ハキ神国軍の責任者
1096年5月14日、ハキ神国の王宮では緊急会議が開かれていた。
「指揮を執るのは、副司令のイグニードとする」
ハキ神国第1王子オリは、大臣や司令たちの前で、ハキ神国軍の指揮者を副司令のイグニードに決定したと告げた。
「それは何故でしょう?我が国の軍総司令は、そちらにいらっしゃるムルグ殿のはず。何故副司令が指揮を?」
質問したのは国務大臣のシーフ50歳。背も高くがっしり体型で、ハキ神国王家に多い赤髪を短く切り、赤い瞳は敵意を隠すことなくオリ王子を見詰める。そして向かいに座っているムルグ軍総司令へと視線を移すと、うんざりした顔で質問した。
「ムルグ総司令は後方で総指揮を執る。先行部隊の指揮を執るのがイグニードなのだ」
オリ王子は悪びれることもなく、それがどうした?という態度で答えた。
「それでは、責任者は誰でしょう?総指揮を執られるムルグ殿ですか?それともオリ王子ですか?」
モックス警備隊司令官は、半ば呆れて質問する。モックスは3月まで軍総司令だったので、指揮も執れない総司令なんて有り得ないと思っている。
緊急会議の前に、かつての部下であるイグニード副司令が、不安な顔をしてモックスに泣き付いてきていた。
ムルグ総司令から、「自分は経験がないから指揮はお前が執れ、勝てる戦だから何も心配ない。自分は後方で監視しておくから好きに戦え、しかし、もしも問題が起こった時は、全てお前の責任となる」と言われたらしく、断りたいがどうすればいいだろうかと、助けを求められたのだった。
「責任者とは何だ?指揮官はイグニード、総司令はムルグ殿で、将軍はこの私だ」
オリ王子はムッと嫌な顔をしてモックスを睨み、堂々と胸を張って自らを将軍だと言った。
オリ王子派の3人を除く6人は、ハーッと息を吐き呆れて絶句するが、オリ王子は全く気に止めない。
「責任者とは、もしも我が国に損失が出たり、成果が出なかった時に、全責任を取る者のことです。その責任の取り方とは辞任は当然ですが、それだけでは済まないこともあります。もちろん勝って利益が多ければ、なんの問題もありません」
国務大臣シーフは、そんなことも分からないのか……と思いながらも、分かり易く説明する。
国務大臣として、戦争のために捻出する資金や、地方への根回し、食料調達などで頭が痛い。元々計上されてもいない戦争の膨大な資金が出せる筈もない。戦争に勝ちカルート国から利益を得なければ、国を傾かせることになるかもしれない。
そもそも、病床の国王様が戦争を許可したとは、とても信じられないシーフである。3月以降シーフ大臣は国王と面会もできなくなり、病状さえもきちんと知らされていない。それまでは、国王の右腕として常にお側に居た。グリノス国王とは従兄弟であり、王の相談役として頼られていた。それが急に会うことさえ拒まれるなど、信じられる筈がなかった。
側室クレシアスとオリ王子、軍総司令のムルグ、法務大臣プポルド以外は王に面会できない。王妃様とラノス王子までもが面会できないという、危機的状態であり密室政治が行われているのは明らかである。
しかし、王印を押した王命書を、法務大臣プポルドが出してくるので動きがとれない。法務大臣などという役職も勝手に作られたものであり、会議にもかけられてはいない。今では、国務大臣の自分よりも法務大臣が権限を持っている。
国王が倒れたり指示が出せない時、次に権限を持つのが皇太子、そして王妃の順なのだが皇太子は決まっていない。争いを嫌いラノス王子の命を危ぶんでいる王妃様は、表舞台に出てこられない。王妃の強権で国王様の安否確認をして貰いたいが、誰がお願いに行っても断られてしまう。
今のハキ神国は、真の指導者のいない危険な状態である。そんな時に隣国と戦を起こすなど、国務大臣シーフにとって暴挙にしか思えない。それは他の大臣たちも同じだろう。
「責任者はイグニードだ。指揮を執るのだから当然であろう」
オリ王子という人は、恥ずかしいという言葉を知らないらしい。国務大臣シーフ派の6人は、顔を見合わせてやれやれと首を振った。
「それならば、勝利の手柄も全てイグニードのものですね!軍の名前がオリ王子軍だとしても、戦で剣も振るわず指揮もとらない人間など、他国の王は指揮者とは認めず、戦地に出陣さえもしない将軍など、笑い者になるだけです。まさか自分は剣も振るわず勝利して、自国民や他国の王が手柄を認めるなどと思っていませんよね?」
「無礼だぞモックス!口を慎め!そんな当たり前のことを、オリ王子やムルグ殿が知らぬはずがあるまい。オリ王子は将軍と仰られたんだ。当然戦場に行かれるに決まっているだろう!」
