神の怒り病
◇ ◇◇ ロームズの町 ◇ ◇◇
ロームズ教会の礼拝堂でイツキは、今回の戦の指揮官でありハキ神国軍の副司令であるイグニードと会談していた。
イツキの後ろの席には、マルコ神父とハモンドが控えている。
イグニード副司令の後ろには、ハキ神国軍少佐シュルツとグードが控えていた。
すっかり綺麗に掃除された礼拝堂は、イツキの祈りの浄化もあり、淀んでいたマイナスの気が無くなり空気は清んでいる。
「私はレガート国のレガートの森を抜ける為、魔獣調査を行っていた調査隊と共に、ミノスの街から共に旅をしてきました。カルート国のルナ正教会に立ち寄った際、ロームズ教会の神父と連絡が取れなくなったという話を聞きました。私は諸国を回りながら勉強をしている身なので、様子を見てきましょうと約束しました。偶然【魔獣調査隊】もランドル山脈の端まで調査する予定だということで、また共に旅をすることにしました。すると、ビルドの町に寄った時、信じられない話を耳にしたんです」
イツキはこれまでの旅の様子から話し始めた。
ビルドの町の神父から聞いた、ロームズ教会攻撃と神父死亡の話、要請があり死者の葬儀のためロームズの町へ行った話等、包み隠さず全て語った。
イグニード副司令は、黙ったままイツキの話を聴いている。表情は硬く時々目を瞑って下を向き、長い息を吐いた。
「それで、私からお願いが2つ有ります。1つは、明日から最低3日間【鎮魂の儀式】を行わなくてはなりません。その間だけ住民を教会に集めたいのです。もちろん兵士の方々が厳しく監視されることは構いません。2つ目は、我々が滞在する間、礼拝堂を診療所として使います。この2点について許可願います」
イツキはそう言って頭を下げた。控えていた2人も同時に頭を下げる。
「許可ですか……教会は我々の物ではありませんから、教会の中で神父様が行うことに対して、とやかく言うことはしません。しかし、人質たちを儀式に出席させることはできません」
イグニード副司令は、そうはっきり答えた。
その答えはイグニードの本心ではなかったが、今の自分の立場では、人質に関することを決定する権限がなかったのだ。
外で転がされているファーガス大佐が、現在の指揮官である。
「分かりました。それでは私が人質になっている住民の元に行きます。ケガ人の治療も祈りも、その場所で行うなら問題ないですよね。全て私の仕事であり、大変な事態にならないよう防ぐことが務めですから」
イツキは異議を挟む余地のない言い方で、決定事項のように勝手に話を進める。
「私から許可はできませんが、神父様の仕事を邪魔することはできませんね……」
イグニード副司令は、イツキの強引さに苦笑いをしながら答える。
『『 成る程ね…… 』』2人は同時に相手の会話力を測り、心の中でニヤリと笑った。
「ところで、今仰った大変な事態とはなんでしょうか?それを防ぐことが自身の務めとは?」
イグニード副司令は、イツキの話をきちんと聴いていた。そして聞き捨てならないキーワードに対し質問してきた。
作戦Bが、いよいよ重要局面に突入した合図である。
イツキは、「私の心配が杞憂に終われば問題ないのですが……」と前置きをして、昔話を始めた。
「昔話になりますが、ランドル大陸史を勉強なさっていたらご存知かもしれません。先の大陸戦争が起こった554年の国の数が3カ国だった時代の話です。開祖ブルーノア様がブルーノア教を興されて以後、教会にとって最悪の2年間がありました」
イツキは《裁きの聖人》銀色のオーラを身に纏い始める。
「この2年間は、各地で教会が破壊されたり軍事施設になりました。人々は戦乱の中で、逃げ惑い、殺され、収容され、信仰を忘れたかのように争ったのです。その結果、戦争による死者は2万人だったと伝えられています。555年大陸戦争は、3つの国が現在の6つの国に分かれ終局しました。どこの国が勝利して、どこの国が負けたのかご存知ですか?」
イツキは目の前の3人に訊ねた。
「勝利した国・・・?」 (イグニード副司令)
「ハキ神国、レガート王国、ダルーン王国ですか?」(グード少佐)
「確か……レガート国王が和解案を出して、協議で停戦したと習いました。だから、その時に持っていた領土が、そのまま今の6か国になったはずです」(シュルツ少佐)
3人は、どうしてそんな昔のことを持ち出してきたのか疑問に思いながらも、イツキの質問に答えていく。
答えながらイツキの顔を見ると、イツキの瞳が会談前よりも、なんだかより黒く……いや闇のように沈んで見えた。
