十二日目(1):悪神、自らの出自を知る
「くそ、くそ、くそっ……!」
歯ぎしりする。
――退いたのは正解だった。
あらゆる技が通用しないという異常事態に、いったん態勢を立て直すというのは悪い判断ではない。
そう、判断は正しかった。
我慢がならぬのは。退くという判断が自身の臆病風ではなく、正しいものだったというその一点。
「ちくしょう……! ライナー・クラックフィールド、そしてサリ・ペスティめ! 覚えていろよ、貴様らに地獄、を……?」
ふと、あたりを見る。
森の中でも洞窟の中でもない。見たことのない砂漠。
遠くにはものすごく大きな建物があって、それが無限に続く砂漠の風景をさえぎっている。
……なんだ、ここは。
ふと足もとを見る。
自分が確保していた魔王の気配が、さっぱり消失していた。
(な、……なにが、起きた!?)
混乱する。
そしてそもそも、俺はそこで、自分がどうやって撤退したのかを覚えていないことに気がついた。
(ここはどこだ? 俺はどうやってここにやってきた?)
最後に覚えているのは、隠しておいた二体目の魔王をサリ・ペスティに看破されたこと。
否――その後になにか、声が聞こえ、て……?
「あー!」
「ん?」
声に振り返ると、見たことがない岩巨人族のガキが――いや、見たことが、あ、る――?
「この腐れ戦神がー! 成敗っ」
「あいた!?」
いきなりすねを蹴られた。
「こ、この、貴様なにをするかー!」
「うるさい死ね悪神めがー! わらわのしもべを傷つけた罪、その身体であがなわせてくれるわっ」
「うらー!」
「ふがー!」
じたばたと暴れ回る。
というか、
「か、神の力が出ない……! おいちび、貴様なにをした!?」
「そんなもん知ったことか! というかちびとか言うな! おまえだってちびのくせに!」
「なにをこのー!」
「やるかー!」
「はいはい二人とも、その程度で止めておくように」
いきなり湧いて出た言葉に、ぎょっとして動きを止める。
女、だった。
東方風の衣装と、眼鏡が特徴的だ。年齢はよくわからない。外見から判断すれば17、8くらいか。
が、外見だけで計れそうにない、妙な重圧があった。
がきんちょのほうは、む、と眉を寄せて、
「パルメルエではないか。貴様が図書館から出てくるとは珍しいな」
「騒がしくなりそうな気配を感じたので。
初めまして。混沌のバルメイス、戦神の片割れよ。
我が名はパルメルエ。現在、神託の巫女にして聖典の管理者、無限図書館の司書を務めております」
「混沌の……!? なんだ、その呼び名は!?」
聞いたことのない単語に、戦慄と共に尋ねる。
相手は、特に目立った感情を見せなかった。
「昔からそう呼ぶのですよ。神話システムのバグによって生じた実体のことを。
普通は自動で修正されて消失するのですが――あなたの場合、複雑な事情によって消すことができなくなっておりますので。そこの子と立場は同じですね」
「む。そうなのか」
なぜか胸を張る、岩巨人のがきんちょ。
「こん、とん。神話の、バグ、だと?」
「ええ。
まあ、ライナー・クラックフィールド=バルメイス氏の影というところでしょうか」
――なにかが切れた。
「貴様、訂正しろ!」
光の槍を大量に出し、相手に叩きつけようとする。
が、
「『読み手は』『拒む』『神話の』『修正を』」
がつん、と世界が揺れた。
相手の、よくわからない、そのくせ意味だけは身体に浸透してくる言葉。その言葉を聞いた途端、世界そのものが揺れ――槍を、すべて打ち砕いた。
「な、にぃ――!?」
「聖典の読み手に運命律の操作は無意味。
それ以前に、事実を暴力でねじ伏せようとしても無理でしょう。落ち着きなさい、混沌のバルメイス」
