二日目(7):悪党、洞窟へ向かう
「うー、筋肉痛が痛い」
夜。
当直のためにとりあえずの仮眠を取ったはいいのだが、起きてみれば身体中がきしむように痛かった。
(腕振ってただけなのに、一番痛いのがわき腹なのはどうしてだ?)
疑問に思う。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「……どうしてだれもいないんだ?」
とりあえずの待ち合わせ場所と決めたところに出向いたのはいいのだが、そこには人っ子ひとりいなかった。
(どこで油を売ってるんだ、あのガキは)
まあ、いなければいないに越したことはないんだが。邪魔だし。
見上げると、空には雲ひとつなく、星の天蓋がくっきりと見えていた。
(星じーさんと遠眼鏡で月を眺めてたときも、だいたいこんな感じの夜空だったなぁ)
星の天蓋ではなくて、大地が回っていることを証明してみせる、とか言っていた変なじーさんを、俺は思い出していた。
だれが聞いても「こいつどっかおかしいんじゃないか」と思う珍説だが、突っかかった奴はなぜか全員論破されてしまった。
いま思えば、それはひょっとすると、あのじーさんの言っていたことが正しかったからなんじゃないか、とか――
(まあ、どうでもいいことだけどなー)
回ってるのが天だろうと大地だろうと、俺の飯の足しにはならない。
さしあたり、明日の飯のために今日は、この隊商を守らねばならないのだ。
と、かっこよく決めてみたはいいものの、そもそも俺がまともに隊商を守れるのか、実に心もとない。
実戦の経験もないし、そもそも今日は筋肉痛でまともに剣が振れるかどうか。警備なんか、とうていひとりじゃできそうもないのだが、しかし。
(あのガキ、ほんとにサボりやがったのか?)
思っていると、遠くから言い争いの声が聞こえてきた。
(なんだ?)
不審に思って、俺はそっちの方向に向かって歩いていった。
すぐに、騒ぎの原因は見つかった。
見つかった――のだが、
「だから、ついてこないでって言ってるでしょっ」
「馬鹿者! 私は親切心でついてきているのだぞ! だいたい、自分でも『ひとりじゃ危ないかも』とか言っておったくせに――」
「だぁからぁー、なんであんたはあたしのひとりごとを盗み聞きしてるのよっ。あんた、ひょっとしてヘンタイ?」
「し、神官補に対してなんと失礼な! 礼儀を知れ、小娘!」
(……か、関わり合いになりたくねぇ)
くるり、ときびすを返して逃げようとする。
が、
「あ、ライっ」
「しまった、あっさり見つかった」
マイマイはすたたたたっ、と近寄ってきて、俺の後ろに隠れた。
「なにやってんだ、おまえ?」
「ヘンタイに追われてるのっ。助けてっ」
「だれがヘンタイかっ」
いきり立ちながら現れた男を、俺は知っていた。
あの、リッサとけんかしてた、イヤミな小物っぽい神官補のおっさん。
「たしか、サフィートとか言ったな」
「呼び捨てにするでない! サフィート・パリーメイジ神官補と呼べ」
「――ほほう」
きらーん。獲物発見。
「それで、か弱い幼女相手にどういった変質行為に及んだんだ。サフィート・パリーメイジ神官補」
「こらこらこら! 変な誤解を与える表現はやめんか!」
「しかし、この娘はおまえのことをヘンタイだと言っているぞ。サフィート・パリーメイジ神官補」
「そうそう。すっごいヘンタイなんだから、こいつっ」
「真に受けるな、馬鹿者! 魔女の小娘と神官補でどちらの言が信ずるに値するか、それすらもわからぬか!?」
「だが、おまえの同僚のスタージンとやらは『役職で人を判断するのはよくない』と言っていたぞ。サフィート・パリーメイジ神官補」
「な、あ、その――」
サフィートが言葉に詰まった。
「おまえの負けだな。サフィート・パリーメイジ神官補」
「や、やかましい! だいたい、さっきからいちいち人をわざとらしくフルネームで呼ぶんじゃない! 気に障る!」
「しかし、おまえがそう呼ぶように言ったはずだが。サフィート・パリーメイジ神官補」
「うんうん、あたしもそう聞いたもんねー、サフィート・パリーメイジ神官補?」
