十四日目(1):悪神、惑う
「では、そういうわけで留守番をお願いしますね、バルメイス、女王」
パルメルエはそう言って、扉の奥に消えていった。
それを見つめてから、
「表で騒ぎ、ね。なにがあったのやら」
「なんじゃ。気になるなら聞けばよかろうに」
「俺には関係ないさ。関係があれば、パルメルエの方から教えてくれる」
「そんな考えだから、貴様はぼっちなのじゃろうに」
「……いや。ぼっちて」
「関係なんぞ、こっちから作るものじゃ。1人ぽつんと立っているだけでは誰も構ってはくれんぞ。
ま、よいわ。わらわはこれより無の砂漠まで遠征してくるので、留守を頼むぞ」
「おまえなあ……さっきパルメルエから、留守を頼まれたばかりだろうが」
「貴様が残ればよかろ。
ふふふー、ではいざ出発! 今日こそあの巨大アリクイをぎゃふんと言わせてやるのじゃー!」
上機嫌でるんるんとスキップしながら、女王は本棚の向こうに消えていった。
ぽつん、と残され、吐息。
「誰も彼も、俺が暇だと思ってやがる。……まったく」
つぶやく。
たいした意味のない愚痴だ。そもそも、自分でも暇だと思っているのだから。
暇だが、やることがない。
以前は――と考えて、無駄だと気づく。そもそも、自分に以前など、ほとんどない。
わかっているのは、狂神だと思い込んでいた頃には、狂神らしく振る舞おうとしていたことだ。
けれど、いまそれをやっても無駄なだけ。
だから、結局はやることがない。
ビジョンもない。
目的もない。
故に、こうやってごろごろしている。
この状態を簡潔に表すと、
「……平和、かな」
「怠惰、ではないかな?」
「な!?」
突然上がった声に振り向いて、愕然とした。
そこにいたのは、ひとりの老魔術師。
こいつは、俺の最強の神威で切って捨てたはずだった。
なのに、
「貴様、生きていたのか!?」
「危なかったのう。価値干渉系の攻撃はこれだから怖いわい。
斬撃という『結果』を相手の身体に召喚する術技。転移術式での逃げ足だけしか確保しとらんかったら、いまごろ真っ二つだったわ。身代わりの保険を掛けておいて正解じゃったの」
ひっひっひ、と笑う。
前は薄汚いとしか思わなかったが、こうして落ち着いて見直してみると……ただひたすらに、不気味で、異様で、そして不快だ。
人の神経を逆なでするように、意図的に調整された笑み。まるで面を被っているかのようだ。
その奥底でなにを考えているかも、その一切が不明。
たかが人間。たかが魔術師。たかが異能――その程度で、こうも外道に成り果てられるものか。
「それで、今度はなんの用だ。また斬られにでも来たか?」
「冗談。さすがにおまえさんと違って、本体で聖典世界に飛んできたりはできんよ。これは幻像じゃ。幻像」
「……ふん」
警戒は解かないまま、少しだけ攻撃態勢をゆるめる。
幻像に攻撃する手段も、俺の手持ちにないわけではない。だが、それらは手間がかかるし確実でもない。
そしてそれ以上に……この相手が出てきた理由を探る前に逃げられるのは、よくない。
「では質問に答えろ。俺は、なんの用だと言ったのだ」
「ほほ。そうかっかするでないわ。
儂はおまえさんに味方しに来たのじゃぞ。邪険に扱うものではない」
「味方……だと?」
いぶかしげに問うと、相手は笑った。
「復讐、したいのじゃろ?」
「――……」
一瞬、沈黙する。
「ほほ、図星じゃな。おまえさんのことだ。どうせあの小僧に仕掛けて、無惨に敗北したのじゃろ」
「貴様、なにを知っている?」
「おまえさんの正体くらいは知っておるよ。そして小僧に技が効かぬ理由もな。
ま、バルメイスがバルメイスの技で死んだらおかしいからの。神話は技をキャンセルする方向に働く。当然、あの小僧にはおまえさんの技は効かんわな」
「……まあ、そうだろうな」
その程度のことは、言われずともわかっている。
というか、サリ・ペスティとか名乗ったあの魔女が言ったことだ。同じ力がぶつかり合えば――
(強い方が勝つ。
つまり、俺の方が、弱いということだ)
ぎり、と歯をくいしばる。
老人は、こちらの態度などどこ吹く風で、続けた。
「さて、そこでじゃ。
どうせおまえさんの技では、あやつには歯が立たない。じゃが、それは歯がゆいじゃろ? 復讐がしたくはないかね? 奴に一泡吹かす気は?」
「断る」
「なに?」
俺は勘違いしている老人に、その事実を指摘してやることにした。
「ばかばかしい。俺は狂神ではない。ただの混沌だ。
もはや戦う動機などない――否。最初から戦う動機などなかったのだ。ただ出現したときの俺が、狂神としての記憶と意思をすりこまれていたために、その方向に走ってしまったに過ぎん」
そう、思いを告げる。
老人は、ふん、と鼻を鳴らし、
