ルナ到着
その場に居た全員が、祈りのために荷車の近くに集まった。そして右手を胸の前に置いて頭を下げた。
頭を下げながらも、こんな子どもに祈りの言葉を捧げられるのか?と、疑問に思いチラチラとイツキを覗き見る。
イツキは意識して、金色のオーラを身に纏い始める。
フィリップ、マルコ教官、ハモンドの3人が、イツキの後ろで膝をつき礼をとると、コーズ隊長以下調査隊の4人も礼をとった。
その様子をチラチラと見ていた2つのパーティーの人々は、目の前の光景が理解できずにいた。
何故なら、祈りの時に神父が膝をつくのは、自分より高位の神父が祈りを捧げる時だけである。ということは、このチビ、いやこの子が、やたらと綺麗な大人の神父たちより、高位の立場であるということになる・・・
「正式な祈りは、亡くなった方々の家族が集まり、ルナ正教会で改めて行われます。しかし、理不尽な強盗による殺人、魔獣に残忍に命を奪われたこと等により、苦しんでいる魂は早く癒さねばなりません。どうか皆さんも、心を込めてお祈りください」
イツキは、荷車の中の遺体の1人の額に手をかざした。そして残る7人の遺体にも手をかざすと、ポケットの中から小さな瓶を取り出して蓋を開け、中に入っていた水を、遺体に少しずつかけていった。
すると不思議なことに、気分が悪くなる程に漂っていた血の臭いが、全く臭わなくなった。それは恐らく聖水なのだろうと、その場に居る全員が思ったが、だからと言って臭いが消えるとは……聞いたこともない奇跡のような現象である。
瓶の中の聖水は、本教会のリース(聖人)エルドラ様が作られた、特別な聖水だった。エルドラ様は青のオーラを持ち、水を操る能力者なのだ。
ミノス正教会を旅立つ時、ファリス(高位神父)のエダリオ様が、預かっていた物だと言って渡してくれた。
小瓶は3本あり手紙が添えられていた。
〈 緑の瓶は傷を直す。赤い瓶は毒になる。白い瓶は臭いを消す。ただし、その効果は使う者の力により、小さくも大きくもなる 〉と書かれていた。
イツキをは、白い瓶の聖水を1滴ずつ垂らしながら『どうか血の臭いを消してください』と願った。
願いは叶えられ臭いは消えたが、その聖水は、腐敗も遅らせてくれるということを、イツキ自身は知らなかった。
イツキは皆の方に向き直ると、静かに目を閉じて死者を思った。死者たちの姿や思いが頭の中に流れ込んでくる。8人のそれぞれの物語を紡ぐことはできないが、大事な想いだけを言葉に載せて、歌うように透明感のある声で、祈り始めた。
「旅人たちは勇敢だった。自らの命をも顧みず、大切な商品を守ろうと戦った。品物を待っている人々の笑顔のために、家族のために、店のために。・・・・・・レガートの森は知っている。木々や草花が悲しみに暮れていることを。そして犯人が誰なのかも。・・・・・・死者たちは願う。家族が幸せに暮らせますようにと。愛する妻を見守り、子を見守っていると。そして父母には、先に旅立つ親不孝を詫びている。死者は友に語り掛ける。お前は死ぬなと」
辺りから音が消えてしまったのだろうかと思える程、静寂が広がっていく。
誰も……誰も言葉を発することさえできない。ただ、感動の涙を流しながら死者の冥福を祈り、自分の母を、妻を、子を思い浮かべていた。死者の無念が悲しみを深くしたが、心は穏やかだった。
イツキは祈り終えると、神々しい金色のオーラを、辺りに降り注いでいた。
本来なら、特殊な能力の無い者には見えるはずが無いのだが、神父の服を着てイツキの後ろで控えていた、フィリップ・マルコ教官・ハモンドの3人は、輝く金色の光が見えた気がした。
イツキは、荷車の横で涙を流しているタンドル少年の肩にそっと手を載せて、「ルナの街に連れて帰ってあげましょう」と声を掛けた。
「あ、ありがとう・・・ご、ございます。みんなの体まで清めてくださり、う、美しい祈りの言葉で祈ってくださり、本当にありが・・・」
そこまでお礼を言うと、堪えきれず声を上げて泣き出した。タンドル少年はやっと泣くことができたのだ。
その泣き声が、また全員の涙を誘っている。
「神父様、お尋ねいたしますが、あの聖水は何なのですか?何故臭いが消えたのでしょうか?」
レガートの森に、なにがなんでも入る気満々だったパーティーの隊長が、低姿勢でイツキに質問してきた。
