二十一日目(5):悪党、出し抜かれる
「おや。先客あり、ですか」
声がした。
ひどい吹雪のせいで、相手の身体はほとんど見えない。こっちは外殻で防御しているから濡れないで済むが、相手はたいへんだろう。
大陸最北に位置する高峰、カライ山。
あまりに過酷なその環境下では、まともな生物は(それどころか、魔物ですら)生存を許されない。
麓には氷巨人族による気象観測の拠点があって、そこが自分の知っている限り、亜人類の住む最北地点である。
「なんだい、おまえも来たのか。腹黒神官」
「はっはっは。いやあ、お久しぶりですセンエイ殿」
言って、にこやかに(たぶん。見えないけど)スタージンは笑った。
「こんなところで会うとは、奇遇……とは、言えないですなあ。
センエイ殿も、手前と同じ目的で?」
「そんなこと言われても、おまえの目的がわからなければ、なにも言いようがないだろう。変なカマかけてないでさっさと吐き出せ、陰険神官」
「おや、これは失礼」
はっはっはと笑って、スタージンは姿勢を改めた。
「ここからなら、氷雪原野へ直接の介入ができると思いまして」
「そいつは慧眼。
だが、そのためにわざわざおまえがひとりで来る理由があるかね。いま大絶賛活動中の魔王が倒したいなら、神殿側にはそういう兵器があっただろう。えーとなんだっけ、スタンガンフリーダムとかそんなん」
「スターライティア。神造戦艦ですな」
「そうそう。そんなやつ」
「残念ですがアレでは魔王には対抗できんでしょう。しょせん型落ちのボロ船です」
「あ、そう」
ファトキアの公式見解に真っ向から喧嘩を売ってる発言だった気がしたが、こいつならそんなことも言うだろう。
「まあ、魔王だけならどうとでもなるでしょう。あなたのご同輩はかなり優秀だとお見受けします。
ですが、それだけの脅威ならば、わざわざあなたがここに来ることもない。違いますか」
「そうだな」
うなずく。
「どうやら見ているものは同じみたいなので、言うぞ。真に恐れるべきは、魔王に隠れて老魔術師と愉快な仲間たちが、聖域を奇襲することだ」
「ですな。魔王だけなら軍隊でどうとでもなるでしょうが、そちらで予測不可能な行動をされるとちときつい。
そこで、氷雪原野へ直接打撃を与えて相手を倒せれば、奇襲に対する奇襲返しとなりましょう」
「それだけか?」
「え?」
「それだけかって聞いたんだ。
……ははん。その様子だと、老魔術師がどういう手立てで奇襲を行うかまでには、考えが至っていないようだな」
「心当たりがおありで?」
「まあな。キスイくんが鍵だとだけ言っておこう。
ともかく、それで相手に出し抜かれたら本格的に手出し不可になっちまうのさ。なにしろ主神級の神力で張られる結界だ。それ以上の暴力でたたき壊さない限り、誰も聖典世界に手出しができなくなる」
「ふむ……」
スタージンは少し考え、
「しかし、あなたにはなにか、それに対抗する腹案があるように見受けられます」
「まあな」
「差し支えなければ、ご教示いただけませんか」
「秘密だ」
「おや。それは残念」
「……冗談だよ。スルーするな。
なに、さっき言っただろ。それ以上の暴力でたたき壊さない限り――と」
「なるほど。では、それ以上の暴力とは?」
「あるだろ? 氷雪原野ゆかりの、神話世界最上級の暴力の化身が」
「……それは」
さすがに緊張を孕んだ様子で、スタージン。
「白雪。ルチア・ガスティート=シンボルスタック・スタインバレー、ですか」
「正解」
絶え間なく吹き荒ぶ嵐の中で。
その名を呼ばれた暴威は、うなり声を上げたように聞こえた。
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(なにがあった、リッサ!)
(ライ!? ああ、よかった! やっと通じたよお!)
頭の中で連絡を取る。
どうやら、魔王の中にいるときは連絡できなかった様子だ。
――っと、そんな分析は後にしよう。
(いいからなにがあったか教えてくれ!)
(そ、それが……図書館が、乗っ取られちゃったんだよ!)
(なに、誰に!?)
(だ、誰って言われても……)
(あー、もういい! とっととそっちに召喚してくれ!)
(わ、わかった!)
声と共に、俺の身体が
「う!? わわわわわあああああああああああーっ!?」
ばかすかばごどがごんずがっ!
