二日目(2):悪党、ごはんを食べる
昼飯としてもらったスープの残りをパンでぐりぐりしながら、俺はさっきのことを考えていた。
(……聞くべきじゃなかったかな)
なんだか無理にしゃべらせてしまったみたいで、ちょっと後味が悪い。
それに、無粋な詮索だったような気もする。
『名前はグラーネル・ミルツァイリンボ。強力な霊魂技師で、邪悪な実験を何度も繰り返して多数の国からお尋ね者になっている。
術の研究のためと称して村ひとつを全滅させたこともある、悪名高い人物だよ』
語っているシンの表情が、妙に印象に残っていた。
(まあ、そりゃ複雑だわな。自分の師匠を殺そうとしてるわけだし。しかし……)
「あいつら、大物だったんだな」
つぶやく。
なにしろ、王から依頼がくるほどの腕前だ。たぶん、そこらの魔人や魔女など問題にもならないくらい強いのだろう。
(そういや、シンも『サリの鑑定は世界有数』とか言ってたしな。考えてみりゃ、あのとき気づいてしかるべきだったんだ)
どうも、釈然としない。
ひとつには、あのぼーっ、としたサリのイメージと『強大な魔女』という言葉から連想されるイメージがまったく合わないということもある。
(変わり者だってのは事実だけど、特におかしなやつでもないんだけどなぁ)
思いながら、俺はパンを口のなかにほおばり、遠くのサリに視線を移した。
………………
…………
「あれ?」
我に返って、俺は目を数回しばたたいた。
「あいつ、あんなとこでなにやってんだ?」
目の錯覚ではなかった。
サリは炊き出し場から遠く、隊の休息用に確保したスペースのちょうどはずれのあたりで、その外側をじーっとながめている。
傍目から見て、ぼーっ、と突っ立ってるだけに見えた。
(飯、食ったのか、あいつは?)
とりあえず、近寄って聞いてみようと思い、俺は立ち上がった。
「よお。なにやってんだ?」
言われて、サリはぼーっとした目で俺を見返した。
「…………」
「おーい、起きてるかー?」
ぶんぶんと目の前で手を振ってみる。
反応、なし。
「って、ほんとに寝てるのか?」
「…………」
「サリ、起きろー」
「…………」
「…………」
「…………」
俺は、口に小指を突っ込んでびろーんと伸ばし、舌を出した。
「べろべろばー」
「…………。
馬鹿?」
ぐさっ。
かなり傷ついた。
「な、なんだよぅ。俺はただ、おまえが寝てるのかどうか試しただけだろ」
「呼吸を見ればわかる」
「呼吸?」
「寝てる人は、呼吸がゆっくり。
自分の呼吸と比較すれば、一目瞭然」
「そんなこと、言われなきゃ気づかないって」
「ライが無知なだけ」
ぐりぐりと、傷ついた心に追い討ちが入る。
「?」
「不思議そうな顔で見ないでくれ。頼むから」
自覚すらなく再起不能に陥らされたと思うと、なおさら情けない。
頭をぶんぶん振って気分を切り替える。それで、ようやく俺は当初の目的を思い出した。
「で、おまえ、なにやってんだ?」
「見張り」
今度は即答だった。
「見張りって、なにを見張るんだ?」
「魔物」
「魔物……?
って、昼休みにか? ちゃんと昼飯は食ったのかよ?」
「食べてない」
「倒れるぞ? んなことしてると」
「休憩が終わったら、見張りは他の人に交代する。
その後で、残り物をもらって食べればいい」
「冷めちまうだろ、スープとか」
「特に問題ない」
「はぁ……ったく、しょうがないやつだな」
俺は炊き出し場のほうを指して、
「行ってこい」
「…………」
「ほら、俺が代わりに見ておいてやるから」
「でも、」
「却下」
「……まだなにも言ってない」
「まずい飯、食わず、作らず、食べさせずってのがクラックフィールド家の家訓でな。
その家訓に賭けて、冷えた飯なんか食わせるわけにゃいかねーんだよ。俺は」
笑って、それから俺はまだ逡巡しているサリをせき立てた。
「ほら、さっさといけっての。飯が冷めちまうだろ」
「…………。
行ってきます」
言った瞬間、サリは猛スピードで炊き出し場へと駆け出した。
「あせってコケるなよ~……って、もう聞こえないか」
あいかわらず、とんでもなく足が早かった。
苦笑して、俺はさっきまでサリが見ていたほうを向き直る。
べつに不審なものはなにもない、野原だった。
(さっきシンも言ってたけど、本当に見晴らしがいいなぁ)
紫の街道は『くらやみ森』を南北に横切る道だが、このあたりはちょうど、森からはみ出ている部分なのである。
そのため、向かって右手側の、それもかなり遠くにしか、森の黒い木々は見えない。
左手側には、シジンの原、という名前が付けられた広大な草原が広がっている。
地図によれば、この草原を抜けた先にステッジ・コースという大きな港町があるらしいが、それは地平線のはるか先だ。
(まあ、草原を通っていけるわけじゃないんだけどな)
空を見上げると、遠くの空を優雅に飛んでいる巨大な生物の姿が見えた。
弧竜、という名前で呼ばれる生物だ。
なぜか街道筋には近寄ってこないのだが、それ以外の場所はヤツの縄張りだ。
草原を走って突っ切ろうとすれば、まずあれの餌食だろう。
(怖い怖い。せいぜい、街道から離れないようにしないとな)
考えつつ、視線を空から地面に移す。
と、
(あれ?)
