二十四日目(6):悪党、人を殺す
俺の次に来たのはリッサで、その後に来たのはキスイだった。
「少し、待ったほうがいいでしょうか?」
「いや。俺とキスイが揃ったら、出発する手はずになってる。
そもそも、マイマイとかならともかく、センエイやサリが俺たちより遅いのは、なんかあったからとしか思えない。そうなると待っていても、よくて空振り、悪くてなにかに巻き込まれる恐れがある。さっさと進むが吉だよ」
「……みんな、無事かな」
「俺たちよりはるかに強い連中だぜ? そこは心配してもしゃーないさ」
浮かない顔で言ったリッサに、俺は努めて明るい声で言った。
……たぶん、彼女は気づいている。俺がシンの名前を出さなかったということに。
それでも、彼女はなにも言わなかった。言うべきではないと、そう思ったのかもしれない。
「さあ、行こうぜ。
なんの用だか知らないが、待ってるって言われてるんだ。あんまり待たせても悪いしな」
俺はそう言って、先導して歩き出した。
「って、熱っ!?」
「ライさま、あ、あああ危ないです! あんまり前に出ると!」
「おわあ、溶岩流れてる流れてる! めっちゃ怖い!」
「うひー……すっごい光景だね、これ」
目の前の光景に一同どん引き。
前に(バルメイスが)ここに来たときの記憶では、川の流れた跡みたいなのがあるだけで、特に危険なものはなにもない箇所だったのだが。
いまはその川の下を、溶岩がぐつぐつ煮えながら流れる魔窟になっていた。
「これが、スールト機構……って奴なのか?」
俺がつぶやくと、キスイが首をかしげた。
「どうでしょう。真なる炎は、むしろ水のようにゆらめいて流れるという伝説を聞いたことがあります。
もしかすると炎の本体はまだ地面の下で、それに溶かされた岩が煮えてるだけなのかも……」
「これで何週間もねばられたら、そりゃ世界が大惨事になるわけだよ。ひでえ話だな。
さて、そんなひでえ話にする前に終わらせないとな。行こうぜ」
言って、俺たちは歩き出した。
しばらくして、リッサがぽつりと言った。
「ライ。気づいてる?」
「ああ、わかってる」
さっきまで左手にあったはずの溶岩が、いつの間にか右手側に移動している。
上流下流を間違えた記憶はない。それなのに、対岸にいつの間にか来ているような、変な感覚。
「炎獄回路、やっぱりもうこのあたりじゃ、この世の法則が通用しないんだね……なにがなんだかわからないことになってる」
「それ自体はどうでもいいけど、溶岩にいきなりドボンするのだけは避けねえとな。さすがに神でも生きてられる気がしねえぞ」
ぐつぐつと煮えたぎる溶岩を見ながら、俺は言った。
と、そこでキスイが声を上げた。
「ライさま」
「ん?」
「その……このタイミングで、というのも、少し恐縮なのですが。
ライさまはこの後、どうするかというプランをお持ちなのでしょうか?」
「この後……あの塔を登って、庭園に着いた後のプランか?」
「はい」
真剣な目で、キスイは言った。
俺は少し腕組みをして考え、
「実を言うと、まったく考えなかったわけじゃあなかったんだ。
でもよくわからん。そもそも、あいつらなんで俺たちを呼びつけたんだ?」
「それは……わかりません、けど」
「え、なに、そんなこともわからないで来てたの、ライ?」
「なんだよ。おまえにはわかるのか、リッサ」
俺が問うと、リッサは困った顔をして、
「いや、わからないけど。でもライがあまりにも自信満々で行くから、なんか目星はついてるのかなって」
「俺がそんなんわかるわけないだろ。なんか昨日話したとき、センエイには心当たりがありそうだったけど」
「聞いたの?」
「いや。なんか流れで、特に聞く方向に行かなかったから」
俺が言うと、リッサはがっくりとうなだれた。
「よくもまあ、毎回そんな行き当たりばったりで行くよね、キミは……」
「喧嘩になることはわかってんだ。それ以上考えても仕方ねーだろ。
まずは連中の話を聞かないと、話が始まらない。だから正面から連中に当たっていく。プランとかは、その後でいいんだよ」
俺はきっぱり、断言した。
キスイはそんな俺を、静かに見つめていたが。
「ライさまのお覚悟は、わかりました。
その上で……知っておいて欲しいことが、ひとつあります」
「ん、なんだ?」
「これから行く場所……世界庭園という場所の特性についてです」
キスイはそう言った。
