七日目(3):悪党、関係を聞く
走る。
急がなければならない。
急がないと――
(これは、最初から私たちの特性を理解した敵の――!)
「!」
通路の向こうに、魔狼の影。
(多い……たぶん、30匹以上……!)
「陣形『剣乃舞』、実行!」
最も自由度が高い、完全手動モードを選択。一切のタイムラグなく突撃する。
――刹那、ぢぃん! という音が、耳元で鳴った。
「貴様、我が幻術を――!」
『笑止! 透破を前にまぼろしとは笑わせる――!』
横でミスフィトとトゥトが戦っているのを感じる――見えないが、そんなことを気にする余裕もない。短剣を抜く。
「はぁあっ……!」
全力制動。群れが悲鳴を上げながら、またたく間に潰えていく。
わたしのスペックは衰えてない。
なのに。
(なんでわたしには、なにも見えなかった――!)
「っ!」
足を止める。
併走してきていたミスフィトとトゥトが、追い越していくのを肌で感じた。
トゥトはあれで大丈夫。この方向にミスフィトを置いたのは、敵の最大の誤算だろう。
黄金と鋼の国として知られる岩小人の社会の中で生まれた、忍者と呼ばれる魔術使いの一種。
その実体は魔術を扱う『魔人』ですらなく、とにかく『体術でも魔術でもそれ以外でも』なんでも用いて、隠密とその看破にすべての技能を費やした、異形の職人集団だ。
本来ならばミスフィトの方が格上の魔人だが、相性が良すぎる。あれが負けることはまずないだろう。
だからこそ。わたしは、わたしの戦いを遂行しなくては。
「――そうね。幻を扱うのに適した無地の燎原を十全に扱えるのは、ミスフィトだけではないものね。
シン・ツァイ。勅命に従い、我らに刃を向けるか」
静かな殺気を秘めた声に、前方の男もまた、静かに答えた。
「悪いね。上からの命には逆らえない。それがこの力の代償のひとつでね。
ここで足止めさせてもらう」
「足止め? 倒すのではなく?」
「……口が滑ったか」
言って彼、シンは、剣を――幻でできた、見えざる剣を構えた。
「真儀解放なしで、わたしと戦うと?」
「無論だ」
「それで、わたしをどうにかできると?」
「連続の解放はリスキーなんだ。君もわかっているだろう?」
「……まあ、ね」
彼の力の秘密、そしてリスクは、最初にパーティを組んだ際にすべて明らかにされていた。
彼が本気を出すとなにを呼び込むか。それも、ちゃんと聞いている。
「それに、さ」
「それに?」
わたしの言葉に、彼は笑った。
「正直、真儀解放程度でどうにかなる実力差にも思えないんだよ。フレイア・テイミアスごときならともかく――かの『逆さ捻子の虐殺者』を本気で相手に取るには、準備が足りていないと言わざるを得ない」
「その二つ名、嫌いだって言わなかったかしら」
「嫌いだろうとなんだろうとついて回るのが二つ名だよ。
……ま、そういうわけさ。僕の今回の仕事はあくまで時間稼ぎ。無論、この長話もその一環のつもりなんだけど――」
シンはそう言って、首をかしげた。
「存外におとなしいじゃないか。なにか秘策でもあるのかな?」
「言い方が悪かったようね、シン・ツァイ――」
わたしは静かに言った。
「わたしが言いたかったのは。真儀解放もなしに、たとえ足止めに全力を割いたとしても。このサリ・ペスティを前に一瞬でも稼げると本気で思っているのか、ということよ」
「…………!」
相手が緊張感を増した。その瞬間。
「なに!?」
――もう、シンは後ろに抜き去っている。
覚悟が甘すぎる、と言わざるを得ない。相手がただの足止めのつもりであることがわかってしまえば――お互いに攻撃が主目的でないとわかってしまえば。脇を抜けて駆けることに限定すれば、この条件でわたしを足止めできる魔人など存在しない。
我に追いつく敵影なし。
(足止めが目的だと言うならば、この道で合っているということ)
すぐにトゥトとミスフィトの戦場に追いつき、さらに追い越しながら、わたしは念じる。
(待ってて、みんな!)
