神の声
急に眠くなって、そのまま意識を失ったイツキは、隣に座っていたクロノスの膝の上にパタリと倒れた。
クロノスは息が止まる程驚いたが、イツキの表情が穏やかで呼吸も普通だった為、ホッと胸を撫で下ろした。
まだ12歳の小さな躰に神を降ろしたのだ、きっと疲れが残っているのだろうと思うことにした。
イツキとクロノスが居た場所は、簡易ベッドの後ろにあたる場所だったので、誰もイツキが倒れたことに気付いてはいなかった。
イツキは薄れゆく意識の先で、眩しい光に包まれた空間に来ていた。
そこは何もない空間で、音もなく匂いもなく風も感じられない世界だった。
イツキは酷く疲れた気がして、その場に座りゆっくりと辺りを見回した。すると急にその空間は水底になった。透き通る水の世界は青く美しく、不思議と息ができた。
イツキが水底から上を見上げると、光の玉が降りてきた。その玉は50センチくらいで、イツキの手が届きそうな距離まで来ると、空間は一瞬にして緑深き森へと変わった。直ぐ側の草や花を触ろうとしたが、手がすり抜けてしまった。
よく見ると先程の光の玉は、また頭上にあり森を照らしていた。
なんて不思議な世界だろう……もしかして僕は死んでしまったのかな?
光はどんどん強くなり、眩しさのあまりイツキは目を閉じた。
すると、古い教典の最初のページに書かれていた文章が、頭の中に浮かんできた。
イツキはその文章を、目を瞑ったまま唱えていく。
*** 古き時代、言葉は魔力を持っていた。魔力は人を堕落させ滅びへと向かわせた。神はその様を嘆き、魔力を封じた。真に言霊(魔力)が必要な時、選ばれし者が誕生する。世界に唯一のブルーノアのみ、神はその言葉を与える ***
イツキが教典の文章を唱え終えた時、どこからか声が聞こえてきた。それは声なのだが、頭の中に文字が浮かんで見えた。
「「 ブルーノアを継ぎし者よ、教典を全て読み解き、汝のすべきことをせよ。再び襲い来る戦乱を止め悪神と闘うのだ。古き言葉は神の力を宿し、幾多の光り輝く奇跡を与えるであろう 」」
目を開けると、頭上から光の玉が降りてくる。それは次第に小さくなりながら、イツキの目の前で止まった。
イツキが右手を差し出すと、光の玉は琥珀の石に姿を変えて、手のひらの上にぽとりと落ちた。
「イツキ・・・大丈夫か?」
「・・イツキ様・・・ですか」
『誰かが僕を呼んでいる?誰だろう?』
イツキはゆっくりと目を開けた。そこには心配そうに自分を覗き込んでいるハビテの顔が見えた。
「良かった!目を開けた。大丈夫かイツキ?苦しくないか?」
朝の祈りを終えたハビテが、イツキの異変に気付いて、クロノスと一緒に何度か声を掛けていた。
クロノスの話だと、イツキが眠っていたのは5分位だったようだ。
「あれ?ここは・・・戻って来たんだ。あれは夢だったのかな?」
イツキは独り言を呟きながら起き上がり、ふと握られた自分の右手を開いてみた。そこには、夢の中?に現れた琥珀に変化した光の玉があった。
「イツキ……その石はどうしたんだ?」
ハビテはいきなり現れた美しい石を見て、これはなんの現象なのだろうかと疑問に思った。
「なんて美しい石なんだ!まるで黄金の光を閉じ込めたようですね」
クロノスは、眩しく光る琥珀の石に、すっかり魅入られたようだ。
「これは……《予言の言葉》と共に神より授かりました」
イツキは真面目な顔をして、曇りのない美しい黒蝶真珠の瞳でハビテに告げた。
ハビテは驚きと共に、周りに人が居ないかキョロキョロと確認して、誰も居ないことを確認すると、フーッと息を吐いた。
「イツキ、心臓に悪い……それ以上の話はリーバ(天聖)様にしてくれ。できるだけ早い内に本教会に顔を出せ。それで、【鎮魂の儀式】は出来そうか?」
「はい、大丈夫です。僕が始めた作戦ですから、きちんと終わらせなければなりません。そろそろ食糧難も解消されそうですから、起きても大丈夫でしょう」
イツキはさらりと、ええっ!?と聞いていた者が驚くことを言って立ち上がると、祭壇で【鎮魂の儀式】の準備をしているフィリップ神父とマルコ神父に近付いて行く。
そして、続々と運ばれてくる【神の怒り病】患者の様子を見ながら、うんうんと頷きにこりと微笑んだ。
「イツキ神父、調子はどうですか?儀式はできそうでしょうか?」
フィリップ神父は、イツキの肩に掛けるラグリムを手渡しながら訊ねた。
「はい大丈夫です。これで全ての人が目覚めたら、午後にはロームズの町を出発しましょう。ビビド村の8人を帰してあげなければなりません。後のことはハビテとクロノスに任せます」
つい先程まで倒れていたとは思えない様子で、イツキはこれから先の予定を告げる。急に出発を告げられたフィリップ・マルコ両神父は、いつもの有無を言わせないイツキに、苦笑しながらも元気になって良かったと思うのだった。
