結婚できない令嬢は国王陛下の花嫁候補!?
「サーラにまた残念なお知らせをしなくてはならないんだ。ウィーズ伯爵家の子息との婚約だけど、昨日連絡があって、この話はなかったことにしたい、と言われてしまった」
「そう、ですか」
父親から告げられた婚約解消の知らせにサーラは驚くこともなくただ頷いた。
「すまないね、サーラ。今度こそうまくまとまりそうだったんだが」
「そんな、お父様のせいではありません。きっと私になにか問題があるのです」
「いいや、サーラのせいではないよ。誰のせいでもないはずなんだが……」
言いながら肩を落とす父親の姿にサーラもまた力なく俯いた。
今回もまたダメだった。
サーラが父親から自身の婚約解消を知らされるのはこの一年ですでに4度目のことだった。
昨年、社交界デビューをしたばかりのサーラは今年で18歳になる。
幼い頃に母親を亡くしてから、たくさんの使用人たちと共にのんびりとお屋敷で暮らしている。
彼女の父親は宰相として王宮勤めをしていて、毎日が忙しくあまり屋敷には帰ってこない。けれど一人娘であるサーラのことを常に想っていて、彼女の写真をペンダントに入れて持ち歩いているほど。サーラもそんな父親の深い愛情を知っているので一緒に過ごす時間が短くても寂しい思いはしていない。
そんな風にサーラは父親に愛され、家族同然の優しい使用人たちに囲まれながら、趣味であるガーデニングを楽しみ毎日を過ごしていた。
なに不自由なく幸せな毎日を送っているように見えるサーラだけれど、彼女にはひとつだけ悩みがあった。それは、なかなか婚約者が決まらないこと。
サーラと同じくらいに社交界デビューをした令嬢たちは次々と婚約者が決まったり、すでに結婚をしている者もいるというのに。サーラだけ一歩どころか数歩も出遅れてしまっていた。
どうしていつも一方的に婚約が解消されてしまうのか。彼女になにか特別な問題があるわけではないのだけれど……。
透き通るような白い肌に、ふんわりとカールのかかる栗色の髪、そしてくっきりとした二重のアーモンド型の瞳はまるでお人形のように可愛らしいし、屋敷の全ての使用人たちから慕われる優しく穏やかな性格。父親は宰相を務めていて、国の中でも上級貴族にあたる由緒正しい家柄の令嬢だ。
目立った問題がないはずなのに、なぜかサーラはこの一年ですでに4度も婚約が解消になっている。これには父娘ともすっかり頭を悩ませていた。
父親から4度目の婚約解消の知らせを受けた次の日。すっかり落ち込んでしまったサーラはそんな塞ぎこんだ気分を少しでも紛らわすために大好きなガーデニングをして過ごしていた。
屋敷には彼女の曾祖母が作った大きな庭園があって、今はサーラがそれを引き継ぎ花たちの手入れをしている。花を触っていると不思議と気分が落ち着くのだ。
今日も朝から作業を始めて、軽く昼食をとると、午後もまた庭園で過ごしていた。新しい花を植えたり、土に栄養材をまいたり、水をあげたり、まわりの雑草を抜いたり。なにも考えず庭園での作業にひとりで没頭していたときだった。
「こんにちは、サーラ」
ふと誰かに名前を呼ばれてサーラの手が止まる。その聞き覚えのある声に慌てて後ろを振り向いた。
「こ、国王陛下っ!」
そこにいたのは、ブロンドの髪を風に揺らし、ゆるっとした笑顔を浮かべる長身の男性。名前をレイモンドという。25歳という若さにしてこの国の王になった男だ。
父親が宰相として王宮で働いているサーラは幼い頃からレイモンドと接する機会が多く、7つ年上の彼のこのを兄のように慕っていた。
国王となった今でもレイモンドはたびたびサーラの屋敷を訪ねていた。付き人もつけずに一人でふらりとやってくるのだ。
子供の頃からよく知る仲とはいえ相手は一国の王様だ。失礼があってはいけない。サーラはドレスの上から身に付けていた園芸用のエプロンについた土をパラパラと手で払いながら慌てて立ち上がる。そしてペコッと頭を下げた。
「ごきげんよう陛下。今日はどうされたのですか?」
「もちろん。サーラに会いに来たんだよ」