いま、なにか光ったような……?
よくよく目をこらすと、どうやら草原のまんなかに光っている場所があるらしい。
きれいな、金属的な輝きだった。
つまりは、槍とか剣とか、そういうやつ。
(おいおい……あれ、ひょっとしてまずくないか?)
確かめにいくか――とも思ったが、間違って弧竜に食われるのもぞっとしない。
考えていると、たたた、とこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「お?」
見ると、スープの器とパンを持ったサリが、今まさにこちらにもどってきたところだった。
「どうした? さっさと食ってくればいいのに」
「ここで食べる」
「……俺、そんなに頼りない?」
「それもある」
遠慮のカケラもなく、サリは言った。
「せめて、なんかフォローしてくれてもいいのに……」
というか、最初から期待すべき相手じゃなかった。
「異常は?」
「ない――と言いたいところなんだけど。あれはなんだろう?」
言って、草原の光を指差す。
「…………。
たぶん、宝石虫」
「ほーせきむし? なんだ、それ?」
「宝石みたいな甲羅を持っている虫。地面に穴を掘って巣をつくり、周囲の草の根っこを食い尽くす。
畑を荒らす害虫だから、みんなの嫌われ者。ちょっとかわいそう」
つまりは、ただの虫だった。
「俺はまた、どこかの野盗が槍でも持って隠れてるのかと思ったよ」
「野盗は竜を恐れるから、ちがうと思う」
「そうだな」
食われなくてよかった。
サリは、そんなことにはたいして興味もないようで、無表情にパンをかじっている。
もぐもぐ。
もしゃもしゃ。
ごっくん。
「パンは、味がないから、好き」
無表情だが、どことなく幸せそうだった。
「ま、いっか。それじゃ、そろそろ俺は行くぜ」
言って、立ち上がる。
と、その俺の腕をサリがつかんだ。
「なんだよ?」
「ライ、これからどうするの?」
「これからって、休憩が終わった後か?」
「そう」
考えてみれば、俺は護衛の仕事をどうやってやるかとか、その辺のことがぜんぜんわからない。
「なにやりゃいいんだろう……」
「あとで、わたしたちの馬車に来てほしい」
「魔人たちのか?」
「そう。ミーティングするから」
そういえば、警備は魔人たちが助けてくれるって言ってたっけ。
(だいたい、俺より魔人たちのほうが絶対強そうだしなぁ……)
ナイフなら使い方もある程度わかるが、剣なんて振ったことがない。しかも、よりによって呪いの剣ときてる。
それに、ケンカ以上の戦いをしたことがあるわけでもない。もめごとが起こったら、まず役に立たないだろうという自信があった。
(そのあたり、こいつに聞いておいたほうがいいか?)
「なあ」
「なに?」
「後で、こいつでの戦い方を教えてもらえないかな」
剣を指して、言う。
サリはちょっと考えてから、
「わたしは短剣を使ってるから、教えるのは無理だと思う」
「いや、剣の長さとか、それ以前の初歩的なことを知りたいんだけど。振り方とか」
「敵が前にいるときに振れば、殺せる」
「……そりゃ、そうだけど」
「それ以上のことを知りたいのなら、やっぱりわたしには教えられない。
長剣と短剣は、弓と槍くらい戦い方が異なるから」
「そんなもんなのか」
「シンは、たぶん長剣を使えるはず。
彼に聞けば、ひょっとしたら教えてくれるかもしれない」
言われて俺は、シンが剣を振るさまを想像しようとした。
「…………。
って、そもそもあいつ剣持ってないじゃん」
「魔術で剣を作るの」
「あ、そうなのか」
なるほど。さすが魔人。
「腕は問題ない。保証する」
「わかった。後で聞いてみるよ」
とりあえず、めどは立った。
「んじゃ、休憩が終わったら合流することにするわ」
言って、俺はその場を後にした。