二十四日目(7):第五決闘-ライナー・クラックフィールドVSバルメイス
「よし、なんとか抜けたな」
「ですね」
俺たちは、見たこともない字で『バベル・タワー入り口』と書かれた扉の前までやってきていた。
「本当に、見たこともない字なのに読めるんだな」
「わ。ホントだ。ボクにも読める。なんでだろ?」
「グラーネルのじいさん曰く、『意味で書かれてるから』とか言ってたけど。俺もバルメイスの意識の中で聞いただけだから、よくわかんねえな。
この塔は伝説にあるのか? キスイ」
「いえ……そもそも世界庭園自体があいまいな伝説しかないものなので。そこに至る道というのも、伝承にはほとんどありません。
かつては、なにかの意味がある地名だったのかもしれませんけど」
「とにかく入ろうよ。このままじゃ蒸されて死んじゃうよ、ボクたち」
「そりゃそうだ」
言いながら、俺たちは扉の中に入る。
とたん、空気が一気に涼しくなって、俺たちはいっせいにへたり込んだ。
「お、思ったより辛かったな……炎獄回路」
「帰りが憂鬱ですね……」
「帰りもそうだけどさ」
リッサは言って、上を見上げた。
壁際に作られた螺旋階段が、果てしなく続く塔を見て、
「この塔、登るの? かなり高いんだけど」
「うええ、めんどくせえな」
「まあ、ライだけなら、ライナー砲でぶっ飛ばせるけどね。屋上まで一気に」
「それだけは勘弁してください、マジで」
「あはは……ともかく行きましょう。
この最上階がゴールです。これが最後ですから、気合いを入れて登りましょう」
キスイはそう言って、俺たちを先導して歩き始めた。
途中、何度か休憩した以外は、これといったイベントもなく。
俺たちは、塔のてっぺん――庭園に、たどり着いた。
前もって見ていた光景通り。花園の中心に、一振りの折れた剣が刺さっている。
塔の屋上だけあって見晴らしはよい。外にはいままで歩いてきた聖典世界と、その反対側のよくわからない大地が見える。
その、花園を隔てた向こうに、二人はいた。
「やっと来たか。正直、待ちくたびれたぞ」
「……ふん」
ひとりの少女が塔の端の石垣に座ってふんぞり返り、その下でひとりの少年が、静かにこちらをにらみつけている。
俺はその二人を軽くながめて、
「どうでもいいけど、そんなとこでふんぞり返ると落ちるぞ、黒キスイ」
「だれが黒キスイかっ。わらわの名前は女王じゃ、女王っ」
「いいから降りてこいよ。ここから落ちて笑いを取るためにここまで来たわけじゃねえだろ?」
「ふん」
言って黒キスイは、ぴょん、と石垣から飛び降りた。
「無礼で粗野な男じゃの。やはり神なんぞそんなもんか」
「無礼なのはそっちでしょう!」
と叫んだのは、キスイである。
いつの間にか前に出ていたキスイは、つかつかつかと黒キスイの前に歩みを進め、
「このばかったれ!」
「ぶぎゅ!?」
いきなりぐーで顔面パンチした。
「ちょ、えーと、キスイさん?」
「なにが『やっと来たか』ですか! わたしたちが無視して来なかったら、普通に死んでるじゃないですか! そういうレベルのこともわかんないアホたれですかあなたはー!」
「いや、説教はいいけどいきなり殴るのはちょっと――」
「ライさまは黙っていてください! 岩巨人式のしつけはこうなんです!」
「あ、はい」
あまりの展開に俺も、そしてバルメイスもちょっと引き気味で場を眺めている。
黒キスイは痛そうに鼻をさすりながら立ち上がり、
「理屈が通らん」
と言った。
「なんの理屈ですか!?」
「いや、だってな。結局来たのなら、それでよいではないか」
「そういう問題じゃありません!」
「お説教は後にしてくれんか、キスイ。我が本体よ。
そもそも、この話の主役はわらわではなく、そこの小僧よ。先にそちらの用件を済ましてから話そうではないか」