「事実だと!?」
「ええ」
彼女は淡々と、まるで事務手続きでもしているかのように言葉を紡ぐ。
それが、こちらにとってどれほど致命的なものであろうと、一切意に介さないと宣言しているかのように。
「神話の記述――『バルメイスは狂神である』『バルメイスの剣を抜けるのはバルメイス』と、『ライナー・クラックフィールドはバルメイスの剣を抜ける』という事実により、ライナー・クラックフィールド=バルメイスは狂神でなければなりません。
そのため、彼は狂う予定だったのですが、いくつかのアクシデントが重なりまして」
「いくつかの……アクシデント」
「まず第一に、ライナー・クラックフィールドが、自らの名を宣言してしまったこと。そして、それによってバルメイスの神威が発動したこと。
これによってライナー・クラックフィールドの身分が極めてややこしいことになった。ここでおそらく、誰かが介入しています」
「誰か……誰だ?」
「さて、そこまでは。
ともかくこのタイミングで、『バルメイスの剣を抜けるのはバルメイス』という神話の記述が『外典化』した。ここで言う『外典』というのは、正しくなかった神託のことですが。外典は正しくないことが証明されているにもかかわらず、神話としての力を保ち続けます」
「…………」
「そこで、バルメイスでないライナー・クラックフィールドは、相変わらず狂う可能性の呪いを身にまとっていたわけですが。今度は岩巨人族の『生贄』が、その呪いを祓ってしまった。その結果として、『狂う予定だったライナー・クラックフィールド』という、外典上存在を約束されているものが宙に浮き、混沌となって現世に残った。
それがいまのあなた。混沌のバルメイスです」
彼女は最後まで事務的に言って、言葉を閉じた。
……意味が、よくわからない。
わからない、が。
「では、俺は……バルメイスでは――」
「当然、別人です。本物のバルメイスなど、とっくの昔に死んでいますから。
まあ、神話はあなたとライナー氏、両方ともをバルメイス神の代理と認識しているようですが」
司書、パルメルエは淡々と言う。
「本来なら混沌は消えるが定めなのですが、あなたは役割を終えていない。
ライナー・クラックフィールド=バルメイスが狂うか死ねばあなたも消えるのでしょうが、いまのところその様子はありませんので。当面は消える心配は――
バルメイス。聞いているのですか、バルメイス?」
呆然と、立ち尽くす。
狂神でないなら、俺はいったいなんなのか。
否。……俺という存在は、そもそもなんだったのか?
単にそうあるべきと思って暴れ、殺し、戦った。
そうあるべきと思ったのに。
「俺は――どうすればいい?」
問いに、司書は関心がなさそうに肩をすくめた。
「さあ?
その程度、自分で決めなさい。せっかく生きてるのだから」
「で、俺はなんで本の片付けなんかしてるんだ……」
「ぶつくさ言うな。お菓子のためにきりきり働けーいっ」
「……おまえも働けよ」
疲れた顔で言う。
『暇だったら作業を手伝ってください。報酬として、お菓子くらいは出しますよ』
とパルメルエに言われ、なんとなく流れ的に図書館の一室に通され、こうして片付けを手伝っているのだが。
(あいつには絶対見せられないな)
あの、ライナーとかいうガキ――否。俺の本体のことを思い返す。あいつはぜったい指さして笑う。根拠はないが、ぜったいだ。
「というか、俺はなんで無の砂漠なんかにいたんだ。さっぱりわからない」
「ん? ああ。なんだ、そんなことで悩んでいたのか貴様?」
くだらない、というような調子で、言われる。
「なんかよく知らんが貴様もわらわと同じようなものなのだろう?