国務大臣シーフはバン!とテーブルを叩き、無礼な物言いをしたモックスに対し、立ち上がり怒りをぶつけた。その声があまりにも大きかったので、皆がビクリと驚いてしまった。
「も、申し訳ありませんでしたオリ王子、ムルグ殿、そしてシーフ殿」
モックスは、慌てて立ち上がり深々と頭を下げた。しかし、その下げ過ぎた顔はニヤリと笑っていた。相変わらずシーフ様の演技力には頭が下がるし、機転の良さは是非とも見習いたいものだとモックスは思った。
この問答の後では、さすがのオリ王子も、剣を振るわない上に戦地になど行かないとは言えない。手柄がなによりも必要なオリ王子である。
直ぐには返事が返せなかったが、どうせ負けるはずのない戦争だ。責任者となって手柄を独り占めし、目の前の大臣たちに【利】をもたらした英雄が誰なのか、思い知らせてやればいいのだ。どうせ王子の自分が責任など取らされることもない。
「私はムルグと共に、国境線手前に本陣を置く。イグニードは斥候部隊の指揮を執るだけだ。私が将軍なのだから責任も取るし、手柄も全て私のものだ。帰ったら私は英雄となり、皇太子として誰もが認めることとなるだろう」
自分に酔うように、ニヤニヤ笑いをしながら胸を張るオリ王子だった。
そして、詳しいことはムルグ総司令に任せると言い残し、勝手に会議場から出て行ってしまった。どこまでも身勝手な王子は、準備などする気は無いようで、ハキ神国軍2,000人は、きちんとした計画や戦略も立てられないまま、カルート国との戦に挑むことになる。
当然他の大臣たちは口出しできない。でも、できなくて良かったとさえ思っている。
にわか仕立てのオリ王子軍は、大きな不安を抱えたまま、1096年5月17日、わずか3日の準備期間で出撃して行った。
1096年5月24日、ハキ神国軍は王都シバから、北に位置するルンナまで予定通り7日で到着した。
ルンナは、カルート国へと続く国境の街で、国境を越えたカルート国ハビルの街まで、歩いて1日も掛からず通行量も多く、双方の街が共に栄えていた。
そんな友好的だった2つの街は、突然やって来たオリ王子軍に混乱する。
国内の根回しをするのは国務大臣シーフの仕事だが、オリ王子とムルグ総司令は、邪魔者であるシーフの力を借りることを嫌い手を抜いた。
経験の無いムルグ総司令は、国中に公布したカルート国への出撃命令だけで、当然領主はオリ王子に従い金も食料も差し出すものだと勘違いをしていた。
「オリ王子様、いえオリ将軍、何故このルンナ領だけが全てを負担せねばならないのでしょうか?国の戦争は国が負担する決まりです。もしも費用をお貸しするのであれば、見返りや勝利した際の褒賞、もしもの敗戦の時の返済の保証をして頂かねばなりません」
ルンナの街を預かっているルンナ公爵は、半分呆れた顔で何も知らなかった2人にはっきりと言い切った。
『噂通りのバカだな……この国は大丈夫なのか?王都の大臣たちは何をしているのだ』
ルンナ公爵は、何も知らなかった2人の前に上質な紙とペンを差し出し、借用書と褒賞確約書を書かせた。当然それを書いたのはオリ王子だった。責任者とはそういうものである。
オリ王子が段々怒りの形相になっていくのを見たルンナ公爵は、この街とカルート国のハビルを、戦場にしないのであれば食料は半額で援助します。ただしその期間は、本日5月24日から1ヶ月間だけですと言って、オリ王子の怒りを和らげた。
オリ王子の短気は、領主たちもよく知っていた。大きな損失ではあるが、ここは恩を売っておくことにした。
「何故カルート国のハビルを戦場にできないのだ?」
オリ王子は華々しくハビルを攻め落とし、ハビルの街にハキ神国の国旗を掲げようと思っていたのだ。
「オリ将軍、それは勝利した後で、街を復興させるのに莫大なお金がかかる上、カルート国との交易の要であるハビルが衰退すると、このルンナ領も衰退し、ハキ神国で2番目に税を納めているルンナからの税収が減ります。いずれハビルは自国の領土になるのです。無傷で手に入れれば何倍もの利益になるでしょう」
ルンナ公爵の話を聞いたオリ将軍とムルグ総司令は、隣の部屋で相談すると言って席を離れた。10分後、戻ってきた2人は、何倍もの利益という言葉と、1ヶ月分の食料の半額援助で手を打つことにした。
そして本陣を、渋々ルンナの街の西隣の平原に置いた。
本陣の平原の先には、ランドル山脈東端の林が広がっている。そのまた先には、カルート国の町ロームズがあった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




