二十四日目(3):第二決闘-サリ・ペスティVSレイクル・サバーリッチ
「センエイ……」
わたし、サリ・ペスティは、洞窟の中で立ち止まってつぶやいた。
いまはもう、センエイの未来のビジョンは見えない。
昨日、これについて、センエイに相談したのだ。
『なぜかおぼろげにセンエイの死のビジョンが浮かぶけど、あいまいすぎてそれがどういう状況なのかわからない』
それに対してセンエイは、自分が転生の法という、死んで生き返る秘術を取得しに行くのだと説明してくれた。
『仕方ないのさ。魔人が力を求める限り、死を乗り越える方法は必ずどこかで必要になるんだ。
そのための、またとないチャンスがここにある。だから私は、目一杯有効に活用させてもらうつもりだよ』
その説明を聞いても、おぼろげなビジョンは消えなかったが、納得はした。
たぶんわたし自身が、センエイの転生へのチャレンジがいいことか悪いことかを、計りかねているのだろう。
わたしの能力、偽典繰りはあくまで計算による未来予知。計算結果はわかっても、それがよいことか悪いことかまでは、わたしにしか判断できない。
だから、揺れたビジョンだったのだ。
(そもそも、センエイがどうしてそこまで力を求めるのか、わたしは知らない)
これは珍しいことではなく、魔人・魔女たちの間で、なぜ魔術を求めるのかを尋ねることは、半ばタブーとなっている。
普通の境遇だったら、人は魔術には手を出さない。『大災厄』でフィーエン・ガスティートが世界を滅ぼしかけてから、世界のどこでも、魔術は禁断の力として、忌み嫌われている。
それでも、たとえば系統によっては。
たとえば四大制御。四大精霊の概念自体は、神話に記述されている。だから地域によっては(トマニオ含む)この種類の魔術は禁忌とされないこともあるし、タブー感は比較的薄い。カジュアルな魔術だ。
たとえば魔技手工。これは、鍛冶の技術と直結しており、境目も曖昧である。真っ当に仕事をしている鍛冶の中にもこちらの世界に片足突っ込んでるようなのもいて、その弾みで魔人になる連中もいるだろう。テンはそのいい例だ。
たとえば幻影使い。確かに外法ではある。あるが、そこで扱えるのはあくまで幻影。たいした悪影響はないし、簡単に消せるといった利便性から、芸術家はたいていこちらに片足突っ込んでいるという話もある。また、幻を破る技にも通じるため、そのためだけに研究している者も、魔人・非魔人を問わず存在する。
霊魂技師。これだけは言い逃れができない。
四つの主要魔術系統の中で、世界の仕組みそのものを制御する価値干渉の技を扱う者達――霊魂技師だけは、単純に力を欲して外道に落ちた者のみが行く領域だ。
だからこれに分類される、シンやセンエイやハルカについては、特に要注意。
軽々しく過去のいきさつなどを問うことは許されない。
センエイにもきっと、なにか深い事情があるのだろう。命を賭けて力を得るチャレンジをする、事情が。
とりあえず、いまはセンエイの未来はもう見えない。
その場合、可能性はふたつあると、昨日センエイは語った。
ひとつは、センエイが戦いですでに命を落としたか、フレイアに勝利した場合。この場合、『未来』を見る神威である偽典繰りは、沈黙するだろう。
もうひとつは――
(誰かが干渉している場合。センエイの変えうる未来を変えさせまいとする邪魔者が、近くに現れたとき)
そして、その見分け方も、センエイは助言してくれた。
繰り返すが、この偽典繰りという神威の正体は、計算能力である。
神話の流れ、過去の経験、これまでの情報、そして勘。それらを総合して、未来予知の形でわかりやすく計算結果を提示する能力。
そしてその計算には、自由度がある。つまり、自分の行動を組み入れると、それに応じた結果が見られるのがわたしの能力……もちろん、都合の悪い結果しか見えないという、制約はあるけれども。
さて、それではここで、ライについて考えてみよう。
全力でライを助けに行くという選択肢を考えてみる。
もちろん、わたしの能力はなにも見せない。都合の悪いことが起きないのだから、当たり前だ。
では次に、ライを殺しに行くという選択肢を見てみよう。
これもなにも見えない。これは意味深だ。
先ほどまでなら、この仮定をすればただちに、わたしの能力はライの死体を見せたはずである。だが、いまはなにも見えない。
可能性はふたつ。ライを殺すことがなんらかの理由でできないか、ライがすでに死んでいるか。
後者の可能性は少ないが、残ってしまう。この試し方では、妨害者がいることを確定させることは、できない。
もちろん、センエイでも、シンでも、他のひとたちでも、竜王オルトロスですら、条件は同じだ。視界にいない以上、死んでいる可能性があって、死んでいる人間は殺せないから、わたしの目はなにも見せない。
だが、一人だけ。
