九日目(5):悪党、脱出する
「さて。問題はこれからどうするか、だな」
机にひじをついて、俺はひとりつぶやいた。
時刻はもう昼過ぎだろう。俺も一寝入りして夜に備えることにしたのだが、起きたら誰もいなかった。
(ま、フリイがいればおかしなことにはならないだろ。たぶん)
信用ならない女だが、魔物とグルではなさそうだ。
この世界はすべてサリなのだから、俺が信用する・しないの基準はそれだけ考えればいいのだった。魔物でなければ、敵じゃない。
で、その彼女が、
『この周辺はー、領主様の奥様とか女官の区域なんでー、そう簡単には兵士たちも入ってこれないんですよー』
ということで、見回りの時刻をのぞけばちょっとくらい外に出ても大丈夫だという話だった。
(昨日――いや、今朝か。ともかく、あのとき使った手は、二度は使えないだろうな)
サリを一喝して起こすという賭けは成功したが、逆に言えばあれで、サリに蓄えられていた余力は大部分使ってしまっただろう。
となると、解決策は別の方向から考えるしかない。
さしあたり、エフがなにかの鍵になっているのは間違いないので、彼女を守るのが最優先なのだろうが。
元の住居に戻れば……とも思うが、兵士たちがいま、敵か味方かがわからない。
敵に再度飲み込まれてしまったとすれば、場所が割れてる元の住居に行くのは自殺行為に近い。
次の案として考えられるのは、フリイやマキノが参加していた、あの秘密組織を頼ること。
が、それはそれで問題があるのだ。
(魔物と戦う組織に預けるってことは、魔物と戦う最前線に位置するってことだからな)
それにあの組織、末端ならともかく本命の魔物相手にはまったく歯が立たないっぽいし。そうなると、あれを頼るのも安全ではない。
となると……やっぱり、街を抜け出すしかないか。
確証はない。だが、予想通りここがサリの過去で、魔物が死海の住人ならば。
(エフとマキノが死海から脱出すれば、相手になんらかの打撃を与えられるかもしれない……)
「となると、夜を待つことになるか。その前に、できれば脱出経路についてアタリをつけておきたいところだが」
「脱出ですかー?」
「……どっから湧いて出たテメエ」
「床下からですー」
フリイは笑顔でそう言って、下を指さした。……うわ、ホントに仕掛け床のフタが開いてやがる。
「後のふたりは?」
「秘密の通路ですー。景色がいいから、もう少し見てくるって言ってましたよー」
「緊張感ねえな」
「いいんですよー。それで。ヘンに緊張なんかしたらアレに取り込まれますよ?」
「え?」
アレ……?
「ですから例の、人を依り代にする魔物ですよー」
「なんか関係あるのか?」
「たぶんですねー。あの魔物は単純に人を依り代にしているというだけじゃないと思うんですよねー」
「理由は?」
「エフちゃんが魔物に取り込まれなかったと聞きましたからー」
「それはエフだけの特権じゃなくてか?」
「逆に考えて、エフちゃんがどういう特権を持っていたかを考えるのですよー」
言われて俺は、考える。
「言葉が通じない?」
「聞き取れてはいるみたいですから、決め手にはならないですよねー」
「じゃあ、子供だから?」
「その点は考慮に値すると思いますけどー、もう一声あるんじゃないですかねー」
「んー……」
俺は少し考え、
「保護者がいるから?」
「でしょうねー」
「でも、保護者がいる子供なんてそこらじゅうにいるだろ。それだけで特別になるか?」
「ですから、保護者の方が特別なんじゃないでしょうかねー」
「……マキノが?」
「はいー」
その可能性は、まあ……考えなかったわけじゃないけど。
