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我流気功、仙道の体験記、実践日記 作者:豚ひき肉
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性功と命功

性功と命功の話をしよう。
命功は気を感じ、体内に気を流す、いわば肉体の訓練だ。
それに対し性功、つまり精神修養だがこれはあまり触れられていない。

どちらを重視するべきかというと、性功を重視するべきだと思う。
肉体の訓練など肉体が肉体である限り肉体的限界に縛られる。

この考えに至ったのは前回の体験からの考察のほか、とあるオカルト本にを読んだ結果だ。
とある探検家がヒマラヤ付近に行ってヤバイ奴らから聖者まであってきたぜっていう胡散臭い本を読んだ。
※筆者の主観が多く、鵜呑みにするとかえって遠回りになりそうな箇所も多いので本のタイトルは紹介しない

その中で「たくさんの僧侶が奇跡を使おうと日夜修行してるけど、何十年修行しても使えてるの微々たるもんだよね。でも聖者ってすげーじゃん?」という内容や、出会った聖者から「瞑想は何かを得るために行うものではない。それは自然に湧き出るものだ」と言うような事が書かれてがあったのがきっかけだ。

僧侶が何十年も修行して微妙な力を得ているのに対して、聖者はそのままで奇跡を起こせる。
聖者は仙道のような方法論を取っていたのか? それは違うように思う。
いくつか文献を漁ってみたが彼らは瞑想、祈り、真我の探求といった事が中心であり、奇跡を目指した修行というのは多くない。

そもそも仙道の工程が確かな方法なら、何百人何千人と仙人が生まれているはずだ。
そうでなくても方法論が確立されて行くことで、たくさんの人間が仙道を使えるようになるはずである。
だが実際には? その時代に一人いればいいほうだ。
むしろ人口比で見ると減ってさえいるのではないだろうか。
ということは方法論では解決出来ない分野であるに違いない。

実際、小周天までは描写が精密だが大周天以降は本によって描写が微妙だという。
言い換えれば体系化できるのはそこまででしかないわけだ。

仙道を行う初期の初期は気を感じ、気の流れをイメージすることにある。
言い換えれば妄想だ。
仙道を行うものは妄想パワーで気を感じることからスタートする。
つまり、意識こそ全てだ。意識を起点として始まり、意識に終わる。

既存の仙道指南書は命功に寄りすぎているので、もし煮詰まっている人がいれば老荘思想に触れ、瞑想などで意識を深くしてみる訓練をしてみるのもいいかもしれない。
また、これらの思想はヨガとも関連している事柄があったりする。

中村天風氏がインドのカリアッパ師より教えを受けた際、修行に天の音、地の音を聞くという修行がある。
ネタばらしをすると絶対的静寂を聞くというものだ。
荘子にも天籟(天の音)を聞くと言った形で似たような記載がある。
荘子の中で天籟、音を音として成り立たせているのは何か、というような記述で終わり、次の万物斉同の項目で怒りや悲しみはどこから湧いてくるのかという所に行くのは素晴らしいと思う。

ただどうしても数千年を経過しているせいか翻訳エラーや誤編集が起きている箇所がある気がするので、ヨガの本なども併せて読むと効果が高くなるだろう。
ヨガの聖者だとここ百年以内で英語から翻訳されているものが多々あるので図書館にでも行って気に入ったものを読めばいい。
私の駄文の一万倍は役に立つはずだ。

※思想について書かれている本を中心とし、超能力や奇跡をメインにしているものは避けたほうがいい。
そのような本で性功について得るものは恐ろしく少ない。
そろそろ書きたいことも書いたので、次回で一区切りになる予定。
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