十一日目(6):悪神、強敵を下す
人がごった返す洞窟の中で、知った顔を見つけた。
「お、えらく忙しそうだな、カシル」
「貴様か、センエイ・ヴォルテッカ。
――ってうわ!? なんだその傷、えらく負傷しているじゃないか」
「そうでもないよ。仮にも戦神に斬られたんだ。こりゃ軽傷のうちさ」
「い、いきなりな奴だな。というか単身であれに挑んだのか。よく生きて帰ってこれたな、おまえ。信じられん」
「ん。まあ魔女なんて根本的に信じられないもんだがね」
「おまえは特別だろう」
「そうかな。んーまあそうかもしれん」
「治療するか?」
「いい。だいたいの処置は自分でやったし、君らも忙しいだろ」
あたりは、負傷者の搬送やらなにやらでだいぶごった返している。
「とはいえ、戦闘は終わってるみたいだな。なにがあったんだ?」
「いや、それがな。敵が急に消えたんだ。
どこにいったのかもわからなくてな、いちおう周囲を警戒し続けてはいるんだが――」
「敵が消えた、ねえ。前触れもなにもなく?」
「いや。そのとき前線にいた兵士の話じゃ、狼たちが一斉に戦闘を停止して、後ろに向き直ったらしいんだ。それで、急にぜんぶ消えた」
「死んだって感じじゃないな、それだと」
「ああ。親玉の狼も倒してないしな」
ぴく、と眉が上がる。
「親玉? 初耳だが」
「なんだよ。報告が行ってないのか? バルメイスと遭遇して、あいつが魔王とか呼ぶでっかい狼を置いていったんだよ」
「ああ、そうなのか。
いや、本隊とはちょっと別行動取ってたんでね。ここしばらく情報をもらってないんだ。
魔王ねえ。すると、それが狼どもの本体かな」
「……本体?」
「ああ、あんたたちは気づかなくても無理はないな。
この狼な、ぜんぶ影だよ。光狼みたいな風体を装っているが、本体は魔狼だ」
そこらに散らばった死体を指して、言う。
「土台からおかしいんだよ。魔狼を最初に見たころから、アレは量産できるものじゃないって思っていたからな。
で、影じゃないかと考えた。魔狼を影として使役する魔王を呼び出したとすればつじつまは合うからな。グラーネルの爺さんも、なかなか考えたもんだ」
「すると、この黒幕は――」
「ああ、いや、それはないよ。もし爺さんが黒幕だとすれば、バルメイスなんて生かしておかないだろう。
たぶん爺さん、間抜けにもアレに殺され……てはいないか。さすがに。だがまあ、対処できずに逃げざるを得なくなって、その設備を乗っ取ったアレが、こうやって襲いに来ている、と」
「そうかい。まあそれはどちらでもいいが……」
うんざりしたように、カシルが言った。
「問題はだ。どうして敵が消えたんだろうな? それがわからんと警戒も解けん」
「ああ。それか。それは簡単な理由だろう」
「?」
「いいか。君らはこちら側の主戦力だった。いくら神話の軍勢ったってこの規模の戦士団は普通に脅威だからな。だから敵は主戦力を君らにぶつけたんだ。
それで、それが君らの前から姿を消した。なら、答えはひとつだ」
「というと?」
まだ事態を飲み込めていないカシルに、センエイは邪悪な笑みを見せた。
「もちろん、君らを上回る脅威が現れたのさ。この戦場のどこかにな」
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「うわあああああああ!?」
悲鳴。
その悲鳴とともに、空間から十数体もの狼が出てきて、わたしに向かって突撃する。
わたしは――見向きすらしない。
しないが、周囲の短刀群が自動的に反応した。
ざくざくざくざく、という鈍い音。それで、その狼たちが一斉に絶命する。
……弱い。
いちおう彼らも微弱ながらイェルムンガルド外殻を帯びているのだが、わたしの短刀には魔術の加護がある上、いまのわたしのイェルムンガルド外殻の力がそれらを相殺してしまう。
そうするともう、この狼たちはただの狼でしかない。はっきり言えば、敵にもならない。
なるほど、たしかに逆さ捻子と同じだ。
時間を経て増殖はするが、強くない敵。わたしにとって、最も相性のよいタイプだ。
「おまえ、おま、おあ、まえ、おまえは、なんだああああ!?」
「煩い。雑音を囀るな」
鼻をつく異臭に眉をひそめながら、言う。
……あたりはすでに、人の領域ではない。
足の踏み場もないくらいの死体、死体、死体。数えてはいないが、たぶん千は超すだろう。
たいした量はいなかった。楽でいいと思う。
「バルメイスはどこ。言いなさい」
「ひ、ひは、ひ……!?」
「言いなさい」
「あ、あ、ああ……!」
震える指が、洞窟の一方の通路を指す。
「そう。――じゃあね」
背を向け、歩き出す。
その、背後で。
「は、は、あ、あは、あはははははは……!