「その答えを聞いてしまったら、あなた方は強盗が捕まるまで、レガートの森には入らないと約束せねばなりません。どうされますか?それでも訊きたいですか?」
イツキは慈愛に満ちた顔をして微笑みながら、でも嘘は許さないという瞳で尋ね返した。
「先程の有難い祈りの言葉を聞いて、レガートの森に入れる者はいないでしょう。我々も必ずルナに戻ります」
隊長の言葉に、2つのパーティー全員が同意して頷いている。
「判りました。ただし他言無用です。これは本教会のリース(聖人)エルドラ様から戴いた聖水なのです」
「・・・リース様」
「?? リース様?」
なんと、目の前の小さな神父様が持っている小瓶は、リース(聖人)様が御作りになった聖水だったのだ。皆は妙に納得してその場で膝をつく。そして小瓶に向かって頭を下げた。
リース様と言えば奇跡の人。今まさに自分たちは奇跡を目にしたのだ。
「リース様の聖水をお持ちの貴方様は、いったいどなたなのでしょうか?」
もう1つのパーティーの商団長が、恐る恐る質問してくる。全員の視線がイツキに集まる。思わず【魔獣調査隊】のメンバーさえも注目してしまう。
「それはお答えできません。何故なら、こちらの神父様は、普通であれば決して御会いすることなどできない地位を目指して、現在リーバ様の御指示で勉強中なのですから」
ハモンドは、イツキのほんの少し後ろに並び、恭しくも有難いという様子でイツキを見てから、改めて膝をつき答えた。同時に神父服を着たフィリップとマルコ教官も膝をつき頭を下げた。
「リリ、リーバ(天聖)様……」
「リーバ様のご指示……」
口にするのも恐れ多い、あまりに高位過ぎる名前が出て、すっかりパニックになっている一同に、更に念を押すようにフィリップが言った。
「判りましたね。神に感謝して、この事は秘密にしてください」
女性が居たら、絶対倒れただろうと思うくらいに、無駄に美しい微笑みで、脅しをかけておく。
イツキを先頭に、【魔獣調査隊】とタンドル少年は、荷車を引きながらルナの街に向かって出発した。
残った2つのパーティーは、暫く呆然として何も手につかなかった。
「し、しまった!あの小さな神父様にひざまずくのを忘れた!」
「あっ!俺も・・・」
「あの御方は、ファリス(高位神父)様の勉強中なのだろうか?」
「いや、まだ上だ!普通会うこともできない神父様なんだぞ!恐らくシーリス(教聖)様の勉強中なのだろう」
「俺たち、奇跡を見た上に、未来のシーリス様にも出会ったんだ!」
一同慌てて、イツキたち一行の後ろ姿に向かって、その場で平伏した。
シーリス様以上の神父様には、平伏す者が多い敬虔なブルーノア教徒たちである。
そろそろ陽が傾き掛けた午後6時半頃、【魔獣調査隊】とタンドル少年は、カルート国ルナの国境警備隊詰所に到着した。
戦時下に入ったため、警備隊と軍の両方が身分証の確認や入国の理由などを、厳しくチェックしていた。
タンドル少年と荷車を見た詰所の者たちは、今朝、元気に旅立った一行の、変わり果てた姿を確認し大騒ぎになった。亡くなった商団の隊長は、国境警備隊長の弟だったのだ。
あれこれと事情を説明すると、警備隊も軍も強盗の存在に驚き、至急国境を閉鎖する措置をとることにしてくれた。
詰所の人たちは、タンドル少年からも話を聴き、イツキたちが提示した身分証を見て、誰もブルーノア教会の【魔獣調査隊】を疑わなかった。神父様が聖水で遺体の血の臭いを消したと、タンドル少年がこっそり説明したのが効いたようだった。
知らせを聞いて駆け付けたタンドル少年が働く店の店主は、言葉を失い呆然と立ち尽くしている。商団長は店主の息子だったのだ。
このままではルナの街に入れないので、マルコ教官が店主に、ご遺体を早く教会に運んであげましょうと声を掛けた。ようやく正気に戻った店主は、イツキたち一行に礼を言い、店の者たちと共に荷車を引いてルナの街へと歩き始めた。
【魔獣調査隊】一行がルナ正教会に到着したのは、すでに陽が沈んだ午後7時だった。
空はまだ明るかったのだが、ルナ正教会のファリス(高位神父)ドーブル様に、今日の出来事を話し、明日の葬儀を頼んでいたら、すっかり暗くなってしまった。
【魔獣調査隊】の8人は、宿であるルナ正教会の【教会の離れ】で平服に着替えて、情報収集のために夕食に出掛けた。
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