「なに言ってるんですか。あなたがわたしたちを呼んだの、ばっちり見てますからね。そこのひとじゃなかったです」
「そりゃあそうじゃ。わらわは観覧役じゃからの」
「観覧役?」
「御前決闘」
黒キスイは言った。
「御前決闘じゃ。そのバルメイスが、ライナーとやらいうそこの神に御前決闘を申し込むそうじゃ。
わらわは観覧役よ。お主もな、キスイ」
「…………」
キスイは少し黙ってから、
「ライさまは岩巨人ではありませんが」
「そりゃあ、そうじゃな」
「御前決闘――『生贄』の観覧の下に力と誇りを示して事を決する儀式は、女王の庇護下にある岩巨人だけのもののはず。
あなたの言っていることは通りません」
「庇護下にあれば岩巨人でなくともよかろ。そして、そこのバルメイスは、いまわらわの庇護下にある」
「……あなたは『生贄』ではありません」
「そうじゃな」
黒キスイはうなずいて、
「わらわは女王じゃ。それでは不服か?」
「――……」
キスイはくちびるを噛んで、押し黙った。
よくわからないが、岩巨人の信仰的には、理屈が通っているようだ。
「ま、どっちでもいいけどな。俺は」
言って俺も、一歩前に出た。
バルメイスも呼応するように、少しだけ手前に出てくる。
「よう。久しぶりだな」
「このタイミングを待ちわびていた。貴様と一対一で雌雄を決する時を。
あの妖術師の言ったことだ。世界庭園において貴様を倒せば、俺はバルメイスとしての本来の力を取り戻す。俺は、それで初めて俺になれる――貴様を殺し、庭園に素ッ首晒してやることで、初めて俺は俺自身を得ることができるのだ!」
「うん。それから?」
「……それから?」
「ああ。おまえ自身を得て、それでどうすんの。おまえ」
「…………」
「また戦争でもするのか? ははっ、やめとけやめとけ。そもそもあれ、楽しくねえだろ」
「黙れ!」
バルメイスは激高した。
「貴様などになにがわかる!」
「無駄に叫ぶなよ。口げんかしに来たのか?」
「…………」
「だいたいさ」
俺はため息をついて、言った。
「ここに来るまでのキスイの話と食い違うんだよな。この場が特別らしいという話は聞いているが、その結果が異なる」
「結果……だと?」
「さっき聞いたところによると、俺がおまえに倒されたら、おまえは「俺の立場を乗っ取れる」らしいぞ。
いやまあ、たしかにバルメイスの剣の所有権持ってるのは俺だから、剣の所有権は取り返せるだろうけどさ。同時に、『ライナー・クラックフィールド』という名前の俺のアイデンティティも、全部引き受けることになるんじゃねえのか、それ」
それがどういうことになるのかは、俺もよくわからないが。
「つまり、俺を倒したところで、おまえは自分なんぞ手に入れられねえ。手に入るのは俺の代替物としての地位だけだ」
「……だとしても」
ぎらついた目で、バルメイスは言った。
「もう、これしかないんだ。俺の道は。
どうせ外に出たところで、俺のやってしまったことは絶対に許されない。俺にはもう、悪党としての道しか残されていないんだ。だから、俺は――」
「グラーネルに言われたのか? それ」
「…………」
図星だったのか、バルメイスは絶句した。
俺は、はあ、とため息をついて、
「なっちゃいねえ」
と、言った。
「悪党が、正義に義理立てして人を殺すのかよ。そんなのは悪党でもなんでもない。ただの殺人者だろ」
「黙れ!」
「そもそも、殺したのが許されないから殺すってなんだよ。間違って人を殺しちゃって後悔してるのに、それをあがなうためにまた殺すのか、おまえは」
「黙れ!」
「生まれて一ヶ月も経ってないガキの分際で、なに背負い込んでるんだよ。全部放り出しちまえばいいだけだろ。なんなら――」
俺はわざと、悪く見える笑みを浮かべて、
