八日目(2):悪党、儀式をする
「うわ……地平線が見える」
俺はうめいた。
岩巨人の集落のある岩壁の、その頂上。そこに、俺たちは来ていた。
リッサが『成功率を高めるために、なるべく聖別された場所に行きたい』と要請した結果、俺たちはここに連れてこられたのだが。
「見晴らし、すげーいいなあ。正直、この集落にこんな場所があったなんて驚きだ」
「ライ。見とれてないで、行くよ」
「ああ。いま行く」
「こちらです。ついてきてください」
ジロロに手招きされて、歩き出す。
しかしそれにしても、この光景は壮観だった。
広大な『くらやみ森』を二分する、大きな岩壁――『ケセイの岩棚』。
その上に位置するここからなら、『くらやみ森』の果ての果てまで、見通すことができるようだった。
「だりー……こんな日の差す場所の聖地とか、マジありえねー」
と、死んだような顔で言ったのは、センエイだった。
俺もセンエイも、走り通しでここに来たとはいえ、途中で仮眠は取っている。俺自身はそこまで疲れを感じていないのだが、
「おまえ、なんか急に疲れた顔になってない? 大丈夫か?」
「思ったより疲労が蓄積してたっぽくてな。さっき階段上がったときに急激に足腰に限界が」
「そうか。老化か」
「ははは後で殺す」
センエイは疲れた顔に青筋を立てて言った。
「時間との戦いになるよ」
と、言ったのはリッサだ。
「ボクの術、精度がそれほど高くないんだ。どうしても時間がかかるから、サリさんが先に時間切れになったら、救出は不可能。
その場合、その場に居合わせているボクとキミは一巻の終わりなんで、覚悟だけはしといてね」
「それがさっき言ってたリスクか」
「それだけじゃないよ。ライが送り込まれて、そこでサリさんを助けられなかったら、やっぱり一巻の終わり。
精神世界で死ねば現実では廃人になるから、そのへんも覚悟しといてね」
「……ああ」
悲観要素を列挙されるとそれだけで暗い気持ちになるなあ、なんて思いながら、うなずく。
ジロロが口を開いた。
「施術中の世話は、私がお手伝いします」
「助かります、ラ・ジロロ。本来なら、手前が行うべきなのでしょうが……」
「いざというときの最後の手段を用意する必要があるのでしょう? わかってますよ、聖戦士スタージン。それにこちらとしても、聖域に入る人数は最小限が望ましい」
言ってから、ジロロはジト目でセンエイを見た。
「本来なら、そこの汚らわしい魔女にはご遠慮いただきたいのですが。なぜついてくるんでしょうね、彼女は」
「え、観光?」
「帰りなさい。神罰落ちますよ?」
「あ、そう? じゃあ帰ってキスイくんとイケナイ遊びしてくる」
「殺シマスヨ?」
「こわっ! 聞いたかライくん。こいつ聖地で暴力沙汰に及ぶつもりだってよ!」
「……けんかするのはいいけど、サリ落とすなよ。センエイ」
「あいあい、わかってるよ。しかしホントごつごつしてんないまのサリ。私は悲しいよ」
よいしょっとサリを背負い直しながら、センエイ。
ジロロの手前ではああ言ってたが、実際にはこいつじゃないとサリを安全に運べない。
俺が触ると、神格が悪さをして術が解けたりしかねないらしい。他の人間については、サリ側から悪い呪いが伝染する可能性があって難しい。安全に運べるのは、やはり専門家のセンエイだけなのだ。
ふと。サリが、小さく動いたような気配がした。
「……?」
「気づいたかね」
「ああ」
「さっきからときどきこうなってる。時間遅延が限定的にしか機能していない証だ。完全に解けなくても、一時的に暴れ出すようなことはあるかもしれん。油断するなよ」
センエイはそう言って、ふう、と一息。
ふと、気になったことがあった。
「なあ、センエイ」
「なんだね、ライくん」
「おまえ、俺の代わりにサリ助けに行くか?」
