十日目(1):悪党と関係のない殺伐
「ふん。で、これがその剣――というわけか、シンよ」
「ああ。確認してくれ」
「確認するまでもないわ。剣に染みついた拭いがたい神鳴る呪塊、これこそ我が求めるものに相違ない」
愛おしそうに、老人、グラーネルは剣にほおずりをした。
「……そうか。貴様が求めるのはそれだったな」
剣が本物か否かなど関係ない。
この老人が求めるのは、ただただ強力な「力」のみ。そこに加わる意味、名前、経歴など、彼にはなんの価値もない。
だが、解せない。
「しかし貴様、これをどう使うつもりだ?」
「うん? ああ、説明しておらんかったな」
機嫌よく老人は答える。
「この空間に張られた結界には気づいているな? 弟子よ」
「異様な対神力を感じるが。……そうか、ならばこれは」
「さよう。これが魔王の――そして、我が奥義の正体よ。魔力は馬鹿食いするが、空間そのものを異界と化せる能力は純粋に貴重よな。
だがこれは所詮移動がかなわぬ設置物に過ぎん。そこで、もうひとつ世界を作り上げる必要があるわけだ。弟子よ」
「それは……魔王に、魔王を寄生させるつもりなのか」
「物わかりがよくなったのう。昔と比べて。
ま、そういうことよ。次なる魔王を呼ぶためにはこの程度の呪が必要でな。その満願も叶い――こうして、いよいよ進撃の準備が整ったというわけよ」
「……進撃、だと?」
眉を跳ね上げる。
「なんだ?」
「初耳だ。貴様の目的は魔王を顕すことではなくなったのか、老グラーネル」
言われ、老人は不機嫌そうな顔をした。
「奇妙なことを言うな。確かに魔王という実在は貴重だが、これだけではなにもできん。こんなものは単体の神と一緒だ。
一体のみの化け物で世界を覆せるとは、儂には思えんよ。だから神や大巨人は滅びたのであろう?」
「……その通りだろうとは、思うが」
単体の強い生物は、単純な「数」によって打ち倒せるモノへと変わる。
たとえば。凡百の魔術師たちは悪竜に打ち勝つほどの力を持っていない。だがそんなモノでも100人集まれば、ほとんどの竜は太刀打ちできないだろう。
そこに勝ち目はない。多くの人に害を成す存在は、同時に多くの人を敵に回すのだ。
――例外があるとすれば。それは退治する価値のない無害なモノか、ただの神など比肩できないほど強力な存在かのどちらかしかない。
シン自身、そうした「例外」をひとつ知ってはいるものの――グラーネルが、そこまでのものを作れるとは、やはり思えない。
この程度の戦力では、足りない。それはわかるが……
「それで。結局、貴様のもくろみはなんだ」
「無論――始源の巨人」
「…………」
シンは沈黙した。
「前々から思っておったのだよ。この世界はとうに、破綻しておる。
神話たるものが機能しなくなり、巷は魔術と魔獣に満ち、秩序は失われておる。ならばその秩序の担い手が必要ではないかね?」
「創世の神に――なるつもりなのか」
「かかっ。かつてフィーエン・ガスティートがしたように、な」
「そして失敗したように、だろう?」
「おうよ。無数の守護者を打ち倒したにもかかわらず、最終的にフィーエン・ガスティートはスールト機構に対応できず、失敗した。
が、そいつにはめどがあってのう。あの機構を止められさえすれば、後はこちらのものじゃ。幸い、愚かなるフィーエン・ガスティートが守護者を片っ端から殺してくれておる。あとはこいつさえいればどうとでも――」
「……老いたな、師よ」
「? いま、なんと言った?」
「独り言だ。
そうか。想定外ではあったが、ならば特に止める理由もないな」
言うと、老人は意外そうに目を細めた。
「ふむ。……ま、敵対しないというならありがたいがな。
正直、おぬしがそれほどあっさり身を引くというのは予想しておらんかったのぅ」
「そんなことより、交換条件のほうはどうなったのだ? 今更出せないと言うならば、こちらも引くわけにはいかなくなるぞ」
