作戦B 発動します
上官がマルコ神父と睨み合いを始めると、20人ばかりの兵は、自分たちの上官の神父様に対する失礼な態度に対し、『勘弁してー!』とか『もうやめてー』とか『そうだそうだ!』とか、心の中は賛否両論に分かれていた。
「ああぁぁ」と小さく呟く声があちこちから聞こえたので、上官の態度に呆れている兵が多いのかもしれないとハモンドは思った。
イツキはそんな大人たちを無視して、ラールと一緒につかつかと歩き礼拝堂の中に入っていく。
礼拝堂の中には兵士が250人くらい居て、各々椅子に座ったり、しゃがみ込んだり、眠ったりしていた。疲れているというより、ただ休憩しているか、退屈しているようにも見えた。
中に入ってきたイツキを見て、誰だこの子どもは・・・?という視線を浴びせるが、面倒臭いのか子どもだからなのか、特別取り押さえるでもなく視線だけをじろりと向けるか、興味なさ気に無視する者とに分かれた。
イツキはそんな兵士たちの視線や態度をまるっと無視して、礼拝堂の1番前の祭壇まで辿り着いた。そこは神父が神に祈りを捧げる場所であり、ブルーノア教会で最も大切な神の魂が宿る場所であった。
イツキは自分の鞄からタオルを取り出すと、祭壇と教壇の掃除を始めた。ラールは祭壇の下で姿勢正しく座っている。
イツキを見ていた兵士は、なんだ掃除の子どもか……と安心したように視線を逸らしてゆく。
その頃表のマルコ神父は、作戦Bを成功へと導くための大事な局面を迎えていた。
「あなたは上官のようですが、あなたより上の上官を呼んで来て貰えませんか?できれば指揮官を」
マルコ神父は、目の前の男(上官)の脅しなど全く相手せず、無表情でカルート語で話し掛け直した。
脅した相手の神父はびびるどころか、もっと上の上官を出せと要求してきた。上官ファーガス40歳は、再び怒りの言葉を浴びせる。
「上官?はあぁ……?お前何言ってんの。俺の言葉が聞こえなかったのか?お前ごとき神父に命令される筋合いはないと言ったはずだー!」
「どうやら話が通じないみたいですね。誰かカルート語の話せる人は居ませんか?レガート語でも構いませんよ」
マルコ神父はファーガスの言葉を無視したばかりか、言葉の通じない人扱いをする。マルコ神父(教官)は、ハキ神国語が得意ではない。むしろ片言しか話せない。だから今の言葉はカルート語で話した。
最初の第一声は、来る途中の荷馬車の中でイツキから伝授され、練習を重ねていたからすらすらと話せたのだった。
そして相手の返答内容の予想もして、返答の全文の意味が解らなくてもキーワードとして4つの単語を決めておき、4つの内2つ以上が発せられたら、それが作戦開始の合図とすると、予め決めていたのである。
その4つのキーワードの内2つが〈占領〉と〈勝手〉という言葉だった。
その後の交渉はカルート語でするように指示を受けていたので、上官を出せと言ったのはカルート語だった。
話の流れから察すると、「上官?はあぁ?」とか言っていた訳だから、目の前の男はカルート語を理解しているはずである。
「きさま、俺がカルート語を話せないとでも思ったのか!どこまでもバカにした態度で出る気なのか?」
ファーガス(上官)は相当頭に来たようで、とうとうマルコ神父の胸元の服を右手で掴み、唾が飛び散りそうな勢いで文句を言った。
「いいんですか?この私にそんな態度をとって。あなた今、誰にケンカを売っているか判っているんですか?」
マルコ神父の言葉と不気味なほど落ち着いた態度に、一瞬ファーガスの手が止まったが、フンッと鼻で嘲笑ってから、掴んだ手を緩めるどころか両手で掴んできた。
周りに居た兵士たちの殆どは、どうやらカルート語が理解できるようで、上官の態度をハラハラしながら見ている。中には上官の腕を掴んで、止めに入るものも居た。
「誰にケンカを売っているだぁ?お前に決まっているだろう!」
とうとうファーガスの唾がマルコ神父の顔に飛び散り、無表情だった顔が不機嫌な顔へと変わっていく。
マルコ神父はフーッと長く息を吐くと、自分の両手でファーガスの両手首をギュッと握り、服を掴んでいた手を強引に引き剥がした。
「どうやらお前は、ことの重大さが判っていないようだ。私はブルーノア教会の代表として此処に来ている。その私にケンカを売ったのだ。しかも無礼な態度で。すなわちお前は、ランドル大陸の9割を占めている信者と、ブルーノア教会にケンカを売ったのだ。上官を出さないのなら、お前の言葉をハキ神国軍、いやハキ神国の意思として、リーバ(天聖)様にお伝えすることになる。ハキ神国は、ブルーノア教会を攻撃し、教会を占拠し神父を殺した。そしてブルーノア教会に戦争を仕掛けていると!」
マルコ神父は凍るような声で怒りを込め、段々大きな声になるよう言い放った。