ほんわかとした笑顔でレイモンドはサーラを見つめるけれど、サーラは少し困り顔になる。
というのも彼がここへ来るのはサーラに会いに来たのではなくて、ただ王宮での仕事に疲れて息抜きに来ていることがほとんどだからだ。
「また勝手にお城を脱け出したのですね」
鋭いサーラの言葉にレイモンドは、ははは、と声を出して笑った。
「それもあるけどね。カイザに教えてもらったんだ。サーラが大切に育てている庭園のクレマチスが満開になっているって」
「父に、ですか?」
昨日、サーラに婚約解消の話をするために2週間ぶりに父親が帰ってきた。きっとショックを受けるであろうサーラの気分が少しでも紛れるようにと父親は街1番の人気店のケーキを買ってきてくれて、それを二人で一緒に食べた。もちろんサーラは落ち込んでいたけれど父親にあまり心配をかけたくなくて気丈にふるまった。話題を変えようと、庭園のクレマチスが満開だという話をふとした気がする。それを父親がレイモンドに話したのだろう。
「もしかして花を見るためだけにここへ?」
「うん」
「付き人もつけずにお城を抜け出して?」
「だって一人の方が気楽でしょ」
なにか問題でも?と、のほほんとした調子でレイモンドは締まりのない顔でへらっと笑った。そんな彼にサーラはいつも思うことがある。
(この人は本当にこの国の王様なのだろうか……?)
国王陛下であるレイモンドの性格を一言で例えるならば【ゆる~い】人だ。
従者や護衛の目を盗んではふらりと王宮を抜け出して街をぶらぶらと散歩しながら国民と触れ合うなど国王陛下らしからぬ行動をとってばかり。
それには王宮で働く者一同がかなり頭を悩ませているのだけれど、自由気ままなレイモンドの性格をよく理解しているので、いくら注意をしてもきかないことを彼らはよく知っている。なのでもう諦めていた。
そんなのほほんとした性格のレイモンドだけれど国王としての仕事はしっかりとこなしている。実際、彼が国王になってからの国の財政はさらに潤いをみせているし、彼の祖父の代から続いていた隣国との長い戦を圧倒的な勝利で終わらせてしまった。自ら最高司令官として軍の指揮をとり、時には戦にも加わる。ほんわかとした見た目とは正反対に戦場に出ると鬼のように強いから驚きだ。
現在も東のはずれにある国との間で戦が続いているけれど国民はさほど不安を抱いてはいない。なぜなら国王であるレイモンドが強大な力できっと守ってくれると信じているからだ。
が、しかし。
その国王が王宮を抜け出して、いち貴族の屋敷へふらりとやってきて大丈夫なのだろうか?とサーラは隣でクレマチスの花に触れたり、鼻を近づけたりして興味深そうに観察をしているレイモンドを見て思う。そんなサーラの視線に気が付いたレイモンドは彼女を振り返ると締まりのない顔でへらっと笑った。そんな彼にサーラもつい笑顔を返してしまう。
それからもしばらく満開のクレマチスを見ていたレイモンドだったけれど、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえばカイザから聞いたよ。また婚約を解消されてしまったんだってね」
「えっ?ーーはい……」
触れられたくないことに触れられてしまいサーラは小さく頷くと俯いた。
サーラの婚約が何度も解消されていることは宰相である彼女の父親を通してレイモンドも知っている。
どうしてこうも自分ばかりこんな目に合うのか、情けなくてサーラはきゅっと唇をかんだ。
「もしかしたら私は呪われているのかもしれません」
兄のように慕うレイモンドを前についついこんな言葉が飛び出してしまう。それにはレイモンドも一瞬目を丸くしたけれど、すぐにアハハと笑い声をあげる。
「呪われているって。サーラは大げさだなぁ」
「だって、そうとしか思えません。どうして私ばかりこう何度も婚約を解消されてしまうのでしょうか。きっと一生独り身でいろと呪われているのです」
サーラはしょんぼりと落ち込んでしまった。そんな彼女を見つめながらレイモンドは優しくほほ笑みかける。
「呪いなんてありはしないよ、サーラ」
