レガートの森を抜けて
流血シーンがあります。
苦手な方はご注意ください。
その惨劇は休憩所で起こっていて、目を覆いたくなるようだった。
生き残っていたのは2人だけで、その内1人は意識が戻らないまま亡くなった。
唯一無傷で生き残っていたのは14歳の少年で、彼は偶然、自分の荷物を落としたことに気付き、来た道を300メートルくらい引き返したらしい。
そして昼食を食べようと戻ってきたら・・・8人の商隊はほぼ全滅し、遺体の数人は人の形を留めていなかったのだ。荷物は散乱し辺りは血の海だった。
確かにレガートの森は、危険で命懸けの場所である。しかし、腕利きの護衛が5人も居たこのパーティーが全滅する、そんな魔獣や猛獣とは、いったいどんな獣なのだろうか?
生き残った少年タンドルの、ガタガタと震えながらの説明によると、一行がカルートのルナの街を出たのが午前8時。それから4時間でこの惨劇に見舞われたらしい。
ベテランの護衛は、何度もレガートの森を抜けていた。商人もまたベテランで、生き残ったタンドルでさえ5回目の旅だった。
タンドルは恐怖のあまり身体が硬直し、立ち上がることができなかった。
コーズ隊長は、ゆっくりとタンドル少年の身体を抱きしめ、「もう大丈夫だ安心しろ」と言って、硬直した身体を解すように撫でいる。
イツキはラールとソウタ師匠、ガルロを連れて辺りを調べ始めた。
すると、ある不可思議なことに気付く。
血の付いた足跡(靴跡)と獣の足跡が、いくつか森の方へと続いていたのだ。よく見ると靴跡の大きさはバラバラである。
生き残った者が他にも居たのだろうか……否、遺体の状況からすると、生存者は居なかった筈である。ならばこの足跡は何だ?
「これは、別の人間が現場に居たということだろうか?」
ソウタ師匠は、足跡の行き先を確認しながら推察する。
「レガート側にも進路を取らず、カルート側にも向かわない……わざわざ危険な森の中へ向かう目的は逃げるためか?それも5人以上の人数だ……獣も2・3頭は居ただろう」
ガルロは立ち止まり、木々の折れ具合や草のへこみと足跡から、人数や獣の数を割り出している。
〈〈 ワンワン! 〉〉
ラールが何かを見付けて吠えている。イツキはその場に行き、疑惑が確証に変わり唇を噛み締めた。
ソウタ師匠とガルロもやって来て、ラールがくわえていた物を見て、表情が固くなった。
ラールがくわえていた物は、襲われた商団の荷物の一部と思われる袋だった。血の手形が付いたその袋の中を確認すると、女性用の髪飾りや装飾品が入っていた。血の手形は奪われないように守ろうとして付いたのだろう。
「なんなんでしょうか……こんな酷いことができる人間って、もはや人に非ず……」
イツキは怒りに震えながら、冷気を身に纏うように冷たく低い声で呟いた。
現場に戻った3人とラールは、持ってきた袋をタンドル少年に見せた。すると確かにそれは商団の荷物だった。
立ち上がれるようになったタンドルに、荷物の確認をさせると、やはり金目の物は無くなっていた。鍋や食器はそのまま残っていたが、殺された者たちの懐の財布も無くなっていたのだった。
「それでは……これは強盗!」
ハモンドがイツキの方を見て叫ぶと、イツキは静かに頷いた。
「ただの強盗ではありません。恐らく魔獣を使った強盗です。僕の他にも中級魔獣クラスを従える《印》持ちが居たということでしょう。《印》の力を悪用するなど、許されることではありません。これは早目に手を打たねばなりません」
イツキから漂ってくる息苦しいまでの重圧感に、一同ごくりと唾を飲み込みながら姿勢を正す。
コーズ教官もハモンドも、イツキの黒い瞳が、こういう闇のように深く沈む時は、絶対に逆らってはいけないと知っている。他のメンバーが何か言い出さないかと心配で視線を向けると、誰もその怒りの形相(完全無表情)が怖くて、何も言えそうになかった。
無事だった荷車に、ご遺体と残った商品を乗せて【魔獣調査隊】とタンドル少年は、カルートのルナを目指して出発した。森を抜けるまでの3時間、イツキ以外誰も言葉を発しなかった。
レガートの森を抜ける30分前地点で、イツキはモンタンに頼み事ができたからと言って、一行を先に行かせて、出口で待っているように頼んだ。モンタンをタンドル少年に見せる訳にはいかない。
イツキはミムに手紙を持たせて、ミノス正教会へと飛ばすことにした。モンタンはミムの用心棒として、レガートの森を抜ける間一緒に飛んでくれるだろう。
「モンタン、いろいろありがとう。ミムをよろしくね。帰りにまた会おうね」
そう言って、モンタンの顔を何度も撫でながら、先程の惨劇を思い出し、悔しさと怒りと悲しさで、気付くと声を出して泣いていた。