「やれやれ。さすがにここまできれいに抜かれるとは思ってもいなかった」
シンはそう言って、ぽりぽりと頭を掻いた。
とはいえ、先方への仁義はまあ、これで一応果たしただろう。あともうひとつ仕事があるが、それは後の話。
だからこの思考はあくまで一介の魔人、裏切り者のシン・ツァイとしてのものなのだが。
「しかし。不気味なまでにグラーネルの思い通りに行っているのが気になるな……」
ぽつり、と漏らす。
サリをこの短時間で逃したのは予想外かもしれないが、問題はそのサリの状態だ。
(魔物の制御を欠いている――否。そうなるように呪いをかけられていることに、気づいていない)
おそらく、あのレイクルとかいう奴の仕業だろう。そのせいで、いつもより心なしか、サリの精神の不安定さが増していた。
となると、出てくる可能性はひとつしかないのだが――
「センエイ……なにを考えている? 君ならこの展開、見通せたと思うのだがね」
思ったより苛立った口調になったことに、自分で驚く。
そして、ふっとシンは、口元をほころばせた。
そうだ。彼女が、それを座視しておくはずがないのだ。
ならば。
「なるべくなら、サリの死体をかついで帰るのは遠慮したいところなんだが――そうならない方に彼女が賭けたというのならば、僕もそれに乗るとしよう」
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「ところで、ちょいと聞いていいか?」
俺は足を止めて、言った。
コゴネルが不審そうに、
「なんだよ? 唐突に」
「いや。気になってきてな」
「雑談の時間はあまりないぞ。例のオオカミどもが、また出てくる可能性がある」
「そうなんだけどさ」
俺は言った。
「結局、いまの俺たちの目的って、なんなんだ?」
「え? そりゃあ、あの妖術師の首を――」
「ここまで罠満載の状況にぶっ込まれてて、当人なんてもういるわけないんじゃないのか?」
「……そりゃ、そうだな」
コゴネルは不承不承、見つけた。
「あん? なんだよコゴネルちゃんよ、おまえまだそのことについて考えが至ってなかったのか?」
「まるでおまえは考えてたかのような口ぶりだな、バグルル」
「まるまる?」
言われてバグルルはがははと笑い、
「俺が考えるわけねーじゃん! 馬鹿かこいつ!」
「うっわ殴りてー。超殴りてー」
「まあ聞けよコゴネルよ。俺たちに悩む必要なんてねえんだよ、そもそも」
「あ? なぜだよ」
「いや。脱出するにしても探索するにしても、とりあえず合流してからだろ、この状況じゃあ。
そんで合流しちまえば、サリやらテンが今後の方針を考えてくれるってわけだ! だから俺たちが考える理由なんてなんもねえ!」
「あああこの妙に合理的な脳筋いらつくぅ……!」
コゴネルは地団駄を踏んだ。
それを見て俺は、ふと思う。
「なあ」
「あん? なんだよライ」
「いや。バグルルとコゴネル、おまえらってどういう関係なんだ?」
言われてふたりは、顔を見合わせた。
「言ってなかったっけか」
「かもな。俺たち、そういうの自分から言わねえし」
「それじゃ効果ねえだろ……本当に脳筋だよなおまえ」
「? なんの話だ?」
「いや、だから――」
突如として爆音が響き渡ったのは、その瞬間だった。
「! なんだ!?」
「反響してわかりづらいが――こりゃたぶん前方だぜ」
バグルルが言って一歩踏み出した、直後。
なにか黒いモノが突如として前方から飛んできて、バグルルが吹っ飛ばされた。
「親父!」
コゴネルが悲鳴を上げて、そちらにすっ飛んでいった。
俺はそれは無視して、飛んできた黒いモノの方を見た。
魔狼の死体。それも、たくさん。
それにまぎれて、一人、旧知の仲が飛んできていた。
「テン、生きてるか?」
「な、なんとか……衝撃吸収素材を開発しておいて正解でしたな、げほっ」
ドクトル・テンはそう言って激しくむせた。
「さんかくー!」
ミーチャが叫んで、これらが飛んできた方に飛んでいった。
俺も行こうとしたのだが、
「やめた方がよろしいですよ、ライナー・クラックフィールド」
不意にテンに呼ばれ、足が止まる。
「なぜ?」
「この先は……地獄です。我ら魔人は地獄へ挑むが定め。されどもあなたは――」
「まーだ言ってんのか」
俺はあきれて、それからテンから視線を外して前を向いた。
「正直な、俺もまあ、やり過ぎな気はしてるんだがな」
一歩、足を踏み出して、
「竜を呼び込んだりいろいろしたのはおまえらへの借りだってのは、本気で思ってるのさ。
そして借りもまともに返せない馬鹿は、大悪党じゃねえんだよ!」
走り出す。
眼前へ広がる地獄を、まずは理解するべく。
「わけわかんねえ……」
大広間の入り口で、俺はぽつんとつぶやいた。
いや、まあ、わからなくもないのだが。
大量の魔狼の死体の中、ふたつの怪物が戦っているのだけは、わかる。
片方は石造の巨大人体。
もう片方は、空を飛ぶ虹色の蛇。
そこまでは理解できるのだが、しかし。
(展開が早すぎて目で追えねえ――! それに、なんだこの圧!)
凄まじい力の波動を感じて、立ちすくむように棒立ちになる。
「馬鹿、ぼーっとしてんじゃねえ!」
「うおっ!?」
声と共に、俺は引きずり倒された。
声の相手を見ると、
「コゴネル? それにバグルルも」
「よう。すんげーことになってんな」
「バグルル、傷は大丈夫なのか?」
「がはは、俺様があの程度でどーにかなるかよ。おまえもコゴネルも心配性なんだよ」
「ちっ。反論してえが、いまはそれどころじゃねえな」
コゴネルは言って、伏せの姿勢から前を見た。
俺もつられるようにしてそちらを見る。
「なんなんだ、あの蛇と石像は? コゴネル、おまえは知ってるのか?」
「蛇はわかる。竜祖イルルヤンカだ」
コゴネルは言った。
「ハルカの使う、最上位の召喚原理のひとつだ。つーことはあれは、たぶんハルカが召喚したんだろうさ」
「じゃあ……」
「だが」
コゴネルは歯がみした。
「あんなものとまともに戦えるゴレムなんて、聞いたことがない。あの石像、あれはいったい、なんなんだ――?」
【用語解説】
『竜祖』
竜の一種。世界の記録に残る限り、はるかな過去からずっと存在し続けた竜種。
後に竜属性と分類されるものを持っているために便宜上分類されているものが多く、かなり多くの竜祖は典型的な竜の姿を持たない。
今回出てきたイルルヤンカは蛇状であるだけ、まだ竜っぽいものである。