「そもそもマキノ、どうしてあんな組織に入ってたんだ? まだ魔物と戦うとかいう歳じゃないだろ」
「ですねー」
「…………。
ええと、ひょっとして、事情知らなかったりする?」
「わたしは違うラインでしたからねー。城からの協力者っていう。ですから、マキノさんがなんであの組織に入ってたか、まったく知らないですー」
「そっかー……」
となると、手詰まりかなあ……と思っていると。
「でもまあ、マキノさんの特別感については、心当たりがありますよー」
「え、マジ?」
「はいー。そりゃあもうー」
フリイはそう言ってにぱぱと笑って、
「というわけで、教えてくださいませフリイさまと言って土下座すれば教えてあげなくもないですー」
「実は心底ドス黒いよなアンタ」
「あははー。冗談ですー」
「笑えない冗談をありがとよ。
で、本題だが」
「はい。マキノさんが特別な理由は、みっつありますー」
フリイは言った。
「ひとつ目はもちろん、彼があの組織のメンバーだってことですねー」
「それは特別か?」
「少なくとも、死んだ目はしてないですー」
……確かに。それは大きな差かもしれない。
「ふたつ目は彼が、ものすごい過保護だってことですねー。エフちゃんのこと、本当に大切なんですねー」
「それはまあ……そうだな」
「そしてみっつ目は、年齢が近いことですねー」
「ああ……それもそうだな」
たぶん10歳くらいだとおもうんだけど。よくもまあ、あれだけ保護者できたもんだと、その点は感心する。
「それらから導かれる、エフちゃんの特別性はー、つまり、心の問題なんじゃないでしょうかねー」
「心の問題……?」
「絶望的な街の状態にほとんど触れてないってことですー。世話してくれる頼れるおにいちゃんがひとりいて、生き生きしてるのですからー」
「…………」
そうだとすると。
「奴は……絶望を食って人間を殺す?」
「そういう感じじゃないでしょうかねー」
話はつながった。
下手に深刻に考えると――絶望に直面すると。かえってそれが、相手の力になってしまうかもしれない。
取り込まれないというエフの特権を、奪ってしまうかもしれないのだ。
「そうすると、要するに」
「はい。エフちゃん自身が害されるか、そのまわりのひとたちが皆殺しにでもならなければ、いまのエフちゃんを魔物は取り込めないのではないでしょうかー」
なるほど、朗報だ。
その特性は、あの魔物にとって、本当に致命的なものであるかもしれない。
「と、このくらいがわたしのわかることですけどー、お役に立ちましたかー?」
「ナイスだ。助かった」
「じゃあー、わたしからも質問なんですけどー」
「ん、なんだ?」
「城から脱出するって話でしたよねー? どこか行くアテはあるんですかー?」
「んー、とりあえず、死海から脱出しようかと思ってるんだけど」
「え、じゃあ街からも出るんですかー?」
「そのつもりだけど。まずいかな?」
フリイは、んー、と考えて。
「そんなに悪くはないと思いますけどー……」
直後、がちゃり、と扉が開いて、俺は反射的に身構えた。
が、すぐ警戒を解く。
「なんだ。おまえらか」
「よ、帰ったぜ」
「サリー!」
「うおお、わかったから叫ぶな、抱きつくな、大声出すなっ」
体当たりでひっついてくるエフを抱き止めながら言う。
「つーか、どこ行ってたんだよおまえら。起きたら誰もいなくて、けっこうあわてたんだぞ?」
「食料調達だよ。ほら」
マキノはそう言って、どん、と持ってきた袋を置いた。
中身は――軍隊用の携行食糧だ。干し肉とか、チーズとか。
「これで三日間は籠城できるだろ」
