イツキとフィリップ
ビッグバラディス・・・それはレガートの森に棲む最強の魔獣2つの内の1つ。
空を飛ぶ魔獣で最強なのがビッグバラディス。陸上で最強なのがボルドバン。どちらも出会ったら最後、どんな優れた《印》持ちの護衛がいても、生きては森を出られないと言われている。
先程までイツキの正体、いやイツキの苦労に感動していたキシ公爵アルダスだが、あまりに現実離れした話しに思わず首を捻ってしまった。
フィリップは、不真面目なのかやる気がないのか分からないイツキの発言に、眉間に皺を寄せて右口角をひきつらせている。
一方ギニ副司令官は、リース(聖人)とは魔獣さえも操れるのかと、おおいに感動して凄いと思っていた。
イツキは皆の反応を見て、ミノス正教会エダリオ様の言葉を思い出す。
「イツキ君、普通の人間は決して魔獣と友達にはなれません。だから魔獣を育てたとか友達だと言うと、頭のおかしな人だと思うし、下手をすると恐れられるかも知れません。ですから非常事態以外では、モンタンと一緒にいる姿を見られてはいけません」
成る程・・・こういう反応になるんだな。エダリオ様の言葉の意味が分かった。どうやら僕は頭のおかしな人だと思われたようだ。
イツキはニヤリと笑ってから立ち上がり、これまでとは違う冷たい声で話し始めた。
「皆さんは、自分の常識でしか物事が考えられないようですね。では何故、僕が6カ国語を話したり、教官より多くの知識を持つことや、レガート式ボーガンを作ったり、ハヤマや軍用犬を育成することは受け入れられるのでしょう?」
全員の顔を1人ずつ見ながらイツキは問う。
『それはイツキ先生が天才だから・・・』そう思って口にしようとしたが、【天才】という言葉の意味を考えてみる。改めて問われると、こんな多才な子どもの話など聞いたこともない。なのにイツキ先生がやると『凄いなあ』とか『さすがイツキ先生』で納得していたことに気付く。
「普通、僕のような子どもに会ったら怖くないですか?怖くないのは、皆さんにとって僕が都合が良かったからでしょう?。軍学校にとって、技術開発部にとって。違いますか?」
フィリップ以外は『違う!そ、そんな、都合がいいなんて思っていない』と心の中で叫んだが、言葉になって出てこない。そうではないと、そうではないと言いたいのに・・・
「フィリップさん、なんなら僕と知恵比べをしてみませんか?それとも剣の対戦でもしてみます?僕が勝ったらビッグバラディスに、友達のモンタンに会って貰いましょう。あなたは僕に勝てるでしょうか?」
イツキはわざと挑発するように、フィリップの方を挑むような目で見た。
今までの可愛いイツキからは、考えられない態度と言葉の数々に、戸惑いが隠せないコーズ教官とマルコ教官は、イツキ先生に対して尊敬とか信頼とか愛情は持っていても、自分は決して都合が良かったなんて思っていないと伝えたいのだが、その気持ちを上手に言葉にできず、『そんなことないですよ』という想いを、イツキの瞳を真っ直ぐ見つめ、唇を噛んで伝えようとする。
「イツキ先生、どうやらきみは少々頭が良いことで、色々勘違いをしているようだ。良かったよアルダスとの縁もこれ限りになりそうで。天才なんて勘違いだと思い知らせてやろう」
フィリップはシャツの袖を捲りながら、対戦する気満々で席を立つ。
「やめろフィリップ!失礼だぞお前。僕はイツキ先生の言葉を信じる。それにイツキ先生は天才じゃあない。努力の人なんだ!」
「そうだフィリップ!お前はイツキ先生の苦労が理解できないだけだ」
アルダスとギニ副司令官は、バン!と机に両手をついて立ち上がり、大声でフィリップを叱る。
申し訳なさそうにイツキを見て、2人は頭を下げようとするが、イツキが首を横に小さく何度か振ったので、頭を下げるのを止めフィリップの方を睨みながら着席する。
全く空気の読めないフィリップは、大切な主アルダスの為にイツキの本性を暴くつもりで、本気で対戦する気のようだ。
残りのメンバーはどうしたらいいのか判らず、イツキの望むように任せることにした。
「僕は上級学校を首席で卒業した。君の知らない世界を教えてやるよ」
シュノーの提案で、お互いが10問の問題を出題し、どちらが多く答えられるかを競うことにした。
フィリップは難易度の高い、レガート国の鉱山のことや数学、レガート国の歴史、ランドル大陸の歴史・経済などを出題した。
イツキは、これから向かうカルート国に関することを10問出題した。
結果はイツキが9問解答できたのに対し、フィリップは3問しか解答できなかった。
イツキの出題した問題は、その場にいた全員が知っておくべきカルート国の情報だったので、これから援軍に向かう国のことを、殆ど知らなかったメンバーは大いに反省した。