「そう殺気立つな。ほれ、おぬしの求めていたのはこれじゃろう」
言葉と共に、青い宝石のような石が放られてくる。
それを手にとって、観察する。
「――真物だ。
驚いたな、こんなものをどこで手に入れた」
「そいつは言えんよ。いや、悪意があるわけではなくてな。言えば呪いのかかる契約になっておる故、言いたくても言えんのだ」
「古くさい盟約だな。
まあいい。それでだいたいの出処はわかった」
言うだけ言って、立ち去ろうと歩き出す。
「おい。本当にそのまま去る気か? わしの目的を捨て置く理由が理解できぬのだが」
「べつに。貴様が成功して世界を滅ぼすならば、余はそれを容認しよう。それだけのことだ」
「……む」
「そしてその決定に僕は逆らわない。それだけのことだよ、師よ。
関わるだけの意味を見いだせないね」
言って、今度こそ本当に立ち去る。
相手も、それ以上声をかけてこなかった。
洞窟の外に出ると、すでに夜が明けていた。
「思いのほか、時間がかかってしまったな……あの剣の状態を保つのに、これほど苦労させられるとはね」
独白する。
と。
「あれー? 生きて出てきたんだ?」
「まるで僕が死ぬのを期待していたような言葉だね、フレイア」
上を仰ぎ見て、言う。
洞窟の入り口の上。岩の壁に、まるで壁の方向が下であるかのように自然と、彼女は立っていた。
「だってさー、キミ、アレの正体は当然知ってるっしょ? そしたらキミがあの子にそれを伝えて、ひと悶着あるかなーって期待してたのに」
「あの子っていうのは老グラーネルのことか。
まあ、べつに教える義理もないからね。気づかないのはあっちの都合だ」
「冷たいなあ。先代はわりとそういうおせっかいを焼く子だったのに。キミたち、一代ごとにけっこう人格変わるよね」
「僕たちは記憶以外は継承しないからね。当然だと思うけど」
「そうかなー? 記憶って人格の源でしょ? 2000年クラスの大記憶に繋がったら、大抵の人格は押し流されて潰れちゃうんじゃないの?」
「そんなひとは、継承者になる前に潰れてるよ。でも、まあ」
押し流されていくという喩えは巧妙だ。
潰れてしまわなくても、大量の記憶が入ることによる影響は確実に受ける。
そうして摩耗し、継承者はだんだんと人間性を失っていく。
魂が、劣化していく。
王子の二重性というのは、実のところ魂の劣性に他ならない。どの記憶に従えばいいかわからなくなって、仕方なくカイ・ホルサという疑似人格を作り、二重人格のように振る舞っているだけ。
「そういう君はどうなんだ、フレイア・テイミアス。君だって1500年もの記憶を持っているだろう」
「んー、忘れた」
「忘れた?」
「そうだよ。わたし、実は自分がどういう人だったのかよく覚えてないの。旦那と初めて会ったときのことでさえ、なーんにも」
「……それは」
言葉を失う。
フレイアは脳天気そうに、
「脳容量を増やす魔術は知っているし、使ってもいいんだけどさー。正直そこまで必要ないよね。いらないと思った記憶なんて捨てちゃうし。
だからわたしは、わたしが必要だと思ったことしか覚えてない。実を言うとさ、わたし、自分の本名も覚えていないんだよ」
あっけらかんと言う。
「……理解できないな。君の言に従えば、記憶こそ人格の源だろう。人格を継承できない長寿など、それは」
「それこそ余分な発想でしょ。どんな状況だろうとわたしはわたしだし、それに」
「それに?」
「そんな程度で消える人格なんて、時間が経てばすぐに風化してなくなるもん。そんなの意味ないよ。
――よいしょ」
すた、とフレイアは地面に着地。
「永遠を生きるってのはそういうことでしょ。時間が経てば余分は消えて、純粋な己だけが残る。
キミだろうとわたしだろうと、それはおなじはずだけど」
「その余分を慈しむ者もいるようだが?」
「あー、あの子ね。あれは例外。