「……いいけど。べつに三日もいないぞ。今夜にはここを出るし」
「は?」
「???」
「いや、だから。あんまり長居もできないだろ。不自然に糧食が減っていることがばれればここに潜伏していることはわかっちまうし」
「でもさ、どこいくんだよ。帰るったって家は割れてるし……」
「ああ。だから、街を出る」
「え!?」
「だってそれしかないだろ。だいじょうぶ、近場の街に逃げ込めなくたって、もっと遠くに逃げればいいんだし」
「いや、そりゃそうだけどよ――」
「死海から脱出すれば、生き延びられる可能性は格段に上がるんだ。悪い話じゃないだろ?」
「…………」
「???」
エフの反応は、なんだかわかってなさげ。
だがマキノは、予想外に渋っている雰囲気である。
「なあ、にーちゃん」
「なんだよ」
「一回だけ、俺の家に寄ってっていいか?」
「…………」
それは。
「難しいと思うぞ。危険の度合いは跳ね上がるし」
「いや、悪い。どうしても取りにもどりたいものがあってさ」
「んー……」
「あー、それだったらわたしが協力しましょうかー?」
「え?」
「あん?」
フリイは得意そうに、
「この街が、区画ごとに牆壁で分けられてるっていうのは知ってますよねー?」
「ああ、聞いたけど」
「それでー、兵隊さんの本部はここにあるわけですー。それもわかりますよねー?」
「わかるけど……まさか」
「そうですよー。伝っていけるんですー。見張りもいるけど、街でも壁側のほうは城と同じで兵士不足ですから。ほとんど支障なしですー」
「そっか。その手があったか!」
たしかに、それならちびふたりを連れて行動しても問題は少ないだろう。
「よし、行動計画は決まりだな。じゃ、とりあえず飯でも食って夜を待とうぜ」
「サリ、コローっ」
「……だから抱きついてくるのはよせっての」
「むむむ、やっぱりこれはアレだ。手塩にかけて育ててきた娘を嫁にやる父親の心境というやつでだな」
「なんか前もおなじことを言わなかったか?」
「だってさびしいんだよー、悲しいんだよー、るるるー」
「ええい、うっとおしいから歌うなっ」
「???」
「みなさん仲がよろしいですねー」
……こんな感じで。
結局、俺は夜までの間、ちっとも休ませてもらえなかったのだった。
通路に出ると、窓から満天の夜空が見えた。
「こうして見ていると、死海の中なんて信じられないなぁ」
「ホントですねー。お星様がきれいですー」
「ああ。できればのんびり眺めたいところだが、いまはそれどころじゃ……」
……待て。
「? どうしたんですかー? いきなり足を止めたりしてー」
「いや、あんたはどうしてついて来ているんだ? フリイ」
「だってー。マキノさんの家のある街区、どこだかわかるんですかー? おにーさん」
「…………」
「…………」
「???」
しまった。それ確認するの忘れてた。
「ね、わたしが必要でしょー?」
「……ま、いいか。確かに助かるし」
「いいのかにーちゃん。正直、フリイさんってけっこううさんくさいと思うんだけど」
「はい。うさんくさいですよー」
「自覚してるんだからいいんじゃね?」
「……そういう問題か?」
「そういう問題だ」
断言する。
ぶっちゃけた話、魔物でさえなければサリ側なのだ。どれほどうさんくさかろうと問題ないと、俺は思っている。
それに、これほどうさんくさい奴が、領主のスパイとかそういうわかりやすい立場とも思えない。
利害関係が複雑そうだけに、逆に信頼できる。そういう話だ。
(しかし……静かだな)
夜は静寂に満ち、俺たちの移動の痕跡をかき消してくれている。
……って、あれ?
