何処に行く』と言っているという訳。根本的に精神性が老害なのだろう。