「ライさまは、わたしたちの集落の、あの壁画を覚えておられますか?」
「あ……ああ。聖典世界の様子を見る壁画だったよな」
「はい。無限図書館、無の砂漠、天乃橋立、氷雪原野、炎獄回路、そして……世界庭園。
生物が死ぬとその魂が往くという、旅の世界の記録……ということになっているのですが」
キスイはそこで、少し言いよどんだ。
「よくわからないことがひとつあるんです」
「よくわからないこと?」
「はい。魂は、ここ、炎獄回路にて、転生の輪と合流し、生前の余分な記憶を振り捨て、新たなまっさらな魂となって世界に再臨します。
それが転生なのですが……では、なぜもうひとつ絵があると思いますか?」
「……あ、たしかに」
ここで旅が終わるなら、世界庭園の絵は不要なはずだ。
「これは岩巨人の祭り役たちの間でも謎として語られてきたことです。なぜ、旅の壁画は六つの世界を描いているのか。最後のものは不要ではないのか、と」
「え、でも、ボクの故郷でも六つだよ、その、聖典世界の区切りは」
「ですよね。トマニオの記述でも世界庭園の区分は正典第六領域。旅とは関係なしに、聖典世界の果てとして記録されているのが、世界庭園なんです」
「じゃあ……」
「はい。これから行く場所は、聖典世界であって、聖典世界ではない場所です。世界の境目が曖昧になる領域……ですから」
キスイは真剣な目で、言った。
「たぶん、そこでライさまが死んだとしたら、ライさまとバルメイスの間になにが起こるのかわからない、ということです。
もしかしたら、実体を奪われるかもしれません。もちろん、わたしも」
「実体を奪われる……つまり、ライナー・クラックフィールドという名前の人間という立場が、あいつに奪われる、と?」
「人間じゃなくて神ですけどね」
キスイはそこで、初めて苦笑した。
「もしかしたら見当外れかもしれませんけど。バルメイスとあの子の狙いは、そうやってわたしたちを殺して、その位置づけを手に入れることかもしれません。
ですから、注意しておいてください」
「わかった」
俺はうなずいて、
「……まあ、たどり着くまでに干からびなかったら、考えるよ」
「ですよね……」
キスイは苦笑した。
この場所、溶岩のせいで、本当に暑くて暑くて仕方がない。
一応、水筒の類は持ってきているが。長居しているとそれもすぐに尽きるだろう。
「さっさと先を急ごうぜ。後がつかえて――!?」
「た、助けてくれぇぇ!」
とっさにリッサをかばって前に出た俺の足に、そいつはしがみついた。
……ていうか、こいつ。
「なんだよ。クランじゃねえか。まだおまえこんなところにいたの?」
「わ、わたくしが外に出て、生きて帰れるわけがないじゃないか! あんな化け物みたいなのが支配する氷雪原野を!」
見るも哀れなほど衰弱したクランは、泣きながら俺に言った。
それから、きっ、とこちらをにらみつけて、
「おい、おまえはわたくしの護衛だろう!? いますぐこの洞窟を脱出して、わたくしを安全なところに送り届けろ!」
「やだよ」
「なんだと!? この恩知らず!」
ショックを受けた様子のクラン。
……えー。こいつここまで面白キャラだっけ。もうちょっと無難な商人だと思ってたが、ありゃよそ行きの偽装か。
俺は、俺への罵倒から妖術師への罵倒、さらには世間への罵倒とランクアップしながら怒鳴り散らすクランをながめながら、
「リッサ。これ、どうしよう?」
「置いていくしかないでしょ。邪魔だし」
「まあ、そうだな」
言って俺は、クランの頭を蹴っ飛ばした。
「ぎゃふっ!?」
「いいから寝てろよ。全部終わった後、帰るときに見かけたら連れて行ってやる。
ただ、たぶんあんた、外に出たらそのまま縛り首だと思うよ? 世界滅ぼそうとしたんだから」
「そこをなんとかするのが護衛の仕事だろう!」
「俺になんの期待をしてるんだよ……」
「ええい、こうなったら!」
「きゃっ!?」
「キスイ!?」
がしっ、とクランはキスイをつかんで引き寄せ、ナイフを突きつけた。
「はは、このナイフは神をも殺す特注品だ。イェルムンガルド外殻などでは止まらん!
さあ、わたくしを最優先で生かして帰すのだ! でなくばこの娘の命はないぞ!」
「……はあ」
俺はだんだんイライラしてきた心を静めながら、念話でリッサに問いかけた。
(リッサ。ライナー砲。あいつとキスイの真ん中めがけて撃て)
(え、でも、大丈夫? ライにも効くよ、あのナイフ?)
