十一日目(5):悪党、避難中
「はあ、はあ……!」
息が切れる。
全力で。ともかく全力で走る。馬車でかなりの距離を行ったせいか、ひどく遠い。
それでも。もう集落は目の前だ。あと一息なのだから、急がないと。
あと一息で……
その足が、ぴたりと止まる。
「――あ」
集落の入り口近くにある、開けた場所。
そこに、見慣れたひとが待っていた。
「よお、サリ」
「センエイ……負傷しているの?」
「いきなりキングを狙ったんだがなあ。かっこわるいことに撃退されちまった。情けねえ」
地べたに座って休みながら、センエイは笑った。
――なぜだろう。
負けて倒れているだけのはずなのに、いつも彼女の笑みは、不敵で挑戦的だ。
「一応カシルの奴に押しつけてきたが、ありゃだいぶ苦戦してそうだな」
「相手が相手だから。当然」
「そりゃそうだ。まあそれはおいおいどうにかするとして――ほらよ」
放られたものをキャッチする。
……水袋。
「センエイ、これは」
「消耗しすぎだ、サリ。ちょっと休め」
「でもわたしは、」
「サリ。いまの君には無限の回復力はないんだ。以前と一緒に考えると失敗するぞ」
言葉が止まる。
ため息をついて、わたしはセンエイの横に座った。
……あ、のど、乾いてる。
水袋に口をつけて、一息。
「まいったなぁ。一応、相手の必殺技の正体は見切ったんだが。かわしきれなかった。かっこわりぃ」
「でしょうね。
秘神断裁。斬撃による傷という「概念」を、相手の身体の上に召喚する神威よ。
センエイでなければ、見切っても対処すらできずに切り伏せられたと思う」
「だろうね。
――へえ、その言い分だとあの技も見たわけか。勝てそうか?」
「たぶん」
「頼りないね。こう、もうちょっと景気のいいことは言えないのかい? 逆さ捻子の虐殺者、サリ・ペスティに不可能はない、とかさ」
「その二つ名は嫌いだって言ったでしょう。……そもそも、逆さ捻子山地の戦いはそれほど特別?」
「特別だと思うんだがなぁ。ま、今回の状況は特に、逆さ捻子にうり二つだってのもあるがね。
時間を経て増えていく敵。サリ・ペスティの機構とは、最も相性のいいタイプだな」
「そうね」
これからわたしがやろうとしていることを、センエイはおおむね見切っているらしい。
やはり、彼女は大賢者だ。情報が出揃えば、見通せないことなどない。
だから少し、聞いてみたくなった。
「センエイ」
「ん?」
「わたしは――弱くなった?」
「そうだな」
即答。
わたしは、吐息した。
「魔物。取らないほうがよかったかな」
「バカ言え。それが君の悲願だろう。いまさら悔やんでどうする」
「うん」
「それに、弱くなったのは魔物が取れたからじゃない。その前から――ずっと前から、サリ・ペスティは弱かった」
顔を上げる。
センエイは、なにを考えているかよくわからない、だが不敵な笑顔のままで、
「そうだろう。私を圧倒した頃や、逆さ捻子の頃とは、今回のサリ・ペスティは段違いに弱い」
「それは――」
「周囲が見られなくなっている。冷静な判断ができないことが多くなって、結果として魔物や竜に遅れを取ったこともあった。
いまもそうだ。……魔物がいようといまいと、今のサリは、『あの』サリ・ペスティには、なりきれていないんだ」
「そうね」
「後悔しているか?」
いつか聞いた質問。
あのときは……そう。「今は、まだ」と答えたんだった。
だけど、もうそれは変わっている。
「後悔することなんてない。だいたい、そんなことする暇もない」
「だろうな。……あー、やっぱ憎らしいなーライくん。殺しちゃおうかな」
「わたしを相手にして勝てるなら、いつでも」
「ちぇ」
笑って、そしてセンエイはなにかをわたしに差し出してきた。
「センエイ、これは」
「サリ・ペスティにはこれがないとな。――自分で作ったんだろう?」
「うん。このために、神聖文字を勉強した」
――そう。
短剣『新月』。魔物にとっての猛毒にするためだけに癒しの付加効果を付けた、わたしの剣。
……わたしの、最初の作品。
「まあ、弱くなったサリを見るのも、面白かったけどさ」
表面上はあくまで陽気に、彼女は言う。
「そろそろ飽きた。また見せてくれよ。
――『あの』サリ・ペスティを、もう一度見せてくれ」
剣を腰に戻して、立ち上がる。
「センエイ」
「あん?」
「助言、感謝しておく。……後は、あなたが見たいものを見ればいい」
センエイは、くく、とのどを鳴らした。
「いいぜ。凄くいい。やっぱこうでなくちゃな」
「行ってくる」
「おう」
声を残して。
そして、わたしはまた走り出す。
(まずは――雑魚を一掃する)
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「ち、案外強いな!」
ざしゅ、と相手を切り払いながら、俺は叫んだ。
「当たり前だろ、ライ! 光狼ってのはな、伝説級の化け物だぜ!?」
「おーら、無駄口たたくなコゴネル! 馬鹿やってると死ぬぜ?」
