三日目(2):悪党、女王と出会う
異形の集落。
最初に見た印象は、そんなものだった。
強烈に切り立った岩山の中腹がくり抜かれ、たくさんのほら穴ができている。
岩山の頂点のほうには、煙を吐き出す小さな穴がいくつも並んでいる。たぶん煙突とかだろう。
中腹のほうのほら穴は、おそらく住居なのだろう。が、入る方法がない。
いちおう、ほら穴とほら穴の間にははしごが掛かっているのだが、ほら穴と地面の間をつなぐはしごがないのだ。
「よ、よじ登れってか?」
「あはは。まさか」
横にいたクランに苦笑された。
「ほら、地面のそばに目立たないほら穴があるでしょう? あそこから入って、中の通路を登っていくのですよ」
言われてみればたしかに、岩山の隅に小さなほら穴が作られている。
「なんたってそんな不便なことを……」
「大型の魔物が入って来れないようにするための工夫ですよ。たしかに、我々にとっても多少不便ではありますが。
ま、百聞は一見にしかずと申しますから。ともかく入ってみましょう」
クランがそう言ったとき、ちょうどそのほら穴のなかからひとりの男が出てきた。
出てきた――のだが。
「……うわ」
でかい。
信じられないほど、でかい。
身長は俺の倍近い。腕の太さも尋常ではなく、丸太みたいだ。
そいつは岩巨人族の礼装に身を包み、こちらを見て丁寧にお辞儀した。
「どうやら、あれが出迎えの方のようですな」
「なあ……ほんっとーに、食われたりしないよな?」
いちおう念を押すように俺は言ったが、クランは気楽そうに笑いつつ、
「いざというときはしっかり守ってくださいね、ライ殿」
「………………」
さらっと無茶なこと言いやがる、このじいさん。
「たぶん大丈夫だと思う」
「うわわっ!?」
背後からいきなりサリにささやかれて、思わず叫ぶ。
「お、おまえ、ベッドから出てきていいのかよ!?」
振り向きざまに問うと、彼女は首をこくん、と縦に振った。
「もう治った」
「治ったって、おい――」
見ると、今朝にはあったやけどの跡とかが、もう全部消え失せている。
「って、よく考えたらおまえ、服もボロボロじゃなかったか? 二着もおなじもの持ってたのか?」
「ちがう。そっちも直っただけ」
「直った……って、継ぎの跡があるようにも見えないけど?」
「再生魔法」
「……あ、そう」
便利だ。
などとやっているうちに、気がつけば横にいたクランが馬車から降り、出迎えの大男と話をしている。
もう一度、集落に目をやる。
いくつかのほら穴から、住人らしき人影がちらほらと見え隠れしていた。
注目されているようだ。
(なんか……どっちにしても、めんどくさいことになりそうだな)
なぜかは知らないが、そんな気がした。
「で、なんで俺たちだけが先行しているんだ?」
洞窟のなかを進みながら、俺は横にいるリッサに小声でたずねた。
リッサはちょっと小首をかしげて、
「ボクも特に事情は聞いてないんだけど……ライも知らないの?」
「ああ。なんか、説明もなしにいきなり放り込まれたぞ」
うなずく。
『お二人には先にお越し願います』
と言われて、説明を求めるにもあまりの巨体にびびって気後れしているうちに、いつのまにか事態のほうが勝手に進んでいたのだ。
と、そのでっかい巨人がぴたりと足を止め、後ろを振り返った。
「どうかいたしましたか?」
「え、えっと……」
(う……なんか苦手だ。こいつ)
べつに相手がこちらを威圧しているわけではないが、上から見下ろされるとどうにも気圧されてしまう。
「あの、ドッソさんでしたっけ? どうして我々だけが先行しているのか、事情をおたずねしてよろしいでしょうか?」
まごまごしていると、代わりにリッサが言った。
男はうなずいて、
「私も祭り役から指示されただけですから、詳しくは存じませんが――『生贄』が、最初にあなた方にご挨拶したいとのことでした」
「『生贄』?」
穏やかな口調に似つかわしくない、物騒な単語だった。
俺はよくわからなかったが、リッサは相手がなにを言っているかわかったようで、顔をこわばらせた。
「『生贄』って――まさか、女王の?」
「はい」
ドッソはうなずいた。
「今日、現世に留まっておられる大巨人の一柱、その化身であらせられる御方でございます」