センエイは口をへの字に曲げた。
「なんでだ?」
「おまえ、いちおう戦闘屋だろ。勝率が俺より高そうだ」
「そりゃどうか知らんがね。リッサくんは君を指名したんだ。私が勝手に割り込むわけにはいかんよ」
センエイの言葉に、リッサがあわてた。
「あ、えっと……その、べつに特に他意があったわけじゃなくて」
「言い訳は不要さ。仮にも命を預ける相手なんだ。自分で選んだことは、信じなきゃな」
「……はい」
「というわけで、私はこの件でライくんに譲ってはもらえないのさ。あきらめて覚悟決めてくれ」
「ああ。わかった」
センエイの言葉に、俺はうなずいた。
……余計な気づかいだったかな。
俺の視線に気づいたのか、センエイは笑った。
「ま、今回はライくんに任せきるさ。おとなしくキスイくんと遊んでいるよ。主に性的な意味で」
「却下です」
「ふん。いくら却下とわめいても貴様はこっちの用で忙しいだろ、ジロロ。私をどういう手で止めるつもりだ」
「あらかじめガルヴォーンの君に指示を与えておきましたので。近づかせないように」
「うげ!?」
「ふふ。さすがのあなたも彼を出し抜くのは容易ではありませんよ?」
「知ってるわい。……つーか、あいつは一対一でも勝てる気がせん。本当に岩巨人か?」
「断言はしかねますね。
さ、着きましたよ」
言って、ジロロが足を止めた。
そこにあったのは、洞窟だった。
「洞窟の上に出たと思ったら、そこにも洞窟があるとはね……」
「あいにくですが、洞窟と言うほど広くはありません。ほら穴といったところでしょう。
とはいえ、我々の住居の一部ではあります。ちゃんと壁は光るように加工してますので、中は明るいですよ」
「この中にサリを置けばいいのか?」
センエイの言葉に、リッサがうなずいた。
「はい。お願いします。
たぶん、一日くらいはかかると思います。ボクとライのぶんの食料と水を、適宜運んでください」
「了解しました」
「俺は?」
「なるべく近くに。ボクが指示するまでは休んでいていいから、体力を温存しとくこと」
「ん」
……かくして。
長丁場の戦いが始まった。
びぃん……
びぃん……
びぃぃん……
弦の音が響く。
リッサの持つ、弓の音。
『弓の形をしているだけで、弓としては使えないんだ』
弦が強く張られ過ぎていて、まともには引けないのだという。弓というよりは、楽器だ。
それをサリのほうに向け、弦に爪に引っかけて弾く。
弾く。
弾く。
弾く。
ずーっと、その繰り返し。
リッサの額には、ずいぶん大量の汗が浮かんでいる。
「汗、拭こうか?」
「いい。気が散る」
よく見ると、額だけじゃなくて全身に汗をかいているようだった。
これで相手の心を『射貫く』まで、状況は変わらず。
その『射貫く』ことに成功すれば、俺の心が、相手の心に飛んでいく。
本来は、他人の精神の状態を見るだけの平和な術。ただし、弓の素養がないと『射貫く』こと自体が難しい。
玄人のリッサですら、成功率はかなり低く――それを、試行回数でなんとかする。
びぃん……
びぃん……
単調な音が、ひたすら響いていく。
「はーっ、はーっ……」
「おい。そろそろ休まないか?」
「まだ。まだつかめてないの」
振り切って、彼女は前をにらみつける。
気がつくと、彼女の足下には小さな水たまりができていた。
びぃん……
びぃん……
びぃぃん……
「――――」
「休憩、取るか?」
「……そうだね」
ふーっ……と長い息をついて、リッサ。
「水、いるか?」
「うん。お願い。……それと清潔なタオルが欲しい」
「わかった。ジロロに言ってくる」
「……わかってると思うけど、身体拭くときにはここ出て行ってよね?」
「わかってるよ」
ジロロを連れて戻ってくると、リッサは壁に背をもたれて眠っていた。
