九日目(6):決戦! 魔都の死海王
「テメエ、なにをやった!?」
俺は、消え去った街のあったはずの場所を指さし、言った。
黒の魔物はそれに対して、悠然と答えた。
「馬鹿者が。街は人間の領域の象徴。サリ・ペスティと名乗るこの娘の心の庇護が届く、唯一の場所だ。
その外に広がるは死海。つまるは魔物の領域。我がすでに支配権を確立した場所だ。これほど都合のいい場所に自分から出てきてくれるとは、愚かにもほどがある!」
魔物は言い、そしてその姿を消した。
直後、マキノが悲鳴を上げる。
「うわあああああああ!?」
「この小僧は街を見て絶望したな! ちょうどいい養分よ――」
「マキノっ!」
「そして次は貴様だ、女!」
マキノのいたところに現れた魔物が、フリイを指して言う。
次の瞬間、フリイは悲鳴を上げる間もなく、黒い霧に飲み込まれた。
「フリイ!」
「そして最後が貴様だ――この娘の核たるエフ! 貴様を取り込めば、すべては完了する!」
叫んで魔物が霧になり、エフにまとわりつく。
「させるか……なに!?」
光の剣が、出ない。
「ここは魔物の領域だと言っただろう? この前と状況は逆だ。そんな力は、もう使えんよ」
魔物は得意げに言って――エフを取り込んだ。
「は、ははは、ははははは!」
そして哄笑。
「これで、これで終わりだ! 長かったが、この娘のすべては取り込んだ! 全部これで――」
「…………」
俺は無言。
いや、なにか言っても良かったのだが。
唖然として、それどころではなかったのだ。実のところ。
ぽかーん、としていた。
「さて。ではフィニッシュとして貴様の心も食うか、異邦人」
「…………」
「恐怖で声も出ないか? ふはは、こんな場所にのこのこやってくるとは愚かだなあ! 人間とはみんなこのように愚かなのかね?」
「…………」
「さあ、食って――?」
魔物はそこで、初めて気づいたのだろう。
自分の身体が、保てていない事実に。
「な、なんだこれは!? いったいなにが起こっている!?」
「……いやあ、まあ。展開自体は読めてたんだけどね」
言った声は、フリイのものであり――
そして。フリイのものではなかった。
「だが浅はかだったなあ。エフくんに家に戻られたらまずかったんだろう? だからあの時点で時系列をゆがめて、もっと後の時期に起こる暴動を起こしてまで追い出しにかかったんだろう? そこまで読めていながら、私が口出ししなかった時点でなにかを疑うべきだったが――ま、無理もないか。誰一人認識してなかったからな、私のこと」
「貴様、何者!?」
「そうだな、何者かと問われれば――『偽物』かねえ?」
実に悪びれず、のんびりさのカケラもなく、堂々と邪悪な、この笑みを浮かべた女は。
使用人の格好をしていても、一切関係なくわかる。むしろ悪趣味な変装にしか見えないこの女は――
「……………………………………………………。
センエイ?」
「ぴん☆ぽーん」
「馬鹿なあああああああああああああああ!?」
「ありえねええええええええええええええ!?」
魔物と俺が同時に絶叫した。
「なぜだ、なぜ異邦人がふたりもいる!? この私がそんなことを見落とすはずが――!」
「甘く見るなよ。言った通り、私の二つ名は『偽物』――他人の技をパクる専門家だ。
リッサくんの秘儀、あんな目の前で見ればすぐ習得できるし、アレンジも容易だ。おまえに気づかれないように、登場人物の一人に偽装してまぎれ込むなんて造作もないよ」
「ほんっと、デタラメだな。おまえ……」
リッサ、あっさりパクられて泣いてないかな。
「にーちゃん!」
魔物からべりべりべり、とエフの身体を引きはがしながら、マキノが叫ぶ。
「やっちゃってくれ! いまがチャンスだ――『俺たち』が無事でいる以上、ここはもう魔物の領域じゃない! 光の剣を使えるはずだ!」
「! そりゃあいいぜ、マキノ!」
ばしゅう、と音を立てて、剣が俺の手に返ってくる。
魔物はそれを見て、
「くそ、ならばまたさらなる深層に潜って機をうかがうしかないか。今回は諦めて――」
「なーに悠長なこと言ってんだクソが。自分が置かれた状況、まだわかってないのか?」
「なにを言って……な、に?」
魔物の顔が、愕然としたものに変わる。
フリイ、もといセンエイの手から放たれた光の糸が、がんじがらめに魔物を縛り上げている。
いや、縛り上げているのではない。なにかを、吸い上げている……?
