ハキ神国軍撤退
突然目の前に現れた謎の男……しかも、口から血をダラダラと流している。
「ギャーッ!!」
「また出たー!!」
11人の兵たちは、思わず叫んでのけ反り、完全にパニックになっている。
「助けて・・・俺をハキ神国に・・・連れていって・・・くれ」
現れた男は、ヨロヨロと近付いてくる。軍服ではないので、やはり住民だろう。
苦しさからか顔は歪み、視点も合っていないようだ。腕を見ると先程の男同様、【赤黒い模様】が浮かび上がっている。
間違いなく【疫病】患者だ。しかも、この症状は【神の怒り病】に違いない。
全員血の気も失せ、唇は上手く言葉を発することもできない。目は見開かれたままで、目の前の男から視線を外すことができない・・・
「神の怒りだ・・・お前たちの・・・せいだ。ハキ神国の責任だ・・・」
男はよろけながら、急に近付き始める。グフォッとまた血を吐きながら。
「く、来るな!あっちへ行けー!」
早く逃げなければと思うのだが、恐怖のあまり足がすくんで動けない。
「ぜぜ、全員退避だ!馬に乗れ」
辛うじて声の出せたブーニクスは、一同に命令する。そして急いで馬に乗ろうとするが、短い足が上手く掛けられない。馬に乗ろうとしていた部下を、いきなり押し倒して「早く、ふ、踏み台になれ!」と命じて、部下の馬に跨がる。
部下のことなど気にも止めず、自分だけ先に手綱を引いて馬の向きを街道に向けると、「ハイヤッ」という掛け声で馬を走らせ一目散に逃げて行く。
踏み台にされた部下は泣きそうになりながらも、急いでブーニクスの馬に乗り「待ってください!」と叫びながら後を追う。
ファーガス大佐を乗せた荷車も、2頭の馬に引かれガラガラと音を立てながら走り出した。
「おいおい、そんなに急いだら荷車の中のファーガスが、打撲で大変なことになるぞ。と言っても、もう聞こえないか……」
コーズ隊長は、よいしょと姿勢を戻して腰をコキコキと伸ばして、肩を回す。
本陣の奴等の去った後には、何やら荷物が取り残されていた。
荷物はリュックが6つで、逃げる時に背負い忘れたのだろう。荷物の中を物色してみると、なかなか面白い物が見付かった。
恐らくブーニクスの荷物だろうが、いくつか役立つ物が入っていた。
1)、ハキ神国の地図にハキ神国軍の上官や部下の名前を書いた名簿
(これはなかなか役に立ちそうだ。レガート国で保管しよう)
2)、昨夜行われたらしいオリ将軍とムルグ総司令との会談内容を記したメモ
(バカな奴だと聞いていたが、本当にバカだ!こんなメモを残すとは信じられな
い。重要な機密を書き残すか普通?)
3)、オリ将軍への不満と、与えられるべき手柄の希望が書かれたノート
(なんだこれは?もう笑うしかない!いや、皆に見せて笑い者にしよう)
コーズ隊長は、上機嫌で自分の馬に跨がると、撤退を始めるロームズの兵たちに出会わないように、北側に進路をとった。
ハキ神国軍ロームズ基地の全軍(眠ったままの兵を除く)が、撤退するため本部テントを出発したのは午後1時半だった。
この時イツキの仕掛けた最後の作戦が発動し、出発間際になってシュルツ少佐が眠ってしまった。
本当は全てが終わった時、現在眠ったままの兵士を連れて、母国へ無事にお帰りいただく責任者として、イグニード副指令に引き受けて貰いたい役であったが、彼は病み上がりだったので、代わりにシュルツ少佐にお願いすることにしたのだった。
今朝、礼拝堂で出したお茶に、少しだけ残しておいた薬を入れておいたのだった。
ほんの少量だから、症状が出るのが遅く効き目も軽い。4時間くらいで目覚めるだろう。その時ハキ神国軍は、ロームズの町を離れているだろう。
午後2時、【魔獣調査隊】のメンバーは、全収容所から住民を解放した。
そして、町長、副町長や住民の代表10名が礼拝堂に集まり、これからのことについて協議を始めた。
【魔獣調査隊】からの出席者は、フィリップ神父とイツキ神父の2人である。
残りのマルコ神父・ドグ・ガルロの3人は、解放された男たちと狩りに出掛けた。町の食糧事情は最悪のままで、今夜の食べ物にも事欠く状態なのだ。
殆どの馬や馬車や荷車は、ハキ神国軍が奪っていった。唯一残った馬は、コーズ隊長が借りていた馬だけだった。帰ってきたコーズ隊長の馬は、町の代表が乗り、隣のビビド村へと食糧支援のお願いに向かった。
午後3時、ブーニクス少尉一行はようやく本陣へと辿り着いていた。
知らせを受けたタルバ副指揮官は、最悪の事態に頭を抱えたが、すべきことをするしかないと行動に移した。
昨夜オリ将軍に言われた撤退準備はできていたので、500人の兵を戦利品と共に、直ちに首都シバの王城へと帰還させる。
