3 右手にさようなら
「ぐっ!!がぁぁああああぁぁぁぁあ!!!右手がぁあ!!俺の右手がぁぁぁぁぁああああ!!!」
―――ない!右腕が!何故。どうして。
右腕を失ったショックで絶叫する湊。もけだ右腕が近くに落ちている。二の腕あたりからもげており、内側はあまり鮮やかとは言えないくすんだ桃色と骨がみえる。そこから止めどなく赤黒い液体がドロドロと吹き出している。
右腕がもげたと自覚する。直後、痛いとも熱いともとれない強烈な感覚が襲って―――こなかった。
「―――あ?え?」
痛いは痛い。が、およそ腕がもげたときに伴う強烈な痛みとゆう程度ではなかった。もちろん今まで腕がもげた経験などなく想像ではあるが。痛みの程度は腕をそこそこ強くぶつけたとき程度で耐えられないほどではない。
傷口から吹き出す血も想像より少なく、心なしか粘性も高い気がする。
通常襲ってくるはずの痛みが来ないのは当事者にとっては非常に楽である。誰だって痛いのは嫌だ。だが、痛みとは体の異常を知らせる重要なサインである。それが来ないということがどうしよもなく不安を掻き立てる。
それと右腕がもげた原因。枝につまずいて転倒しただけで外部から攻撃を受けた覚えはない。
信じられない、信じたくない話だが、俺の右腕は転だ拍子に衝撃でもげてしまったらしい。
ありえない。転んだだけで腕がもげるなんて。虚弱体質なんてレベルでは済まされない。割れ物注意の表示が必要である。『転んだ拍子にもげた』なんていうありえない原因が湊の不安を加速させた。
「ぐぅぅ、あぁぁぁぁああ!」
うめき声をあげながら残った左手で頭をかきむしる。自分の体が本格的におかしくなったと自覚し多大なストレスがかかった。
かきむしった頭から髪の毛がはらはらと落ちていく。床や手には純白の髪の毛がある。…なんてことだ。髪の色までおかしくなっている。
もういやだ。
何故俺がこんな目に遭わなければならない。俺が何をした。こんなわけのわからないの所で俺は何を成せばいい。
もういっそ死んでしまいたい。
これまで何不自由なく平凡な毎日を送ってきた湊にはもはや精神の限界だった。
逃れられない現実。そんな闇に射し込む一筋の光。全ての苦しみから解放される、『死』という光に魅力を感じてしまったのだ。それほどまでに彼は追い詰められていた。
腕がもげて止血もしていない。このままほっておけば出血多量で死ぬかもしれない。……それもいいかもしれないな。
苦しみから解放されたい湊は、そのまま床に倒れ込んで目を瞑り、そのときを待つことにした。
人生で二度目の、生を諦めた瞬間だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あれからどれくらいたっただろうか。数時間ほどたったのかもしれないし、数十分かもしれない。時間を計るものがないため、どれくらいの間じっとしていたのかわからない。
それなりに長い時間じっとしていたのに、出血多量で死ぬことはなかった。傷口は血が固まってかさぶたのようなものが出来ており、痛みもない。
多少落ち着きを取り戻したが、やはり恐怖は消えない。だが『死ぬのまた別の機会にしよう』と、そう思えるほどには回復していた。時間が解決してくれるというのは案外本当なのかもしれない。
―――出よう。ここを。
再度脱出を決意する湊。
ここを出たとしても、家族は遥か空の上にいて帰る場所がないかもしれない。あのワーム型の化け物によって日本は壊滅的な被害を受けている可能性もある。いずれ日常に戻ることはできないだろう。
だがそれでも、ここを出なければ生きることもできない。確定したわけではないが、死んだ家族の分も生きやるのだ。
平静を取り戻し、生への執着が湧いてくる。残った左手を壁に付け、少し苦しそうに立ち上がる。そしてまた、脱出への一歩を歩みだした。
再びこの謎の施設をさまよい始めて数分。ある研究室が目に写る。
そこもやはり木のような物がそこら中にはえていた。だがこの研究室には一つ不可解な所があった。
窓だ。窓があった。これまで通りすがりにみた研究室には窓のようなもは見つけられなかった。だがこの研究室にはあった。別に窓があったのがおかしいことではない。おかしいのは、窓から侵食している黒い物体だった。
近づいて確認してみると、それは土だった。
全ての窓から土が侵食してきており、本来見えるはずの外の景色が全く見えない。
―――おかしい。窓があるということは、この謎の施設は地上に建築されたものだとわかる。だが、この研究室の窓から、通常ではありえないほどの土が入りこんでいる。土ってことは、このそこら中に生えている木のようなものは、もしかしたら木の根じゃないだろうか。
これを踏まえると、もともとは地上にあったこの施設が、なんらかの理由でこの階もしくは施設全体が土に埋もれていることになる。
もし、施設全体を100%覆っていたら、脱出できないんじゃないか?―――そうでないことを祈るしかない。
だがある意味、自分の向かうべき場所がはっきりした。それは上である。
下の階が土に埋もれていても、上の階は埋もれていない可能性があると考えたのだ。
そうと決まれば話ははやい。
湊はこの研究室を出て、近くの階段を上り始める。どれくらい埋もれているかわからないのであれば、一階ずつ研究室の窓から土の侵食を確認して上っていけばいい。
最初に土の侵食を発見した研究室がある階。そこが何階かわからないけど、1階だと仮定すると今は3階に相当する階までのぼった。
この階も研究室の窓から土の侵食を確認できたため、土に埋もれていることになる。
この施設はかなり大きな建物だと思われるが、そんな建物が最低でも3階分は土に埋もれている。一体何があったのやら。
ため息をつき、さらにもう1つ上の階へのぼる。
すると、そこには屋上への出口があった。
出口には二本の巨大な木が横にならんで生えており、その隙間の奥からは光が射し込んでいた。
「―――出口だ!」
その木の間はとても狭く、本当にギリギリ人が一人通れるほどの隙間だった。
不幸中の幸いか、湊が異常に痩せていたのが功を奏し、かなりギリギリだがこの隙間に入りこむことができた。
この木がかなり太くて、この隙間も約2メートルほどの奥行きがあった。その間を半ば無理矢理進んでいく湊。狭い。痛い。体が締め付けられる。だがやっと外に出れると思うと、その歩みを止められるはずがなかった。
「ぐぅぅ、もうちょいっ。…もう少しだぁ!」
前に突き出した左手が外へ出る。外から眩いばかりの光が射し込んでくる。もう少し。あと少し。
外に出て自由になった左手で、近くにある木の枝を掴む。それを力いっぱい引き寄せ、強引に自分の体を隙間から引っ張りだした。
「出れた…」
やっとのことで外へ出ることができ、その安堵感が湊を包み込む。
―――やった。俺はやったんだ。ようやく、あのわけのわからない所から抜け出すことができたんだ。
右腕を失い絶望しても、なお立ち上がり脱出に成功する。ある種の強い達成感を、湊は感じていた。
―――だが、そんなのは束の間。目の前に広がる圧倒的な光景に、湊は目を見開く。
「……ぁ……あぁ…」
鮮やかに広がる緑。そしてその後ろにそびえる超巨大な樹木。そこらじゅうに浮遊する、緑色に輝く発光体。控え目に言っても神々しい。
―――そんな森のど真ん中に、湊はいた。