一日目(2):悪党、拾われる
(……で、どこだここ)
痛むあごをさすりながら起き上がる。
周囲を見回すと、そこは小さな部屋みたいな場所だった。
木でできた枠を丈夫そうな幌が覆って、天井を形作っている。
壁の一方に出口があって、その外にひとの気配。
地面はさっきから不規則にがたごとと振動し続けている。移動しているみたいだった。
要するに、
「幌馬車、か? いや、けど……」
(なんだって俺は、こんなところに放り込まれてるんだ?)
とりあえず、幌に空けられた窓から外を見る。
風景自体は見たことがなかったが、たぶんさっきとおなじ街道の途中だろう。
すべての道が通じる街から北の都までをつなぐ、『紫の街道』。
地方によっては山道や、畑の間を通っていくところもあるらしいが、このあたりの地形はだいたい森ばっかりだ。
黒く、照り返しをほとんどしない葉のついた『くらやみ森』の木々は、欝蒼として果てしなく続いている。
世界の、果てまで。
(……まあ、実際にはどっかでとぎれるんだろうけどさ)
苦笑して、窓から目を逸らす。
影の伸びぐあいから見て、時刻はあれからそんなに経っていないみたいだった。夕餉にはまだやや早い、それくらいの時間。
自分の身体を調べる。拘束されてはいないが、刃物の類は取り上げられていた。
(刃物があれば、幌をぶち破いて逃げ出せたのになー)
舌打ちする。
他になにか使えるものはないか、と馬車のなかを見回して
(へ?)
硬直。
馬車の隅に、女の子がひとり、ぽつーんと置き去りにされたように座っている。
座っている――のだが、
(ぜ、ぜんぜん気づかなかった……というより、)
むしろ、向こうがこちらにまったく気づいていない感じ。
ちなみに馬車の中はけっこう狭い。彼我の距離は、ふたりが腕を伸ばせばぎりぎり届くくらい。
(な、なんだよこいつ……)
本能的にヤバげな気配を感じて、ちょっとあとずさる。
体重の移動に反応して、床がぎしり、と音を立てた。
と、
「……?」
女の子がこちらを向いていた。
「わ、あ、あのっ、そのっ」
あまりに唐突で、ついどもってしまう。
そのとき、ようやく俺は気がついた。
(こいつ、隻眼だ)
左眼のあるべきところに黒い眼帯が垂れている。
(もしかすると、そのせいで俺の動きが見えていなかったのかな)
そう考えてむりやり納得する。けっこう音も立てていたと思ったが気にしない。女の子が、だぼだぼの大きめシャツの上にマントを羽織ってるとかいう奇妙な格好なのも、そのマントの裏側に刃物らしきものがちらっと見えたのも、見なかったことにしておこう。うん。
と、女の子が口を開いた。
「なに?」
「え?」
「なにか、用?」
どぎまぎする。
「い、いや用ってわけでもないんだけど、その、あの」
心のなかを探って、聞きたいことを探し出す。ええと、まずは、
「ここ、どこだ?」
「馬車のなか」
あたりまえだった。
(……俺の訊きかたが悪かったんだろうか)
とりあえず、答えてくれることはわかったので、遠慮なく聞いてみる。
「俺、なんでここにいるんだ?」
「さあ」
考えているのかいないのか、ぼーっとした目でこちらを見ながら彼女は言った。
「さあ、って、なにも知らないのか?」
「私が来たときには、もう、ここにいたから」
「そうなのか。
って、この馬車、そもそもなんなんだ?」
「……なんなんだ、と言われても」
「ええと、たとえばだれの持ち物か、とか」
「クランさんだと思う」
「クランさんって誰?」
「この隊商のリーダー、ね」
いきなり横合いから聞こえてきた声は、
(げ、さっきの暴力女)
幌の外からのぞきこんでいたそいつは、なんだかむっとしたような表情を浮かべた。
「なにかいま、失礼なこと考えなかった?」
「べ、べつに……」
目を合わせないように気をつけながら答える。合わせたら殺られる。ヤバい。
相手はしばらくこちらを厳しい目でにらみつけていたが、すぐに相好を崩した。
「おいで。食事、欲しいでしょ?」
「あ、ああ……」
「サリさん、コゴネルさんが呼んでたよ。行ったほうがいいんじゃないかしら」
「そう。助かるわ」
言って、サリと言われたその女の子は
「わっ!?」
いきなり宙に溶けるように消滅してしまった。
「な、な、な、なんだあ!?」
「こっち」
声がしたほうを見ると、今まさに彼女が馬車から外に出て行くところだった。
女の子はそこで、こちらのほうを振り返って、
「目の錯覚」
つぶやいて、そのまま外に行ってしまった。
……そんなこと言われても。
「つか、そういう次元の消え方じゃなかったぞ、あれは……」
「なに、ぶつぶつ言ってるの?」
不思議そうな声に、我に返る。
「なんでもない、なんでもない。
で、飯だって?」
「そゆこと。まずは表に出てきなさい。話はその後よ」
女の声にうながされて幌の外に出る。
いつの間にか、馬車はすっかり停まっていた。
で。
「まあ要するに、運がよかったってことよ」
うんうんとうなずきながら、女――さっき全力で俺をぶん殴ったやつが言う。
俺は、与えられたパンをかじりながら、周囲を見回して観察した。
廃村、である。
どうやら村人が見捨てて廃墟になった宿場らしい。
栄光の時代にはきちんと整備されていたという街道も、今となってはこんなものだ。
