イツキの別動隊
1096年6月3日早朝、イツキは朝食準備で忙しい少年兵で調理担当のピータを手伝って、スープの具である野菜を洗っていた。
料理長のパルドさんには「先生なんだから自分の仕事だけしてください」と言われているのだが、時々こうしてピータを手伝いながら話をするのが、とても楽しいイツキだった。
「ねえピータ、僕は今日からカルート国へ行くことになったんだ。暫くの間だけで、すぐに元気で帰ってくるから心配しなくて大丈夫だよ。そこでお願いがあるんだけど、僕の大好きなスープのレシピが書いてあるノートを貸して欲しいんだけど、いい?」
「ええぇ!カルート国って……せ、戦争に行くの?なんで?なんでイツキ先生が行かなきゃいけないの?」
ピータは剥いていた玉ねぎを落とし、綺麗な茶色い瞳に涙を浮かべて、立ち上がって抗議するように訊ねてくる。
「僕は、ラール(イツキのパートナー兼軍用犬)とミム(イツキのハヤマ)を連れて行くだけだから、危険なことなんてないんだ、なにも泣かなくても……」
イツキはそう言ってニッコリ笑って見せた。
「い、いや、これは玉ねぎが目にしみたんだよ!でも良かった、イツキ先生は安全なんだね。レシピノートは食堂にあるから、食べに来たとき声を掛けてくれたら、渡せるように準備しておくよ」
ピータは安堵の息を吐き、また玉ねぎを剥き始める。でもその手は微かに震えていた。
次にイツキは、ハヤマ(通信鳥)育成士のポール・軍用犬訓練士のカジャクに、カルート国へ行くことを告げて、留守の間にすることを伝えた。2人共緊張した顔でイツキからの指示を聴き、「絶対元気で帰って来てください」とお願いした。
1時間後、食堂ではいつもの賑やかな朝食の光景が広がっていた。
学生が全員食堂に来ているのを確認した校長は、立ち上がり大きな声で言った。
「教官も学生も注目!今日は朝食後、武道場で朝礼を行うので30分後に集合すること」
校長から朝礼をすると言われた教官と、学生たちの顔が一気に緊張する。
昨日、国王様から出兵命令が出され、当然軍学校にも衝撃が走った。しかし、自分たちには直接関係ないだろうと、どこか他人事のような気持ちでいたのである。ところが夕方、ギニ副司令官とキシ組という超大物が現れたことにより、きっと何かあると全員が思っていた。
30分後、武道場で校長の話が始まった。
「この度、カルート国からの援軍要請に伴う出兵に対し、この軍学校にも協力要請が来た」
「ええぇ!協力要請」
「俺たちも行くのか?」
「本当に戦争に行くんだ・・・」
学生たちが一斉に動揺し始め、武道場の中は一時騒然となった。
「静かに!この度、援軍の指揮を執ることになったキシ公爵より【奇跡の世代】に召集がかかった。そのため軍本部との話し合いの結果、コーズ教官とマルコ教官が召集に応じることとなった」
騒ぎ始めた学生たちを一喝し、校長は静かに続きを話し始めたが、その表情は固かった。
学生たちは、自分たちが出兵するのではないと判ると安堵したが、不安な気持ちは広がっていく。
レガート国は、500年近く他国との戦争というものを経験していない。軍学校も確かに戦争を想定した学習をしてはいるのだが、基本的には自国の国境を護る程度の危機感しか持っていなかった。
それ故、出兵という現実を、不安に思うのは当たり前なのかもしれない。
「それからもう1人、イツキ先生が軍用犬ラールとハヤマのミムを連れて、【奇跡の世代】に協力する。イツキ先生は兵士でも教官でもないので、レガート軍の命に従うのではなく、キシ公爵と【奇跡の世代】の協力者としてカルート国へ行くことになった」
校長は承諾したくなかった想いを、あくまでも軍の命令に従ったのではなく、キシ公爵の要請に協力するという名目で、イツキをカルート国に行かせることに承諾したのだった。
それとイツキが、ハキ神国の進撃を止めて戦争を終わらせると言った言葉に、希望を託すことにしたのだ。
イツキ先生までがカルート国に行くことになるなんて、この国はどうなっていくのだろう・・・学生だけではなく教官たちもレガート国の将来が不安になっていく。
「カルート国とハキ神国の戦争が、いつまで続くか分からない今、我々はいつでも戦える準備をしておかねばならない。今日から、より一層勉学と練習に励むように」
校長の締め括りの話を聴き、戦争が現実的なものとして突き付けられ、「はい」と答える学生たちの返事には戸惑いが感じられた。
◇ ◇ ◇
軍本部に到着したイツキと2人の教官は、ギニ副司令官の執務室に昨夜と同じメンバーで集まって、これからのことを話し合っていた。
