三日目(3):悪党、神話を見る
通された部屋は、どうやら賓客用に特別に用意されたもののようだった。
(はぁ……なんか、調子狂うなぁ)
豪華に飾りつけられた部屋をながめながら、ため息。
あの後。
例の『生贄』とかいう女の子に気圧されて、なにがなんだかわからないうちに、気がついたらひとりでこの部屋にいた。
移動した記憶がほとんどない。途中、どういう会話をしたのかもよく覚えていない。
それだけ衝撃が大きかったということだが、しかし、
「あの気配が女王だったのかな」
独りごちる。
窓の外に目をやると、どうやらこの部屋は岩山の壁面に位置しているようで、眼下に森を一望できた。
真下を見ると、もう隊商の馬車もあらかた岩山のなかへ入ってきているようだ。
(てことは、そろそろみんな来てる頃だってことかな)
出迎えに行ったほうがいいかもしれないが、どこに行けばみんながいるのかもわからない。
というか、勝手に部屋を出ていいのかすら、よくわからない。
(まあ、いけないって言われたくらいで、おとなしくするつもりもないけどな)
考えて、それから苦笑する。
ここのところ、どうも自分のペースが乱れているみたいだった。
そもそも、お上品に相手のペースに乗っかっているだけなんて、大悪党にはふさわしくない。
「いよしっ!」
ぱんぱん! と顔をたたいて、それから俺は颯爽と外へ歩き出した。
(まずは、みんなを探して歩き回ってみよう)
で、迷った。
「……どこ?」
行けども行けども、洞窟。
まあ、当たり前だ。村自体が岩山のなかにあるのだから理の当然――なのだが。
さすがに、こうも風景が変わらないと、土地勘のない人間にはきつい。
(むむむ……右に行くべきか左にいくべきか、それとも中央を進むべきか)
ちょっと迷ったが、すぐ決めた。右にしよう。
(困ったらとりあえず右にならえ、ってのがクラックフィールド家の家訓だしな)
微妙に家訓の意味を取り違えている気もしたが、気にしない。
進んでいくと、だんだん周囲の風景が変わってきた。
意識はしていなかったのだが、それまでの洞窟では周囲全体がうっすらと明るかった。歩くのに困らない程度の明度はあったのだ。
それが、ここにきて失われつつある。
(まずいな。たいまつなしでこれ以上進むのは、ちょっと危険かも)
そう思うほどあたりが薄暗くなった頃、不意に通路の奥から小さな明かりが見えた。
自然の光……じゃ、ない。
どこか見覚えのある、透き通るような白光。
「…………?」
不思議な感覚。
それに導かれるようにして、光のほうへと向かう。
やがてたどり着いた先は、空洞だった。
(でかいな)
素直に思う。
人が掘り抜いたとはとても思えない、巨大な空間。
床には一面に奇妙な図形が描かれていて、ここが特別な場所であることが見て取れる。
その中心に、光の主はいた。
「誰ですか?」
どきん、とする。
光の主は――あの、少女だった。
「よ、よう……」
「……あ」
おたがいに、呆然としたまま見つめ合う。
……なんか、気まずい。
「あ、ひょっとして邪魔だったか?」
「い、いえ、そんなことはありませんけど……」
もじもじしながら、言う。
その姿には、さきほどまでの威容はみじんもない。
(なんだったのかな、あれは)
ふと、気づく。
この光――彼女が胸に付けたペンダントからあふれる、白い光。
それは、俺が剣を抜いたときに現れる光と酷似していた。
「その、ペンダントか」
「はい」
あいまいな言葉だったが、正確に意図を読み取ったのだろう。少女はうなずいた。
「女王の神器。これを継承するのが、わたしのお務めです。
あの……えと、すいません。お名前をお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ライナー・クラックフィールドだ。ライで通ってる」
「ライさま、ですか」
「ああ。あんたは?」
「キスイです」
「名字は?」
俺の言葉に、少女はちょっとだけ首をかしげた。
「えと、家柄名のことでしょうか?」
「たぶん」
「それでしたら、わたしにはありません」
「え?」
少女は胸のペンダントを指して、
「『生贄』は、女王の代理ですから。
