九日目(7):悪党、還る
特に城門でチェックされることもなく、俺たちは街にすんなり入った。
「うわ、人通りも多い」
あたりは活気に満ち、人々が笑顔で買い物や談笑をしている。
街はきれいに元通りで、火事の痕跡なんてかけらも残っていない。
「時系列とかどうなってるのかね……」
「んー、こりゃ、アレだな。因果の修正って奴だ」
センエイが言った。
「たぶんエフくんは、現実にはこの街を出た後、戻ってくることはなかったんだ。
それが戻ってきたから、世界的にはその間のことは『なかったこと』になった。そんな感じなんじゃないかね」
「そんなもんなのか、精神世界って」
「推測だよ。言ったろ、私は精神操作の専門家じゃないって。
それよりライくん、そろそろなにか感じないか? こう、世界から浮き上がる感じというか」
「いや、特別にはなにも」
「そうか……」
「なにかあるはずだったのか?」
「いや、正規のルートで入ってきた君が、「入り口」だった場所に帰ってくれば、なにか起こるだろうと思って来たんだがな」
「あ、そういう狙いか」
「しかしアテが外れた。これが正解じゃなさそうだ。
んー、困ったねえ。なにが足りないんだろう……」
センエイはぶつぶつ、独り言みたいに言った。
「とりあえず、マキノとエフを家まで送っていこうぜ。話はそれからだ」
「お、そりゃナイスアイデアだ。ふふふ美少女ゲットだぜー」
「???」
「おい、汚い手でエフに触るな。つーかその年齢相手にそれとか、おまえ変態か?」
「やだなあマキノくん。スキンシップだよ、スキンシップ」
「手つきが嘘くせえんだよ。なんだよこの使用人は。頭のネジが飛んだのか」
わきわきするセンエイの手を見ながらマキノ。
いまマキノの中でセンエイがどんな対象だと認識されているのかについては、ちょっと気になったが。
「ま、とりあえず行こうぜ。ほら、こっちだったよな」
「はーいエフくん、じゃあおねーちゃんと一緒におうち帰ろうねー。うしし」
「だからー、汚い手で触るなっての!」
……聞いちゃいねぇ。
「ていうかセンエイ、後でサリにぶん殴られても知らないぞ……」
「ん、なんか言ったか?」
「なんでもない。さっさと行こうぜ」
まあ、痛いのは俺じゃないし。
俺はそれ以上言及せず、さっさと歩くことにした。
「さて、とりあえずはただいまってことで」
「サリ、グノー!」
「あー、やっと帰ってきた! なんかすげー長かったなー」
「ふむ、これがマキノくんとエフくんの家かー。
…………」
「なんだよ?」
「美少女の家なのに、なんか殺風景だな。いかん」
「……おまえ、なにをたくらんでる?」
「んーまずはアレだな。フリルとレース。この部屋はレース分が足りない。心底足りない。うん、とりあえずカーテンからだな」
「聞いちゃいねえってか待てコラ。おまえ勝手に人の家の装飾を――」
「さーて次に取り出したるはこの小さなカバン。なんと容積拡張によって大量の布と裁縫道具がしまい込まれてゴザイマスー。ほれ、エフくん拍手拍手ー」
「わ……♪」
ぱちぱちぱち。エフが拍手した。
マキノは、もうついていけませんという表情で、
「はぁ……勝手にやっててくれ。俺はにーちゃんと奥の部屋掃除してくるから。ただし、エフに触るなよ」
「ほぉう。ふふふ二人きりかあーよしよし」
「エフ、ヘンなことをされたらすぐ大声で俺を呼べよ」
「……(こくこく)」
「がーんっ!」
オーバーリアクションでショックを受けるセンエイは放っておいて、俺たちは奥の部屋へ。
がちゃり、と扉が閉まる。
「……正直、閉めないでいつでも飛び出せるようにしておいた方がいいと思うんだけどな、俺は」
「ん? ああ、フリイさんはべつにいいよ。たぶんいかがわしいことしようとした途端にこの世界から消える」
マキノはあっさり言った。
……やっぱり。
「その様子だと、なにがあったかについては、おおむね認識してるんだよな」
「まあね。そしてそれは、にーちゃんのおかげだぜ」
「ん、ていうと?」
「元々、この世界の核は、エフただ一人だったんだ」
マキノは言った。
「だから俺は、エフを守れればそれで勝てると思ってた。
だけどにーちゃんがあのとき、領主様の前で一喝したろ」
「ああ、うん」
そこも認識してるんだな、と思いながら、俺はうなずいた。
冷静に考えるとあのとき、だいぶ恥ずかしいこと言ってたような気がしたが、気にしないことにする。