「……分かっています。でもどうして私ばかり縁談がうまくいかないのでしょう」
「うーん、そうだな」
レイモンドはあごにそっと手をそえて考える。
「呪いなんてないよ。あるとしたら、醜い嫉妬……かな」
「嫉妬、ですか?」
「いや、いいんだ。今のは忘れて」
首をかしげるサーラにレイモンドは、ははは、と笑った。
「きれいな心を持っているサーラにはきっと分からない感情だろうからね」
言いながらレイモンドはサーラの頭にポンと手を置くとそっと撫でる。そんな彼にサーラは頬をぷくっと膨らませた。
「陛下。私はもう子供ではありません」
そんな小さな抗議には聞こえないふりをしてレイモンドの大きな手はサーラの頭を撫でている。
子供の頃からサーラが落ち込んでいたり泣いていたりしているとレイモンドはよくこうして頭を撫でてくれた。それは大人になった今でも続いているのだけれど、サーラはあまりいい気分ではない。自分が彼に小さな子供扱いされているようでいやなのだ。もうとっくに社交界デビューをした大人の女性なのに。
しかしそんなサーラの思いなど知らないレイモンドはまるで楽しむかのように彼女の頭を撫でている。しばらくそうしたあとレイモンドの手の動きがふと止まった。そして小柄なサーラの目線に合うようにかがむと彼女の顔を真正面に見つめる。
「陛下?」
レイモンドの端正な顔がすぐ目の前にあることにサーラは少しドキッとした。彼のシャープな目元の奥にある吸い込まれるような青い瞳がサーラを見つめる。
「大丈夫だよ。サーラはすごくかわいいし、性格も優しくてみんなに好かれている。きっとすぐに素敵な相手が見つかるよ」
目尻にくしゃっとしわをつくってレイモンドが頬笑む。
「もしよければ私の花嫁になってもいいんだよ?」
「えっ……?」
どういう意味だろう?
その言葉の意味をサーラはすぐに理解できなかった。
レイモンドは独身だ。以前サーラは、宰相である父親から国王であるレイモンドがなかなか結婚しようとしないことを宮中のもの全員が心配していると聞いたことがあった。
顔も性格も目立った問題はない。国王として国民からの信頼もあるし、戦では他国からも恐れられるほどの強さがある。そんなレイモンドには国内外から結婚の申し出が多く寄せられているのだけれどなぜか頑なに独身を貫いていた。
そんな彼のさきほどの言葉にサーラはどう返していいのか分からない。けれど、まさか本当に自分のことを花嫁にしたいとは思っていないはず。
「えっと……」
(きっと陛下は落ち込んでいる私を励ますためにおっしゃってくれたのね)
だから真に受けたりしてはいけない、とサーラは勘違いしてしまいそうになる自分を振り払うためにぶんぶんと首を横にふった。そしてレイモンドにぺこっと頭をさげる。
「身に余るお言葉。ありがとうございます、陛下」
小さな頃からサーラが落ち込んでいるときはいつもレイモンドが優しく励ましてくれた。もしかしたら今日も満開のクレマチスを見に来たと言っていたけれど本当は婚約解消されてしまった自分を心配に思ってわざわざ様子を見に来てくれたのでは?
そう思ったサーラはそのお礼ではないけれど、とてもいい案を思い付いた。
「そうだ、陛下!よろしければクレマチスを少し持って行ってください」
ポンと顔の前で両手を打つとサーラはくるんと振り反りクレマチスに手を伸ばす。その何本かを摘み取り、慣れた手つきで花束をつくっているときだった。
「ねぇ、サーラ」
低い声とともに背中に温かなぬくもりを感じた。レイモンドが後ろからサーラを抱き締めたのだ。サーラのお腹にまわるレイモンドの腕がきゅっと強められる。
「私は本気だよ」
耳元で聞こえた低い声にサーラの身体がビクッと震えた。サーラの頭はフル回転でこの状況を把握しようとするけれど突然のことに追い付かない。
「あ、あの……陛下?」
じっと固まったままサーラは動けない。心臓がドキドキと早まるのが分かる。当たり前だけれどレイモンドにこんな風に抱き締められるのは始めてだった。
(それに今なんて言った?)