「こんなところにいらっしゃったなんて……知りませんでした。
てっきり、北の帝国に未だ留まっておられるかと思っていたのですが」
「なあ、ぜんぜんわかんないんだけど――リッサ、知り合いなのか?」
訊くと、リッサは白い目でこっちを見返してきた。
「なんだよ?」
「キミねえ……岩巨人族のこと、いくらなんでも知らなすぎ」
「そ、そうか?」
「そうだよっ。そもそも、女王の話なんてそこらへんの子供だって知ってるくらい有名なんだからっ」
びしっ、と指を突きつけながら、言う。
俺は、ううむとうなると、
「そうか。そんなに友達が多いのか、そのひと」
「違うでしょっ!」
びしっ、とつっこみ。
「なんか俺、へんなこと言ったか?」
「ねえ、ひょっとして……ボクのこと、からかってる?」
「いや、そんな気はカケラもないので拳は引っ込めてくださいお願いします」
土下座せんばかりの勢いで言う。怖い。げんこつ怖い。
大男は、ごく自然にゆったりとうなずいた。
「無理もありません。人間と我々の間には、目立った交流があるわけでもありませんから」
「そ、そーゆー問題かなあ……だって、神話のことを少しでも知ってれば、ぜったい出てくる名前なのに」
「ああ、そりゃ無理だ。俺、休息日の説教はほとんどサボってたし」
「いばって言わないのっ」
こほん、とひとつ咳をして、リッサはこちらに向き直った。
「大巨人のことは、さすがに知ってるよね?」
「ああ。神話の悪役だろ?」
ごんっ。
「あいてててっ。なにするんだよっ」
「バカじゃないのあんたはっ! この、このっ」
げしげしと蹴りをたたき込まれる。
「いて、いてて、ちょ、ちょっとタンマっ!」
「よ、よりによって巨人族の前でなんてーこと言うかなキミはっ!? ほら、さっさと謝りなさい! 早く!」
「あ、ああ……」
とりあえず、この騒ぎに表情も変えぬまま突っ立っているドッソのほうを向いて、頭を下げる。
「なんか、気に障ることを言っちまったみたいだな。悪い」
「いえ。知識がないのであれば、仕方のないことですので」
穏やかに彼は言ったが、そのあと続けて、
「しかし、岩巨人の集落のなかで大巨人を中傷するのは、賢明ではありません。以後はお控えください」
「わかった。ただ、理由だけでも教えてもらえないか? どうも俺はそういうことには全然疎くてさ」
「構いませんが――それらのことについては、私よりもそこの神官様にお尋ねになられるほうがよろしいかと存じます」
ふたりの視線が、リッサのほうを向く。
注目されて一瞬リッサはたじろいたようだったが、すぐに気を取り直したみたいだった。
「まあ、たしかに今の神話知識でこいつを野放しにしておくと、ろくなことになりそうもありませんからね」
言って、解説を始める。
「まず、むかーしむかし、神と大巨人というふたつの種族が戦争をやっていたの。それは知ってるでしょ?」
「ああ、それくらいはな」
「で、人間や小人族は神のほうについたから、人間社会では大巨人を敵役と見なしているの。それが、キミがさっき言ったことね」
「ふむふむ」
「けど、巨人族って言われる人々は、大巨人のほうについていたから、神が敵役なの。わかる?」
「……それってつまり、伝えられている神話自体がちがうってことか?」
「ううん、内容は一緒よ。解釈がちがうだけ。
起こったことはおなじだけど、立場が逆転して語られているの。なんとなくわかるでしょ?」
「んー……まあ、だいたい。
けど、意外と生々しいんだな。神話って」
吟遊詩人の弾き語りみたいなイメージしかなかったから実感がなかったが、そういう話を聞いていると妙に現実味がある。
「そうだね。ほとんどの神と大巨人は死んでしまったから、実感がわく話じゃないかもしれないけど。
けれど、少なくとも過去に関しては、神話は現実の歴史と一体化しているの。人間が巨人族と仲が悪いのだって、基本的には神話の時代のできごとが原因なんだから」
「ああ、それはわかった。けど……」
俺は、ちらっと大男のほうに目を向けた。
「さっき、なんか『生きている大巨人がいる』みたいなことを言ってなかったか?」
「はい。たしかに申しました」
「……大巨人って、まだ生きていたのか?」