「いつもいつもそう呼べと言ったわけではないわ! ええい、もういいから『神官補さま』と役職のみで呼べ!」
「残念だが、『一度決めた呼び方は二度と変えるな』というのがうちの家訓なんだ。あきらめろ、サフィート・パリーメイジ神官補」
「な、なんだそのふざけた家訓は!?」
俺もそう思う。
「まあ、バカをからかうのはこのくらいにしようか」
「えー、もっとやろーよ。このひと、さっきから赤くなったり青くなったり、すごく面白いよ?」
「き、貴様ら……」
「で、おっさん。なにしに来たんだ?」
「おっさんではないわっ」
サフィートは怒鳴って、それからこほん、と咳ばらいをひとつ。
「そこの娘が夜中に出歩くつもりだと言うから、幼子の一人歩きは危険だと思ってついてきたのだ」
「……やっぱヘンタイじゃねーか」
「馬鹿者! どこの神官補が、たかがガキ一匹への悪戯のためにこんな夜中を歩き回るか!」
「てことは、やっぱり他に目的があるのねっ」
びしっ、と、マイマイが指を突きつける。
サフィートは多少ひるんだ様子だったが、すぐにふんぞり返って、
「ふ、ばれてしまってはしかたがないな」
「いっとくけど、あれはあたしが見つけたんだからねっ。あたしのおたから、よこ取りしたら怒るんだからっ」
「馬鹿者! そういうのは横取りとは言わん! 喜捨と言うのだ!」
「やっぱりよこ取りする気だったのねっ。ライ、こいつ悪人だよっ。やっちゃおうよっ」
「まてまてまて、話がよくわからんぞ」
興奮するマイマイをなだめながら、俺は説明を求める視線をサフィートのほうへ送った。
サフィートはあいかわらず偉そうにしながら、
「ふん、では説明してやろう」
「あ、やっぱいいや。バイバイ」
「いいから聞け、馬鹿者っ!」
「だから、あたしが見つけたおたからをよこ取りしようとしてるんだってばっ」
「お宝――って、なんだ?」
「私も詳しいことは知らん。ただ、この娘が独り言を言っているのを聞きつけてな」
サフィートの言葉に、マイマイは深刻な顔で、
「……みつけたんだよ」
「なにを?」
「どーくつのいりぐち。たぶん、岩小人の遺跡だと思うの」
「それで?」
「ぜったいおたからがあるって、そう思わない?」
「……だから?」
「たんけんに、れっつ、ごぉ、とか。えへへ」
「さ、警備をはじめるぞ」
「こらーっ、信じてないでしょおっ」
「やかましいっ! てめーだってプロだろーが! サボることなんか考えてねーで食い扶持分の仕事くらいしろ!」
「ざいほーだよ? おたからがっぽりだよ? 仕事なんて、ちいさいことだと思わない?」
「まったくだ。というわけで、我々が守ってやるから安心して財宝は山分けだぞ小娘」
「そうそう――って、勝手に決めないでよっ。あれはあたしの見つけたお宝なんだからっ」
「愚か者っ! くだらんことでケチケチすると地獄に落ちるぞ!」
「おまえ、ほんとに神官補か……?」
というか、魔人にはあんまり近づいちゃいけないんじゃなかったんかい、こいつは。
俺の言葉に、しかしサフィートは毛ほども動じず、逆に鼻でふふんと笑った。
「青いな、小僧」
「な、なんだよ……」
「天界の沙汰も金次第。金を用いる者は神をすら傅かせる。神官の世界とて、この条理からは逃れられん」
「言葉が難しすぎて、言ってることがよくわからんのだが」
「神も借金取りにはかなわない。そういうことだ」
「……あ、そう」
とりあえず反論しても無駄そうなので、ノーコメントで。
代わりに、俺はその場からこっそり抜け出そうとしていたマイマイの襟首をひっつかんだ。
「な、なにするのよぅっ」
「バカたれ。いいからさっさと仕事だ仕事! お宝探しはその後でやれ!」
「そうだ、抜け駆けは許さんぞ!」
「あんたは黙ってろ!」
「なんでぇー? だって、おたから、ぼさっとしてたら盗られちゃうかもだよ?」
「すっぱりあきらめろ。俺には関係ない」
「ほう……そんなことを言ってよいのかな、小僧?」
「あん? どういう意味だよ?」
サフィートは、くくく、と、薄気味悪い笑い方をした。
「小僧、貴様の武勇伝は聞かせてもらったよ。一夜にして大量の借金を抱えてしまったらしいな?」
