二十一日目(1):悪党と悪神の戦場
図書館の中にて。
「……ということを、おまえさんには頼みたいのじゃ」
得意げに、老魔術師は言った。
「せこい依頼だな。好かん」
「まあそう言うな。この際、あの小娘が逆転の鍵なんじゃ。
誰かさんが儂の魔王を勝手に傷物にしてくれておらんかったら、もうちょっとやり方があったんじゃがのう」
「……ふん」
鼻を鳴らす。
とにかく、選択肢がないのは事実だった。
「それで、約束の件はどうなった。俺が消されないように細工をしてくれるという話だったが」
「むう? ああ。ちょいと待っておれ。ほいっ……と」
瞬間、わずかばかり光景が揺れた。
「これでよかろ。死にかけ魔王の残りカスみたいな力じゃが、貴様にはそれでも支えとなろう。魔王が完全に滅界するか、儂が死ぬまでは安泰じゃよ」
「魔王が滅界……いつごろになる?」
「それほど時間はないじゃろうな。まあ、心配せんでよいわ。要は世界庭園まで保てばよいのじゃ」
「? どういうことだ」
「世界庭園では、神話の法則は効力をなさんからな。世界の中心にして端――そこでなら、混沌であるおまえさんも消えることはなかろう。
本来なら、世界庭園であの小僧を殺せれば万全なのじゃがな。そうすれば神話は、生きているはずのバルメイスをおまえさんと認識する。完全なるバルメイスのできあがりじゃて」
「……そうか」
「ま、それはいまのところ夢物語じゃがな。
なに、どうせ儂が目的を達成したら、好きなようにおまえさんの身分も選ばせてやるわい。小僧を消し去るもよし、あえて立場を逆転したまま残して苦しませるもよし。おまえさんの自由じゃ」
ひっひっひと妖術師は笑って、
「では、儂はもう行くぞい。
あれで魔王という奴も制御がたいへんでな。気を抜いておるとすぐ暴走する。まったく、せめてもう一柱の魔王が健在ならのう……と、愚痴を言っても始まらぬな」
「言ってろ」
露骨な嫌味に答える気もなく、しっしっと手を振る。
「じゃあの。しっかりやれよ」
言って、老人は消えた。
…………
これで、よかったのだろうか。
(生きていかなければ悩むこともできない。まずは生き延びることを――とは思ったが)
生き延びて、俺は望むものを手に入れることができるんだろうか?
この俺自身という、どこにあるかもわからないものを、見いだすことはできるのか?
……
こん。
「?」
なにか、頭に当たった気がしたが、気のせいか。
こん。
「……」
振り向いて床を見ると、石ころみたいなのが転がっている。
……はて。
(まあいいか。疲れた)
俺は、休憩しようと元の方向に向き直り、
ごん!
「~~!」
うずくまる。
いまのは痛かった。
「こ、この……」
振り向きながら立ち上がり、だっ、と駆け出す。
すると、本棚の影から予想通り、そいつが飛び出した。
「やっぱりおまえか、ちび!」
「ちび言うな! 貴様だってちびだろうが!」
「こ、この……殴り殺す! 待て!」
だだだーと駆け抜けて、気づけば図書館の正門前へ。
「止まれー!」
「ふう。まあここまで来ればよかろう。
まったく、合図してるのにシカトとは何事かっ。馬鹿者め」
「開き直るな! あの大きさの石投げつけるのはシャレにならないだろうが!」
案の定、犯人は女王(の混沌)だった。
「というか、おまえが投げた石はなんで毎回、俺のイェルムンガルド外殻をすり抜けるんだ。神威も効かなかったし」
「たわけ。キスイの身体の中にいるならともかく、聖典世界ではわらわの神力は制限無しよ。
貴様よりずっと大きな神力なのじゃ。神話の力など、効くわけがなかろう」
「……そういうトリックだったか」
まあ、こちらと同じような存在である以上、同じように神力を持っていてもおかしくはないが。
「それより、聞いたぞ貴様。あのジジイと組んでまたなにやら悪さをしようとしておるようじゃなっ」
「……聞いてたのか。
邪魔するなら勝手にしろ。止めはしない」
投げやりに言う。
相手は、ふん、と軽蔑したようなまなざしでこちらを見た。
「とことん堕落したな、貴様」