「想像以上に腑抜けおったな、貴様」
と言った。
「それでいいと思っているのか。そのままで」
「別に……俺には、そのままで悪い理由が見当たらない」
「それはおまえにとってはそうじゃろう。が、他の者にとってはどうかな?」
「他の者?」
「貴様が殺した岩巨人どもは?」
「…………」
視界を、がつんと揺らされたような気がした。
老人の声が、地鳴りのように響く。
「貴様が仕掛けたのは、れっきとした戦争だったのじゃ。死者が出なかったわけでもあるまい。
ちょっとした傾き心でそんなことをしでかした貴様を、死んだものの友人や肉親は許してくれるかな?」
「それは……」
「許されぬじゃろうなあ。仇を討ちにくるやもしれんなあ。そうでなくとも、貴様を糾弾するじゃろうなあ」
「だが、それは俺の勘違いで――」
「そんな言い訳が通ると思っておるのか?」
俺は――沈黙する。
老人は、かっかっかと醜く笑って、告げた。
「わからんか。最初に狂神として行動した貴様に、いまさら無害な善人ぶる資格なぞ残っておらんのだ。
最後に残ったのは、悪の道だけじゃ」
「悪の……道?」
「ああ、そうじゃ。
なにが悪いとふんぞり返り、自分のしたいことをして、享楽に生きればよい。
そのために、敵対する相手はすべてなぎ倒せ。邪魔者なんぞ、目につく端から消し去れ」
「…………」
「嫌か? ならば死ぬしかないな」
「死ぬ……か」
つぶやく。
それが選択肢に上がることを、考えていなかった。
……死ぬ、か。
考えてもみなかった。俺は――死ぬべきなのか?
「そんな顔をするでない。死にたいならさっさと死んでよい。じゃが、そうではない。じゃろ?」
「…………」
よくわからない。
よくわからないが、たぶん、そうだろう。
死にたいとは思わない。なにしろ、俺はまだ、この世界をなにも知らない。
記憶ならある。おそらく本来のバルメイスのものであろう、血塗られた記憶。だがそれは、いまや他人のものだとはっきりわかっている。
俺は、俺自身すら持っていないのだ。
だから――それを手に入れたい、という渇望だけは、ある。
マグマのように。
燃えたぎる形で、心の奥にたゆたっている。
(なるほど、そうか)
少し納得した。
自分は、自分が欲しいのだ。
その自分を手に入れるまで、死ぬのは、嫌だ。
「ふん。少し目に活力が戻ってきおったな」
「……そうだな」
「ま、死ぬ気でないならそれでええ。
じゃが、果たしてこれから生きられるかな? なんの手助けもなく、しかも貴様の命を狙う者だらけのこの世界で」
「…………」
「しかも、貴様はいま、生命の危機に立たされておる。貴様の命を握っておるものが、いまにも貴様を消そうとするやもしれんからな」
「? 誰だ?」
「貴様の本体じゃ」
「……あいつか」
最後に会ったときが、もう遠い昔のような気がする。
「あの小僧な。どうやら神と化したようじゃぞ。誰ぞの加護を得て、なにか儀式を行ったようだな。
それによって、奴はいまや、貴様を殺すこともいともたやすく行えるようになった」
「というと?」
「わからんか? 奴の神的存在は既に神話の中に刻まれた。神話を動かせる力を得たと言っていい。
その奴が、たとえば「バルメイスの剣を捨てる」などと宣言してみい。ただちに神話はバルメイスの剣の持ち主を抹消する。貴様のよりどころはなくなり、ただの混沌である貴様はたちどころに世界に消去されるであろう」
「……そう、なのか」
つまり、それが死ということだ。
「じゃが、儂が手伝えば話は別じゃ。
貴様を固定する奥義に、儂は心当たりがある。儂ならば、奴の加護なしで貴様を生かすこともできる」
老人はにやりと、奇怪に笑った。
「どうじゃ。興味が湧いたか?」
「……どうだろうな」
「どちらでもよい、と思っている風情じゃな。だが、そんな呑気を世界が許すかな?」
「…………」
「言ったじゃろう。貴様の生きる道は、もはや悪のそれしかないと。
儂に従い、儂に協力しろ。それで貴様は生きていける。欲しい物はなんでも手に入る。邪魔する奴は殺してしまえばええ」
「…………」
沈黙するこちらを見て、老人はしししと笑った。
「ふん。まあええわい。
少し考える猶予を与えてやろう。好きにするがいい。ま、選択肢なぞ、とうに失せておるがのう」
言って、老人は消えた。
「…………。
俺は――」
独白する。
俺は、どうしたいのだろう?
そもそも、俺の欲しい物は、どう生きれば手に入る?
答えは、誰も教えてくれないまま――
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2018年7月4日~10日まで作者が日本にいません。
その都合上、告知や返信等が遅れる可能性がありますが、ご容赦ください。




