出兵要請
レガート城の王の執務室では、バルファー国王と王の最も信頼できる秘書官エントンが、テーブルを挟んで座り向き合っていた。
2人は上級学校時代からの親友であり、エントンの妹カシアは、バルファーが王になる前の婚約者だった。
王は腕組みをし、上を向いたり下を向いたり時折ハーッと息を吐き、秘書官は手を組み両肘をテーブルについて目をつぶり、下を向いて考え込んでいる。
1096年5月29日、カルート国から届いた親書には、ハキ神国が突然国境の町に攻め込み、占領したまま睨み合いになっているので、援軍を出兵して欲しいと書いてあった。いわゆる援軍要請である。
レガート国としては、同盟国であり隣国であるカルート国の援軍要請は断れない。
ハキ神国とは大国同士牽制し合う関係であり、険しいランドル山脈を挟んでの隣国であるため、直接攻め込まれることは絶対にないと言ってよい。それ故、直接戦ったことはレガート国史上1度もないのである。
援軍を出兵すれば初の直接開戦となる訳で、今後のことを考えると頭の痛い問題だが、どの道カルート国がハキ神国領土になれば、間違いなく攻め込んでくるだろう。
「陛下、指揮はキシ公爵アルダスに任せるおつもりですか?」
エントンは伸びてしまった銀髪の前髪を掻き上げながら、キシ公爵を呼び出した真意を、濃いグレーの瞳で確認するように王を見ながら訊ねた。
「ああ、軍のトップではないが、先の内乱の折りは無血決戦だったから、今の我が国には戦争経験者などいない訳だし、若く信望もあり公爵という立場なら、誰も文句は言わんだろう」
バルファー国王は、グレーの瞳で外の景色を眺めながら物憂げに答えた。
30代後半とは思えない若さを保っている美丈夫な外見とは裏腹に、最愛の恋人カシアと息子を内乱時に暗殺されてからは、心は老人のように干からびたままである。カシアの兄であり親友のエントンがいなければ、悲しみの底から這い上がれなかっただろう。
国王として多忙な仕事をこなし、責務の為に結婚もした。自らを追い込むように働く姿は、他者から見れば有能で頼もしい王であるが、エントンから見れば未だ悲しみを引き摺ったままである。
友であるバルファーが、外の景色を眺めながら遠い目をして溜め息をつく時、それは妹のカシアを思い出している時だと知っていた。
バルファーもエントンも、カシアの産んだ子は何処かで生きていると信じているが、まさかそのキアフがイツキと名を変え、すぐ側にいるとは知る由もなかった。
カシアは戦争が嫌いだった。人と人が争い血を流すことほど愚かなことはないと、いつも話していた。だからバルファーは内乱の時も無血にこだわった。
それなのに、隣国の戦乱に自国の大切な国民(兵)を出兵させねばならないのだ。状況からして流血は免れないし、死者も出るだろう。
2人は同時にフーッと長く息を吐き、これから行われる定例会で、援軍出兵の決定を告げるために席をたった。
◇ ◇ ◇
6月2日、レガート国中に隣国カルートへの出兵が告示された。
国中に大きな衝撃が走ったのは言うまでもないが、軍学校でも、あることが原因で騒然となった。それは、〈軍学校の教官2人と軍用犬訓練士とハヤマ育成士を出兵させよ〉と、昼前に出兵命令書が届いたからであった。
午後の武術練習を自習とし、教官室では緊急会議が行われていた。
「教官2人って誰のことでしょうか?軍用犬訓練士とはカジャクのことでしょうが、今は仔犬を5匹も育てていますから出兵は無理ですよ。そうだろうカジャク?」
医学と馬術担当のハイデン教官は、本部からの命令書に腹を立てながら、教え子であり卒業生でもあるカジャクに確認するように問う。
「はい、今年から見習いのユウガもいますが、マハト教官が育ったばかりのゴンを連れて、国境の街ホンに軍用犬を配備するため出立されたのが4日前ですから、教習する時間を考慮すると、あと1ヶ月は帰ってこられません。ですから実質的には厳しいです」
カジャクは困ったような顔をして、恐縮しながら問いに答えた。
「それにポールだって、今年も3羽のハヤマを育成中です。今は抜けられないでしょう。もしもポールがいなくなれば、その後はイツキ先生しか育成できる者がいません」
「だいたいイツキ先生は軍学校の研究者なのに、最近では技術開発部の仕事までさせられています。まだ12歳だというのに働かせ過ぎです。そうでしょう校長?」
武器・火薬と体術担当のビラー教官の怒りの意見に、被せるようにレポル主任教官の責めるような意見が校長に向けられる。
「私だって分かっている。だから先日、教頭と一緒に総司令官のタイガ様に直訴したんだ。イツキ先生はハヤマと軍用犬の研究者として軍学校に所属しているのだから、技術開発部の仕事は関係ないはずだし、その分の報酬も払っていないと抗議した。そうしたら・・・そうしたら技術開発部が10倍の報酬でイツキ先生を引っ張ると言い出したんだ!」