この状況でも、確実に生きている人間がいて、それを殺そうとすれば。
わたしは……おそるおそる、その可能性を検討する。
わたしが自殺するという可能性を。
……やはり。なにも見えない。
つまり、いまこのわたしの近くには、自殺しようとすると止めてくる誰かがいて。
そいつの目的は、間違いなくわたしの命ではなく。
わたしを操り――なにかをしようとしている。
「いるんでしょう、レイクル・サバーリッチ」
わたしが周囲に問いかけると、すぐに声が返ってきた。
「おやおや? 不思議だね。まだアクションを起こしてないのに、なぜバレたかな?」
虚空から姿を現したのは、最初に会ったときと変わらぬ姿。
異様に痩せた全身紫タイツの、生理的嫌悪感を相手に与えることを意図したような姿の人形遣いは、慇懃に一礼した。
「やあやあ、美しいお嬢さん。元気にしてたかな?」
「……やっぱり」
「どうしたね?」
「あなた、やっぱり気持ち悪いわ」
表層を覆う嫌悪のマントではなく。
その奥底にある、鬱屈した悪意を見て、わたしは言った。
「気持ち悪いとは恐悦至極――」
「でも、まあ」
なにか気持ち悪い戯れ言を言おうとする彼をさえぎって、わたしは言葉を続けた。
「多くのひとが助言してくれた。わたしがあなたに勝とうとするなら、それは力によってではなく、言葉によってだと。
だから……話しましょう、レイクル」
「……ふうん?」
レイクルが、気に入らなさそうに鼻をひくつかせた。
「なにを目的に話そうってんだい? 僕にそちらから話したいことがあるとは、特に思えないんだけれど」
「それはそうだけど、あなたにはあるんでしょう?」
「なにが?」
「だってあなた」
わたしは言った。
「弱くてわたしに勝てないから、言葉でねじ伏せるしかないんでしょう?」
「…………」
相手は、少し沈黙した。
そして。
「よくわからないが、まあどうでもいいか」
と言って、うなずいた。
「ま、ともかく話に乗ってくれるならありがたいね。こちらとしては」
「わたしに、どういう用件かしら」
「前にも言っただろう? 君に、僕のものになって欲しいと思ったのさ」
「そうね」
わたしは、思い出しながら言った。
「そのときはいまよりさらに気持ち悪い、丁寧な口調だったけど」
「おっと、そうだったかな。
それで、どうだい? 僕のものになる決心はついたかな?」
「それについて、質問があるわ」
「どんな?」
「わたしをあなたのものにして……それで、あなたはなにをする気なの?」
言うと、レイクルは肩をすくめた。
「とってもいいことさ」
「具体性がない」
「とってもいいことは、とってもいいことだよ。
君だって望んでいるだろう? 子供の頃からずっと地獄のような生活をしてきた君は、大人を無意識に欲している――その庇護下にいて、なにも考えずに従っていればそれでいい、そういう存在をさ。
君にはそれをあげる。とても楽で楽で楽な、なにも考えることが必要ない、ただ僕に従っていればいいだけの日々をだ。君はそれを望んでいる。違うかい?」
「わたしが聞いているのは」
わたしは相手の言葉に肯定も否定も与えず、尋ね返した。センエイの助言通りに。
「あなたの目的なのだけれど。答える気はないの?」
「どーでもいいじゃないかそんなことは。君だってどーでもいいんだろ?」
「そうね。実を言えばどうでもいい」
「なら、」
「でもわかった。つまりあなた、目的とか、ないのね」
ぴたり、と。
レイクルの言葉が、止まった。
「ないからごまかしてたんでしょう? あなたとわたしは、ある意味鏡合わせだ――なにもないひと特有の気配を感じるわ」
「黙れよ」
レイクルは怒気を込めて、言った。
「黙れ。おまえになにがわかる」
「わかるわよ。あなたにわたしがわかるなら、わたしにもあなたがわかる。わたしも……弱いから」
わたしは、ライのことを思い返しながら、言った。
ライだったら、目的を問われたら即答するだろう。『世紀の大悪党になる』と。
それはただのごまかしなのかもしれない。だが、ごまかしであろうと構わない。
彼は、それを本気で追っている。その背後にどんなごまかしがあっても、なにかを本気で追うことができるのは、強いひとの証だ。
わたしや……こいつには、そういうことはできない。
なにもないわたしたちには、確たる目的に向かって迷いなく進むということが、そもそもできない。
ああ――だけど。
少しだけ、こいつとわたしには違いがあるのだった。
それはわたしの胸に秘めておいて、わたしはレイクルをしっかり見据えて言った。
「さっきの言葉もそう。あれはあなたのことでしょう、レイクル。
強いひとに護って欲しい。その欲求は、わたしじゃなくてあなたのものだ」
「黙れ、黙れ、黙れ!」
レイクルは激高した。
「なにがわかるというんだおまえに! おまえみたいな、強いヤツに!
