六日目(2):悪党、魔物たちに襲われる
「ただいまーっ」
元気な声がして、ふと顔を上げる。
果たして、そこにいたのは自分の雇った小娘であった。
小娘――とは、外見のみを捉えた言葉である。実際、このフレイア・テイミアスという名の少女は、齢1500にも及ぶ大魔女だ。
「成果は?」
「ダメだった。やっぱいつの時代も、ホルサの剣士は強いね。
そっちは? なんか小細工してたみたいだけど」
言葉に、肩をすくめる。
「失敗じゃな。奇襲作戦と軍勢、どちらも倒された。
奇襲のほうは手ひどくやられてな。雇った魔人どものうち二人は手傷を負って逃走。残る一人は――」
「心臓をぶち破られて終わり。って感じかな? ふふ、ふがいないねぇ」
声は、後ろから聞こえた。
「ほう。もう生き返ったかの?」
「まあね。というか死んでないし。
こんなこともあろうかと予備の心臓を作っておいてよかったよ。あの子、容赦なく本体を殺してきたからなぁ」
あはははは、と脳天気に、人形遣いは笑う。
それを見て、フレイアは顔をしかめた。
「わー。ヘンタイだ。ヘンタイがいるー。きもーい」
「おやおや。嫌われたもんだね。初対面なのに」
「初対面で全身紫タイツの馬鹿と出会ったら誰だって引くと思いますけどー。
ていうか、その身体って人形じゃない。いまどきそんなマニアな武装使ってるのなんて久々に見たよ。うわーやだやだ、殺したくなーい」
しぶい顔で、フレイア。どうやら本気で引いているらしい。
「ほほ。意外にも可愛らしい弱点を持っておるようじゃの。フレイア・テイミアス」
「弱点? 冗談でしょ。私がそいつを苦手とするのは弱いから。どうしようもなく弱すぎて、殺してもなにも気持ちよくなさそうだから嫌なのよ。
てか、そんなヘンタイの話よりさー。残りの二人は? そこに転がってる黒こげのとちみっちいのがそれ?」
言葉に、黒こげのとちみっちいのが反応した。
「……ミスフィトだ。焦げてるがよろしくな」
「プチラですー。鬱ですー。働きたくないでござるー」
「よろしくー♪
うんうん。若い魔人は初々しくていいねえ。殺していい?」
「やめとくれよ。そいつらまで死んだらこちらの手駒が激減してしまうわい」
「はーい。わかったー。
でもさ、彼らが倒されたのはなんとなくわかるんだけど、軍隊のほうも失敗したの? ふがいないねー、あれだけ人数差あったのに」
「まあな。
わざわざ地図も用意し、戦闘中には『生贄』の現在位置まで教えてやったのに、なにひとつ行う前に退場してしまった。困ったものじゃて」
「そりゃ人選が悪いよぉ。じーさん、自分で制御できなくなるの恐れて、必要以上に愚かなヤツに声かけたでしょ?」
「反論できんの。癪ではあるがな」
かっかっか、と笑う。
「ま、それはしょうがないとして……で、気付いてる?」
「無論。ここは我が結界であるぞ。気付かぬはずがなかろう」
言って、ふたりはそれぞれ部屋の入り口あたりを見た。
「やはり、ここにいたか」
「わざわざ追ってきたの? ホルサの剣士」
「いや。君は見失ったよ。ただ、それとは別に、この場所には見当がついていたんでね」
彼――シン・ツァイは、あくまで淡々と言った。
「……ふん。
それでなにをしに来た、弟子よ。まさか、この人数にひとりで対抗できると思ってはおるまい?」
「グラーネル。あの生物はなんだ」
にやり。と、笑う。
「聞かねばならぬことかな、弟子よ」
「確認だ。
魔狼。破滅の申し子、魔王の出来損ない。だが異質なのは、それが人の統制下にあるということだ。