「・・・」
そこからは、校長と教頭の怒りと悔しさと、教育者としての誇りなどがごちゃ混ぜになった愚痴合戦が始まった。
「イツキ先生は教育者としての資質に溢れ、剣や体術は天賦の才を持ち、ハヤマ(通信鳥)や軍用犬の育成までできる、正に軍学校の為に存在いしていると言っても過言ではないと校長は言い切った。なのに、なのに技術開発部、いや総司令官は、軍学校だけではなく〔国益〕を考えろと言われたんだ……」
教頭は半分涙目になりながら、体をプルプル震わせて悔しさを全身で表現する。
校長に至っては、ハンカチまで出して悔し涙を拭いている。
現在も技術開発部に行って留守にしているイツキの居ない間に、自分のことで教官室が大論争になっているとは、夢にも思っていないイツキだった。
午後3時、教官室には軍本部から使者が到着し、その人物の口から、届いた出兵命令書の説明がされていた。
「今回、カルート国出兵の指揮を執るのはキシ公爵と決まった。キシ公爵は出兵にあたり王様にある条件を出した。それは【奇跡の世代】の参加とイツキ先生の参加だった。昨年から始まった軍用犬の実践使用は、軍でも警備隊でも高い評価を受け多くの実績を残した。また、ハヤマ(通信鳥)が新たに3つの街に配備されたことにより、今回のように国中に告示が行き渡るのに2日しかかからなかった」
教官室は、まさかのイツキ先生の参加命令を聴いて静まり返り、説明者であるギニ副司令官には、責めるような視線が集まった。
「しかしイツキ先生は兵士ではありません」
ハース校長は立ち上がり、ギニ副司令官に抗議した。
「そうです。しかもまだ12歳で、契約も研究者として採用しているので、出兵の義務はありません。そもそもイツキ先生を軍学校に迎える際、契約内容を決めたのはエントン秘書官とギニ副司令官だったはずです!」
ワートル教頭は、ドンと机を右手で叩きながら立ち上がり、理不尽な命令に抗議する。それに合わせるようにレポル主任教官や他の教官たちも「そうだそうだ!」と言いながら立ち上がる。
「おいギニ、お前もここの教官だったから解るだろう?教育者は戦争に行くべきではない!それにキシ公爵アルダスはお前の教え子だろうが、お前が居ながら何故こんなことになるんだ!?」
レポル教官は、元同僚であり後輩であるギニ副司令官に、先輩として意見する。
「レポル先輩、僕はちゃんと言いましたよ!エントンなんて激昂して文句を言ってました。それでもアルダスの奴が頑として譲らないのです。それで王様に、命令ではなく自分が頭を下げてお願いすると言い出したんです……」
軍のトップに近い存在の副司令官に対して、レポル主任教官はかなり失礼な物言いだが、1084年にバルファー殿下が王位に就くまでは、ギニ副司令官は軍学校の若手教官だった。校長・教頭・レポル主任教官やビラー教官は先輩や上司だったのだ。そして同じくキシ公爵アルダスはじめ【奇跡の世代】は、その年の卒業生だったのである。
キシ公爵は訳あって、その身分を偽っての入学だったのだが、全てこの軍学校に関わりのある者たちばかりである。
「もう直ぐ、アルダス、ソウタ、ヨム、シュノーのキシ組が到着するはずです」
ギニ副司令官は「はぁ~」と大きく溜め息をつき、自分だって苦労しているんだという態度をとる。そして疲れた様子で椅子に座りながら、もうひとつの重要な話を始めた。
「この度も王様は、できるだけ血を流させたくないと仰った。そこで頭の切れる若いキシ公爵に指揮を執らせて、頭脳戦で勝利せよと命じられたのだ。それ故のイツキ先生と【奇跡の世代】らしいのだ」
「・・・頭脳戦」
先の内乱の時、バルファー王は偽王を倒すための作戦本部を軍学校の武道場に置いた。その時のことを知るレポル主任教官たちは思い出していた。バルファー王が、無血決戦で勝利することに拘っていたことを。そして頭脳戦で勝利したことを・・・
「それで、【奇跡の世代】のコーズ教官とマルコ教官はどうする?軍本部の命令に従うのか?」
レポル主任教官は、2人の部下の方に体を向け厳しい顔をして問う。
「正直なところ、教官としては命令には従いたくありません。しかし、指揮を執るのがアルダスであるなら、そして彼等から望まれるのであれば、私は【奇跡の世代】の一員として、アルダスに従います」
コーズ教官が決意を込めてそう言うと、マルコ教官もそれに同意し頷く。
あとはキシ組の4人の到着と、イツキ先生の帰りを待って決定するしかない。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
キシ組についての話が、【予言の紅星1 言い伝えの石板】の中の、キシ公爵領奪還編で書かれています。
軍学校の様子もバルファー国王との繋がりも書いているので、まだ読まれていない方は、どうぞ読んでみてください。