とは言っても街道がある以上、往来もそれなりにある。宿場がなくなっていれば、野宿すればいいだけのことだ。
この隊商も、どうやらそのクチらしい。今夜はここで野宿するつもりのようだった。
まあ、それはいいとして。
「運って、なんのことだよ」
「おおかた、飛び出してきたんでしょ? 街だか村だか知らないけど」
う。
図星だった。
沈黙する俺を見てふふんと笑うと、女はいかにも得意げに言った。
「よかったわねー。ここに拾ってもらえなければ、いまごろキミはあそこに倒れたまま大往生よ」
(倒れたっつか、殴り倒されたんだけどな)
相手に聞き取れない程度の小声でつぶやく。
それにはまったく気づかなかった様子で、女は続けた。
「けどキミ、どういう事情があるのかわからないけど、帰れるなら家に帰ったほうがいいよ?」
「いや、俺もそうしたいのは山々なんだけど……」
「帰れない理由でもあるの?」
「……それは」
(帰ったらしばり首になるからだよ)
とはさすがに言えない。
言ったら、この手の真面目なタイプはなにをするかわかったもんじゃない。
「そんな悪いやつだったなんて! 食らいなさい、鉄拳制裁!」
(とかいう展開になりかねないし)
「……いま、微妙にへんな目でわたしを見てなかった?」
「い、いや、別になんにも」
あわててそっぽを向いてごまかす。
と、
「いやいや。なかなか苦労しておいでですなあ、お若いの」
横手に座っていた男が口をはさんできた。
というか、
「誰だよ、このうさんくさい親父は?」
「バカっ!」
ごつん、と頭を小突かれた。
「いってーな! なにしやがるんだよ!」
「キミが失礼なことを言うからでしょ!」
「いやいや、ポエニデッタさん、よいのですよ。わたくしもまだ、自己紹介しておりませんからな」
苦笑いして手を振ると、男はこちらに向き直った。
「はじめまして、ですな。
わたくし、この隊商のリーダーで、クラン・メーヤと申します」
礼儀正しくおじぎする。
油断せず、俺は相手のことをじろじろと観察した。
金持ちは絶対信用しない、というのがクラックフィールド家の家訓なのだ。
……ヤな家訓だけど。
クラン・メーヤと言ったその男は、改めて見るとなかなかの貫禄がある風体をしていた。
年齢は50ちょっとだろうか。頭髪ははげあがっているが、それがかえって精力的な印象を与えている。
体型は、この年齢にしては細身。とはいえ、不自然にガリガリなわけでもない。
周囲を見ると、この周りに座っている連中はみな、こちらにそれなりに気をつかっているように見えた。おそらく彼らはこのクランの使用人なのだろう。
その点で、隊商のリーダー、という自称はうそではなさそうだ。
服はこざっぱりしているが、ところどころに刺繍やあしらいをしていて、多少は服装に気を使っているふうだった。
と、そこで俺はようやく気がついた。
「どうかしましたかな?」
「おっさん、メサイだな」
ずばり、と、いきなり言う。
げ、と暴力女がうめいた。
「ちょ、ちょっとキミ――」
「いやいや、ポエニデッタさん、よいのです。その事実を変えることはできないのですから」
またも苦笑いして、クランは彼女をさえぎった。
その彼の服の、ちょうどへそのあたりの右側に、メサイの身分を表すバッジが光っている。
「あなた――ああ、すみません。まだ、お名前をお聞きしておりませんですのでな。あなたは、メサイについてどう思っておいでです?」
「ライナー・クラックフィールド。ライで通ってる」
簡潔に言い、それから、
「俺の住んでた街にゃ、風変わりな神官付きのじーさんがいてな」
「はあ」
「なんでも貧乏人には貧乏人の神話があるとかで、毎日毎朝、スラムの街頭で説教垂れるのさ。ま、にわとりの声の代わりってみんな思ってたけどな。
んで、そいつがこう言ってたよ。メサイは忌まわしき愚者を生み出した最悪の高利貸しどもで、この世にいちゃいけないって」
じろりとクランをにらむ。
緊迫した空気があたりを包み込んだ。
暴力女も、使用人その他の取り巻きも、みな一様にひきつった顔でこっちを見ている。
当のクランだけは涼しい顔で、こちらに向かって訊いてきた。
「それでどうします? わたくしを殺しますか?」
「いやべつになにも。俺、あのじーさん嫌いだったし」
すてーんっ、と、暴力女がすっ転んだ。
「き、キミねえ! それならそうと最初から――」
「ま、それに俺はメサイなんて見たことねえし。知らないものについて語るな、ってのはうちの家訓だからな」
ニヤニヤしながら言う。からかい成功。
暴力女は絶句したようだったが、クランはむしろ愉快そうに笑った。
「いやいや、しかし現実には、あなたは今やメサイである私を知ってしまったわけですが。
それについてはどう思われます?」
「……ふむ」
問われて俺はもう一度、クランのことを観察した。
悪趣味なところのないこぎれいな服装。
態度だって、ただの行き倒れに対して、これ以上ないくらい親切でていねいだ。
周囲の使用人を見る。さっきの一瞬はひきつった表情でいた彼らも、今は主人と同じようににこにこ、笑っている。
にこにこ。
にこにこにこにこ。
「……とりあえず、だましやすそうだな」
がきょっ!
