イツキ、キシ公爵に会う
キシ組が軍学校に到着したのは午後4時のことだった。
4人でやって来るものと思っていたら、5人全員が揃っていた。キシ公爵の番犬フィリップも同行していたのには教官たちも驚いたが、本人は当然のような顔をして、主であるキシ公爵アルダスの側に控えていた。
主であるキシ公爵は、バルファー王から国内の不正について、自分の代わりに調査や解決方法などを探るよう命を受けていた。いわゆる【王の目】としての役割が現在の仕事となっていた。
その為、アルダスがキシ領内で仕事をしている時、代わりに調査をしていたのはフィリップだった。
【王の目】それは、秘密調査官とでも言えば分かり易いかもしれない。
バルファー王は、各領地の領主や貴族が、違法な税の徴収・学問を受ける自由の侵害・理不尽な法の制定等をしていないか、また、国外の勢力との結託で国に損害を与えていないかを、【国王直属の調査官】という名目で、貴族や役人の闇を正す役割と権限をキシ公爵に与えていた。
判断の難しい案件は、国王の判断を仰ぎ罰するが、そうでない案件はキシ公爵に処罰が一任されていた。
【王の目】のトップはアルダスだが、その組織を動かしていたのは実質フィリップだった。
その為、世間ではキシ公爵の番犬などと言われ、領主や貴族たちに恐れられていた。
そして【王の目】の組織で働いているメンバー30人の内25人は、【奇跡の世代】いわゆる軍学校の同期生たちだった。
そんな【王の目】で忙しいフィリップは、さぞかし男らしく恐い人間に成長しただろうと教官たちは思っていた。
しかしフィリップは、学生時代から女性にモテモテの超イケメンのまま、29歳になった今でもそのイケメン振りは健在で、妙な男の色気まで漂わせていた。
貴族特有のグレーの長い髪を緩く後で結び、長身でバランスの良いボディー、整い過ぎている顔の中でも、信じられないような輝きを放つ金色の瞳は、会った者の記憶に必ず刻まれることになる。そんな瞳に見詰められたら、どんな女性でもペラペラと訊いてもいないことまで話してしまうだろ。
当の本人は、結婚する気など全くないようで、主アルダスに全てを捧げている何処か残念な男だった。
ある時、金持ちで有名な侯爵の娘との縁談があったが、「アルダスや自分より美しい女以外興味はない」といい放ち、〔氷の貴公子〕こと王宮警備隊副指揮官ヨム同様、告白すると死にたくなる男と言われたりもしている・・・
校長室には重苦しい雰囲気が漂っていた。到着したばかりのキシ組5人と校長・レポル主任教官の2人が沈黙のまま対峙していたのだ。
「キシ公爵、何故イツキ先生なんだ?会ったこともないだろう?」
レポル主任教官は、沈黙を破って元教え子に対し教官として話し掛けることにしたが、さすがにアルダスと呼び捨てにはできず、キシ公爵という呼び方で質問した。
「会ったことはありますよ。卒業試験の引率でキシの部隊に来た時に」
レポル主任教官と校長は、即座にソウタ副指揮官とヨム副指揮官の方に視線を向け、『しまった!』と心の中で叫んだ。
3年前の卒業試験の引率をイツキ先生に任せた時、9歳の引率者では不味いだろうと、上司を脅してまでもキシ領に帰ったのは、久し振りに親の顔が見たかったのではなく、キシ公爵にイツキ先生を会わせるためだったのだと判り、レポル主任教官と校長は顔を見合わせ唇を噛み、眉間に皺を寄せて、自分たちの読みの甘さを後悔した。
そんな前からイツキ先生を狙って行動していたとは……道理で技術開発部長のシュノーまで、やたらとイツキ先生を可愛がるはずだ・・・真の狙いは技術開発部ではなく、主アルダスの為だったのだ。
「では、イツキ先生と何か約束でもしたのか?」
こうして5人で説得に来ることからして、既にイツキ先生と密約でもあったのかと推察すると、悔しさと裏切られた苦い思いになる。答えを聞きたくないと弱気になる自分を奮い立たせて、質問するレポル主任教官である。
「残念ですが……はっきりと断られました。でも僕はどうしても諦められないのです。始めはソウタとヨムが凄い逸材がいると言って報告して来たので、興味が湧いて会いました。会ってみると、確かに普通ではないものを感じ、素直に僕の下に欲しいと思いました」
レポル主任教官と校長は、イツキ先生は断ったんだと判り、安堵の息を短く吐いた。