「なんか、声が聞こえないか?」
「はい?」
「ん?」
「?」
耳を澄ます。
だいぶ遠くだったが、お祭りみたいな声や音が聞こえてくる。
でもお祭りというには不規則で、どちらかと言うと……
「! なんだと!?」
「わ、にーちゃん!?」
走り出す。
街区と街区を結ぶ牆壁。その端に立つ塔へ急ぐ。
見張りとか考慮できるような状況じゃない。塔の屋上あたりまで出て、状況を確認しないといけない。
この音――まさか。
「まさか……!」
――そこには、予想通りの光景が広がっていた。
「ふひー。子供ふたり抱えて塔を登って追う身にもなってほしいものですよー」
「その割には余裕そうだなアンタ……実はけっこう、体力あるクチか?」
「にーちゃん! なんだこれ、なにが起こってる!?」
軽口をたたき合う俺とフリイを無視して、マキノが叫んだ。
「見ての通りだよ」
俺は言った。
塔の屋上、テラスになっている部分から街を見下ろす。
――業火に焼かれ、灰になっていく街を。
ちっ、と舌打ちして、俺は言った。
「暴動が起こった。そしてそれに対抗するため、兵士たちが出てきた。結果として街は戦争状態だ」
「……! なんでそんなことに!?」
「俺が知るかよ」
言いながら、俺は、ちょっとした違和感を感じていた。
暴動が起きる素地自体はあった、と思われる。
実際、炊き出しの列で暴れ出したおっさんみたいな、潜在的不平分子は、山ほどこの街にいただろう。
だが、それでも。ほとんどみんな死んだ目をしていたこの街にいきなりこんな規模の暴動が起こるなんて、らしくない――
「たいへんだにーちゃん! やばい!」
「え? わあっ!」
がつーん! とでっかい石が投げ込まれ、俺はあわててテラスの奥に引っ込む。
これ――投石器の攻撃か!?
「暴徒と兵士がいっせいにこっちに向かってきてる! 逃げないとやばい!」
「くそ……だけど、逃げるってどうやって――」
「…………」
黙っていたフリイが、ふと、俺のほうを向いた。
「おにーさん、おにーさん」
「なんだよ」
「例の光の剣、もーちょっと器用に扱えません?」
「どうやってだよ」
「光の空飛ぶじゅうたんにして、それに乗って逃げるとか」
「童話じゃないんだし――いや、まあ、やってみる価値はあるか」
俺はふと思いついたことを、実行に移すことにした。
「よし、まず全員俺のところに集まれ!」
「サリ?」
「にーちゃん?」
わけがわからないという顔をしながらも、マキノとエフが寄ってきた。
俺はふたりに手を伸ばして――そして、念じる。
(……『イェルムンガルド外殻』。神格を利用して、防御壁を作る技)
もし、それを、足下に発生して動かすことができるなら。
(空飛ぶじゅうたんじゃなくても――空飛ぶ球体にはなれる!)
ふわり、と俺たちの身体が宙に浮いた。
「うわ、なんだあっ!?」
「サリ、アグラー!」
いままさに暴徒が殺到してきていた塔のテラスから、浮き上がる。
「シャボン玉みたいですねー」
「……おまえ、ちゃっかりいたのか」
「あははー。あそこで置き去りはさすがに薄情ですよー」
しれっと言うフリイ。
ともあれ、彼女の表現通り。
空飛ぶシャボン玉に包まれた俺たちの身体は、ゆっくり、ゆっくりと空を移動し。
やがて、固く閉ざされた城壁を越えて。
そして、城門を超え――砂漠と化した外へと、さしかかった瞬間。
「わっ!?」
突如としてぐらりとシャボン玉が揺れ。
そして俺たちは――いきなり、地面に立っているのを認識することになる。
「な……なにが起きた!?」
「わかんねえ! ていうか、街がない!」
「なんだって!?」
マキノの言うとおり、あれほど存在感のあった城壁が、影も形もなくなっていた。
「――自分から死地に飛び込んで来るとはな」
そして、声がした。
振り向くとそこに、黒仮面の騎士が。
いや。もはや騎士の体裁も成していない、一体の魔物がそこにいた。
「地獄へ――ようこそお客さん」
【小ネタ】
サリ・ペスティという言葉は、元々固有名詞ではなくて、パラディ語で「ようこそお客さん」という意味です。
【お知らせ】
明日の大晦日19時に、この続きをイレギュラー更新します。よろしくお願いします。