声を上げて泣いたことなど無かったイツキの涙を、また降り始めた雨が優しく流していく。
モンタンは、翼の長い羽根を自らの口で抜き、イツキの前に差し出した。それからイツキを元気付けるように「モンモーン」と明るく鳴いて、ミムと一緒に飛び立って行った。
イツキはなんとか笑って、モンタンとミムに手を振った。
イツキは、モンタンの1メートル位ありそうな羽根の両端を紐で結び、首を通して背に回すと、顔を上げて歩き始めた。
泣いている場合ではない。立ち止まってもいられない。すべきことは山程あるのだ。
レガートの森を抜ける30分、当然のことながら獣の影さえ近付いては来なかった。
レガートの森を抜けたそこは、隣国カルートである。
イツキが到着した時、時刻はすでに午後5時を回っていた。
なにやらガヤガヤと揉めているような様子が目に入ってくる。どうやら【魔獣調査隊】と、明日の夜明けを待ってレガートの森へ入ろうとしている2つのパーティーのようだ。
「だから、森に入るのは危険なんだよ。強盗が出るんだ。止めておけ」
「強盗だと?そんな話は聞いたこともない。嘘を言うな!役人からの注意も無かった」
「いやだから、今日起こったんだ。今から警備隊に報告しに行く。死にたいのか?」
コーズ隊長とソウタ師匠が、商団の護衛たちと言い争っている。その様子を見たイツキは、フィリップとマルコ教官の元へと足早に近付いて行く。
「あっ、お帰りなさい。無事で良かった。モンタンと話ができましたか?」
マルコ教官が安堵した顔で話し掛けてきた。イツキはニッコリ笑い、後ろを向いてモンタンの羽根を見せた。
「これはまた大きいですね!偶然抜けたんですか?」
驚いた顔で声を掛けてきたフィリップは、イントラ連合の商団に渡した羽根より、一回り大きな羽根を見て訊ねる。
「いや、モンタンが自分で抜いて渡してくれた。ミムにミノス正教会宛の手紙を持たせたので、モンタンには護衛をお願いしました。大至急レガートの森への立ち入りを、禁止して貰わなければならないので。そうそう、2人とも神父服に着替えてください。早速仕事をして貰います」
イツキは2人を引っ張るようにして木陰に行くと、鞄の中から神父服を取り出し、着替えるように急がせた。
「お2人は皆の前へ行き、身分証を見せてください。そして引いてきた荷車の中のご遺体を見せてください。本来であればご遺体を他人に見せるのは大変はばかられるのですが、亡くなった方々も、ご自分と同じ悲劇を望まれないでしょう」
イツキもミノス正教会のマキさんに作って貰った、シーリス(教聖)見習い用の衣装に着替える。ハモンドも教会の従者用の衣装に着替えさせて、何かあれこれ指示をする。
「皆さん、我々はブルーノア教会の【魔獣調査隊】です。言葉で説明するよりこちらをご覧ください」
フィリップが身分証を提示しながら話し掛けると、マルコ教官とタンドル少年が、ご遺体を乗せている荷車を引いて皆の前に移動してきた。そして被せていた皮のシートをめくって中を見せた。
何事かと見に来た2つのパーティーは、荷車の中を見て顔面蒼白になり吐く者までいた。
フィリップは身分証を2つのパーティーの責任者に見せて、今日レガートの森で起こったことを淡々と話した。
「魔獣を操る《印》持ち!そんな話は初めて聞いた。本当なら……た、大変だ!」
「なな、何を言うんだ、騙されるな!本当にこいつらがブルーノア教会の者か分からないぞ、服だって神父様と違うし……【魔獣調査隊】なんて、聞いたこともない」
1つのパーティーの隊長は完全に信じて腰が退けているが、もう1つのパーティーの隊長は、そもそもフィリップとマルコ教官を、神父だと信じていない様子である。
「皆さん、申し訳ありませんが、これから亡くなった方々の為に祈りを捧げます。明日は我が身という言葉もございますが、運良く神父とレガートの森で出会うことなど、2度とないと思います。もしもレガートの森に入られるのであれば、祈りの言葉のひとつも覚えてからお入りください」
イツキは真面目な顔で話し始め、最後はニッコリと天使のごとく微笑んだ。
話を聞いていた一同は、こんな子どもが何を言い出すんだ?と、訝しげにイツキを見る。
よく見ると、他の神父より少し豪華な衣装を着ている。隣には従者のような人間まで控えさせている。
それに、死者に祈りを捧げると言われたら、人として一緒に祈るのが常識なので、断ることはできない。死者は同じ商人であり護衛でもあるのだから。
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