「それがどうした。それとこれとはなんの関係も――」
「借金、さっさと解消したくはないのかね?」
「…………」
「地道に稼ぐだけでは数十年を費やすのだぞ? この中で、一攫千金のチャンスを最も必要とするのは、貴様ではないのか?」
「そ、それはそうだろうけどよ……」
「いいか、小僧」
ずずいっ、と、サフィートは身を乗り出した。
「筋書きはこうだ。まず、運命に導かれた私が、財宝の眠る遺跡へと誘われる。
それを偶然にも発見した貴様らは、神官補を警護するために、警備の仕事の一環として遺跡に赴くわけだ。
うまく財宝を発見した私は、警護の感謝料として貴様らにその1/3ずつを分け与える。
どうだ? これなら、貴様らが仕事をサボったことにはならんだろう?」
「――ほほう」
にやり、と、俺は笑った。
「なるほど、面白い案だ。だが、なぜあんたは俺を誘うんだ? 財宝を独り占めしようとは思わないのか?」
「こんなところで命を落とすのも馬鹿らしいからな。人数が多ければ、それだけ危険も減るだろう?」
「まあ――な。そして、最後まで生きていた人数が少ないほど分け前は増える、か」
「それはお互いさまだろう?」
「だな。――くくく、意見が合うねぇ」
「ふふ、なに、合理的なだけだよ」
「「はっはっはっはっは」」
絶対零度の笑みをお互いに浮かべて、笑いあう。
「なんか……はげしく、いっしょに行くひとの人選をまちがえてる気がするわ」
冷や汗を顔に浮かべながら、マイマイが言った。
「で、いったいどこにその遺跡とやらはあるのだ?」
「うん。あっちだよ」
言って、マイマイは草原の奥のほうを指差した。
……まてぃ。
「思いっきり弧竜の射程範囲内なんだけど」
「うむ。退治はまかせたぞ小僧」
「できるかー!」
「なにぃ!? そんな馬鹿な!」
驚くなよ、頼むから。
「小僧、貴様は竜の一匹ごときも倒せんのか!?」
「無茶を言うな、無茶を!」
「てゆーか、竜をひとりでたおせる人間なんているわけないじゃん」
「なんと! 魔人ですらそうなのか!?」
だから驚くなって。
マイマイはちょっと考え込んで、
「むかーし、竜をたおしたっていう魔人たちの話、聞いたことあるけど……
けど、たしかそのひとたち、10人がかりで、3日くらいかけて準備した罠にかけて倒したらしいからね」
「では、ひとりでは……」
「むりだってば。だいたい、そんなに竜が弱かったら、とっくのむかしに草原からいなくなってるよ」
「まあ、そうだよなぁ。竜とまともに戦おうなんて、根性自体がまちがってるし」
「ぬ、ぬぬ……」
こほん、とサフィートは咳ばらいをして、
「帰って寝るか……」
「こらこら、いきなりあきらめるなっ」
「やかましい! 取れる見込みのない財宝になど興味はないわっ!」
「ひっどーい! あたしが、なんのモロクミもなく――」
「もくろみ」
「……と、ともかくっ。あたしが、なんのモクロミもなくおたからさがしに行くと思ったわけ?」
「つまり、弧竜をうまくやりすごす方策があるってことか?」
「うんっ」
うれしそうに、マイマイはうなずいた。
「で、その方策というのはどういうものだ?」
「うん。これっ」
言って、彼女が差し出したのは、小さな布切れと何本かの小枝だった。
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ――
「……なあ、マイマイ」
「しっ。しずかにするのっ」
「いや、それはいいんだが――」
俺は、頭の上を指差して、言った。
「ほんとに、これ、役に立つのか?」
布製のカラフルなバンダナではさんだ、何本かの小枝。
それで、しゃがんで小さい木のふりをしてごまかす、という話らしい。
「あとで、バンダナはちゃんと返してね。おきにいりなんだから」
「いや、そーゆーことではなくて――」
「無駄だぞ小僧。もうすでに我々は引き返せない場所にいる」
「…………」
なんで、こんな馬鹿げた計画に乗ってしまったんだろうかと、ちょっと泣きたくなる。
「だいじょーぶだってば。きっと弧竜だってトリ目なんだから、夜はよく見えないはずだよ」
「弧竜ってトリ目だったのか?」