「……なんだよ。俺のことなどどうでもいいだろう。勝手にさっさと行け」
「たわけが。貴様のことが問題なのじゃ。
わらわがなにをするかなぞ、わらわ自身が決めるわ。それだったらわざわざ貴様を呼び出したりせんっ」
「じゃあなんの用だよ」
「貴様、結局なにがしたいのだ?」
「――――」
それは。
いま、いちばん質問されたくない、言葉だった。
「いや、貴様が悪い事をしようとしているなら全力で止めるし、そうでないなら知らぬがな。
貴様の態度を見ていると、そもそもなにをしようとしているのかわからんのだ。だから問うておる」
「俺は……生き延びるために、必要なことを実行しているだけだ」
「だからなんで生き延びる?」
「それは……」
言葉に詰まる。
逆に、問うてみたくなった。
「おまえはどうなんだよ。いつ死んでもおかしくない状況になったとして、打開したくならないのか?」
「さあな。どのみち、わらわはそれほど長くない」
「は?」
女王は肩をすくめて、こともなげに言った。
「岩巨人の『生贄』の年限は20歳じゃ。わらわの本体であるキスイがそこまで育てば、『生贄』は交代し、わらわは自然と消える。
それが定めじゃ。逆らえはせん」
「だ、だが……何とか、ならないのか? 方法が――」
うろたえたが、彼女はまったく平静だった。
「さあな。あるかもしれんし、ないかもしれん。
それにあったとしても、わらわがするかどうかはわからん。気が向いたらするかもしれんし、しないかもしれん」
「気が向いたら、って……」
「わらわが気に入らない生き方をする気なんぞ毛頭ないわ。
どうせいつか死ぬのは誰も彼も変わらん。神や大巨人だろうとそれは同じじゃ。であれば、わらわは時間を精一杯楽しく生きる。それを曲げるつもりはない」
えへんと胸を張って、女王は言った。
それは、小さな彼女がするには滑稽な態度ではあったが。
――なぜか、ひどく気高く、尊いものに見えた。
「で、貴様の件じゃが。
結局、貴様は生き延びて、なにがしたいのじゃ?」
問われて。
俺は、考え込んだ。結局、なにがしたいのか。
(なにがしたいか、と言われれば――)
なにもない。
そもそも、自分には自分がない。
だから、それを手に入れるところから始めなければ、なにもできない。
「俺は、自分が欲しい」
そこに、最後には帰ってきてしまうのだ。
結局、俺には誇れる自分自身が、なにひとつないのだから。
失ったそれを、取り戻したい。
「なるほどな。自分が何者であるか、その立ち位置が所望か」
「そうだ」
「ならば、貴様」
ずい、と彼女は身を乗り出した。
「わらわに、考えがある。ひとつ、乗らないか?――」
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決戦の朝。
「すげえ量だな……」
俺は、聖地トマニオの中に作られたやぐらの上から、コゴネルと共に北の方角を見ていた。
地平線の彼方まで、途方もない規模で連なる黒い影が見える。
はるか先には、雲もないのに黒い空。
異世界の法則に浸食され、色という概念を失った空が、黒く燃えている。
俺は、同じくやぐらの上に立っているコゴネルを見た。
「開戦は時間の問題、だな」
「準備は?」
「ぬかりない。
拡声魔法で全軍に伝える。耳をつぶしたくないなら、俺の後ろに回れ」
「おう」
「いいな? よし、では――全軍、聞けぇい!」
びりびりびり、と周囲の空気が震える。
「もうすぐ敵が来る! 我々は魔王が進軍してくるまで耐え抜き、後に逆進攻してこれを討つ!
我々の数は少ないが、こちらには現存する神や聖者がおられる! 作戦通り行けば勝てるから、それを信じろ! 勝算は十分にある!
以上だ! 戦闘準備、矢窓開け!」
がたん、がたたん、と下から音がする。
「よし、ライは下で地上部隊と共に待機だ。俺はここから攻撃魔術で応戦する」
「わかった!」
応えて、やぐらからはしごで降りる。
『弓隊、構え――!』
ひときわ大きくコゴネルの声があたりに響き、そして。
『射て!』
戦争が始まった。