ざくざく狼を切り刻みながらバグルル。……案外強いんだなー、このおっさん。
いま、俺は魔人のみんなと一緒に戦いながら、ナーガの下に行こうとしているところだ。
こちらの戦力はバグルルとコゴネルとテンとペイ、それとリッサ。これらに加えて、岩巨人の里の戦士たちも多い。おかげで、そんなに苦戦せずに移動ができていた。
相手の狼は、もうほとんどこの場にいない。いまバグルルが倒した奴で、だいたい最後だ。
これなら、わざわざキスイと別行動するまでもなかったように思うのだが……
「――妙だな。少なすぎる」
「え?」
コゴネルの言葉に、聞き返す。
「攻撃が手薄すぎる。カシルがある程度足止めしているにしても、この量ってことはないはずだ」
「……えーと、それは」
テンのほうを向いて、
「どう思う?」
「ふむ。どうでしょう。敵がア・キスイの方を重点的に攻めている可能性があるということですかな?」
「そうだったらまずいな、という程度だがな」
「え、ええええ?」
慌てるリッサ。
テンはしかし、いぶかしげな顔で、
「しかし理由がありません。ア・キスイには神力を極力抑えて頂いておりますし、そうすると相手がそちらに行くはずは――」
「関係ねえよ。相手の数に帳尻が合わなかったら、そりゃ要するに他の戦場にいるってことだろ?」
「いや、コゴネルの言うこともたしかなのですが、相手の動機が――」
『そんな悠長な時ではないぞ、皆!』
「トゥト!?」
突然響いてきた言葉に、身構える。
『増援を求める! このままでは、こちらは長く保たぬぞ!』
『ちょっとお、この数多すぎぃ! なによこれぇ!?』
『しかく~※』
『早く!』
残りの魔人たちからの声が響いて、そしてぷっつりと途絶える。
たぶんハルカの使った遠隔通信術式だろうが……言葉を受けて、周囲の岩巨人が急激にざわめき出した。
当然である。キスイを守ることこそが、彼らの第一目的なのだから。
「どうする?」
とりあえず、コゴネルに問う。
「――仕方ない。俺たちを始めとして、防御の幾ばくかをあっちに振り分けよう」
「俺は? 合流したほうがいいんじゃないか?」
「ダメだ。敵の狙いはたぶんあくまでライだろう。
ライが行けば、バルメイスが来る。最悪の場合、どっちかが助かる選択肢を取っておかなければまずい」
「……そっか」
「ご本尊が出たらすぐに連絡しろ。
いまは、俺たちもキスイ側に向かう」
「わかった」
ふと、リッサと目が合う。
「え、あと、その、ボクは――」
「あんたはここにいろ」
「……はい」
「頼りにしてるぞ、リッサ」
「う、うんっ」
俺の言葉に、リッサはうなずいた。
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静かに、目を開けて立ち上がる。
岩巨人の中でも特に大きなこの体躯は、比較的小さな相手を自然に見下ろす形になった。
「ふむ。驚いたな。
――なぜ、ここに戦士がいる?」
相手の声には、多少のいらだちと驚きが混ざっている。
「……」
「いまの主戦場はここではなかろう。臆して逃げたか?」
「……」
斧を構える。
相手の目が細くなる。
「どうやら違うようだ。貴様ほどの戦士が、臆して逃げようはずもない」
「……」
「すべてを予測してここにいたのか。それとも偶然か?」
「問いましょう。死合う前に無駄口をたたくのが戦神の流儀ですか」
静かに、だが挑発的に、言葉をつむぐ。
相手は凄絶に笑った。
「それは、俺と殺し合いをしようということか?」
「応」
「岩巨人ごときが大言を吐く。
確かに立派な体躯をしているようではあるがな、単身でどうやって我が神格に対抗する気だ?」
「やってみればわかりましょう」
「それはそれは。で、どうするのだ、貴様――」
言い終わる前に、すさまじい火花が散った。
全力で踏み込んでの一撃を、相手の剣が受け止める。が、圧でこちらが勝った。
たたらを踏んで、戦神は数歩、後退する。
そして舌打ちし、凄まじい目でこちらをにらみ返した。
「……貴様、その斧は」
「アルクリメソゥダの斧。かつてのあなたの御同輩から、我らが祖が奪った戦利品です」
平然と言う。
かつて、若き日の武者修行の際に得た斧。対神格への攻撃に特化した、祭器の一種だった。
普通の武器ならイェルムンガルド外殻に押されて相手に当てることは難しいのだろうが、この斧ならば、当てることくらいはできる。
そして当てられさえすれば、――この威力を前に防ぐ手段など、そう多くはない。
「不意打ちで決着する卑怯を鑑み、一撃目は加減しました。
次からは首を取りますので、お覚悟の程を」
「貴様っ……! なめるな!」
目の色を変えた相手が、剣を構える。
――それが。死闘開始の合図になった。
【現在の戦況】
カシル……相変わらず魔王と交戦中
センエイ……バルメイスと戦い戦闘不能、戦線離脱
ライ……ナーガの巣に移動中
キスイ……やはりナーガの巣に移動中、光狼と交戦
サリ……戦場に到着
ドッソ……バルメイスと交戦開始




