二日目(1):悪党、定職に就く
「……では、たしかにこれでよいな」
言って、そいつ――岩巨人の大男は、ごとりと床に丸いものを置いた。
対する老人は、ひひひと笑って、
「うむ。とりあえずはそれでよかろうて。
しかし、なかなかご苦労じゃったのう。それを手に入れるのは、おまえさんがたにはちょっとしたリスクを伴っておったのじゃないのかえ?」
「問題はない。辺境の村であれば、多少暴れたところでそれほど騒ぎになるわけでもないからな。
これが我らの領内であればべつの問題も発生するが、しょせん地上は地上。人間の首のひとつやふたつ、どうとでもなる」
首。
若い女だった。まだ、少女と言ってよい年頃だろう。
それを老人は嬉々として拾い上げ、恍惚とした表情でいとおしげに抱え込んだ。
まるで汚いものでも見るかのような目でそれを見下ろしながら、男はつぶやいた。
「だが悪趣味だ」
「ひひ」
老人が笑う。
男は不快げに顔をしかめて、
「幸せの絶頂にある娘の生首、と言われたから、わざわざ結婚式を襲って手に入れてきたが……こんなものをいったいなにに使うというのだ? 妖術師よ」
「なににも使わんよ、こんなもの」
言うと、老人はあっさりと首を放り捨てた。
男の眉がぴくりと上がった。
「なんだと?」
「おっと。そんな怖い顔をしなさんな。
ただ、おぬしらの誠意を見せてもらっただけじゃよ。わしが手を貸すに値するほどの相手なのか、とな……」
「ふん」
鼻で笑うと、男はマントをひるがえした。
「結構だ。どのみち『生贄』奪還の手段が確保できれば私には文句はない。力を貸してもらうぞ、妖術師」
「よろしい。
では、後ほどお主らのアジトへ向かわせてもらおう。楽しみにしておるとよいぞえ」
それには答えることなく、男はその場を去った。
あとには、奇怪な老人と静寂が取り残されるのみ――
――――――――
ではなかった。
「で、いつまでそこにいらっしゃるおつもりかな? 岩巨人の娘さんや」
女、だった。
さきほどの男より頭ひとつ分ほど小さい。
岩巨人の女性としてはおそらく標準クラスなのだろうが、それでも人間の成人男性くらいの背丈である。
その女は生首を指差して、
「使わないものであるのなら、もらっていっていいか?」
「……なに?」
「供養してやりたい。かまわぬな?」
老人はしかつめらしい表情で大仰にうなずくと、
「なるほどなるほど、それはよいことじゃて。
しかし、困ったことにひとつ問題があるのう」
「……なんだ」
「呪いじゃよ。この娘は殺した相手を呪っておる。持ち帰れば、おぬしは死ぬぞ」
女は、その言葉に顔色ひとつ変えなかった。
「異論がないようなので、もってゆくぞ――」
言って娘の生首をむんずとつかみ上げ、女は去っていった。
「ふ……ひひひ」
暗闇のなかに、老人の声がこだました。
「ひひひ、ひははは」
去りゆく女に聞こえるのもおかまいなしに、老人は笑いつづけた。
「ははははははははははははははははは――――」
――なんと、心地よい憎悪であろうか。
――なんと、心地よい恐怖であろうか。
(面白いぞ、娘。おぬしは実に面白い。
行動のひとつひとつに、美徳と、正義と、良識が体現されておる。面白く、そして、実にくだらない)
そう、くだらないことだった。ひとの生き死にも、それを肯定するすべての価値観も、彼にとっては塵ほどの価値もない。
くだらないがゆえに――老人は、そうしたくだらない行為をする生き物どもが大好きなのだ。
暗闇と静寂のなか、老人は一人、歓喜の舞を踊りつづける。
ただひたすら、舞いつづける。
(さあ、ショウの幕は上がった。やつらがどのように踊り回るか、見ものじゃて)
舞いながら、老人は心のなかでつぶやいた。
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丘の上はとても美しい風景だった。
「いい眺めだなあ――」
「さぼるのはよくない」
がしっ。
ずりずりずり……
……………………
「おや、サリ、いったいどうしたんだい?」
「ただの散歩よ。シン」
「そうかい。それで、なんでライ氏がそんなところにぶら下がってるんだい?」
「さあ?」
「さあ? じゃねえっ!」
叫んで、俺はサリの手を振りほどいた。
「わ、ひどいじゃないか、ライ氏。女の子にそんなつれないことをするなんて」
「……ひどい。よよよ」
「おまえらが俺をからかってるのはよーっくわかる。それはもう海よりも山よりも」
頭痛をこらえながら、俺はびしっ! と、無表情のまま泣きまねをしてるサリを指差した。
「だいたい、今は隊全体が休憩中だろ!? なんで俺だけサボり扱いされるんだよ!?」
そう、今は昼休みのはずだった。
隊は一時停止し、女たちが炊き出しの準備をするまでの間、男は休憩していいことになっていた。
それで、とりあえず見晴らしのいい場所でぐたーっとして飯を待つ――つもりだったのだが。
俺の抗議にサリは表情ひとつ変えず、ただ、ふるふると首を振った。
「休憩じゃない。野外はいつだって危険だもの。
どんなときでも、周囲を警戒しておくのがプロというものよ」
「するってーとなんだ。俺はみんなが休憩している間もきりきり働けと」
「そう。しっかり働くこと」
「かぁっ……」