強いヤツに護って欲しい!? 馬鹿を言うんじゃない! 僕は強いヤツなんてみんな、大っ嫌いなんだよ! だから踏みにじってやりたいのさ!」
「…………」
「弱く生まれて、かろうじて生を拾って、それでも見下されて生きてきた僕が、あいつやそいつみたいなのを侍らせて踏みにじって、それで飽きたら捨ててやるのさ! はは、そうだ、俺はそうやって生きてきたんだよ! これからもそうやって生きていくんだ!」
「それがあなたの目的?」
「そうだ! なにが悪い!?」
「悪いとも言わないし、特になにも感じない」
わたしは、きっぱりと言った。
「人によっては、あなたを可哀想なひとだと思うのかもしれないけれど――わたしはわたしを可哀想だと思わない。だからあなたも可哀想だと思わない」
「……そうかよ」
「そして、わたしはあなたみたいに生きる気はない。だからあなたの提案には応じられない」
きっぱり、わたしは拒絶した。
レイクルは小さく肩を震わせていたが、
「はは」
気持ち悪い、笑い方をした。
「そんなことを言ってもね……人間は、自分自身には絶対勝てないのさ」
彼は小さな人形をどこからともなく取り出し、構える。
「なにせどんな強いヤツだって、自分はそれよりさらに強いからなあ! そらあ!」
「……」
わたしは来たる術式を、ただ平然と待ち構える。
そして、それがやってきた。
与えられたのは、圧倒的な安心感だった。
それは、すべての責任から解放された、ただひたすらに安楽な世界。
考えてみてほしい。
わたしの能力は、わたしが望まない未来を見せる。
ということは、わたしが対処しないと望まない結果が訪れるということだが。
それは、責任があるということだ。そうしなかったから誰かが死んだ。ならばそれは、たとえどんなに一切わたしと関係のない事象であろうと、わたしが殺したのだ。
ずっとそうやって生きてきた。わたしの生き方は、責任と共にあった。
もし、その責任を、全部放り出してしまえるならば――
それはなんて、幸せなことだろう。
そう、わたしは理解して。
ばぎん! と、そのビジョンが消滅する。
「な、――」
「ライ曰く」
わたしは絶句するレイクルに、言葉を告げた。
「人間の目標を立てる動機は二種類ある。欲望と、義務感。
だから相手が義務に訴えてくるなら欲望を。逆に欲望をかきたてて来るなら義務を。それぞれ思い浮かべるのが、相手に支配されないコツだ――その通りだったわね」
「義務感、だと!?」
愕然とした顔で、レイクルは叫んだ。
「あり得ない、あり得ない、あり得ない! 義務を忌避するからこその欲望だったんじゃないのか、おまえのそれは!」
「ええ。でも、質の違いがあるでしょう?」
「質!?」
「たしかに、名もなき人々の虐殺や、縁のあるひとたちの死を防ぎ続けるのは、とても疲れる。解放されたい、という心はわたしの中に根深くあるわ。でも」
わたしはつぶやいた。
「エフにもう一度会うっていう目標は、それとは別のものだから」
「…………」
意味は、わからなかっただろう。
だけど、それもどうでもいい。
「ライがあのときに言ってくれた。魔物から解放されたんなら、エフのいまを見に行ってもいいだろうし、それはおまえがやるべきことだろうって。
そう。空っぽなわたしだけれど。たしかにライの言う通り、そこだけは空っぽじゃないわ。わたしにはやるべきことがある。あなたの人形には、なれない」
「…………」
「消えなさい、レイクル。あなたの誘惑はもう、わたしには効果がない」
「くそっ、くそっ、くそっ!」
レイクルは地団駄踏んで、
「なんで俺の言うことを聞かないんだクソが! 死ね!」
叫んで、ばしゅう、と毒の霧みたいなものを全身から吹き出した。
その毒はしかし、わたしのイェルムンガルド外殻によって、いともたやすくかき消え。
後には、レイクルの輪郭だけ残した、空っぽの人形だけが、倒れた形で残った。
「……勝ったよ、ライ」
わたしはぽつり、とつぶやき。
「みたいだな」
後ろからかけられた言葉に、振り向く。
そこに、彼がいた。