召喚ではなかろう。あれを顕現させるためには、世界そのものを召喚するのと同等の力量が必要になる。フィーエン・ガスティードにもできなかったことだ」
「フィーエン・ガスティードにできなかったことが、わしにできぬと考える根拠もないと思うがね。魔狼を呼ぶだけなら簡単じゃよ」
「ああ。呼ぶだけなら簡単だろうさ。先例もあるし、センエイあたりならたぶん可能だろう。
だが、そこで現れる魔狼は通常、単体だ。今回のように集団で呼ぶには、べつの方法が必要になる」
「つまり?」
「貴様、奥義の断片を手に入れたな?」
「正解、正解。――まずはさすが、といったところじゃの。弟子よ」
「心にもない言葉をありがとう。……で?」
「で、とは?」
「余は交渉に足ると判断した」
シンの雰囲気が一段、変わる。
「奥義を見せびらかしたのはそのためだろう? 実際、あの局面であそこに魔狼を展開させておく必然性などほとんどなかったからな。
それでなにが欲しい? さっさと用件を言え」
「ふん。せっかちじゃのう。交渉の妙を知らん若造はこれだから困る。
ま、よかろ。これから言うもの、そのうちのいずれかを拾ってくるがよい」
言って、彼はいくつかのものを列挙する。とたん、シンが顔をしかめた。
「……理解できん。何故「拾う」と? そもそも、それらは落ちているようなものではないはずだが」
「すぐに落ちるわい。すぐにな」
「なにを企んでいる?」
「まあ聞け。わしは事前に、岩巨人どもと交渉する際に偽のアジトを用いた。いま、やつらはそれを聞いて、偽のアジトの位置をつかまされているはずじゃ」
「その偽のアジトは、どこに?」
「無地の燎原」
「……そういうことか、妖術師」
「そういうことじゃよ。簡単であろう?」
「よかろう。報酬を用意して待っていろ」
言って、即座にシンの姿は消えた。
「うええ、なんかよくわからないけど人が消えたよミスフィト。すごくない?」
「よそ見とは余裕だな、プチラ。俺はいま治療中なんで黙っていろ」
「ふむ。無地の燎原かあ。幻術に素養のない僕の人形はちょっと、行動が難しいんだよなあ。あそこは」
「てことは、今回あたしたちはお休みなの?」
「フレイアは休め。残りは働いてもらう――正念場じゃ。ここで決着を着けられんと後がまずいからのう」
「ちぇー。仲間はずれかー」
「そのうち出番が来るわい。だいたい貴様、召喚のための魔力をあらかた使い切っておるじゃろうが」
「はーい。わかりましたよぅー。ぶー」
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結局。
サリは、見送りに来なかった。
「まあ、仮眠を取ってる途中だったんだからしょうがないけどさ……」
「やっぱ、さびしい?」
「ちょっとな」
リッサの言葉に答えながら、ぼーっと空を見上げる。
がらがらがらと馬車が進む音が、やけに大きく感じた。
いろいろ面倒見てもらったし、礼くらい言っておきたかったんだが。
ため息をついて空を眺めていたら、ふと横でへんな顔をしているリッサに気がついた。
「なんだよ?」
「ライもそんな顔するんだなぁ……って。ちょっと意外」
「……へんな顔、してた?」
「そういうわけじゃないけどさ。
ただね。そんなに気になるなら、ちょっとぐらい出発を遅らせればよかったのに、って思ったの」
「無茶言うなって。ただでさえ、街道から外れて予定が遅れてるんだ。これ以上俺だけの都合で待たせられるかよ」
「そりゃ隊商はそうだけど。キミひとりならできるでしょ?