大巨人である女王に、岩巨人の親類がいるのはおかしいでしょう? だから『生贄』はふつう、家柄名を持たないんです」
「あ、そういうことか。
あれ、でもさっきのドッソとかいうでかい奴は「ア・キスイ」って呼んでなかったか?」
「はい。けれど、その「ア」は『生贄』に対する敬称ですので。
お客様である、ライさまが付ける必要はありませんよ」
「……なあ、ひとつ聞いていいか?」
「はい?」
「なんで、俺のことをそんなにもてなしてくれるんだ? 正直、心当たりがぜんぜんないんだが」
素直に言う。
相手は、きょとん、とした顔でこっちを見ている。
「その……なにか、妙なことでも?」
「たとえば、最初に俺とリッサだけが挨拶された理由とかも、よくわからないんだけど」
「あ、それは……ええと、申し訳ないです。わたしの力不足でした」
ぺこりと、頭を下げる。
「え?」
「その――てっきり、あなた付きの神官殿だと思ったものですから。
一緒に呼ぶべきかな、と思って……見た瞬間、信仰的につながっていないことがわかって、失敗したなあと思ったんですけど」
「待て待て待て話が見えない。どういう話だ」
「えっと、ですから。
その……そこの剣は、ライさまの神器ですよね? だから――」
言われて、ようやく気づく。
例の剣は、特に武装解除を要求されることもなく、腰にぶらさがったままだ。
「この、剣が?」
「はい。そうです。
それを所有することは、この世界における『原初なるもの』を代理する証になります。
ええっと……つまり、神の代理ってことですね。この場合」
……神の代理。
「俺が?」
「はい」
なんで? と聞こうとして、思いとどまる。
(この子が知ってるはずもないよなぁ)
「あの……」
ふと、彼女が問いかけてきた。
「なにか?」
「ライさまは、どの神を代理されているんでしょうか?」
……えーと。
「たしか、バルメイスって言ったかな」
「そうですか」
キスイは小さくうなずいて、
「十三闘神と呼ばれた武闘派の神の一角……ええと、神殿の神格等級だと3級なので、人間世界だと『上級神』って分類のはずです」
「……上級? 神格等級?」
知らない言葉ばっかり。
「ええと、ですね。神や大巨人には、その神格の強さを表す指標として、等級というのがあるんです。
9級から始まって、8級までは神殿の『聖者』と呼ばれるひとたちが持つ等級。7級から5級までは『亜神』と呼ばれる方々が持つ等級。『神』はそれ以上ですね。人間世界ではこれに加えて、4級の神格を『下級神』、3級は『上級神』、2級は『主神』と呼んでいるはずですけど」
「1級は?」
「ええと……ほとんどいないんで、対応する呼称はないんです。
定義としては、世界を創世した『大神』シンメルと同格以上の神格ということですので」
「詳しいな」
「これでも祭り役ですから」
えへへと笑う。その笑顔は、人間の年頃の子供と変わらない。
そこでふと、彼女はなにかを思い出したようだった。
「あの、すいません。先に用事のほう、済ませちゃっていいですか?」
「用事?」
「はい。祭り役としてのおつとめがあるんです。
えと、よかったらライさまも見ていきませんか?」
「え、いいのか?」
「原則としては、祭り役だけしか関わっちゃいけないんですけど……まあ、そもそもこの場所自体、わたし以外の立ち入りは、禁止なんですよね」
「……ごめん。知らなかったから」
「あはは、いいですよ。ライさまはちょっと特別ですから」
言って、それから彼女はくるりと後ろを向いた。
「じゃあ、ついてきてください。『聖堂』へご案内します」
「この辺は、光壁でないから歩きにくいんですよね」
「光壁?」
「はい。
ほら、集落の壁はうっすら光ってたでしょう? あれ、光壁って言うんです」
「そっか。道理であたりが暗くなったわけだ」
「わたしは岩巨人だから、多少は夜目も利きますけど、人間のライさまにはちょっと暗すぎるかもしれませんね。
足下が危なくなったら言ってください。わたしのペンダントなら、神力を込めれば多少は光るので」
「ありがとう。けど、いまのところは大丈夫だ」
「そうですか。
……あ、そろそろつきますよ」
彼女の言うとおり、明らかにそこは終着点だった。
「…………。
壁画、か?」