「正解です。ではどうして和解できたのかをご存知でしょうか?」
イツキの声が少しずつ低くなっていく。
「知りません。しかし先程の死者数は5万人だったのでは?」(イグニード副司令)
「確か伝染病がなんとかで……」(グード少佐)
「ええぇっ!も、もしかして神、神の怒り病・・・」(シュルツ少佐)
自ら答えながらシュルツ少佐は、どんどん青ざめていく。他の2人も【神の怒り病】という名前に覚えがあるのか、驚きで目を見開きながら顔色を悪くしていく。
「正解です。ハキ神国王立上級学校は、きちんと教育されているようで嬉しいです。555年、ランドル大陸に蔓延した疫病による死者は3万人でした。イグニード副司令が仰ったのは疫病による死者を含めた数です。戦争による死者2万人だけでも凄い数ですが、それを上回る3万人の死者が出ては、戦争などしていられなかったのです」
イツキの話に3人はごくりと唾を呑み込んだ。イツキの後ろに居たマルコ神父とハモンドも、顔色が悪くなっている。
そしてイツキ以外の5人は、なんだか息苦しくなってきたような気がする。
「ブルーノア教会にとって最悪の2年間とは、ランドル大陸の歴史の中で、最も最悪な疫病【神の怒り病】との戦いの2年を指します。治療法も判らない、患者を収容する教会は破壊され、死者を埋葬する場所もない・・・神父も病に倒れました」
イツキは言葉を詰まらせながら、【神の怒り病】が終息するまでの地獄のような惨状を話していく。
その時以来各国は、決して教会を攻撃しないと教会に約束し、その時に【鎮魂の儀式】という祈りが生まれたのだと。
「後に判ったことですが、この治療法の無い病が起こった場所が特定されました。それは戦争で捕虜となった人々が閉じ込められていた収容所と、きちんと埋葬されず・・・放置されたご遺体の周辺からでした。病の始まりは今と同じ6月だったそうです。ただ不思議なことに、神父が生きていて祈りを捧げることができた教会の周辺からは・・・病人が出ませんでした。だから人々はこの疫病を【神の怒り病】と呼んだのです」
イツキは話し終えると、自分の頬に流れる涙を右手で拭いた。
「では、イツキ神父が心配されているのは……え、疫病……」
イグニード副司令は低い声で、確かめようとイツキの顔を見た。
「そうです。あの時と条件が同じなのです……しかし、葬儀をせず、きちんと埋葬されていないご遺体は無いので、収容所だけ早く様子を見に行きたいのです。病人等は出ていませんよね?」
イツキの声は、もはや子どもの声ではなかった。マルコ神父もハモンドも、こういう時のイツキの怖さを知っている。正面ではなく後ろに控えていて良かったと短く息を吐いた。
「・・・」
正面の3人から、何も答えが返ってこない。それどころか益々顔色が悪くなっている。
グード少佐なんて体が斜めになって、今にも倒れそうだ。
イツキの威圧感にやられたのか、この重苦しい空気にやられたのか、3人共完全に血の気が引いている。
「も、申し上げ難いのですが、収容所には体調の悪い者が、なな、何人か居ます」
グード少佐が、震えながら報告してきた。
「私の前で、嘘やごまかしは通用しませんよシュルツ少佐!」
イツキは急に低く大きな声で、シュルツ少佐を一喝した。
全員その声に驚き姿勢を正した。
「それと……ハキ神国軍の戦死者10名の、い、遺体が、そ、葬儀もせず……きちんと埋葬されず土をかけられた状態で・・・町外れに・・・」
シュルツ少佐は泣きながら報告する。
マルコ神父は、ハキ神国語は分からないが、思わずシュルツ少佐に同情する。
ハモンドは、イツキの威圧感とか怖さは、どこの国の者でも同じように感じるんだと思った。
「それは辛かったですね。シュルツ少佐の部下の方も亡くなられたのでしょう。大切な部下の葬儀もできないとは……神父の随行もなく、占拠した町の神父を殺した立場では、ロームズ教会の神父に葬儀は頼み難かったのでしょうか……それとも将軍に、葬儀など必要ないと命令されましたか?」
イツキは立ち上がると、シュルツ少佐の横まで行き、優しく肩に手を置いた。
「戦争とは、本当に愚かな行いです。ご苦労されているのですね」
イツキの言葉に、我慢できなくなったシュルツ少佐とグード少佐は、声を出して泣き出した。イグニード副司令は、なんとか声を殺しているが涙を拭いている。
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