「俺のせいにしてもいいんだぜ?」
「黙れ、黙れ、黙れえええ!」
バルメイスはかんしゃくを起こしたように叫んで、手を前にかざした。
俺もそれに応えて、前に出る。
「んじゃ、ルールを確認しようか」
「ルールだと!?」
「ああ。おまえは俺を殺したら勝ち。
で、俺は、この退屈そうな花園から、おまえを引きずり出したら勝ちだ。俺はおまえを殺さない。殺すことで全部解決しようなんていう、卑怯な小悪党との格の違いを、思い知らせてやる」
「……上等」
バルメイスは低くつぶやいた。
「上等だよ、ライナー・クラックフィールド」
その手から、ばしゅ、と、赤黒く輝く剣が現れる。
俺は対して、やはり右手を構えて、
「ありゃ?」
剣が、出ない。
「あれ、おかしいな。なんで出ねえの、剣?」
と、そこで、リッサがぽつり、と言った。
「なんとなくだけどさ」
「え?」
「剣を出すその技。実はライの技じゃなくて、バルメイスの神威だよね?」
「え、ああ。そうかも。神になる前から使えたし」
「この世界庭園では神話の影響は薄いから、普通に使えないんじゃないの? バルメイスの技」
あ。
「もらった!」
「うおわあ、卑怯だテメエ!」
ひゅんひゅん剣をしならせてやってくるバルメイスに、俺は迷いなく逃げの一手を打った。
「逃げるな貴様! 戦えー!」
「無茶言うなっての! 武器もねえのに戦えるもんかい!」
「知るか! あれだけ大口叩いてこの体たらく、身体に後悔を刻みつけてやる!」
「わっ、たっ、とうっ!」
「剣だけだと思うなよ! 食らえ、地割刺域!」
「隙あり!」
「がふっ!?」
肩からのタックルを鼻に食らって、バルメイスはすっ転んだ。
地面から出てきた大地の槍は、目標を見失ってすぐに引っ込む。
「ぐ、ぐぐ……貴様、なぜ我が神威を避けられる!?」
「無地の燎原」
俺は答えた。
「あそこでサリと戦ったときに、バルメイスの戦闘スタイルは一通り学んでてね。対処策も含めてばっちり知ってる。
さっきの技なら、自分の足下には槍を出せないんで、タックルで押しのければそれだけでいい。簡単だ」
「ならば!」
バルメイスは起き上がって距離を取った。
「これはどうかわす! 我が秘奥義、秘神断裁!」
「よっと」
ぱしっ、と俺の目の前で、密かに引っこ抜いておいた花の茎が真っ二つに切り裂かれた。
「対象を誤認させれば無力な技だな。石ころでも花でも、なんでもいい」
「……あ、ああ……」
わなわなと震えるバルメイス。
「認めろよ、バルメイス」
俺は、ため息をつきながら、言った。
「昔の俺と同じだ。おまえも結局、本物のバルメイスから力を借りているだけだ。
結局、おまえに使える技なんてそんなもんなんだよ。おまえには結局、いまでもなにもないんだ」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
バルメイスは涙を流しながら叫んだ。
「どうしようもないじゃないか! この世に生まれて、誰にも望まれてない俺が、この力すら否定されたら、俺は、俺は……!」
「甘ったれんな」
「がふっ!?」
俺の右拳が、思いっきりバルメイスのこめかみに突き刺さった。
俺は、ぶっ倒れたバルメイスをにらみつけて、
「甘ったれんなよガキ。天涯孤独の身がテメエ一人だと思ってんのか」
「おまえ……?」
「記憶すらないガキの頃、親を殺されてな。俺もはみ出し者だよ。だけど俺は、俺なりに俺の生き方を決めて生きてきた」
「おまえの生き方……?」
俺は、にかっ! と笑って、
「そう。世紀の大悪党」
と言った。
「かっこいいだろ?」
「……馬鹿か貴様」
「よく言われる」
「本気で、そんなものを目指しているのか」
「当たり前だろう。だって自分で決めたんだぞ?