「ぐおぉあ!?」
「あんたね、ご飯食べさせてもらった相手にそりゃないでしょーが!」
痛みにうずくまる俺の横で暴力女が吠える。
……痛くてこっちはそれどころじゃない。
「だ、大丈夫ですか? その、舌を噛んだり……」
「気にしなくていいですクランさん。しょせん舌なんかあっても無礼なことをほざくだけですから」
「って、勝手なこと言ってんじゃねえ!」
がばっと跳ね起きる。
「だいたいこの前といい今回といい、てめえは気安く俺の頭をぽんぽんぽんぽん――」
「なによ! どっちの時だってわたしは悪くないじゃない!」
「バカヤロ。先に手を出したら、その時点で手を出したやつが悪人なんだよ。道理をわきまえろ、バカ!」
「バカバカ言わないでよ! わたしにはちゃんと、リクサンデラ・メザロバーシーズ=キルキル・ポエニデッタっていう立派な名前が――」
「んな長い名前、いちいち憶えられっか! てめえなんざバカで上等だ、やーいバーカバーカ!」
「こ、このっ……」
ぶるぶると肩が震える。
(あ、やば)
危険を察して俺は反射的に逃げようとした。
が、遅い。
「死んじゃえ、あんたなんかっ!」
ごんっ!
「あごふっ!」
悶絶。やばいすげえ痛い。
のたうちまわる俺を見て女はふん、とひとつ鼻息を大きく吐くと、クランのほうに向き直った。
「そういうわけであとはよろしくお願いします。クランさん」
「かしこまりました。ポエニデッタさん」
クランが一礼すると、女はもう一度じろりと俺を見て、
「これ以上無礼なこと言ったら、きざんで馬のエサにしてやるんだからねーっ!」
宣言して、向こうに歩いていってしまった。
「こ、この……まて……」
「まあまあ、ここはひとつ抑えてくださいよ。なにしろ、あなたを連れてきて助けるように要請したのは彼女なんですからね」
笑いながら、クランは俺を引き止めてきた。
俺はまだふらふらする頭をひとつ振ると、
「……連れてきた、って、あんたのところの身内じゃないのか? あいつ」
うなずいて、クランはこう言った。
「彼女――ポエニデッタさんは旅の神官なのだそうです。なんでも北のほうに行かれるのだとか」
「神官、ねえ……」
よく考えたら、あの女の服は明らかに神職のそれだった。
(最初に会ったときは、腹が減りすぎてたせいでぜんぜん気づかなかったなぁ)
まあ、それでだいたいの合点がいった。
「てことは、このパンは喜捨か」
「そういうことです」
……やっぱり。
メサイは、神話を司る神殿から敵視されている。
だから神殿に頻繁に喜捨をして、それで生活権を保障されているのだ。
つまりこの隊商が俺を助けてくれる理由は、あの変な名前の女へのお布施だったわけだ。
「気に入りませんか?」
「まあね。物乞いよりは物盗りになれ、ってのがクラックフィールド家の家訓だから」
「物騒な家訓ですな」
「俺もそう思う」
肩をすくめる。
「けどまあ、理由なく人を助けるやつなんかいるわけないしな。変な企みに巻き込まれたわけじゃなさそうなんで安心した」
言うと、クランはそうですかと笑った。
「で、どうします? 今回は喜捨だから無料として、これからのアテとかはありますか?」
うそをついてもしかたがないので、俺は正直に答えることにした。
「草食えば生きてはいけるぞ。まずいけど」
「たまには肉やパンも食べたくはありませんか? ここにはそのどちらもありますが」
勧めの口調で言っているが、内容はわかりきっている。
要するに、ここで働けと言いたいのだ。この親父は。
「……強制か? そいつは」
「いえ、そういうわけでもありません。今日のそのパンと、明日の朝食までは、喜捨としてただで提供いたしましょう」
こほん、とクランはひとつ咳をして、
「ただし、その後の選択はあなたにお任せします。明日の昼までうちに残っていれば、働いてもらうことになるでしょうな」
静かにそう告げた。