本気だよ、とはさきほどの言葉のことだろうか。レイモンドがサーラを自分の花嫁にしてもいいと言ったあの言葉。サーラは、落ち込んでいる自分を励ますための言葉だと思っていたけれど……。
しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
それよりもレイモンドに後ろから抱き締められているこの状況をなんとかしないと。もしもこんなところを誰かに見られたりしたら大変だとサーラは辺りをきょろきょろと見渡す。どうやら屋敷の庭園には今サーラとレイモンドのふたりだけしかいないようで少しホッとする。とはいえ早くこの腕の中から抜け出さないといけないのだけれど……。
背中から伝わるレイモンドの熱が心地よくて抜け出せない。サーラは、度重なる婚約解消の知らせに傷ついていた自分の心がほんのりと温かくなっていくのがわかった。
本当は誰かに泣きつきたいほど辛かった。けれど父親には心配をかけたくなくて辛いけど気丈に振る舞った。
もう少しだけ。あと少しでいいからレイモンドの腕の中で傷ついた心を温めていたかった。
一方のレイモンドは自分の腕のなかでじっと動かないサーラのお腹にまわした腕の力をいっそう強くしてその小さな体を自分の方へとぐっと引き寄せた。
すると、そのとき。
「お嬢様」
ガサッと近くで足音が聞こえて屋敷に支える侍女が現れた。
「こ、国王陛下!?」
彼女はレイモンドの姿を見つけると頭を下げる。そしてレイモンドがサーラを後ろから抱き締めているこの状況を見てハッと慌てたような表情を見せた。
「あ、あの……えっと……」
なにも見ておりませんので、と侍女は早口でそう言うとくるんと振り返り二人に背中を向ける。
とんでもないところを見られてしまった。と、サーラはレイモンドの腕の中からさっと脱け出した。そして手に持ったままだったクレマチスの花束のことを思い出す。
「陛下。せっかくなのでどうぞこちらをお持ちください」
サーラが花束を手渡すと、レイモンドはへらっとした笑顔を浮かべてそれを受けとった。
「貰ってもいいの?」
「はい。ぜひ差し上げます」
「ありがとう」
するとレイモンドの大きな手がゆっくりとサーラへと伸びてきた。そのまま頭の後ろへ手を回すとサーラを軽く自分の方へと引き寄せる。そしてサーラの髪に顔を近づけるとそっと唇を落とした。
その一瞬のことにサーラはすぐに理解ができなかった。ぽかんとした表情のサーラにレイモンドはくすっと笑う。
「じゃあまたね、サーラ」
そのままレイモンドは屋敷を後にしてしまった。
残されたサーラはレイモンドの唇が触れた髪にそっと手を当ててぽうっと頬を染める。
もともとスキンシップの多い人だとは思っていた。父親に連れられて出掛けた王家主催のダンスパーティーでは女性の腰にそっと手をそえたり、挨拶でもするように頬に軽くキスをしたりしている姿をよく見かけていた。
女好きというわけではないと思う。レイモンドは人懐こい性格なので他人との距離感が近いのだ。だからさっきサーラを後ろから抱き締めたことも、髪に口づけたことも、レイモンドにとっては特別な意味なんてないことなのかもしれない。しかし一方のサーラはそういったことに慣れていないので彼の行動にドキドキしてしまう。
今までずっと兄のように慕っていたはずの人からの突然の行動に、サーラはなんともいえないふわふわとした不思議な気分に包まれると同時に少しだけ戸惑ってしまった。
それからしばらくしてサーラのもとに新しい縁談の話がやってきた。
相手は地方にある下級貴族の次男。王都に住む上級貴族のサーラとはだいぶ身分が違うけれど、もうそこまでしないと相手が見つからないのだ。
4度も婚約が解消されていれば少なからずサーラに悪い印象をもつ者もいる。きっとサーラになにか原因があるのではないかと疑い、彼女と婚約を結びたくないと思うのが普通だろう。しかし中にはそれでもサーラとの縁談を申し込んでくる者もいた。
今回の相手はサーラより2つ年上で、地方の下級貴族とはいえ豊かで広大な土地を持っていた。実際に会ってみて感じたサーラの彼の印象は人柄がよく話もしやすい好青年だった。ややぽってりとした体格でお世辞にもかっこいいとは言えないけれど見た目などサーラはどうでもよかった。大切なのは中身だ。
もしかしてこの人となら今度こそうまくいくかもしれない。そう思っていたサーラだったけれど、やっぱり彼女は【呪われている】のかもしれない。
初めて会った日から1週間が経った今日、先方からまたもや、その話はなかったことにしたい、と断りの連絡を受けてしまった。
連絡を受けた父親の話によると相手の男性はサーラのことをすごく気に入り結婚を強く希望していたそうだ。それなのに、はっきりとした理由を教えてもらえないまま断られてしまったそうだ。
実は過去の4度の婚約解消も相手はサーラのことを気に入っていて結婚まで順調に進んでいたにも関わらず、理由も教えてもらえず一方的に婚約を解消されてしまっていた。
どうして?