「他人の技をパクる専門家だっつったろ。そしていまの私は異邦人。だったらこれが使えてもおかしくないだろう?」
「これは……これはまさか。まさか!」
「そう。こいつは世界最古の夢幻刀儀――記録に残りながらも、使用者の名前が知られていないが故に、べつの名で呼ばれている。曰く付きの技だ。君とも因縁がないわけじゃないだろう、第六の死海王?」
「混沌懐胎だとおっ!?」
魔物が絶叫する。
「あり得ない! 一〇八の奥義を、あの御方の御業を人間ごときが使いこなすなど! いくらこんなイレギュラーだと言っても――ありえてたまるものか!」
「貴様は人間を舐めた。そのツケだ――そら、受け取れ!」
「!?」
ばあんっ、という音がして、センエイの弾いたコインが魔物に突き刺さる。
衝撃ではじき飛ばされ、魔物は無様に地面に倒れた。
そしてもがく。
「が、はあ、あああああ……!」
「――混沌懐胎。世界を欺瞞し、相手の端末と本体の意味をすり替える、禁呪の中の禁呪だ。
つまるところいまの貴様は、サリの身体に潜り込ませた端末ではない。本体そのものだ。ここを退去することもできないし、ここで死ねば本体が死ぬ!」
センエイは言って、ぱしっ、と戻ってきたコインをキャッチし、
「年貢の納め時だ。死海王ゼルルガンディ! このフリイ・マリゴールドが貴様の御首級、ここで貰い受ける!」
「なめるな、魔女ごときがあっ!」
どがん、とあたりを振るわす波動のようなものが炸裂し、センエイが一歩たたらを踏む。
が、それだけだ。
「なにい!?」
「観測者五名。ふふん、邪格等級としては6級ってとこか。街から出た結果がこれだ。
貴様がサリから剥奪した邪格は5級。そっちのライくんは4級と来た。世界の支配力では、決着できるほどの差はないと思えよ」
「くっ……!」
「ライくん! なにをぼさっとしている! やるぞ!」
「あ、ああ!」
あわてて俺は剣を構えて、魔物に向けて走り出す。
「おのれ、人間ごときが! なめるなあっ!」
魔物――死海王ゼルルガンディは吠えて、俺に向けて巨大なしっぽを縦に振りかざした。
「避けるなライくん! 砂埃が上がればこちらに不利だ!」
「おう!」
叫んで俺は光の剣を上に振りかざし――しっぽを、その剣で受け止める。
すごい衝撃が走ったが、なんとか、耐えられた――のだが。
「ぬぎぎぎ……お、重い……!」
「エルキュールの豪腕よ!」
センエイの言葉とともにそのしっぽが不自然に浮かび、そしてゼルルガンディの巨体が大きくぶっ飛んだ。
「おのれ、またしても奥義を――」
「死海ができて2200年。その間に我々の研究にも進展があってね。
もちろん使えない奥義も多いが……いくつかは使い物になるのさ。たとえばこれなんてどうだ。糸杉の矢雨よ!」
「! うおおおおおお!」
センエイの手から放たれた無数の水色の矢を、ゼルルガンディは必死でかわす。
そこに、
「ライナー・クラックフィールドの名において――食らえっ!」
「ぬううううう、やらせるかああああああ!」
俺の剣から放たれた白光が、相手の手から放たれた黒い波動と激突、爆砕する。
が、無傷ではない。効いている!
「おのれ、おのれおのれおのれ!」
叫んだゼルルガンディは、その目をエフに向けた。
「貴様さえ――貴様さえいなければ! もはや取り込むことは諦めた! この場で殺してくれよう!」
「! ライくん、エフを守れ!」
「もちろん! ……うわっ!?」
俺はゼルルガンディから伸びてきた髪の毛の一本に足をからめとられ、すっころぶ。
こんな芸当もできるのか、こいつ!
「死ねええええ!」
「あ……」
エフは迫るゼルルガンディの爪を、しっかりと見つめて。
そして、ゼルルガンディの身体が横に、大きくぶっ飛んだ。
「させるわけがねえだろうがよ! 馬鹿たれ!」
マキノが、大きく肩で息をしながら、拳を突き出していた。
「馬鹿な!? いくら心の中と言っても、無力な子供にこんな力が……」
「だからさ」
センエイはにやりと笑った。
「私たちとの戦闘に気を取られてるうちに、どんどんサリが復活してんだよ。わからねえかな。
いまはもう、おまえが簒奪した神格の大部分がサリ側に戻ってる。それをマキノくんが使えば、当然こうなるだろうが」
「……っ。ならば、ならばならば!」
ゼルルガンディは猛ダッシュして、センエイの元へと走った。
「せめて貴様だけは道連れにさせてもらうぞ、魔女!」
センエイは不敵に笑って、迫り来る魔物を傲然と見つめ、
「さっき、使えない奥義も多いと言ったがな――」
次の瞬間、なにもない砂漠から突き出した複数の石碑状のモニュメントが、ゼルルガンディの身体を突き破った。
「が、はあっ……!? これ、は……!?」
「使えないからといってまったくの研究成果ゼロというわけじゃないんだよ。我らロカンの民は――十戒すら、こうして研究の末に、べつの形で発現を確認した」
「…………!」
「終わりだ」
センエイはコインをぴん、と弾いて真上に飛ばし、それが落ちてくるのを待って、
「悪雷の威光よ!」
叫ぶと共に、コインが光の塊となって、ゼルルガンディの身体を捉える。
そして、腹部に大きな穴を空けて、通り過ぎた。
どさり、と力なく、ゼルルガンディは倒れ。
そして笑った。
「はは、ははは、ははははは……」
「なにがおかしい?」
不思議そうに尋ねるセンエイに、ゼルルガンディは、不思議と穏やかに見える顔で、
「ロカンの民――そう言ったな」
「…………」
「なるほど、なるほど。未だ性懲りもなく、絶滅していなかったか。
それは確かに、この私のミスだ。だから――」
言って血を吐き、
「それによって殺されるというなら――ある意味、それも因果か」
それが。
数千年を生きたとされる死海王の一人の、最後の言葉だった。
倒れ伏した魔物が塵のように消滅していくのを見届け、センエイは得意げに胸を張って、
「さて、これでひとまずサリの救出という目的は完了したわけだ、が――」
言ってから、ちらりとこちらを見た。
「が?」
「なあ、ライくん」
「なんだよ」
「いったい我々は、どうやって現実世界に帰ればいいものなんだろうか」
「どうやってって……」
……あれ?