「ライ――」
「もしかしたら危ないかも、って思って急いできたが――どうやら、いらなかったみたいだな?」
ライは、そう言って笑った。
わたしも笑って。
「ライ」
「どうした、サリ?」
「来てくれて、ありがとう」
わたしは、ライの身体を強く、ぎゅっと抱きしめ。
次の瞬間。
大爆発が巻き起こった。
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「ひゃーははははは! ばぁか! ひっかかったひっかかった!」
レイクル・サバーリッチは、遠くの場所で手をたたいて喜んだ。
「俺の掌握人形を、空っぽなヤツが対処できるわけがあるかよ! けっ、俺のものにならねえなら、そんなヤツは死んじまえばいいんだよ!」
ありったけの悪意を込めて、うそぶく。
「ったく、しかし胸糞悪いったらありゃしねえぜ。せっかくあのサリ・ペスティが手に入るかと思ってあんなジジイにへこへこ従ってたってのによ。こいつぁ帰るためにはまた、あのジジイにこびなきゃいけない状態じゃねえか。大赤字だぜ」
ちっ、と舌打ちしてレイクルは言った。
レイクルには、価値干渉の魔術は使えない。
いざというときに、ただの人形鍛冶として逃げ回るために意図的に身につけていなかったわけだが、それはつまり聖典世界から現実へ帰還する切り札が、ないということでもある。
「どうにかなんねーかな……いや、アレだ。いっそのこと連中の仲間を何体か人質に取って図書館と交渉するか? あの忌々しいガキ神とかも、まわりの女でも籠絡すれば簡単に言うこと聞かせられるだろうし」
ぶつぶつとレイクルがつぶやいていると。
その彼の目の前に、すっと人影が現れた。
「ん、へ、あ?」
へんな声と共に、彼がすとんと腰を落とした。
「あ、アリカ・ベルクサ……?」
それは、かつて彼が蹂躙し、ボロクズのようにして捨てた人間だった。
かつて強かった、そして心の隙を見つけて籠絡したはずの彼女は、いまゴミクズを見る目でレイクルのことを見ている。
『さて、あなたにはこれが、誰に見えるのかしらね?』
そこから放たれた声は――たしかに、サリ・ペスティのものだった。
「な、貴様……!? サリ・ペスティ、いったいなにを……!?」
『いえ。わたし、この人形の機能を掌握したの、ついさっきだから。なにか人によって見えるものが違うへんな機構が入ってるのはわかってたけど、あなたに誰が見えてるのかまではわからないわ』
「質問に答えろ! 貴様!」
『それと、あらかじめ言っておくと、こちらは映像や音声の取得まではしてないの。必要ないと思ったから。だから一方的にしゃべるし、そちらでなにが起こってるかはよくわからないけど、勘弁しておいてね』
「…………」
やばい。
本能が察して、レイクルは逃げようとした。
だがその人形は、レイクルの設計どおりに、レイクルより早い速度で彼の行く手に回り込んだ。
「ひ、が、ガファ・ベイムン……!」
筋骨隆々とした男に変形した人形を見て、レイクルの心が軋む。
陽気な男だった彼は、陽気なその笑顔のままで、ただしその目の奥底に隠しきれない軽侮を持って、レイクルをみつめていた。
『さっきはごめんなさい。正確なルールを言ってなかったわね。
つまり、わたしがあなたの人形からさかのぼってあなたの仕掛けを全部乗っ取るまでに、あなたがわたしを言葉で支配できれば勝ち。そうでなければ負けよ。
わたしは支配されるリスクを取ってまであなたと相対した。その結果、見ていた人形とはべつに精神を蝕む人形を隠していることがわかったからね。爆弾入りだってこともすぐわかったから、起爆符を使って偽の爆発であなたをごまかして、その間にこの人形とつながっていたあなたの位置も特定したわ』
しゃべっている間にも、人形は様々に変形していく。
いずれもかつて、レイクルが踏みにじった強い者達の姿であり。
レイクルが復讐されたくないと、無意識のうちに思っていた相手たちだ。
『まあ、素直に退いてくれたなら、こちらもなにをする気もなかったんだけれどね?