なぜ?
サーラの中でそんな疑問が大きくなる。
今回でもう5度目だ。さすがのサーラもショックを通り越して寝込んでしまった。
本当なら今日は王家主催のダンスパーティーに出席する予定だったけれど、とても踊る気分にはならないと欠席をした。今頃、王宮では華やかなダンスパーティーが開かれているだろう。サーラと同じ年頃の令嬢たちはそれぞれ素敵な相手を見つけて躍りを楽しんでいるはず。
サーラはベッドに腰掛けながら、真っ暗な窓の外をぼんやりと眺めていた。
(もう結婚は諦めた方がいいのかもしれない)
5回も婚約が解消になってしまったのだ。サーラの考えがそういう結論になるのは当たり前かもしれない。
結婚をしない幸せだってきっとあるはず……。
とはいえ、年頃の貴族家の令嬢は結婚をするのが当たり前のようにされている。
サーラは、母親を早くに亡くし寂しい思いをさせてしまった娘のために父親が素敵な相手との幸せな結婚を強く望んでいることをよく知っていた。でも、自分にはどうもムリそうだ。
本当になぜこんなにも縁談がうまくいかないのだろう。なぜいつも先方から断られてしまうのだろう。理由が分からない。やっぱり自分は呪われているんだ。
サーラはベッドに倒れ込むと枕に顔を沈め、声を殺してひとりで泣いた。
そこへ扉をたたくノック音が聞こえた。
父親が心配して様子を見に来たのだろか。今日は忙しくて王宮に泊まると言っていたけれど仕事が早く片付いて屋敷へ戻ってきたのかもしれない。
扉の向こうの相手を父親だと思ったサーラは「はい」と小さく返事をした。するとゆっくりと扉が開かれる。
「気分はどうだい?」
現れたのは父親ではなくレイモンドだった。
「こ、国王陛下!」
サーラは慌ててベッドから立ち上がると瞳にたまった涙をふき、ぼさぼさの髪をさっと手でなおした。
「こんな遅くに訪ねてすまないね。カイザからサーラのことをきいて心配になってしまったんだ」
それでわざわざ屋敷まで足を運んでくれたのだろう。あらためてレイモンドの優しさに触れてサーラはまた泣きそうになる。
けれど、今頃は王宮でダンスパーティーが開かれているはず。王家が主催のはずなのに国王であるレイモンドがこんなところにきて大丈夫なのだろうか。
そんなサーラの心配が届いたのか、レイモンドはいつものようにへらっと笑って見せる。
「大丈夫。今日は勝手に抜け出したりしていないよ。きちんと理由を言ってから許しをもらって出てきたし、屋敷の外では護衛たちが待機しているからね」
「そうなんですね」
ふと窓から外をみると一台の馬車が屋敷の前に止まっていた。その近くではレイモンドの従者の青年が時々ポケットから懐中時計らしきものを取り出しては目を落とし落ち着かない様子で時間を気にしている。
許しをもらったとレイモンドは言ったけれど本当に大丈夫なのかな?とサーラは心配になる。しかしそんな彼女をよそにレイモンドはまったく気にしていない様子でいつものようにのほほんとした調子だ。
「今日はサーラとダンスを踊るの楽しみにしていたんだけどな」
「すみません」
「気分はどう?落ち着いた?」
「少しは……」
とは言ったものの、サーラの気分はまだ落ち込んだまま。どうして5回も婚約を解消されてしまったのだろう。自分のなにがいけないのだろう。これからどうしたらいいのだろう。悶々と考え続けて出た答えをサーラはレイモンドの前で口にした。
「もう諦めることにしたんです」
「諦める?」
彼女の言葉にレイモンドは眉をひそめる。
「諦めるって、結婚を?」
「はい。こんな私にまた縁談がくるかどうかはわからないけど、もしきても私はそれを受けません」
「なぜ?」
「どうせまた断られます。悲しい思いはもうしたくありません」
それは今のサーラの素直な気持ちだった。理由も分からずに婚約を解消されてしまうのならもういっそ誰とも婚約なんてしなければいい。しかし、それに対してレイモンドが声をあげる。
「それは困るな」
「えっ」
「サーラの新しい縁談相手は私がカイザに紹介しておいたよ」
「陛下が父にですか?」
「うん。相手が誰なのかはカイザから直接きいてね」
自分のために国王であるレイモンドがわざわざそんなことまでしてくれるなんて。サーラは驚いて目をパチパチとさせる。レイモンドはふっと静かに微笑んだ。
「サーラのことをすごく大切に想っている人を紹介したんだ。だから今度の縁談は絶対に受けてほしいな」
自分のことを大切に想っている人?