全ての準備が整えられ、いよいよ最後の【鎮魂の儀式】が始まる。
住民たちは、昨夜の奇跡を体験した人も、これ迄の奇跡を体験した人も、イツキが語った神の声を直接聞いた人も、緊張し参列していた。
人は、奇跡の光景を見た時、感動と喜びを覚える。しかし、それが1度ではない上、強過ぎてしまうと、畏怖の念を抱くようになる。畏怖……それは、おそれおののくことである。
礼拝堂の中に入れたのは、眠ったままの患者の家族と、病人や体の弱っている者だけだったが、それでもぎゅうぎゅう詰め状態で、礼拝堂の外には町の住民の殆どが集まっていた。
外に集まった7000人近い住民は、当然中の様子も祈りの声も聞こえないのだが、それでも必ず【鎮魂の儀式】に参列しなければならないと思ったようだった。
( イツキは金色のオーラを身に纏い始める。すると演壇の上に置かれていた琥珀の石が、強い光を放ち始めた )
それらを視ることができたのは、ハビテ1人だったが、ハビテはその目映い光景を、一生忘れることはないだろうと思った。
「これから最後の【鎮魂の儀式】を始めます。今日は第3章の祈りの言葉を捧げます。本当は1番長い祈りですが、大切な部分だけを中心に祈ります」
イツキがそう言うと、住民たちは自然と膝まずいて、胸の前で手を組んで頭を下げていく。扉の外に居た人が中に居た人と同じ姿勢になると、それに続いて外に集まっていた住民も、次々と同じ祈りの姿勢になっていく。
本来祈りは、椅子に座っていても構わず、立って礼をとるのが一般的だった。
しかし今日は、誰の指示でもなく、住民たちが自主的に膝まずいて祈るようだ。
今日の祈りの言葉は、高く澄んだ声で始まった。
言葉も意味も判らなかったが、目を閉じて祈っていた人々の頭の中に、突然青い海や青い空の映像が見えてきた。そして鳥のように高く飛ぶと、雄大にそびえるランドル山脈の景色へと変わっていく。
流れる雲を追い掛けるように進むと、その先には緑の大地が広がっていた。
心地よい風が通り抜けて、緑の大地に光が降り注いでいく。
どこからか鐘の音が聴こえてきた。それは本教会の大聖堂の鐘の音と同じ音色だった。町に有るはずのない鐘の音が鳴り止んだ時、イツキ神父の祈りの声も終わった。
【魔獣調査隊】のメンバーも、ハビテもクロノスも住民たちも、ゆっくりと目を開けた。そこにはいつもの風景が広がっていたが、皆の顔は爽やかな喜びで満ちていた。
まるで空を飛んで旅に出掛けていたような・・・そして今、旅から戻ってきたような体験をしたからだ・・・
「祝福と許しの鐘の音が響き渡り、罪は祓われました。数多の魂(霊)は清められ、安らかに眠りにつくことができると感謝しています。さあ目覚めなさい。神は皆の祈りに応えられた」
イツキの声に合わせるように、眠ったままだった人々が目覚めていく。そして喜びの声が礼拝堂の中に溢れていった。
ハビテは、ブルーノア文字の力なのか、《予言の子》としてのイツキの力なのかは判らないが、その力の特異性に驚いただけでなく、その力が与える影響力を思うと、正直不安を覚えるのだった。
◇ ◇ ◇
その頃、カルート国の王都ヘサでは、レガート軍が帰路につこうとしていた。
アルダスは、1200の兵の内200をロームズの町へと進軍させ、残りの兵を連れて帰還することにした。
200名の兵を指揮してロームズへ向かうのは、王宮警備隊副指揮官のヨム・マリグ・カミス子爵である。
ヨムは【奇跡の世代】20人と共に、ロームズの復興と治安維持、そして国境警備のため基盤作りを任された。
いきなり今日からレガート国民になりましたと言えば、住民は混乱するだけだし、反感を持つ者や絶望する者も出るだろう。そこで、ことの経緯と状況説明をする、カルート国の人間が必要になった。
なにぶんにも腐った臣下たちである・・・【疫病】が蔓延しているかも知れない町に、行きますと手を挙げる者などいない。
結局揉めた挙げ句、腐り果てた臣下の出した答えが、皇太子を送り込むだった。
「信じられない!!!王家の滅亡を狙っているのかお前たち(臣下たち)は!」
怒り狂ったアルダスを、ヨムが止めなければ剣を抜いていたかもしれない……
しかしアルダスの予想を反して、15歳になったばかりの皇太子は、笑顔で「私が行きましょう」と言った。
こんな腐った王宮の中で、腐らずに育った王子が居たことは、カルート国唯一の希望であるとアルダスもヨムも思った。
翌年起きる2回目の戦争の時、利発で聡明な皇太子が、邪魔だと判断した腐ったギラ新教徒の臣下が、戦乱に乗じて暗殺を図ろうとする。その時、皇太子を助けようとしたイツキが、陰謀に巻き込まれることになる。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
なんとなく、宗教色が強くなっておりますが、もうすぐ違う展開になってきます。