「しかしそれだけではないんです!あの特徴のある黒い瞳が僕を見た時、必ずまた会える、そして共に戦う同志になると確信しました。それが何時なのかは判りませんでした。そして、それがまさか隣国の戦争の時だとは、夢にも思ってはいませんでした。人に興味のないシュノーまでが虜になり、シュノーの元で武器まで開発してしまう。これって自惚れではなく運命だと思うんです。軍用犬とハヤマを使えることだって、意味があるとしか思えません。イツキ先生は僕の元には一生来てはくれないでしょう。でも今回は、今回だけは、ここに来なければならないと声が聴こえてくるんです!」
アルダスは一気に話して、私欲ではなく運命なのだと説明する。そのあまりにも真剣な顔と必死さに、レポル主任教官や校長だけでなく、キシ組の親友たちも驚き言葉を失う。
そこへ、タイミングを見計らったように、ドアをノックする音が響いた。
「校長先生イツキです。ご用だと聞きましたが入っても良いでしょうか?」
イツキの声がして、皆の緊張感がふっと解けていく。そして笑顔で入ってきたイツキに校長が声を掛けた。
「今日は遅かったですね。何かありましたか?」
校長はキシ組のことは置いて、珍しく時間通りに帰って来なかったイツキを心配して訊ねた。
「これはキシ公爵様お久しぶりです。師匠もシュノーさんも、えっと……もしかしてフィリップさんですか始めましてイツキです」
いつもの笑顔より一段と可愛い顔でイツキは挨拶をした。
さっきまでイツキのことで揉めていたのに、こうして12歳のまだ幼さの残る笑顔を見せられて、一同は自らを恥じた。自分たちはこんな子どもに何を期待して、何を背負わせようとしていたのかと・・・
全員が俯いていると笑顔のままでイツキが話し始めた。
「隣国の戦争に出兵が決まったそうですね。校長先生、その事でラミル正教会のサイリス(教導神父)様から呼ばれていたので遅くなりました」
「教会・・・」
その場に居た全員が教会という言葉に固まった。
考えてみれば、イツキ先生は教会から預かっているのだ。それを、どうこうしようと考えていた自分たちの身勝手さに気付いてしまった。
『もしかすると、危険だから教会に戻れと指示が出たのだろうか・・・』
そうなることは当然あり得る事態だと考え、一同は愕然とする。
「どうやら僕はカルート国へ行くことになったようです。キシ公爵様は僕を迎えに来られたのでしょうか?」
イツキの意外すぎる発言に、全員がキョロキョロと顔を見合わせて、イツキの発言の意味を探そうとした。
「カルート国へ行くとはどういう意味なのかな?戦争に参加するという意味?それとも教会の用事でカルート国へ?」
質問したのはキシ公爵アルダスで、それは期待と不安が混じった問いだった。
「そうですねぇ……僕に出された指令は、【ハキ神国の進撃を止めて、1度目の戦争を終わらせてこい】というものでした」
「はい?ハキ神国の進撃を止める?」
校長はとんでもないことを聞いてしまった気がして目を見開いた。
「1度目の戦争?」
キシ公爵の番犬フィリップは、何故1度目?と耳を疑った。
「えーっと、戦争は2回起こるのでしょうかイツキ先生?」
どこから入ってきたのか、そう質問をしたのはギニ副司令官だった。
確か軍学校とキシ組の争いで文句を言われたくないからと、教官室でコーズ教官とマルコ教官から、最近の【奇跡の世代】の様子とか、キシ組のこと等を話してる筈だったが。
「う~ん、これから先はキシ公爵様が何をしに軍学校に来られたのかを訊かないと、お答えすることはできません」
イツキの返事を聞いたアルダスは、神に感謝して胸に両手を当てて目を閉じる。そしてニヤリと笑って話し始めた。
「イツキ先生、僕は王様からこの度の援軍の指揮を執るよう命じられた。その時もう1つ命じられたことがある。それは、できるだけ血を流さず死者を出さないようにという命令だった。そんなことができるのか?と思った時、僕の脳裏にイツキ先生の顔が思い浮かびました。王様の願いを叶えるにはイツキ先生の協力が必要だと、僕の中のもう一人の僕が叫ぶんです。だから今日はお願いに来ました。どうか僕と、僕たちと一緒に、王様の願いを叶える手伝いをしてくれませんか」
アルダスは、イツキの黒蝶真珠のように輝く瞳を真っ直ぐ見て、右手を差し出した。それに合わせるようにキシ組の4人も頭を深く下げた。
イツキはアルダスの前に立ち、右手を差し出し手を止めた。
「僕からも条件があります。それが受け入れて貰えるなら、その手を取りましょう」
イツキは意味深に微笑みながら手を戻し、これ以上のことはキシ公爵とギニ副司令官以外の人には話せないので、自分の宿舎の部屋で話をしますと言って、2人を連れて校長室を出ていった。
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