ここで生かしておくとその後も延々絡まれそうな気がするし、リスクは減らしたいから。あなたにはここで死んでもらう。前は心臓を切りえぐっても死ななかったけど――爆殺すれば、たぶん死ぬわよね?』
「……なめるなぁ!」
レイクルは血走った目で、人形に向けて手を差し出し。
そして、何かする前にその右手がごっそりと削れ、手首から先が地面に落ちた。
「ひ、ぎゃああああ!?」
『ああ、これも言ってなかった。この人形、いまは短刀だから。
お気に入りの28本を使うのも汚らわしかったから、新しく作った29本目の短刀よ。触ると切れるから、注意してね』
悪意も敵意もない、どこか投げやりなサリの言葉と共に、人形はさらに変形した。
いままで悪意で蹴落としてきた人間たちの特徴を併せ持つ、名状しがたいキメラのような姿に。
それが、逆にレイクルの憎悪をかきたてた。
「おのれ、おのれええええ!」
レイクルは叫んで、左手に札を持って呪詛を唱えた。
「吹き飛べ!」
轟音とともに人形が爆発し――レイクル自身も吹っ飛ばされ、洞窟の壁にたたきつけられる。
この近くから爆弾に対して攻撃したら自分も巻き込まれる。それを知っていてなお、憎悪に身を任せてたたき込んだ、決死の攻撃だった。
「が、はっ……! この、クソがっ……!」
ぼたぼたと後頭部から、そして右腕からも血を垂れ流しながらも、レイクルは叫んだ。
「生き残ってやったぞクソアマ……! 生きて帰ったら絶対に追いついて、今度こそ絶望にたたき込んで、や……?」
声が止まる。
信じられないものを、目にしたのだ。
目の前にいるのは、レイクルが最も見たくない相手であり。
彼が最初に殺した人間だった――
『30本目がこれ。あなたの残した、もうひとつの人形を流用させてもらったわ。
ああ、それとこれも自動操縦なんで。もう面倒くさいし、気持ち悪いから死体の確認もしない。これから逃げることができたんなら、あなたが死のうが生きようが、わたしからはもうなにもする気はないから。
それじゃ、さようなら』
サリ・ペスティの言葉は無慈悲に響いて、そして消えた。
人形は、慈愛に満ちた顔で、こちらにすっと手を伸ばす。
「あ、ああ、あ、あ……!」
レイクルはあとずさりして、すぐに洞窟の壁に背後を阻まれた。
「許して……」
そして、泣きながら、相手に許しを請い。
「許して、母さん――!」
直後、爆発が起きた。
これが。
幾多の人間を不幸におとしめてきた人形遣い、レイクル・サバーリッチの最後である。
結局、彼の死は、誰ひとりとして、確認すらしなかった。
【技解説】
『千手観音』(サウザンドアームズ)
系統:付与 難易度:E
『逆さ捻子の虐殺者』サリ・ペスティの真骨頂。それは、28本の短刀を同時に端末として扱い、世界最高の魔法剣技を以て相手を蹂躙することだと思われているが、実は違う。
この術の真に恐ろしいところは、その難易度である。「端末」という名の、魔法鍛冶のごく初歩の技でしかないこの術は、その簡単さ故に、いざ『29本目』を作ろうと思ったら、そのへんの小石から簡単に作れてしまうのである。
つまりサリ・ペスティの真の恐ろしさは、特別な28本ではなく、その場で何本でも新しい千手観音を供給できるという、その無限に近い継戦能力にある。もちろん、不意打ちでそのへんの小石を29本目にして攻撃したり、相手の剣を奪って新しい端末にしたり、といった絡め手も容易。世界最高峰の魔法鍛冶であるサリの「端末」であるからには、それらはどれも、伝説の剣クラスの魔法剣となって敵に襲いかかるだろう。
なお、レイクルごとき小物を相手にして、ここまでの魔技が必要だったかというと、そんなはずはない。
にもかかわらずサリが『29本目』という『切り札』を以て彼に対処したのは、彼女なりに相手に対して多少の思い入れがあったから、なのかもしれない。