周りに居た兵士たちは一気に血の気が引き、大変なことになったと動転した。
当のファーガスは直ぐには理解できなかったようで、リーバ様……?とか戦争を仕掛けた?とブツブツ言っていたが、状況を理解しようとしかけた時、側に居た兵士(少佐)2人に頭と首を殴られ気絶させられた……
凄く痛そうだけど、上官を殴って気絶させて大丈夫なのか?とハモンドは心の中で突っ込みを入れた。
「神父様申し訳ありません!この上官の無礼をお詫びいたします。我々は決して教会と戦争を起こす気などありません。至急本当の指揮官を呼んで参りますのでお待ちください」
上官を殴った少佐2人は、土下座して謝罪してきた。他の兵も慌てて土下座する。
少佐の謝罪の説明によると、気を失って倒れたファーガスは、ハキ神国軍総司令の親戚ということで、軍経験は全くないのに上官(大佐)として配属され、指示も滅茶苦茶だった。教会を本部にする指示を出したのもファーガスで、皆は反対したのだが、教会を直接投石機で攻撃したのがオリ将軍だったこともあり、兵士たちは逆らうことができなかったと言い訳し再び謝罪した。
自分が信仰しているブルーノア教と敵対する……そんなことなど誰も望んではいない。こんなバカな上官の指示をきいて、教会を本部にしてしまった己を恥じ、とんでもない背徳行為をしていたことに改めて気付いた。恐れから体が震える兵も居た。
「しかし、礼拝堂を占拠している事実はどう説明するのだ!?」
マルコ神父は畳み掛けるように、低い声で怒りを込め言い放った。
兵たちは「申し訳ありません」と言いながら、礼拝堂に転がるように駆け込んでいく。そして中に居た仲間の兵たちに向かって叫んだ。
「全員ここから退避せよ!これは命令だ!急げ!」
今、この場に居る兵士の中で1番上官と思われる少佐が命令する。礼拝堂の中で寛いでいた兵士たちは、退避という言葉に驚き立ち上がった。
『敵襲か?』と、色めき立ち武器を手に礼拝堂から飛び出して行く。そして外に出て「何事だ!」と叫びながらキョロキョロと辺りを見回し、普段と変わらない町の様子に首を傾げる。
教会の周りは酷い砂ぼこりになった。道行く女性や子ども、見回りの兵士たちは何事だろうかと教会前を注目する。
「今よりここは、ブルーノア教会が管理される。2度と足を踏み入れてはならん。わかったか!?」
良識のあるその少佐は、真っ青な顔をして叫んだ。そしてケガで休んでいる本当の指揮官であり、ハキ神国軍副司令のイグニードを呼びに、ロームズの町の病院へと使いを送った。
礼拝堂から追い出された兵士たちは何がどうなったのか分からないまま、もうひとつの駐屯地であるロームズの町の北にある織物工場に200人以上が移動して行った。
教会の敷地内に残ったのは、10名の兵士と少佐2人で、教会の敷地の外には50名程の兵士が残っていた。
申し訳なさそうに礼拝堂の前に立つ12名に向かって、マルコ神父は言った。
「礼拝堂の掃除はどうなっているのでしょう?まさか汚したり荒らしたりしていませんよね?今から礼拝堂は病院になります。大した薬剤を持ってきていませんが、明日には薬を届けに私の仲間がやって来ます。通行の許可をお願いします。それから教会は信者のものですから、兵士の皆さんも信者であれば遠慮無く治療しに来てください」
マルコ神父が優しい口調でそう言うと、兵士12名全員は「これから全員で掃除いたします」と答えながら、再び慌てて礼拝堂の中に掃除のため入って行った。
因みにファーガス大佐はまだ気を失ったままなので、教会の庭にある大きな木の下で転がされて(寝かされて)いる。6月の陽射しは厳しいので、少佐は情けをかけ木陰を選んだようだ。
兵士たちが礼拝堂の中に入ると、マルコ神父と一緒に来ていた子どもの神父?従者?見習い?が祭壇の上の掃除をしていた。
兵士たちはイツキには声を掛けず、黙々と掃除をしていく。もう少しでブルーノア教会と戦争になるところだったという恐怖心と、少しでも自分の罪を償いたいという気持ちで一生懸命掃除する。
マルコ神父とハモンドが、礼拝堂の中に入ってきて祭壇前で礼をとる。そして祭壇前で膝まずき、開祖ブルーノア様に捧げる祈りの言葉を紡ぎ始めた。(ハモンドはミノス正教会で、マルコ神父はルナ正教会で鍛えられた)
短い祈りが終わると、イツキの前で礼をとり祭壇横の椅子に座った。
祭壇の掃除を終えたイツキは、祭壇の中央に立ちゆっくりと呼吸を整えていく。同時に金色のオーラを纏い始める。今日は意識して、声に【癒しの力】を込めるようにイメージした。
そして、それはそれは透き通る声で神に祈りを捧げ始めた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
前話にラールを書き忘れていたので追記しました。