「……そういえば、あんま調べたことないからわかんないや。てへ」
「…………」
やっぱダメだ、こいつ。
俺の様子を見て、あわててマイマイは言った。
「あ、でもちゃんとバンダナには感覚迷彩の魔法をかけてるから、たぶんホントに気づかないと思うよ」
「ああ……そう願ってるよ……」
頭が痛い。
「ふん、だから無駄だと言っただろう」
「そういうおまえは、なんでそんなに余裕しゃくしゃくなんだ?」
言って俺は振り返り、
「いや、やっぱいいや。ごめん」
「うむ」
見るも哀れなほど真っ青な顔で、サフィートはうなずいた。
と、
「見えた!」
先頭のマイマイが、前方の空間を指差す。
そこに、小さな塚のようなものが立っていた。
塚の表面には、おそらくは地下へと続くであろう道が、ぽっかりと黒い口を空けている。
月明かりに照らされて、それはとても不気味なもののように見えた。
「たしかに、いかにもなんかありそうな洞窟だな」
「でしょ、でしょ? やったー、おたからおたからっ」
歓声を上げて、マイマイは立ち上がった。
「おっ、おい!?」
「だいじょーぶだって。どーくつのなかに入っちゃえば、弧竜だって追ってこれないもんっ」
言って、マイマイは駆け出し――
ばちん!
ざあああああああああっ!
「うにゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……」
「ど、どうした!?」
あっという間に、あたり一面が光り輝く謎の飛行体に覆い尽くされた。
というか、
「ほ、宝石虫?」
どうやら、宝石虫の巣に足を突っ込んでしまったらしい。
あわてて駆け寄って見ると、そこにはかなり深い穴が空いていた。マイマイが落ちた穴だろう。
「ここを埋め尽くすほどの宝石虫が詰まっていたってことか……」
とんでもない量だった。畑を荒らす害虫と言われるのも、これならばうなずける。
きらきらと、月明かりの草原を宝石虫が舞う。
それはこの世のものとも思えない、幻想的な光景だった。
傍観者だったならば、我を忘れてこの光景に感じ入っていたことだろう。
まるで光の精のように舞い踊る宝石虫が、きらきらと月明かりを反射して、まぶしいくらいだった。
というか、まぶしかった。
つまり、目立っていた。
ということは、
「まずいっ! おっさん、走れっ!」
あわてて俺は、後ろで取り残されていたサフィートに呼びかけた。
「ど、どうした!?」
「弧竜がこれに気づかないわけがないだろーがっ! ともかく、いったんこの穴に飛び込んでやり過ごすぞ!」
言ってるうちに、上空から「きしゃあああああああっ!」という雄たけびが聞こえてきた。
「早くっ!」
「う、うむっ!」
あわててサフィートが飛び込む。
「あああああなんか深いいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ……ぐえ!?」
どちゃっ、という、鈍い音がした。
「よし、生きてるな!?」
『こら、小僧! 貴様、この穴が安全かどうかを調べる実験台として私を使ったな!?』
「細かいことは気にするな! いま、そっちに行く!」
言って、俺は空を見上げる。
そこに、奴がいた。
黒い、漆黒の翼。
月明かりを照り返す硬質の輝きは、この世で最も硬いと言われる竜鱗の光だ。
身体の横から伸びる髭のような打撃腕が、獲物を見つけたことを示すように、ぶるり、と大きく震えた。
――弧竜。
それは赤く輝くふたつの目で俺を見下ろし、いままさに、ゆっくりと口を開いたところだった。
「おっさん! 俺が落ちてくるから、しっかりよけろよ!」
『ちょ、ちょっと待て、腰が……!』
聞く耳を持たず、俺は穴に飛び込んだ。
どしゃあああああああっ!
間一髪。
直後、俺のいた場所を炎の吐息がなぎ払った。
魔法解説:
『感覚迷彩』(カモフラージュ)
系統:幻術 難易度:D
周辺の生物の感覚に作用し、こちらを意識しづらくさせる魔法。
相手が強く警戒していればほぼ効果はないが、無警戒ならばまず察知されなくなる。
余談だが幻術は一般的に習得が難しく、この程度の小技でも、熟練の魔術師か、幻術の専門家でないと使えない。