マルコ教官は、情報を教える教官だったが、レガート軍でも警備隊でも知られていない内容を出題したイツキの凄さに、改めて驚くと共に畏敬の念を抱いた。
ギニ副司令官は、イツキが必要な情報を教えるために、わざと勝負をしてカルート国のことを自分たちに教えているのだと気付き、説明を聴いた後、無意識の内に頭を下げた。
悔しそうな表情のフィリップを見て、アルダスはフーッと呆れた顔で息を吐き、フィリップにとって最も耐えられない指示を出した。
「フィリップ、既に1敗しているんだ。もしも剣で負けたら、お前はイツキ先生の別動隊でカルート国に入れ。これは命令だ!」
その言葉にキシ組の顔が引きつった。
ソウタとヨムはイツキの剣の師匠である。イツキの剣の腕はよく知っていた。だから恐らくフィリップが勝つだろうと予想して、アルダスの命令を止めようとしなかった。アルダス命のフィリップもまた剣は強かったのだ。
時刻は既に午後10時を回っていたが、全員で武道場に移動する。隣の教官室に残っていた教頭とレポル主任教官も、話を訊いて見学することにした。
「イツキ先生、僕はソウタやヨムとは違う。きみに対して手加減する気など全くない。ケガをしないように防具を着けてくれる方がやり易いんだが?」
フィリップは剣を持ち武道場の中央に立つ。すらりと伸びた体躯に剣を持つ姿は、女性が居たら格好良すぎて倒れてしまうのでないかと思えるほどだ。グレーの髪をきつく結び直し、金色の瞳は闘志に燃えて輝いている。
「ご心配には及びません。僕は師匠たちとの練習でも防具は着けませんから。例えケガをすることがあっても文句なんて言いませんよ」
イツキは軽く体を動かし準備運動をする。そしてフィリップの前に立つとニコリと笑って、自分専用の剣を鞘から抜いた。
公平な立場から審判は教頭がすることになった。
2人の前に立った教頭は、恐ろしいまでの殺気をフィリップから感じて、イツキのことが心配になった。しかし、いつものどこか飄々としたイツキの様子を見て安心する。
全く違う【気】を発する目の前の2人を、色に例えるなら赤と青だろうかなどと思った。そして右手を上げて開始の合図を出した。
始めに仕掛けたのはフィリップだった。イツキは危ないところを、なんとかかわし左右に避ける。180㎝のフィリップから155㎝のイツキに対し振り下ろされる剣は重い。まともに受けるのは完全に不利である。
フィリップは思ったよりも俊敏な動きをするイツキの姿に、主アルダスの動きが重なった。アルダスの身長は今でこそ165㎝だが、軍学校の頃はイツキとあまり変わらなかったのだ。
フィリップは首を振って雑念を払うと、一気に方を付けようと間合いを詰めていく。流れるような剣捌きは、性格を表すようにリズムがはっきりしている。几帳面な性格なのか、ヨム副指揮官のような変則的な攻撃とは違い、教科書に書いてあるようなきっちりとした型にはまっていた。
暫く防戦一方だったイツキは、さっと距離を取ったかと思うと剣の構えを変えた。そして息をゆっくり吸うと同時に一瞬で間合いを詰め、気付くと剣は振り抜かれていた。
1番驚いたのは、イツキの剣の師匠であるソウタとヨムだった。何故なら、師匠である自分たちが見たことのない太刀筋だったからである。
「勝負あり!イツキ先生の勝ち」
教頭の声が、武道場の中に響き渡った。判定を下した教頭でさえ、今の太刀筋をきちんと目で追えなかった。でも、呆然と立ち尽くすフィリップの姿を見れば、イツキ先生が勝ったのだと判った。
「フィリップ、命令を守れ。本来ならイツキ先生を守って貰うところだが、お前よりイツキ先生の方が強い。足手まといにはなるなよ!」
アルダスは、わざと冷たく吐き捨てるように命を下す。
イツキがリース(聖人)だと知っているアルダスは、心の中でイツキの凄さに改めて感動していた。こうしてフィリップに固定観念を捨てさせ、この場に居た全員に一瞬で緊張感を与えた。
アルダスはギニ副司令官と顔を見合わせ、イツキに負けてはいられないと、力の入った瞳で頷き合った。
「続きの話は明日の朝でもいいですか?キシ組の皆さんは帰られるでしょうから、僕はコーズ教官とマルコ教官と一緒に朝から軍本部に伺います。そろそろ眠くなりました」
そう言うイツキは、いつもより幼い顔で欠伸をしていた。
急に子どもに戻ったイツキを見て、全員が深く息を吐き、『何なんだよ俺たちはー!』と情けない気持ちで一杯になったのである。
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