なら、同じように本体のところと聖典世界を行き来できて当然ではないか。なにを疑う」
「……同じ?」
それは、つまり。
「おお。なんでもパルメルエによると、わらわはその、とんとん?」
「混沌」
「そう、それそれ。それなのじゃと」
なぜか胸を張って言う。
「よくわからん。おまえ、あの大巨人の中身に入っていた奴だろう。
自分が大巨人の本体でない、それでいいのか?」
「ん、まあべつにわらわが女王であるということには変わらぬじゃろ?」
「えー」
「なんじゃその態度は。
貴様だってそうであろう、悪神バルメイス。ほんとんだろうがなんだろうが――」
「混沌」
「……混沌だろうがなんだろうが。貴様はバルメイスでわらわは女王じゃ。
ほれ、パルメルエも貴様をバルメイスと呼んでおったではないか?」
「それはそうだが――」
「おうおう、あったあったこの本じゃ!」
「……片付けてるんじゃなかったのかおまえ」
「いいから見よ。わらわについての記述がある本じゃ」
言って、本を差し出してくる。
ラベルには、「外典 女王について」とあった。
ぺら、とめくると、そこには。
終末の刻。
最後の王国に、七人の賢者が集う。
『女王』は座して視る。
賢者が剣を抜き、
かくして打ち砕かれた剣の塔は終焉を迎える。
混沌は放たれ、
終末は始源に至り、
すべてがすべてになる。
「……意味不明だな、って痛っ!」
「貴様わらわを侮辱するかー!」
「おまえマジブッ殺すぞこらー!」
「ふんぬー!」
「うらー!」
「やめなさい二人とも。……××から×××ぶっ刺して××の餌にしますよ?」
ぴた。動きが止まる。
パルメルエは、ふう、と吐息して、
「わかればよろしい。
……まったく、こんなに散らかして。これでは片付けを頼んだ意味がないではないですか」
「ふん、わらわの本を侮辱したこいつが悪いっ」
「わらわの本……ああ。あの外典ですか。また取り出したのですか」
「外典?」
先ほども聞いた言葉だ。
パルメルエはうなずいて、
「ええ。外典と分類された神託の類は正規の蔵書から外れ、この書庫に移動されます。
その本もそのひとつ。女王について記された、神話における唯一の記述です」
「……唯一、だと?」
「ええ。
意外に思われるかもしれませんが。岩巨人族から信仰を集める女王は、聖典にはそれ以外の記述がないのですよ」
それは、確かに意外だった。
あれほど強力な神格であれば、神話の中に記述が大量にあって然るべきだろうに。
逆に、それしかないのにどうしてその女王とやらが重要な神格として位置できるのか、疑問だ。
……まあ、それより。
「間違ってるんだったら意味ないじゃんその本、って痛っ!」
「貴様わらわを侮辱するかー!」
「……いや、いやいやいや。実際問題そうだろ。神託とかそういうのが間違ってたら、ぜんぶ台無しじゃないのか?」
パルメルエにそれとなく同意を求めてみる。
が、彼女は苦笑して首を横に振った。
「いえ、意味ならありますよ。
というか、先ほども言ったでしょう。間違っていようがなんだろうが、外典は聖典としての力を持ちます。たとえば、この記述をなんらかのやり方でなぞれば、世界を滅ぼすことも可能でしょうね」
「……そいつは物騒だな」
「それが神話システムなのです。融通が利かないんですよ、わりと。
さて、無駄話はともかく。お菓子の用意はできましたから、休憩にしますか?」
「わーいっ。お菓子お菓子っ」
言うが早いか、ガキは部屋を出て行ってしまった。
「こういうときは迅速だな、あいつ」
「ええ。まあいつものことです。
さあ、あなたも来なさい?」
「……なあ。俺は、ここにいてもいいのか?」
「特に問題ないでしょう。暴れたりすれば別ですが。
ほら、早くしないと紅茶が冷めますよ」
急かされるままに、部屋を出る。
……どうも、この場は調子が狂う。
調子は狂うのだが。
(いまのところ、ここにいるのも悪くないか……)
それを心地よく思う自分がいるのも、事実なのだった。