その重みがわからないおまえじゃねえだろう。なあ、バルメイス」
「…………」
俺は、腰に手をやって、バルメイスを見据えた。
「なあ。生き方なんてそんなもんだよ。自分で決めちまえばいいんだよ。
みんなそうやって生きてる。不幸か幸運かはともかく、他人に生き方を決めてもらえた一部の人間以外は、みんなそうやって生きてるんだ」
「……おまえ」
「俺はおまえに、生き方なんて与えてやれねえけどさ。
けど、俺に成り代わって、俺の生き方をするなんてのはダメだ。つまんねえよ。どう転ぶにせよ、自分で生き方を決めないといけない。そうでない道には、生きる満足が、ないんだ」
言って、俺はバルメイスに手を差し出した。
「来いよ、バルメイス。
俺はおまえに生き方を教えてやれねえが。自分が生き方を決める、その手助けくらいならしてやれる」
「…………。
そうか」
バルメイスは言って、俺の手を取って起き上がった。
そして、少し照れくさそうに笑って、
「なあ。ライナー」
「ん、なんだ?」
次の瞬間。
お互いのヘッドバットがクラッシュし、両方ともしりもちをついた。
「ぎゃあああ!」
「ぐはあっ!」
「な、なにやってんのキミ達?」
困惑したリッサの声は、無視。
「テメエ、いきなりなにしやがる!」
「こっちの台詞だ! くそ、黙っていれば上から目線で説教垂れやがって、ムカつく! 泣きを見せてやる!」
「あーそーかい! こっちは頭突き一発でいままでのをチャラにしてやろうと思ってたんだがな、気が変わった! 泣かす!」
「やるかこらー!」
「やってやるさこらー!」
お互い、神の力もなにもなく、ただのガキの喧嘩が始まった。
殴る、引っ張る、蹴る、つねる。
低レベルにも程がある。
「おーおー、こりゃ見物じゃのう。キスイ、貴様はどっちに張る?」
「付き合いきれません……」
「ていうか、あの二人って実はけっこう気が合うんじゃないの?」
まわりのギャラリーの言葉はそっちのけで、俺たちは喧嘩を続ける。
「てやっ、てやっ」
「うぐぐ、まだまだ!」
「この、おらぁ!」
「うわっ!?」
何度目かの相手のパンチを避けたはずみに、俺は足をすべらせた。
その手はなにかつかまれるものを探して宙をさまよい、
がしっ、となにかをつかんで。
「お?」
それがずるっとすべって、そのままべしゃっとしりもちをついた。
「ぎゃふっ!」
「どうした、もう終わりか! 立ってこ……い……?」
バルメイスの言葉が、途中で尻すぼみになる。
俺はなにが起こったのかと、つかんだものを見て。
「え?」
硬直する。
それは、柄だった。
光でできた、柄。そこから生えた刀身は、途中から光ではなく、実体を持ったものになっている。
……そう。折れたまま庭園に刺さっていた、あの剣に。
ごごごごごご、と、大地が揺れる音がして。
「これ……まずった?」
「ラ、ライ、なんかやばいよっ」
「再創世じゃ! フュージが来るぞ!」
「フュージってなんだよ、黒キスイ!」
「うむ、知らん! なんかどっかに書いてあった!」
「役に立たねえな畜生!」
「ライさま、フュージというのは、創世の大巨人です!」
キスイの言葉と同時に、剣が刺さっていたはずの場所から、黒い霧のようなものが吹き出した。
「うわあ!?」
「世界を創世しようとするものは、フュージを倒さねばならない。そういうルールです!
剣を元に戻してください、ライさま! でないと、このままじゃ神話級の怪物がこの場所に現れることになってしまいます!」
「……ふーん? でもな」
俺は、剣を刺すべき元の場所を見た。
そこはすでに、黒い霧に覆われ、なにがあったかもわからなくなっている。
「どうも……こいつを倒さねえと、元に戻すのも難しいみたいだぜ?」
言うと同時に、天地が大きく鳴動し。
そして俺たちは、黒い世界に飲まれていった。