そんな人いるのだろうか……。
サーラはいろんな人の顔を思い浮かべてみるけれど、自分の知る限りそんな人は思い当たらない。
けれどレイモンドが紹介してくれた人なら、今度こそ婚約を解消されずにすむのだろうか。それでもやっぱりまた同じ目に合うのがこわい。
レイモンドがせっかく自分のためにすすめてくれた縁談を受けようかサーラは迷う。そんなサーラの迷いに気が付いたレイモンドはそっと彼女へ近付くと、その細い腰にさっと自分の片手を回しぐいっと強く引き寄せた。
「わっ……!」
突然抱き寄せられて驚いたサーラの口からは思わず間抜けな声が出てしまう。
レイモンドは少しかがむとサーラの耳元に唇を寄せた。
「私は誰よりもサーラが大切だから、幸せになってもらいたいんだよ」
小声でそう言うと、サーラの額にそっと触れるだけのキスをする。
「あ……あの、陛下!?」
その行動にサーラは頬を染めて動揺してしまう。目線を上にあげてレイモンドを見つめれば彼は楽しそうに笑っていた。
「おっと。そろそろ時間だ。戻らないとね」
レイモンドはサーラの腰に回していた手を放すと、じゃあね、と告げて軽く手を振り部屋を後にしてしまった。
残されたサーラはまだレイモンドの唇の熱がほんのりと残る額に手を添えたまま、彼が出ていったばかりの扉を見つめる。
レイモンドはなにを考えているのだろう?
この前は後ろから抱きしめられて髪にキスをされた。今さっきも額にキスをされた。なんだか急に距離感がぐっと近くなったような気がする。
サーラにはここ最近のレイモンドの行動が分からなかった。けれどひとつだけ分かることがあるといえば自分の中でレイモンドに対するなにかが変わり始めていること。
違う相手に5回も婚約解消されてすっかり傷ついたサーラの心のすみっこではレイモンドという存在が少しずつ大きくなっていた。子供の頃から兄のように慕っていたけれど、抱き締められたりキスをされたりしたことで彼に対する意識が変わり始めているのだ。
【もしよければ私の花嫁になってもいいんだよ?】
いつか言ってくれたレイモンドの言葉をふと思い出す。
もし本当にそうなったら素敵だろうな。
今まで考えたことがなかったけれどレイモンドの妻になる自分を想像してサーラは幸せな気持ちになった。
(って、あり得ないよね……)
けれど相手は一国の王である。彼の花嫁になるということは王妃になるということ。サーラは自分がその器にないことを知っている。
サーラにとってレイモンドはやっぱり子供の頃から知っている【兄】なのだ。優しくて頼りになっていつも自分を励ましてくれる存在。
そんな彼が自分のために用意してくれた縁談をサーラはだんだんと受けてみようという気持ちになってくる。レイモンドの紹介してくれる人ならきっと信じられると思った。
***
王宮へと続く一本の道を、真っ白な2頭の馬にひかれた馬車がカタカタと走り抜けていく。その中には男性が二人、向かい合うようにして座っていた。
「陛下、なにやら楽しそうですね」
「そうかな?そう見える?」
「はい。私にはそう見えます。まるでこれから敵の大将を討ち取るときのようなギラギラとした目付きをしていますよ」
「戦に例えるなんて物騒だなぁ、ハルスは。私はただ自分の花嫁を選ぼうとしているだけだよ」
ははは、と笑う主を見て、彼がまだ王太子の頃から従者として支えるハルスは、はぁ、と小さくため息をついた。レイモンドのことは国王として尊敬して慕っている。けれど時々なにを考えているのかハルスには分からなくなるときがある。
「あなたという人は……。あなたのせいなんですからね。サーラ様がこんなにも傷ついてしまわれているのは」
「うん。それについては反省しているよ。だからその分、私がサーラを幸せにするよ」