ていうかあそこまでガンコだとソンケーしちゃうよね実際。彼女にはたぶん、永遠すらどうってことない苦痛なんだろうな」
憎まれ口をたたく。
「ま、そんな雑談はどうでもいいよね。
……そろそろわたしは行くけど、止めないの?」
「君も老グラーネルのようなことを言うんだな。僕がなぜこれ以上君たちに介入すると思うのか、正直わからないんだが」
「なによ。裏切ったこと、けっこう気に病んでいるくせに」
「……いや。裏切ったことは気に病んでいないよ。それは君の勘違いだ」
事実。自分は事前に、魔人たちにこのリスクを伝えていた。そして後はカイ・ホルサの継承者として、当たり前の振る舞いをしただけ。
王子の二重性の正体がなんであろうと、自分が従わねばならない律であることには変わらない。
だがその欺瞞を、相手は一瞬で看破した。
「でも後悔自体はしてるんでしょ。自分の中途半端に」
――ああ。
「そうだね。できれば僕も、彼らとはカイ・ホルサではなく、シン・ツァイとして付き合っていきたかった。それが、悔いといえば悔いだな」
「そんなのいまからでも遅くないと思うけどなー。どうせじーさんはすぐ死ぬと思うし」
「……どうかな? 僕にはそうとは思えない」
「え、意図してそうしてきたんじゃないの?」
「僕があの剣について変な細工をしたと思っているなら、答えは否さ。むしろ、ああせざるを得ない状況に追い込まれた。僕自身はごく誠実に、つとめを果たしたつもりだよ」
「んー、でもそれでも、あの子の望み通りの展開にはならないよね?」
「生き汚いのはあのじいさんの特技みたいなものだからね。まあ、そう簡単にはいかないんじゃないかな。
それより、君はなぜそれを教えてこないんだ。老グラーネルはたとえひとときとはいえ、一応は君の雇い主だろう」
「え、なんで?」
「…………」
「だってわたし、契約とか交わしてないよ? 単に話を聞いてうなずいてただけで」
明らかに本気で、彼女は言い切った。
「では、君は」
「うん。なんかヤバそうなじーさんだから、いっしょにいれば強いのと戦えるかも? って思って。
あ、そーいえば最初の戦闘前に魔法石とかもらったけど、あれってやっぱりプレゼントなのかな? わたし既婚者なのにねー困っちゃうなーあははは☆」
「たぶん、彼は働いてもらう前払いとか思っていたんじゃないかな」
「そなの? でもわたし、基本的に誰の頼みも聞かないひとだよ?」
「そうだね。
次にこういうことがあったら、君のそばにいる人には忠告しておこう」
「うんうん。なんだかわからないけどそうするといいよ。
――さて、とりあえずわたしは殺しに行かなくちゃ」
「誰を? 君の行く先に、君が満足できるほどの猛者がいるとでも?」
「うーん、これは未確定情報なんだけどさー」
「ふむ」
「この前戦った魔女が言ってたんだよね、『サリ・ペスティの次はフレイア・テイミアスか』って。なんか気になるっしょ?
だから、とりあえずそのサリって子の様子を見て、強そうだったら殺そうかなって。ふふふ、楽しみだなぁ」
にへらと笑って、そして彼女は挑発するようにこっちを見た。
「ね、これでもまだ動かないの? ホルサの剣士」
「しつこいな。彼らと僕はもう関係ないし、それに」
「それに、なに?」
「正直。君がサリに勝てるとは思えない。止める必要は感じないな」
相手は、ふうん、と気のない答え方をした後で。
「――上等。
今の言葉、後悔しないようにね。シン・ツァイ」
言い放って、その場からかき消えた。
「やれやれ。最後にようやく名前を呼んでくれたか。
しかし、けしかけた形になってしまったが――ま、問題はないだろうな。どうせセンエイが、うまくやるだろう」
つぶやいた独白は、思いのほか楽しそうに響いた。
用語解説:
【スールト機構】
神殿では、「大巨人スルト」として伝わっている、神話世界最大の防衛機構。
ある程度以上の魔人ならば存在は知っているが、その実態は謎に包まれている。