「はい」
不思議な絵だった。
本棚で埋め尽くされた大きな部屋。
死体がいくつも放置された荒野。
広大な海にかかった一本の橋。
氷に覆われた大地。
蛇のようによじれた炎のかたまり。
塔の上、一本の剣が突き立った花園。
それらが左から右へ、順を追うように描かれている。
「無限図書館、無の砂漠、天乃橋立、氷雪原野、炎獄回路、世界庭園。
『果て』へと続く、旅の様子を描いたものです」
「『果て』?」
「ええ。世界の『果て』です。
すべての生命は、死によってこれらを通り、炎獄回路にて輪廻の輪に入り――また、世界へともどってくるのだと言います」
キスイがそう言った、その瞬間。
「あ……!」
ぞくり。
鳥肌が立った。
彼女のつけたペンダントが放つ光が、さっきとは比べものにならないほどに鋭さを増している。
それは、まるで居ながらにして、こちらを押しつぶしてしまいそうなほどに強烈な――
「ライさまには、わかるんですね。『降臨』の様子が」
「降臨……?」
「そうです。神格を上げ、女王へと近づいた状態――
この段階で、4級。神で言えば『下級神』クラスですね。
あはは……まあ、3級くらいまで上げると、ちょっとわたしにもきっついんで……いつも、このへんで勘弁してもらってます」
「それって、調節できるものなのか」
「訓練すれば、多少は。
最初はけっこう難しかったんですけどね。6級くらいでいろいろと無理が出ますので」
言いながら、彼女はす、と右手で天を指した。
「女王の名において、次の一日への祝福を与える!」
ごう。
風が鳴った。
彼女の周囲に立ち上った圧倒的な神気が、周囲に浸透していくのを肌で感じる。
「う、うわ……!」
刹那。
視る。
蛇のような炎。
世界を成り立たせる、大きな輪。
それは運命を司る車輪のように、世界を取り巻きながら回っている。
いつまでも。
いつまでも――
「――さま、ライさま」
呼びかけられ、ふと我に返る。
(あれ?)
妙に、視線が低い。
さっきまで見下ろしていたキスイの顔が、いまは上にある。
――膝を、ついている。
じんじんと手が痛む。
剣の柄を信じられない力でにぎっていることに気がついて、俺はあわてて力をゆるめた。
「な、……なにがあった?」
「わかりません。祝詞を終えて、振り向いたらライさまが苦しそうに膝をついていて――」
言いながら、彼女は心配そうにこちらの様子を見ている。
……なんなんだろう、本当に。
「蛇みたいな炎が見えた」
「え……」
「なんだかわからないが、それが見えた。たぶんあれは、そこの壁画にある、炎のかたまりだと思う」
「炎獄回路――転生の輪を視たんですか、ライさま」
「たぶんな」
キスイは、それを聞いて深刻な表情でだまりこんだ。
「どうした?」
「――いえ。
たぶんそれは、ライさまの剣がわたしの神器に反応して、運命律の流れを読み取ったんだと思います」
「運命律?」
「そうです。神話の決定する、過去から未来へと流れる運命の流れです。
あはは……まあ、あらかたの神や大巨人が死に絶えたいまとなっては、その力もだいぶ弱っちゃっているんですけどね」
「そういうのって、見えるものなのか」
「ええ。神格持ちなら。
圧倒的すぎるビジョンなんで、視るとしばらく帰ってこれなくなるんですけどね」
――そうか。
得心する。つまり、あれはキスイも経験済みなのだ。
「いろいろ大変だな、『生贄』ってのも」
「そうですね。
でも、まあ、お務めですから……部族のなかで、役割を果たすのは当然ですしね」
「そんなもんか」
「はい、そんなもんです」
にっこり笑う。
ちょうどそのとき、遠くでなにか音が聞こえたような気がした。
「夕刻の号ですね。
そろそろもどらないと、ご飯が食べられなくなるかも」
「じゃあ、もどるか」
「そうですね」
言って、彼女は歩き出した。
「ついてきてくださいね。このあたり、迷うと面倒ですから」
「……実は、さっきもう迷った」
「あはは、やっぱり」
(…………。
おかしいな。神格を制御できていなければ、運命律なんて視るはずがないのに。
……常態的に降臨している?
まさか、そんなはずはないですよね。
そんなこと、人間の器でできるはずがないし……)