「あれで世界の中心が、エフだけじゃなくなったんだ。だから最後の戦いで、俺はほんのちょっとだけ魔物の飲み込みに耐性を得て、完全に飲まれる前にフリイさんに助けてもらえた。それがなけりゃ、最後のエフへの攻撃を止める奴がいなくて、あれで一巻の終わりだったぜ」
「そうだったのか……」
つくづく、綱渡りだったんだなあ。今回。
「で、そういうわけでいまは俺も、この世界の根幹の一部ってわけだ。だからこの状況もなんとなく認識できる。にーちゃんが、俺たちを助けにやってきてくれたこともな」
「……マキノ」
「なんだい?」
「結局、おまえがサリなのか?」
俺は、ずばり核心に切り込んだ。
マキノは苦笑して、
「どうだろうな。実際に起こったことと、この街とはちょいと違ってるから――でもまあ、サリ・ペスティと名乗ってるあいつといちばん近いポジションにいるのは、俺ってことになるかな」
「そうかい」
「でもなんでそう思ったんだ? 普通、エフの方がサリだと思わないの?」
「あの流れでそれはないだろ」
俺は言った。
「他人に託すのばっか考えてたあのサリが、託す相手に自分を置くわけがないだろう」
「そっか……」
「本物のエフは生きてるのか?」
「わからねえ」
マキノは正直に言った。
「わからねえんだ。街を魔物から救うために、あの魔物を身体の中に受け入れた。記憶はそこまでだ。そこから先、半年くらい記憶が飛んで――気づいたときにはもう、サリ・ペスティって名前の魔女だった」
「そっか……」
「だけどまあ、間違いなくわかってることはいくつかある。たとえば、領主様に見いだされてから、エフは一度もこの家に帰ってない」
マキノは断言した。
「だから、フリイさんが言った通りさ。エフをこの家に帰しさえすれば、街は元の状況に戻った。サリ・ペスティを元の状態に戻すためだったら、それだけでよかったんだよ――なのににーちゃんたち、わざわざ街から出て行くんだもんな。内心ひやひやだったぜ」
「ああ、まあ……」
「にーちゃんは知らなかったんだろうけど、フリイさんは理解してたと思う。……本当に、最後までうさんくさいひとだったよ。この結果まで含めて、本当にあのひとが狙った通りの結果だったのかね」
「かもしれんなあ」
「緊張感ないなあ。あのひとに対する警戒心とか、ないの?」
「ないわけがないだろ。でもまあ」
俺は言った。
「あいつがサリ・ペスティの敵に回ることだけはない――それだけは、断言できるから」
「……にーちゃんらしいや」
マキノは苦笑した。
と、隣の部屋から絶叫とばしゅううう、という音が聞こえてきた。
「あー、やっぱセクハラして蹴られたか」
「……言葉もねえな。あれ、本当に敵に回らないのか?」
「敵の定義によるな」
「カケラも安心できねえ話だよ……」
マキノは渋面でつぶやいた。
と、俺の身体がうすぼんやりと、光に包まれ始める。
「おや、俺ももしかして帰る頃か?」
「そういうことだな」
「これ、なにがトリガーだったんだ?」
「トリガーなんてないよ。サリ・ペスティが受け入れてて、かつにーちゃんがいたいと思えば、ずっと居続けられる。
だから、にーちゃんが俺と話して、疑問が解消して、未練がなくなったってことじゃないかね」
「未練がなくなった……って、俺が幽霊みたいじゃないか」
「精神体って意味ではそうなんじゃねえの?」
「うわ、なんか怖くなってきた。俺成仏すんの?」
「きしし、そう言うなって。出てからもにーちゃんには、働いてもらわなきゃいけないんだから」
「え? どゆこと?」
「だってにーちゃん、言ったじゃん」
マキノはにやにや笑って、言った。
「俺が必ずおまえを助けてやるって」
「…………。
ええと、訂正は」
「不可だ。
つーか、長い年月ずっとむしばまれていた魔物から解放されたんだ。しばらく、こいつは情緒不安定になるだろうし、保護者が必要だろ」
「おまえ、そんな簡単に言っていいのか? 自分の保護者だぜ?」
「不足はないだろ。にーちゃんなら。
それに、まあ」
マキノはにしし、と笑って言った。
「ずっとここで、エフの保護者やってきたんだ。そろそろ――俺が保護されても、いい頃じゃんよ?」
「……ま、そうかもな」
「頼むぜー。頼れるのはにーちゃんしかいないんだからよ」
「センエイは?」
「あれは性的に無理」
「……うん。まあ、そうだね」
かわいそうに。きっといまごろ、現実世界ですねてるだろう。
「よし、んじゃすねてるセンエイを指さして笑いに戻るか」
「じゃあなー。気が向いたらまた、このやり方で来てくれよ。歓迎するぜ」
「サリ自身の同意が得られたらな」
俺はそう言って、マキノに笑い――
そして、視界が白く、塗りつぶされた。




