四日目(1):悪党、未来を見る
深い、深い空洞。
この空洞ができた年代は、それほど新しくはない。
過去、神や大巨人たちが空からの攻撃を恐れて地下へと潜伏したというのが、その原型。
その彼らがくり抜いた地底の迷宮を再発掘し、利用し、拡張し、そこに居住するのが、岩巨人たちの伝統的な生活のスタイルだ。
が、
「不思議なのは、そのような住居の形態をしている種族が、決して多くないということですね」
ラ・ジロロはそう、相手に語りかけた。
彼女はこくりと首をかしげ、
「それは、不思議なことなのでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
うなずく。
「もし、神や大巨人が勢力の本拠を地下に移したのなら、その傘下にあった多くの種族たちも、そこに移住してしかるべきだと思うのです。
ならば、たとえば人間族などはなぜ、岩巨人族のように地下で生活していないのか。不思議でしょう?」
ハルカという名の、森小人の魔女は優雅なほほえみを崩さず、しかし首を振った。
「あまり不自然とも思えません」
「そうでしょうか」
「はい。この縦穴から漂う獣臭を考えれば、瞭然かと」
集落の突き当たりにやや唐突とも言える形で空いたその縦穴からは、不気味なうなり声や悲鳴がひっきりなしに響いている。
洞窟という地形は、不可避的に魔物の自然発生を生む。
居住しやすい環境とは考えられない――そう、魔女は言っているのだ。
「音響制御の秘儀で、この一帯の反響は極力抑えてはいるのですが。やはり、不気味であることには変わりませんね」
「岩巨人のあなたでも、そう感じますか」
「岩巨人族は狩人です。そして狩人は、不必要な危険は避けるものです。
まあ、ここを這い上がってくる魔物などがいれば、即座に狩り役が討ち滅ぼしますがね」
「岩巨人族においては、魔物と触れることは禁忌ではないのですね」
「無論です。魔術を学ぶことは禁忌ですが」
「その、禁忌中の禁忌である、霊魂技師の私を頼るのですか」
「それが必要ならば、禁忌を犯し罰を受けるのもまた、祭り役の使命ですので」
静かに、相手を見る。
この得体の知れない、しかも唾棄すべき価値干渉能力の使い手である魔女は、けれども実力と人柄の双方において、非常に信頼できる相手だった。
「運命律が、波乱を呼んでいます」
「それは、神話に律せられる災厄が?」
「でしょうね。当代の『生贄』は未熟ですので、未だそれを感知してはいないようですが」
「先代であるあなたは察知し得た。そういうことですか」
彼女の言葉に、うなずく。
「無論、私の勘違いかもしれません。ですがこれほどの異変、確認してからでは手遅れです」
「それほどの、大きな変事ですか」
「ええ。
すでに狩り役には通達しています。明日が無事に過ぎれば、我々だけでも状況に対処できるだけの準備が整います。
ですが明日に異変が起これば、そうはいかない。そのときのために、あなたたちの助けが欲しいのです」
「理解しました」
魔女はうなずいて、そしてごく普通に、リラックスした表情でこちらを見た。
「それで、私になにを求めるのですか」
「智慧と、お力を。
考え得る敵が何者で、なにを目的としているのか。想定される攻撃はどのようなものか。専門家でない私には、判断しかねます」
「目的は『生贄』です」
「……なぜ、そう言い切れるのです?」
「現在、この集落で価値あると思えるものはふたつ。ライナー・クラックフィールド少年の持つ神鳴る剣と『生贄』です。
が、前者であれば、わざわざひとの多いこの地で襲うよりも、移動した後に襲った方が得策です。
また、前者がこの場に存在するという情報を集めることも困難です。であれば、後者が目的であると考えるのが妥当でしょう」
「ふむ……」
「目的が定まれば、敵の正体は自ずと知れようというもの。お心当たりはございませんか」
「あります」
言う。『生贄』を狙って動く脅威と言えば、思い当たるのはひとつしかない。
「北の帝国が、動いているようですね」
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朝。
(結局、あんまり満足には眠れなかったなぁ……うう、眠い)