どうせこっちは集団だから、足遅いんだし。あっちの出発まで待って、それから追いかけてくればいいじゃない」
「それじゃダメだ」
「なんで?」
「いまの俺の仕事は護衛だろ。護衛が私事で本隊離れてどうするよ」
実のところ、リッサがいま言った程度のことは当然、俺だって考えた。
クランなんかも、気を利かせて「べつに構いませんよ」と言ってくれたりしたのだ。
けど、
(そんなことしたら、護衛の心得を教えてくれたサリに申し訳が立たないよな)
リッサはそんな俺をじろじろ見ていたが、ふっ、と笑った。
「ライ、ちょっと変わったね」
「そうか?」
「うん。最初に会ったときより、大人っぽくなった」
「……自覚はないんだけどな」
まあ、やらなきゃいけないことができた分だけ、落ち着いて考えるようになったのかもしれない。
「少なくとも、しばらくは生き延びなきゃな。サリと、シンに再会するまでは」
つぶやいて、俺は立ち上がった。
「どこ行くの?」
「ちょっとその辺を見回って来る。護衛がいつまでも、だらだら馬車で休んでいるわけにもいかないからな」
「あ、うん。がんばってね」
「ああ」
言って、俺は馬車の外に飛び出した。
『くらやみ森』もそろそろ北端に近いこのあたりは、ヴァントフォルンが近場にあることもあって、街道の風化度合いもそれほどひどくないらしい。
が、それも『紫の街道』を直進していればの話。
魔物が出るということで迂回した以上、狭い間道を通って行かなければならない。
馬車が通れないほどではないとはいえ、右も左も森が迫ったこのあたりはだいぶ暗い。
(いきなり狼が大群で飛び出してきたりしたら、ちょっと対処しづらいなぁ)
先の集落で聞いた話ではそういう事例はあまりないということだったが、油断はできない。
「急に負担が重くなったな。やれやれ」
「なんなら、手前がお手伝いいたしましょうか?」
「……どっから湧いて出た。なんちゃって神官」
「いやあ。散歩していたら偶然見かけまして。はっはっは」
陽気に笑うスタージン。……いや、それはべつにいいんだけど、サリ並の隠密で背後に回るのはやめて欲しい。心臓に悪い。
「手伝うって言われてもなぁ。神官っていちおう偉いんだろ? 護衛の手伝いなんてさせたらまずいだろ」
「おや、奇妙なことを。それを言うなら、あなただって隊商の護衛などという身分ではないでしょうに」
「……この、剣のことか?」
「左様にございます。神の代理」
スタージンはそう言って、うやうやしく一礼。
「偶然拾っただけなんだけどな、この剣」
「偶然とは、運命の別名にございます。あなたが剣を偶然拾われたのならば、それは運命だったのでしょう」
「んなこと言われても……だいたい、俺はキスイと違って、バルメイスの魂とか呼び出せねーぞ?」
「呼び出したら大変ですから」
「あん?」
スタージンはにこやかに笑って、
「狂神たるバルメイス神の人格など呼び出してしまったら、この森がペンペン草一本生えない荒野に変わってしまいます。呼び出せなくて僥倖ですね」
「いや、そんな淡々とすごいことを……ていうか、バルメイスってヤバい神様なのか?」
「いやあ、それはもう。神殿がいなかったことにしたい神・大巨人トップ10に入るくらいです」
「そのトップ10、ぜひともぜんぶ聞いてみたいんだが……」
「それはご勘弁を。だれかに聞かれたら手前の首が飛びます」
「……なら最初から言うなよ。
ま、要するにこの剣にはあんまり深入りするべきじゃないってこったな」
「ですな。さわらぬ神にたたりなし、ということで」
「ひょっとして、それを忠告するためにわざわざ来てくれたのか?」
「はて、なんのことでしょう?」
にこにこ笑いながら、スタージンはとぼけた。
「ま、どっちでもいいさ。忠告はありがたくもらっておく」
「左様で。
時に、気がつかれましたか?」
「え?」
「風の音に注意を。なにかが近づいております」
言われるままに耳をすます。
いまのところ、あまり気になる音はないが――いや。
近づいてきている。
「これ――木の上か?」
「た、大変ですぅっ」
「おうあっ」
いきなりでかい声を上げられてのけぞり返る。
「ど、どうしたグリート。あの腐れ神官補がまたなにかやらかしたか」
「それどころの話じゃありませんよぉっ。先頭の馬車がへんなのに取り囲まれてるんですっ」
「んだってぇ!?」
ちっ、と舌打ちをして、スタージンのほうを向く。
「見えている敵だけじゃない。たぶん横からも来る。狭い場所だから、隊商全体がゆっくりUターンするような挙動は無理だ」
「どうします?」
「悪いが手伝ってくれ。俺が先頭を守っているうちに、最後尾までぜんぶの馬車にその場で後ろを向くように伝えてほしい。
それが完了したら、最後尾が先頭になって岩巨人の集落まで逃げる。あそこにはまだ魔人たちがいるはずだから、安全だ」
「承知」
うなずきあって、俺たちはそれぞれ駆けだした。
【2017年12月28日、追記】
ふりがなの振りミスを発見したので修正しました。