油断したなあ! 魔王、行けぇ!」
声とともに。ぞん、という音がして、空間からなにかが猛烈な勢いで飛び出してきた。
「――そうね。それを忘れていた」
振り返りすらせず、つぶやく。
「陣形『剣乃舞』、準備――
ついでだから。それも片付けておく」
ぱちん、と指をひとつ鳴らして。
背後で、獣の悲鳴が響いた。
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「ぐ、があ……」
どす、と、片膝をつく。
それでも、なお眼光は鋭く。
斧は手放さず、こちらをにらみつけている。
「我が最強の技を食らって、なお息絶えぬか――
今日は二人目だ。正直、傷ついたぞ。岩巨人」
「…………」
「ふん。だが、それも終わりだ。素晴らしい戦士だったが、神格差を埋めきるには一人ではどうにもならん」
「そのようです。残念……ですが」
「で、そろそろよかろう。なにが目的だった、戦士」
問う。
「いい加減話してもよかろう。貴様の強さに敬意を表して、策略には乗ってやった。ならばそろそろタネを明かしてもらいたいものだ」
「……それはできません。私は、そのタネとやらを知らないのですから」
「なに?」
相手は苦しげに息を吐きながらも、淡々と答えた。
「ただ、私は主の指示に従ったまでのこと。その指示がなにを意味するかについては、なにも知りません」
「馬鹿な。では、貴様は自分がなぜ戦っているかすら知らぬというのか」
「然り」
呆れた。呆れた阿呆だ。
「理解できんな。貴様ほどの優秀な戦士が、木偶のように他人に仕えるなど。
主に不満は持たぬのか? 自在に力を振るいたいとは思わぬのか? そうでないならば、その力はなんのためにある」
「……理解できぬのはお互い様でしょう。我が力は、――ただ、奇跡の実現のために」
言い残し、相手は沈黙した。
「気を失ったか――まあいい」
とどめを刺そうかと思って、思いとどまる。
「結局、名を名乗らなかったか。これでとどめを刺すのは些か不本意だな」
あの技を食らってなお、生きた褒美だ。首くらいはつなげておいてやろう。
ともかく、今は本来の用に戻らなければならない。
様子を見るために意識を集中する。
……?
(これは……なんだ?)
反応がない。
あの無能に権限の一部を委譲したとはいえ、自分が根本的にあの魔王の主であることには代わりはない。
だから、彼らを通じて情報が入ってくるはずなのだが……
(一切、情報が返ってこない――ち、まさか魔王が我が支配下を脱したか?)
それは神話の律からすれば恐るべきことだったが、自分にとっては今更どうということもない。
ただ、機能を使うことができないのが不便ではあった。これでは戦場の情報を見ることができない。
(――やむを得ん。奴の神力を頼りに追うか)
手こずったせいかだいぶ相手には離されてしまったが、まだなんとかなるだろう。
最悪、竜母とやらと戦うことになるが……
「この程度で切り札を使い果たしたと思うなよ、雑魚ども」
不敵に笑ってつぶやくその足下に、得体の知れない気配がうごめいた。
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「ふふ――やはり生きておられましたな」
目の前の幻像を相手に、彼は言った。
「まあ、ちと怪我したがな。
事前にレイクルに身代わり人形を作ってもらっておいて正解だったわ。あれがなければ、いまごろ儂は真っ二つよ」
「あの変態的な人形遣いですか。案外役に立つものですね。
と、それはそれとして。あの戦神とやら、どうするのです?」
「ああ、さしあたり魔王は回収した」
あっさり、幻像は言った。
「できたのですか? そんなことが」
「ふん。儂を誰だと思っておる。
と言いたいところだったが、きわどいところじゃったのう。もう少しで本当に死ぬところじゃったし……それに、もう片方についてはこれからじゃ」
「となると、彼には負けてもらわねばなりませんかな?」
「否じゃ。タイミングを見て、奴には声をかける。我らの仲間として働くように」
「ほう。御せる相手ですかな?」
「あの程度の混沌、操ることなど造作でもないわ。
ま、そのへんは儂に任せておけい。貴様は――そうさな。もうその集落近辺は気にしないでよかろう。そろそろ、先手を打って動いておくがよい」
「ふう。仕方ありませんな。
――時に、我らが王子殿は?」
「ああ。予定が狂ったのでな。奴にも声をかける。
どうせいまさらあちら側には戻れまい。ならば、交渉次第で奴もこちらにつくであろうよ」
「まさに。素晴らしいことです。
では、その形でよろしくお願いしますよ」
幻像が消える。
「さて。うまく行けばよいのですがなあ。
これだけ投資したのです。元が取れてくれないと困りますな」
つぶやく声を、誰も聞いていなかった。
【現在の戦況】
カシル……交戦相手がいなくなったので負傷者の手当てをしつつ休憩中
ドッソ……バルメイスに敗れ戦闘不能
サリ……魔王を瞬殺
その他……ナーガの巣に移動中