(いいからやれ)
(わかった)
「なにを黙り込んでいる! はやく――」
「ライナー砲、発射!」
「!?」
ぎゅん! と俺の身体がキスイとクランの間に強引に割り込み、俺はクランの目の前に立った。
「き――!」
「よっと」
「ぎゃん!?」
俺が張ったイェルムンガルド外殻に吹っ飛ばされ、クランはナイフを取り落としてたたらを踏み。
そして、足を踏み外した。
「あ」
「うわああ!」
がしっ! とかろうじて、クランが川縁(というより、崖っぷち)に手をかけて踏みとどまる。
「ひいい! 助けてええええ! わ、わたくしが! わたくしがこんなところで! 死ぬ! 死ぬ!」
「……馬鹿言ってんじゃねえよ。人を殺そうとした奴が死ぬのは当たり前だろ」
俺は冷たく言った。
そして、残り二人を促して、立ち去ろうとする。
「ま、待ってくれえ! 置いていかないでくれえええ!」
「…………」
「なんで助けてくれないんだ! わ、わたくしがメサイだからか!? 『愚者』を生み出した呪われた一族だからか!」
「…………」
「いつもそうだ! そうやっておまえたちはわたくしたちを差別するんだ! わたくしたちはいつも虐げられているんだ! そ、そんなわたくしたちが、現状の改善を望んでなにが悪い! なぜわたくしたちが悪く扱われなければならないんだ!」
すっ、と、そのクランに、リッサが近づいた。
「……おい、リッサ?」
「引き上げるよ、ライ」
リッサは言った。
「正気か? このおっさん、言ってること支離滅裂じゃん」
「うん。まあ、ボクも、かなり頭にはきてるんだけどさ」
リッサは言って、苦笑した。
「でもキミに、こんな奴を殺させるのはどうかなって」
「…………」
「ライ、気にするタイプでしょ? こんなどうしようもないひとでも、殺したって事実は重く受け止めちゃうでしょ?
だから殺させない。そういうこと」
「リッサ……」
そういえば。リッサには、俺の過去の話なんてのをしたことがあったのだった。
(覚えられてたのか……あーあ。かっこつかねえ)
「じゃ、引き上げます――きゃ!?」
がきゃっ! という、金属音がした。
見れば、手錠みたいなもので、リッサの足首とクランの手首が結ばれている。
「ひひひ……油断したなぁ。これで形勢逆転だ」
クランが尋常じゃない目で言う。
「さあ、わたくしを引っ張り上げろ! そして安全を確保して、きちんと聖典世界の外に逃がすのだ!」
「クランさん……」
リッサは、心底、失望したため息をついた。
「本当に、あなたは、こういう人なんですね……」
「なにが悪い! わたくしは被害者だ! この――ぶぎゅ!?」
崖から這い上がろうとしながらたわ言を吐こうとしたクランの顔面を、俺の足が踏みつけた。
俺はぐりぐりとかかとを相手に押しつけて。
「悪いな、おっさん」
と言った。
「俺は悪党なんでね。正義感とか、義侠心とか、義憤とか、そういったもので殺人は、絶対しないと心に決めてるんだが」
「ぎ、ぷぎゅ、る、やめ……」
「おまえは邪魔だ――だから殺す」
「待っ……」
「リッサ、つかまれ!」
「え、ええ!?」
「いいから早く!」
俺の声に従って、反射的にリッサが俺にしがみつく。
そして俺は――その体勢のまま、全力で、溶岩に向けて飛び降りた。
「は、ひぎゃあああ! し、死にたく、死にたくな――」
「リッサぁ!」
「!」
俺の声と、伝わる思念に、反射的にリッサが召喚能力を発動。
俺たちはクランのワイヤーをぶち切って、崖の上まで一気に戻る。
後は、その場に取り残されたクランだけが、溶岩の中へと落ちて。
声にならない絶叫が、あたりに反響した。
リッサは、真っ青な顔で、それを見つめていた。
「ライ……」
「言うな、リッサ」
俺は、なにか言おうとするリッサを止めて、つぶやいた。
「せめてもの礼儀だ。たとえ、どんなしょうもない小悪党だろうと。こいつを殺したのは俺で、俺はその罪を墓場まで持っていく」
そして、ため息をついて、吐き捨てた。
「そういう覚悟がある奴だけが殺していいのさ。自分も死ぬリスクを冒せない奴が、戦場にしゃしゃり出てくるんじゃねえよ。ゲスが」