「イツキ先生、別動隊は何人くらい必要ですか?メンバーの希望があれば言ってください。フィリップはもう確定ですが、他に必要な物などあれば準備させます」
半分涙目になって唇を噛み締めているフィリップを無視して、キシ公爵アルダスは【奇跡の世代】のメンバーリストを取り出した。
「それから別動隊の役割と、イツキ先生の行程、目的を教えてください」
ギニ副司令官はランドル大陸の地図を広げ、地図の上に人型の駒を10個ほど置き、レガート軍本隊の行軍予定上に駒を置いていく。その上で、本隊とは別ルート・別行動をとる予定の、イツキ率いる別動隊の行程を書き込んでいく。
イツキは昨夜の話の通りに、12日で目的地に到達するルートを示し、詳しい行程を話し始めた。その話の途中に、レガートの森でビッグバラディスが道案内するという予定が、当然組み込まれていたが、誰も異議を唱えなかった。
「ええっと、別動隊の目的ですが、1番は情報収集です。一般人の振りをして国境線ギリギリまで潜入します。そして、その情報を基に最善と思われる作戦を決行し、別動隊がハキ神国軍の動きを止めます。理想を言えば、そのままハキ神国にお帰り頂きます」
「へっ?動きを止める」 (ソウタ副指揮官)
「作戦を決行?」 (ギニ副司令官)
「あのう……イツキ先生、カルート軍とレガート軍本隊はどうするのですか?」
アルダスは、イツキの話の意図が解らず、不思議そうな顔をして質問する。他のメンバーも何を言っているのか理解できなかった様子だ。
「レガート軍本隊は【おとり】です。大国レガート軍が動けば、その情報は直ぐにハキ神国軍に伝わるでしょう。敵の目を惹き付け、別動隊の存在を知られることなく、且つ油断させるために、5日遅れで到着して頂ければ役目は果たせます。それからカルート軍には、別動隊のことは【ないしょ】にしときましょう。敵を欺くには先ず味方からって言いますよね」
イツキはいつものニッコリ笑顔の後で、可愛く首を傾げた。まるで、さも簡単に事が運ぶかのように、そしてそれが不可能ではなく可能なのだと言い切るように、さらりと、とんでもないことを言った。
「おとり……?」 (アルダス)
「ないしょ・・・」 (フィリップ)
「・・・?」 (その他の皆さん)
ギニ副司令官は、グレーの髪をくしゃくしゃにしながら目をつぶり、ヨム副指揮官は「おとり、おとり」と遠い目をしてぶつぶつ呟き、マルコ教官は立ち上がって「どんな作戦なんだー」と叫び、ソウタ副指揮官は「俺、別動隊がいいわ」と瞳をキラキラさせる。他のメンバーはポカンと口を開けたままである。
「だって、国王様は血を流さない解決をお望みでしたよね。頭脳戦で勝つ為には、【現状把握と情報収集】、【少数精鋭】、【秘密裏】、【心理作戦】の4つが鍵になります。大軍で流血無しの頭脳戦ができるなんて、妄想に過ぎません。それができるとしたら、圧倒的な力の差が歴然としている時だけです」
イツキの言葉に誰も反論ができない。
正しい戦争の仕方なんて、誰も経験が無いのだから分かる筈もない。
できるものなら王様の望まれる、血を流さない戦争をしたいが、そんなことが実際できる筈はないと、誰もが覚悟していたのだ。
一同、改めて【頭脳戦で勝つ】という真の意味を忘れそうになっていたことに気付く。
「そう言えば内乱の時、無血勝利ができたのは【情報操作】と【心理作戦】が鍵だった。イツキ先生以外のここに居る全員がそれを経験しているのに、隣国の戦争であり、援軍として支援する立場だから無理だと思い込んでいた」
ギニ副司令官が内乱時を思い出しながらそう話すと、その時学生だった他のメンバーも思い出し頷き合った。
「しかし、どのような作戦なんでしょうかイツキ先生?」
マルコ教官は、有り得ないと思っていたイツキの話しに、次第に興味を持ち始めた。
「そうですね、3つくらいの案は有るのですが、現地に着いてみないと、どれを使うかの判断はまだできません」
イツキの話を聴いたアルダスは、【頭脳戦で勝つ】為の案を既に3つも考え出していることに驚いた。
そして、ある思いが確信に変わっていく。
自分がイツキ先生を欲したのではなく、神がイツキ先生の元へ自分を遣わしたのだと。そうであれば、自分にできることは、イツキ先生を、いや【リース(聖人)・キアフ】様を信じて、別動隊に全てを任せ、自分が率いる本隊は【おとり】としての役目をしっかりと果たせば良いのだと。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
年末の掃除はいつするのだろう?と、他人事のように現実から目を背けていても、時間は確実に迫ってくる。
ああ、どうしよう……
書くべきか、片付けるべきか、悩ましい今日この頃です。