「お世話はしておきますんで、いったん外に出ておいてください」
「わかった。
……時間感覚がないんだが、どれくらい経った?」
「もう、昼を回りました」
思ったより時間が経っている。
(それほど長い間、集中して作業に没頭していたのか……)
消耗するわけだ。俺だって、かなり疲れが出てる。
外に出ると、センエイがいた。
「はかどってるかい?」
「どうだろうな。とりあえず、疲れたよ」
「ライくんも睡眠を取るべきじゃないかね。実際戦うのは君なんだから、体力は温存しないと」
「ジロロが一段落したら、俺もそうさせてもらうよ」
俺はそう言って、一息。
「……まあ、難しい術みたいだな。あのリッサがかなり参ってる」
「難しいだろうさ。精神を扱う術は、魔術だろうと秘儀だろうと、どれもデリケートだ。一筋縄じゃいかん。
――もしかしたら、それについても一番得意なのは、サリなのかもしれないな。私たちの中では」
「そうなのか?」
「魔技手工の技能の中には、『人形』っていう、物体に精神を付与して使役する技術があるんだよ。
テンやペイはまた違う技巧の専門家だし、サリも技能自体は魔法剣に特化している。が、サリはちょいと特別だからな。もしかしたら、人形術に一家言あるかもしれない」
「そういうもんか」
俺はうなずいた。
そしてふと気になって、たずねる。
「センエイ、おまえサリといつごろ会ったんだ?」
「君よりゃ前だよ」
「そりゃそうだろうけど。ずいぶんサリのことを知ってるなって」
「それも当たり前だ。サリ・ペスティ――『逆さ捻子の虐殺者』。あんな大魔女のこと、私が知らないはずがない。当然、出会う遙か前から、調べに調べたさ」
「なんで?」
「なんでって……」
「いや。いまのおまえがサリ大好きなのは知ってるけど。
出会う前からそうだったわけでもないんだろう? なんで調べようと思ったんだ?」
俺が問うと、センエイは苦笑した。
「正面から問われると苦しいな。……そうだな、一言で言えば、私が弱いからさ」
「弱い?」
俺は首をかしげた。
「なんとなく、俺はあの魔人連中の中でも、おまえはトップクラスに強い気がしてたんだけどな」
「サリを除けばそうだろうな。が、そりゃ形だけさ。
ライくん、私はね。サリみたいに特別な異能があるわけでもないし、ハルカみたいになにかを極められる腕も持ってない。コゴネルみたいになにかを背負ってるわけでもないし、マイマイみたいな天性の才気があるわけでもない。創造性という意味じゃ、ペイにすら劣るだろう。そんな私が、一人前の魔女としてやっていけるためには――とにかく、ひたすら情報収集して、分析して、真似るしかなかったんだ」
「真似る?」
「ああ。強い魔人の必殺技、そいつを解析して、真似る。自分のものとしてな」
「サリのあれもやったのか?」
「カケラもできなかったが、試そうとしたことはあるよ。
……まあ、万事それだ。本当の天才の必殺技と、私のパチモンとでは、クオリティに雲泥の差がある。だから私は『偽物』なのさ――できることは多いが、どれもこれも一流じゃない。ただの『偽物』だ」
「そういうもんかねえ」
俺は気のない返事をした。
……たぶん、それで使い物になるために、こいつは血のにじむような努力をしていると思うんだけれど。
「ま、いいや。俺も眠くなってきたし、おまえもちゃんと睡眠を取れよ」
「キスイくんが添い寝してくれるなら考えるさ」
「まだあきらめてないのかよ……」
「当たり前だろ。あのデカブツが守っているとはいえ、チャンスがないわけじゃない。奴とて睡眠は取るはずだし、そのときこそが勝負……!」
ぶつぶつ気持ち悪くつぶやくセンエイを、俺は放っておくことにした。
ちょっと中途半端なところですがここで切ります。
このあたり、どこで切ってもいい分量にならずに苦労しました。