やはり自分のせいでサーラを深く傷つけてしまっていたかと思うとレイモンドの心が傷む。けれど、サーラを誰にも取られないようにするにはああするしか他に方法がなかった。
サーラの縁談を壊す、ことしか……。
レイモンドは時が来たらサーラを自分の妃として迎えたいと彼女の父親であり宰相として自分に支えるカイザに伝えるつもりだった。それなのに年頃の娘に早く素敵な婚約者を見つけて幸せになってほしいと思ったのか、カイザが思ったよりも早くサーラの婚約を進めようとしていることに焦ったレイモンドは彼女の婚約をこっそりと破談にさせていたのだった。どんな手を使ったかは言えないけれど……。そしてそのことを知っているのはここにいるハルスだけである。
「しかし陛下。お妃様はすでにサーラ様と決めておられるのに、なぜ他に4人もの令嬢を花嫁候補として王宮に集めるのですか?」
そんなハルスの疑問にレイモンドはさらっと答える。
「だって、その方が楽しいだろ」
「楽しいって……あなたねぇ」
にこっと笑うレイモンドにハルスはため息をつきつつやれやれと頭をかかえた。
「私はサーラのことが異性として好きだけど、サーラはきっと違うと思うんだ。子供の頃から知っているからね、私のことをきっと兄のような存在だと思っているはず。でもさ、花嫁候補としてサーラを他の令嬢たちと共に王宮に迎えてごらん。私が自分以外の女性と仲良く親しげにしている姿を間近に見たらサーラはどう思うかな。嫉妬してくれるかな。私を異性として意識してくれるかな」
「本当にあなたって人は……」
ハルスは深くため息をつくと、それ以上の言葉を失った。そんな彼をレイモンドは楽しそうに見ていたけれど、その目付きが突然変わる。
「さてと、その前にまずは面倒な戦を早く終わらせようか、ハルス」
のほほんとしていたレイモンドの目付きがキリッと鋭くなる。
「小国のくせに私の大切な国に攻めいってくるなんていい度胸だよね。新人騎士たちの実戦訓練に調度いい大きさの戦だと思ってずるずると長引かせていたけど、そろそろ一気に片付けようか」
「そうですね。それには私も賛成です」
ハルスは深く頷いた。
「ということで、さっそく明日、第一騎士団に任せていた最前線に私も向かうよ。直接指揮をとるからね。一瞬で終わらせるよ」
「あ、明日ですか!?」
そんな急な……とハルスは慌てる。
「この戦が落ち着いたら、花嫁候補たちを王宮に呼ぼう。そして、ゆっくりじっくりと私の妃を決めようか」
「決めるって、陛下。お妃様はもうすでにサーラ様と決めているんでしょ」
「そうだよ。だから、サーラにはゆっくりじっくりと私への愛を深めていってもらうんだよ」
ははは、といつものようにゆるっと笑うレイモンドを見てハルスは一抹の不安を覚える。
まわりから早く結婚をしろとせがまれてもなかなかそうしなかったレイモンドがようやく妃をとってくれることに安心はしたのだけれど、そのやり方がなんというか……。
サーラ様、実はとても恐ろしい人に好かれてしまったのでは、とこれから行われる花嫁選びを思いハルスは心配になる。
一方のレイモンドは馬車の小さな窓から真っ暗な外へ視線を投げてふっと小さく笑みをこぼす。
サーラはどういう反応をするだろう。縁談相手が国王である自分だと知ったら。きっと驚くだろうな。と、レイモンドはこれから行われる花嫁選びが楽しみで仕方がなかった。
それから数ヵ月後。
5人の令嬢が国王陛下の花嫁候補として王宮に集められた。どの令嬢も王妃の座を狙っているため国王に少しでも気に入られようと必死なのに対して、くりっとした大きな目を泳がせて戸惑ったように笑う一人の女性がいた。
そんな彼女に向かって玉座に座る国王はいつものようにゆるっとした笑顔を浮かべるのだった。