次にブーニクス少尉に命じて、国境を封鎖しロームズの町から、誰もハキ神国に入国させないよう命じる。
疲れ果てて帰ってきたばかりのブーニクスが、当然のことながら不満を漏らしたが、他の上官は帰還させる責任者になっているので、お前しかいないと命令されて、泣く泣く今来た道を100人の兵を連れて戻って行った。
問題はオリ将軍への報告である。勝利を目前にしての撤退・・・そして【疫病】の恐怖、不機嫌な顔が目に浮かんだ……
『仕方ない。今は国の危機を回避せねばならない。バカな将軍がどう言おうと、俺は残りの500人の兵を撤退させる』
そう心に誓って、ルンナの領主の屋敷で対策を練っているはず……のオリ将軍の元へと急ぐとことにした。
その頃ルンナ領主は、オリ将軍から聞いた【疫病】の話の対策を、部下や街の相談役、警備隊長と共に屋敷内の部屋で立てていた。
「やはり封鎖しかありません。1人でも患者が発生したら、街はパニックになります」
「そうです。元々戦時下なのですから、カルート国との国境を封鎖したとしても、問題ないでしょう」
「あの伝説の、いや最悪の疫病として記録に残る【神の怒り病】ですよ!お金より命です。いくら警備隊でも疫病とは戦えません」
「そうですね……分かりました。ルンナの街の総意として国境を封鎖し、特別警戒令を出しましょう。眠ったままになった病人が発生したら、直ちに隔離します。詳しい報告が間もなく来るはずですが、今より実行してください。警備隊は特別警戒令を発令してください」
ルンナ領主は即断すると、決定を街中に知らせるために、ルンナ正教会の鐘を鳴らすよう要請を出した。
ルンナ領主は、決定事項をオリ将軍に報せるのを躊躇っていた。あのバカ王子にまともな判断など出来ないだろうから、国境を封鎖した後に報告すればいいと考え、教会の鐘が鳴ってから決定事項を報告することとした。
オリ将軍とムルグ総司令は、領主の屋敷の貴賓室で頭を悩ませていた。
「もうすぐ、戦わずしてカルート国のハビルの街が手に入るはずだ。あと6日だ。たった6日で完全勝利できた。このまま撤退はできない!」
オリ将軍は、机の上の書類をぶちまけながら椅子から立ち上がり、憤りを隠そうともせずに叫びながら、拳を強く握り、ドン!と机を叩いた。
「しかし将軍、国内に疫病が入ってきたら大きな損失になります」
「伯父上、それは私の責任ではありません。この度の進軍で【大きな利】をハキ神国にもたらし、私を皇太子、次期国王と認めさせねばならないのです。利益は私の手柄ですが、【疫病】がもたらす損失の責任など、誰にも問うことなどできないはずです」
オリ将軍は、自分の伯父の言葉など聞く耳がないようで、相変わらず自分の論理を振りかざす。
当然のことながら、この男の頭の中には、兵士を【疫病】で1,000人失うことも、大勢の国民が【疫病】で死ぬことも、大したことではなかった。
自分を認めさせることが優先である為、本当の国益について考えられる、頭脳も理性も持ち合わせてはいなかった。
〈 〈 カーン、カーン、カーン 〉 〉
教会の鐘が連続して鳴り始めた。15回以上鳴り続ける時は緊急事態を報せる時であり、街に危険が迫っている時である。
もう何年も緊急の鐘など鳴ったことは無かったので、住民たちは立ち止まり何事だ?と騒然となった。
ルンナ領主の屋敷に居たオリ将軍とムルグ総司令も、何事だと慌てて屋敷の者に確認する。屋敷の使用人が分からないと答えているところへ、領主が困った顔をして貴賓室に入ってきた。
「オリ将軍、ムルグ総司令、ルンナの街は国境を封鎖しました。そして住民に【神の怒り病】の特別警戒令を発令しました」
ルンナ領主は、相談なしに実行した国境封鎖と特別警戒令について、激怒されると充分予想していたが、さらりと言ってからハーッと深く息を吐いて続けて言った。
「私はハキ神国軍が、ロームズの教会を攻撃して神父を殺したという、重要な事実の報告を受けていませんでした。一体どういうことなのでしょうか?」
と、激怒される前に先制攻撃を仕掛けた。なかなか度胸のある人物のようだ。
「なな、なんという勝手なことをしたんだ!お前は国益のことを考えないバカなのか!ただでは済まさんぞ」
プルプル震えながら、怒り心頭でオリ将軍は声を荒らげた。
そこへドアをノックする音がして、緊急事態ですので失礼しますと言いながら執事が入室し、「タルバ副指揮官が到着されました」と告げた。
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