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我流気功、仙道の体験記、実践日記 作者:豚ひき肉
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私の考え方

近く仕事も始まるので、最後に今後の私の実践方法、考え方について書いてひとつの区切りにしたい。

性功
・呼吸法を用いて意識の深くしていく一方、私自身の探求を行う
これは体感的かつ抽象的な話だが私という個は本来存在しないと感じている。
じゃあお前は誰なんだという話になるが、それを探求する。
瞑想と自己の探求を行い、最後には私自身を消したい。
もちろん、いつも通り飽きて別のことをやるかもしれないが。

・本で矛盾が見つかっても深く考えない。
これは私の悪癖に由来する。
それが本当に正しいかどうか検証するということは、疑り深私が昔からよくやることだ。
実際に超能力まがいの事が起きても本当に起きたのかどうか何度も検証してしまう癖がある。
現在では検証作業は間違いだと感じる。結局の所、自らでつかみとったものだけが真実なのだ。
そもそも仙道というものが現代物理学という理屈の上から大きく外れた狂気なのに、何故不合理の塊である精神面において整合性を取ろうとするのか。
まったく過去の自分をぶん殴りたい。

・性功は実践である
ヨガで大別されている方法を紹介する。
1.瞑想、2.自己探求、3.神に委ねるの3つだ。
自己探求とは先述したように己自身を探す作業であり、神に委ねるとは自己の意志とそれに伴う全ての結果(もちろん悪い結果も含む)を神に委ね、あるがままに任せることだ。
仙道的には瞑想や禅が助けになるように思うが、自分にあったものを選ぶのがいいだろう。


命功
・気を練るのは暇つぶし。
これは遊び半分とモチベーションを保つためだ。
ヨガのように自己探求の極地だと、私のような未熟者は飽きる。マジで飽きる。
だから最初は遊び半分で気をこねくり回して遊ぶ。
気功などというのは極端なことをいえば、呼吸法と併せて気を集めたりこねくり回したり引っ張ったりするだけだ。

気は万物であるのだから、好きな気を引っ張ればそれだけで修行となる。
言い換えれば日常全てが修行だ。
だが、修行方面に行き過ぎたところでどうしようもない。

有限である肉体に一方的に気を詰め込むのは良くないだろう。
己の器が小さいままで、人為的に詰め込むと返って心身を損なう気がする。

最初は遊び半分で気を練ることからはじめ、呼吸が深くなってくるにつれて自己探求へと向かうことを心がけるようにしたい。


・一方的に奪わない
気の修練がてら、こっそり対人相手で気をもらう事がある。その際に相手の反応を探って効果のほどを試したりもしているが、その際に貰った気は運気を上げる形に変換して返している。
人から気を奪い続ける者はあまり良くないように考えている。蚊が嫌われるようなものだ。
天地から貰う分には構わないだろう。どうせ最期は天地に返すのだ。

その他
・神仏に敬意を
これは私の体験も含めて話す。
あるパワースポットに行った時の話をしよう。
私はその時何かに憑かれたように体が重く、憂鬱だった。
そこでとある有名なパワースポットに行こうと思いたち、実際にそこへ行った。
男子禁制の場所だったので近くを自転車で通るだけだが、それでも効果があるのではないかと思ったからだ。

近くを通ると、とてつもない恐怖に襲われた。
まるでそこに寝ていた巨人が起き上がり、小さな私を見下ろしているような錯覚を受けたからだ。
その時理解した。神仏とは本来これほどの巨大な存在なのだと。
敵意や害意は感じない。だが真っ昼間にもかかわらず、あまりの怖さに地面を見ながら許してください、と全力で謝りながら走り抜けた。
通り抜け終えると体がとても軽くなっており、必要以上に怖がったことで悪いことをしたな、という気になったものだ。
それ以来、仙道で神になるぜとか考えていたのがアホらしくなるほどの体験だった。
「個」という概念における――あれを個という区切りで扱っていいのかどうかはわからないが――彼らは非常に巨大である。
そして私の想像していた神という概念はとてつもなく小さかった。
結局の所、私達は矮小なのだ。

その事件以降、人に寄っては神社のパワースポットからエネルギーを吸おうなどと考える輩を見かけるたびに、あんなデカイもん相手にノミや蚊の真似事とか喧嘩を売っているのかと突っ込みたくなる。

成功者の中にも神仏の力を借りている者が居たりするので、パワースポットに行き、力を借りることは推奨するが、あくまで神仏、自然に対する敬意を払うことを忘れないようにしたい。


色々書いたがこんな所だ。
性功を修行の中心に据え、最終的には絶対的なタオの中に溶けこませる。
いや最初からそれであったことを知り、本来の姿に還す。
そこに従来あると思われていた「個」は存在せず、道のみが在る。あり続ける。
壮大なる「個」の自殺。それこそが仙道の最終目標だと思う。

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