城壁を壊し建物を壊し、ものすごいスピードで飛んでいく俺の身体。
……忘れてた。これ、そういう移動方法だった。
「っっと!」
なんとか着地する。酔いそう。
「ライ!」
「コゴネル! どうなってる!?」
「あそこだ! 聖典世界の入り口を見ろ!」
言われるままに視線を移す。
そこに、信じられない光景を見た。
「あ、あいつは……!」
「ほう。もう来たか。
さすがは現役最新の神、といったところじゃな。正攻法で相手にせんで正解だわい」
そう言って、妖術師――俺が確かに斬ったはずのあの老人が、聖典世界へ通じる大門の中で、にやりと笑った。
その手に、ぐったりしたキスイを抱えて。
「テメエ、生きてたのかよ!」
「ああ、あちらでおまえさんが斬ったのは人形じゃよ。
魔王のコアの役割を果たしてくれればよかったので、べつに儂に似ている必要はなかったのじゃがな。レイクルの奴め、妙なところで職人魂を発揮しよってな」
「なにしてやがる!?」
「術式の完成を待っておってな。
そら。もう来ておるのじゃろ? 遠慮せんと姿を現せ。なあ、シン・ツァイよ」
「!?」
言葉に、俺は振り返る。
そこに、確かにそいつがいた。
「シン!? な、なんでここに……」
「いまはその話をするときではないよ。ライ氏」
穏やかに言う。
口調は穏やかである。
なのに。俺の背筋に、確かに怖気が走った。
こいつは、穏やかな顔のままで、敵を皆殺しにできる相手だ。
そんなことを、実感して。
「ほほ。よう来たのう。
さ、さっさとこちらに来るがいい。いま、相手は疲弊していたりこの場を離れていたりして、貴様を止められる者はここにおらぬ。来れば、その時点で術式の完成じゃて」
「そうだな。ところで、師よ」
「ん、なんじゃ」
「僕は一度も、おまえに手を貸すと言った覚えはないのだが?」
「……なに?」
妖術師が、はてと首をかしげた直後。
凄まじい勢いで、その身体がぐりん! とねじれた。
妖術師の身体が宙に浮き、空中で回転して、背中から地面にたたきつけられる。
「ぐ、ああああ!?」
「おや、自分から飛んだか。全身の骨をねじり折ってやるつもりだったが、アテが外れたな」
淡々と言う、シン。
……刀だけかと思ってたが、こんなんもできたのか、こいつ。
「き、貴様……裏切る気か!?」
「なにを言う。
僕は最初から、おまえの味方ではなかった。それだけのことだよ」
「奥義はよいのか! ここで儂を殺せば、もはや手に入らぬぞ」
「なにか誤解しているようだが」
シンは哀れなものを見つめるような目で、言った。
「余、つまりカイ・ホルサ神にとって、奥義の蒐集はべつに至上の命題ではない。
より優先されることがあった場合、そちらが優先される。今回の場合、僕ではなく余が、貴様を殺すと決めたのだ」
「より優先されることだと!? なんだ、それは!」
「答える気はないね。
さて、死ぬ準備はいいかな?」
シンの言葉に、妖術師は押し黙った。
「いいようだね。では……」
「ふん。まさか、この予備がここで役立つとはな」
「なに?」
「本来、バルメイスの奴をたらし込められなかったときの予備のつもりだったのじゃがな。
まあよい。来たれい!」
「!」
言葉と同時に、シンが動いた。
凄まじい速度で、その手が振り抜かれる――
が、それでも、一呼吸遅かった。
ずばっ、と神殿の壁が切り裂かれて。
そして同時に、凄まじい地鳴りが起こる。
「な、なんだあ!?」
「ふひょひょひょ! 始まったわい。
ほれ、せっかくじゃ。おまえさんもフードを脱いで挨拶をせんかい」
「やれやれ。悪趣味ですねえ。あなたは」
声は、懐かしい人物のものだった。
どうやら着ると透明になるローブを羽織っていたらしいそいつは、フードを脱いで姿を現すと、笑ってお辞儀した。
「やあどうも。お久しぶりですねえ、皆さん」
商人。クラン・メーヤ。
「やっぱりあんた、そっち側の奴だったのかよ……!」
「おや、気づいておられた様子で。
やはりあなたはやっかいでしたね、ライナー・クラックフィールド。弧竜との一件の後あたりにでも、どさくさにまぎれて暗殺しておくべきでしたな」
いけしゃあしゃあと言う、クラン。
シンは小さく首をかしげると、
「賢人会議はこの件に関係しているのか?」
「であれば、あなたが見落とすこともなかったでしょうよ。
まあ、メサイのすべてが賢人会議に従う心づもりであるわけでもありませんからな。我らにもいろいろな派閥があります。わたくしの派閥はたまたま、こういうやり方も悪くないと思っていたまでのこと」
「世界を裏切って、フィーと同じ道を征くつもりか」
「その通りです。見えざる神殿の王子よ。
いろいろな誤算はありましたがな。まさか、届けに行くはずだった神物の呪縛が、通りすがりの乞食に解放されてしまうとは思いもよりませんでした。まあ、それからいろいろなハプニングもありましたが、結果オーライといったところですかな」
「テメエふざけんな! 俺は乞食じゃない、物盗りだ!」
「……そういう問題か?」
コゴネルの冷たい突っ込み。
そのへんは完全に無視して、老魔術師は笑った。
「さて。無事に『最後の王国』の結界も張られたことじゃ。我らももう行くぞ。
この状態まで来れば、もはや『最後の王国』には誰も干渉できん。女王と、七人の賢者を除いてな」
「ま、待て――」
「そこで世界の滅亡を待っているがよい。
ああ、心配するでないぞ、弟子よ。儂が世界を覆滅した暁には、貴様に真っ先に地獄を見せてやろうではないか」
カッカッカと笑って、妖術師はキスイを抱えて去っていった。
――去っていってしまった。