早寝早起きは三文の得、というのがクラックフィールド家の家訓なのだが、さすがにあれだけ断続的に寝たり起きたりしていると、つらい。
と。
「あー……おはよー……」
「……いまにも死にそうな声だな、リッサ」
「うー……まあね」
真っ青な顔と充血した目で、リッサ。
「結局、あれから眠れなかったのか?」
「うん……ほとんど寝てない。
なんか、ふと起きたら部屋の扉が不自然に開いててさ。それが不気味で。部屋のなかになにかが潜んでいるんじゃないかと気になってとても寝るどころじゃ――なんで目を反らすの?」
やばい。ふつーにドア閉めるの忘れてた。
「い、いや、なんでもない」
「そう……」
特にそれ以上つっこむこともなく、リッサはあくびをしながら部屋のほうへ去っていった。
……ちょっとだけ、罪悪感。
(まあ、あのときはキスイへの対処で精一杯だったしなぁ)
思ったその、瞬間。
視る。
森の中。黒い軍団がやってくる。
巨大な、人間より一回り大きなものたちの軍勢。
彼らの手には、かすかな木漏れ日を受けて輝く勇壮な槍。
それらが一手に、こちらに向けて押し寄せて来る。
「!?」
即座に、だっ、と駆け出す。
リッサの部屋のドアを開け放ち、
「え、ライ、ってちょっとうわきゃー!?」
目の前にいた彼女をむりやり押しのけて、窓に駆け寄る。
「こ、こら! キミねえ、女の子の部屋に――
……ライ? ねえ、どうしたの?」
ただならぬ様子に気づいたリッサが、こちらに問いかけてきた。
それは無視して、俺は眼下の森を見回した。
あの幻視が、現実のものであるならば――見えるはずだ。
と、森のなかに、きらりと光るなにかが見えた。
「……やっぱり、そうか」
「おう、ここにいたか」
振り向くと、ペイがそこに立っていた。
「声が聞こえたからな。こっちに来てると思った。早く避難したほうがいいぜ」
「ひ、避難? それってどういうことですか!?」
「なんかさ、戦が起こるかもしれねえんだと。岩巨人どもはぴりぴりしてる。俺たちにも、協力依頼が来た。
が、まあ神官や隊商には関係のない話さ。とっとと先に進んで避難しちまえや」
「手遅れだ」
「あん?」
俺は、眼下の森を指して言った。
「すでに兵士が潜んでいる。この場で出ようとすれば、相手に捕まるだけだ」
「んだってぇ!?」
言われて、彼はあわてて森を見渡し、即座に頭を抱えた。
「っちゃぁ……早すぎだぜ、それはよぅ」
「どうする?」
「どうもこうもねぇ。非戦闘員を隔離してる区画があるから、神官様と隊商の連中連れてそこ行け。戦わない奴がいると戦闘の邪魔だ」
「ぼ、ボクだって戦えるよ!?」
「おいおい、そいつぁ神殿が介入したことになっちまうぜ」
「え、あ、でも、」
「いくらなんでも、神官ってほど高位な人間が片側に荷担するのはまずいだろ。相手方だって相手方の事情はある。
ま、こういう荒事は俺らみたいなアウトローに任せときな。一宿一飯の恩くらいには、報いてやるつもりだからよ」
言ってペイは、ぱちりとウインク。
「ちなみに、俺は?」
「戦う気、あるか?」
「いやちっとも」
「なら最初から聞くな」
ごもっとも。
「まあ、じゃあさっさと避難しとくわ。死なない程度にがんばっとけよ」
「へっ、言われなくたって、死ぬほどのヘマはしねーよ」
「おう。
リッサ、行くぞ」
「う、うん」
リッサの手を取って、駆け出す。
避難先は、例の壁画の間だった。
(これだけ大きな空間だと、楽々みんな入るんだなぁ)
昨夜の宴会で、だいたいこの集落の人口が100人ちょっとであることはわかっている。
ここにいるのは、そのうちの半分くらい。隊商の連中を入れても、悠々入ることができる面積があった。
(まあ、それはいいんだけど……)
「? どうかしたのですか、ライ殿」
俺が考え込んでいることに気がついたのか、クランが話しかけてきた。
「いやさ、ちょっと気になったんだけど、ここって袋小路だよな?」
「はあ、そうですな」
「偶然に防衛線を突破した敵が迷い込んできたとき、逃げ場がないのはまずいんじゃないのか?」
「そのときにはよろしくお願いしますよ、ライ殿」
「…………」
無責任にとんでもねーこと言いやがる、このじいさん。
(なんか、竜の一件から妙に実力を過大評価されてないか、俺?)