「聞いてないし、知らね」
「……君たち。実は案外チームワークが悪いな」
「い、いや、だって魔物を倒したら術は終わるもんだとばっかり――」
「バカたれ、んなわけがあるかっ。常態でも効く術なんだから終了条件は別にあるに決まってるだろっ」
「んなこと言われても気づかなかったんだからしょーがねーだろ!?」
「にーちゃんたち……なにやってんの?」
「???」
マキノとエフは、とても不思議そうな目で俺たちを見た。
それを見て、なんとなく我に返る。
「はぁ……やめた。バカとケンカしても疲れるだけだし」
「ああ、そうだな。ガキとケンカしてもムカつくだけだし」
「言ってろ。で、どうするんだよこれから」
「そうだな。いろいろやるべきことはあるが、とりあえず街に戻るか?」
「戻るって、どうやって」
「歩いてさ。ほら、あっち見ろ」
「あん? ――うえぇ!?」
いきなり目の前に現れたでっかい城壁を見てのけぞり返る。
「魔物がいなくなったことで、街が復活したんだろ。時刻も昼に移動したみたいだし、城門も開いてる。戻るにゃもってこいの時間だ。
さ、帰ろうか。とりあえずは、仮初めの我が家へ」
センエイは、そう言って笑った。
魔術解説:
1)『混沌懐胎』(ミスアイデンティフィケーション)
系統:奥義 難易度:SSS+++
一〇八の奥義と呼ばれる、強大な奥義群に含まれる技術のひとつ。相手の本体と、その使役する端末、召喚獣、幻影などを意味論的に入れ替えてしまうという恐るべき技である。
術をかけられた相手は、操っていたものを殺されることで自分自身が死ぬという状態にさせられる上に、本体でないものを本体にされることで移動なども制限される。極めてやっかいな術。
2)『エルキュールの豪腕』
系統:奥義 難易度:S+
超腕力の架空の腕を生やして使役する技。
センエイの術があまりうまくいってないため、一瞬だけしか使えないが、それでも死海王の端末をぶん投げるだけの力はある。
3)『糸杉の矢雨』(ゴフェル・シャワー)
系統:奥義 難易度:S-
大洪水に際して顕れた謎の植物『ゴフェル』を媒介にして、石垣すら砕く大洪水の水の嵐を再現する射撃魔術。
あらゆる水属性魔術の最も原始的な形であり、四大制御魔術の始祖と言える。
4)『十戒』(デカローグ)
系統:奥義? 難易度:S-
本来は、偽の神託によって相手を心理的に縛り付ける魔術なのだが、それ自体はセンエイは使えない。
代わりに、どこをどう間違ったか、神託の記された碑文を呼び出して物理攻撃する魔術に化けてしまっている。
神託の影響で攻撃力は増しているので、まったく無力ではないが、誰も予想できない方向に発展した魔術の例。
5)『悪雷の威光』(アンダルのいこう)
系統:奥義 難易度:S
アンダルという名前の悪霊の力を写し取り、それをまとった物品で攻撃する攻撃魔術。
極めて強力だが、力が強すぎて至近距離でないと狙いがつけにくいのが難点である。
【余談】
今回紹介した魔術はすべて「奥義」の系統となっているが、これは本来、センエイが使える技ではない。しかし今回、サリの外側から来たというセンエイの状態がよく作用し、結果としてこれら奥義の発動を可能とした。
当然、通常時のセンエイはここまで強くない。
【さらに余談】
本来、修羅招請も上記奥義群に属するものだが、これはロカンの民と呼ばれる魔術結社を通じて人界に広がった。
そしてロカンの民はゼルルガンディによって滅ぼされたため、センエイはサリが修羅招請を使った時点で、サリの中に潜む魔物の正体に気づいたのだった。
……ということを知った上で七日目(7)を読むと、センエイの反応が理解できるんじゃないかと思われます。