「ほとんどいないけどね。神力が未だに現世に残っておられる神や大巨人も、いくらかはいらっしゃるの。
岩巨人族の信仰を集める女王も、そのような方々の一柱に当たるわ」
「女王――って、名前はないのかよ?」
「さあ、それはわからないけど。
もしかしたらトマニオの聖典には記述があるのかもしれないけど。でもボクが確認した資料の中にはなかったから、本当に無名なのかも」
小首をかしげて、リッサ。
まあ、本職が言うのだから、本当にわからないんだろう。
「で、その女王だけど、肉体はすでに滅ぼされて久しいの」
「死んだのか」
「形式的にはね。けれど女王も上級神格者だから、そのくらいでは干渉力を失ったりしなかったの。
具体的には、岩巨人族の『生贄』と呼ばれる存在を自分の代理として、それに力を行使させることで、女王は己の存在を維持しているわけ」
なんか、難しい話になってきた。
「まあ、要するにその『生贄』ってのは神さまの代理みたいなもんなわけだな?」
「神じゃなくて大巨人だけど、まあそんなものね」
「ふーん……で、その『生贄』とやらが、俺たちを先に呼びつけた、と――」
首をかしげる。
「なんの用だろうな?」
「なんの用だろうね?」
「なんの用でしょうね?」
「……おっさん、あんたまで言うな」
「失敬。期待されているように見えましたもので」
ドッソは真顔で言った。……意外とおちゃめだな、このひと。
「ともあれ、ここで止まっていても埒が開きません。そろそろ進んでよろしいですか?」
「ああ。すまんね、時間を取らせて」
言って、ふたたび歩き出す。
曲がりくねった洞窟の道を進み、やがて俺たちは大きな広場に出た。
明るい。
それまでは道に点々とかけられたランプの明かりが周囲を照らしていたのだが、この場所は外の光が差し込んできている。
向かって左手のほうに大きな穴が開いていて、外につながっているのだ。
「ここが、契約の間でございます」
「契約?」
「ええ。我ら岩巨人が女王との契約を交わすときに用いる場――
そして、祭儀を執り行う際に用いる場でもあります」
見ると、広場は森のなかではあまり見ないような草やこけで覆われている。
洞窟のなかという特殊な環境と、光の差す場所というのがうまく合わさって、こういう状態を作っているのだろう。
その広間に、たくさんの岩巨人たちが集まっていた。
大きさは、総じて人間よりはやや大きめ。
みな、このあたりでは珍しい東方風の衣装を身にまとい、にこやかにこちらを見つめている。
そして、その奥。
(……っ)
息をのんだ。
その女の子は――たしかに、尋常じゃなかった。
外見は、あくまでただの少女。人間の子供と比較してもなお小さく、周囲の巨人たちと比べるとだいぶ浮いて見える。
両の腕には、鎖をあしらった風変わりなアクセサリ。たぶん、それが『生贄』のしるしなのだろう。
が、問題はそんな外見じゃなかった。
雄大な――まるで山脈を見上げているような、途方もない神秘。
特に動きはなくても、ただそこにあるだけで呑まれてしまうような圧倒的な存在感。
それが少女を取り巻いていることを、肌で感じる。
(あれが、『生贄』)
「どうしたの? 顔色、悪いけど」
「え?」
リッサが、不思議そうに俺のほうをのぞき込んでいる。
気づいて、いない――?
「あ、ああ。なんでもねえ」
「そう……?」
「ア・キスイ――」
少女へ向けて、男が深々とおじぎした。
「ア・キスイ。お客様をお連れいたしました」
「ご苦労さまです。ガルヴォーンの君」
少女はかすかにほほえんで、言った。
「そして、ようこそ。神話に縁ある方々よ。
女王の代理として、あなたたちを歓迎いたします」
用語解説:
『巨人族/小人族』
神話の昔、神と大巨人が互いに争っていた時代に、すべての知的種族はどちらかの陣営に分類されていた。
大災厄の後、覇権を握った人間によって、それらの種族には名前が付けられたが、神の陣営に属していたものは原則として小人族、大巨人の陣営に属していたものは原則として巨人族に分類されている。
そのため、巨人族といっても大きい種族とは限らない。ただし、今回出てくる岩巨人は平均的に身長が人間よりも大きい傾向にある。
なお、このルールで行くと本来、人間族も小人の一種である。