「ふん、そんな心配は無用だわ、たわけが」
「うわ!?」
突然湧いて出たダメ神官補にのけぞり返る。
というか、
「おっさん、おまえ魔人たちに焼き殺されたんじゃなかったのか?」
「なんでだっ!? というか、昨夜の宴席にもいただろうが馬鹿者っ!」
「そうだっけ?」
「……もういい。貴様の記憶力に期待した私が愚かだった」
「いまさら謙遜しなくてもおまえがバカだってことは周知の事実だぞ」
「うるさいわっ」
こほん、とサフィートは一息。
「ともかく、奴らが攻め込んできたときのことなど心配する必要はないのだ」
「……なんで?」
「無論、我々がいるからに決まっておろう」
「……?」
言われ、まじまじと相手を見やる。
「なんだかむかつくからみんな真っ先におまえを標的にするので、その間に逃げれば大丈夫ってことか?」
「なんでそうなるっ!?」
「いや、それしか思いつかなかったから……」
「ええい、理を知らぬ愚か者め! いいか、ここには神官が二名、神官補が一名いるのだぞ!
どこの軍隊か知らぬが、神官に牙を向ければ神殿を敵に回すことくらいは承知しているであろう! である以上、ここで戦闘など起こるはずがない!」
「……はあ」
つまり、神殿の威光さえあれば殺されることはない、と。
まあ、たしかに常識的な相手なら、そうなんだろうけど。
「敵が目撃者を皆殺しにして口をぬぐう可能性は?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「うむ。防御はまかせたぞ、小僧」
「結局それかい!」
「ははは……まあ、そういった場合には手前どもも参戦しますから、それほど不安がらなくて結構ですよ」
「――だと、いいんだけどな」
スタージンの言葉に、答える。
「なにか、不安要素がおありで?」
「んー……それほど固まってるわけじゃないんだけどさ」
考える。
この集落に来る前から感じていた漠然とした不安は、未だに胸のなかでくすぶっている。
(なにか、よくないものを感じるんだよなぁ)
昨日、一日の行動を思い返してみる。
なぜか特別扱いだった自分とリッサ。
にぎやかな宴席。
部屋交換とその後の騒動。
そして――
視る。
空から、なにかが降ってくる。
強靱そうなシルエット。
その人物は、腰に差した剣を抜き放ち、彼女へと向けた。
見覚えのある、光の中の光景――
「!?」
気づく。
キスイの姿は、この部屋のどこにもない。
「キスイは!? あいつはどうしてここにいない!」
俺の剣幕に驚いた様子ではあったが、クランは冷静だった。
「秘儀をいくらか使えるようでしたからな。支援のために戦場におられるのでしょう。
まあ、あれだけの神秘に満ちたお方ですからな。そうそう怪我などをされるとも――って、ライ殿!? いったいどこへ?」
「悪い! ちょっと急ぐ!」
説明を放棄して、俺は駆けだした。
(幻想でしかないかもしれない。けど、さっき見えた幻覚だって現実のものだった。
なら――キスイが危ない!)
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(気づいた――だと?
ふむ。やはり予想外に厄介だな。報告しておくか……)