頭を抱える。
「どうしてこんなことになっちまったんだ……」
「…………。
たぶん、自業自得」
ぽつり、と彼女はつぶやいて、そのまま去っていった。
(……いや、それはそうなんだけど)
盗みに入ったのも剣を抜いたのも俺なのだから、たしかにそれは正論だろう。
(いつもなら剣を持ったまま、さっさと姿をくらましているところなんだけどなぁ)
俺は、今朝のサリとのやりとりを思い返した。
『この剣の呪いは、基本的には手放せないだけ、だと思う』
『だと思う、って……またずいぶんといいかげんだな、おい』
『整えられた条件下で、落ち着いて調べられればもう少し詳しくわかるけど――でも、この呪いはたぶん、かなり複雑。
なにかのはずみに、いきなり持ち主を取って食う呪いとかが発動するかもしれないから、注意はしておいて』
『んなもん、どーやって注意しろってんだよ!?』
『ちょっとでも異常があれば、わたしか、他の魔人にすぐに言うこと。たぶんなんとかできると思う』
こうして、俺はこの隊商(というより、サリ)から絶対に逃げ出せなくなってしまったわけで。
「その上、昼も夜もなく働けと言われたら、しまいにゃ俺は衰弱死するぞ……」
「まあ、そりゃそうだよね」
「……まだいたのか、おまえ」
言うと、シンはにこっと笑って俺を見返した。
というか、こいつは俺がどういう経緯で剣を手に入れたのかは知らないはずだ。
(あぶない、あぶない。うっかり口をすべらせないように注意しとかないと)
相手はすまなそうに俺のほうを見ると、
「でも、言動は冷たいけど、サリはかなりライ氏のことを気にかけているみたいなんだよ。だから、できれば嫌わないでやってほしいな」
「……? いや、べつに嫌ってはいないけどよ」
「そっか。それならいいんだ」
言って、シンはあからさまにほっとしたような表情を浮かべた。
……なにか妙な誤解を受けている気がしたが、気にしないでおく。
「とはいえ、ちょっとあいつ、厳しすぎないか?」
シンはその言葉にちょっと考え込むと、
「そうだね。実際、ここはけっこう見晴らしのいい平地だから、なにかが襲ってくればすぐわかる。それほど警戒しなくてもよさそうだけど。
それに護衛なんて、ひとりでできる仕事じゃないよ。休めるときにはだれか他のひとと交代して、休んでおくべきだと思う」
言われて、俺は今朝のクランの説明を思い出した。
『実は、この隊商には専属の護衛というのがおらんのですよ。
あれは高いわりにたいした役に立ちませんからな。コストを削減するために、すっぱり解雇してしまったのです』
「交代って、だれと交代するんだよ」
「しばらくでいいなら、僕たちがやるよ」
「……そっか。そういえば、おまえらって魔人なんだっけ」
あまりに自然にここにいるせいで忘れていたが、彼らは対魔物戦のエキスパートなのだった。用心棒など、それこそお手のものだろう。
シンはうなずいて、続けてこう言った。
「むしろ彼女は、いまのうちにライ氏に護衛のやりかたを教えたかったのかもしれないな」
「護衛のやりかた?」
「そうさ。だって、しばらくしたら僕たちはこの隊商から離れてしまうからね。
そうしたら、ライ氏をフォローできるような実力者は、この隊商にはひとりもいなくなるだろ?」
「……そういや、そうだったな」
それはなぜか、とても不思議なことのように思えた。
出会ったときからそうだったせいか、この隊商と彼らは同一のもののような気がしていたのだ。
それが、いつかはこの隊商を去っていくという。
(考えてみれば、俺はこいつらの目的もなにも知らないんだよなぁ)
なんとなく、そのあたりを訊いてみたくなった。
きのうはあまり深入りするつもりもなかったし、なんとなくいやな予感がしたこともあって、あえて聞かなかった。
だが、俺が正式にこの隊商の人間になったからには、いちおう同行者である。目的くらいは知っておいてもいいだろう。
「おまえたちって、なにをするために旅してるんだ?」
ずばり、たずねてみた。
シンは、ちょっとだけ気まずそうな顔をして、
「……それは、さすがに言えない。職業倫理上」
「敵の正体も言えないもんなのか、魔人ってのは?」
「雇い主を特定されてしまう場合がありうるからね。それ以外にも理由はあるけど、ともかく、言えない」
納得する。たしかに、雇い主の情報漏れは重要な問題だ。
なにしろ、魔人と付き合うことは神殿から忌避される行為なのだ。神殿にケンカを売る覚悟でもないかぎり、おおっぴらに魔人に依頼などできるはずもない。
だから、依頼をこなして生計を立てようとする魔人にとって、口の軽さは致命的だろう。
「わかった。じゃ、そろそろ飯ができてるだろうし、行こうぜ?」
「あ、ああ――」
気まずそうな彼の声を聞きながら、俺はキャンプの中央に向かって歩き出して、
「ライ氏!」
シンが呼び止めた。
「なんだよ?」
「さっきの質問に答えるよ」
「……言えないんじゃなかったのか?」
「王からの直々の依頼なんだ。今回については、依頼人の事情はそれほど問題にならない。
だから、正直に言うよ。今回僕たちが追っているのは、『北の妖術師』と呼ばれる強大な魔法使いで、」
そこでいったん言葉を切って、シンは続けた。
「僕の、師匠に当たるひとなんだ」