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Smokin' with JAZZ  作者: nakoso
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04:「ジントニックの女――その名前を聞きたいだろ?」

 ――目を開くとそこは、まさにバーだった。特有の光の暗さが閉じ込められた空間。どこからともなく、謙虚なまでに控えめに流れるジャズ。地面はガラスタイルで、淡く青白い光を発している。眼前にあるのは長方形に区切られたスペース。左手にはバーカウンターと女バーテンダー。右手にはスタンディングテーブルが等間隔を保って突き当たりの壁まで並んでいる。

「いらっしゃいませ、ミスター・ケリー=コストマン」

 ショートヘアで小顔が蝶ネクタイに良く似合う女バーテンダーが、綺麗な金髪を揺らしながら笑顔で応対してくれた。その名で呼ばれるのがいささかならず気に食わないエリヤだが、その名を借り、こうしてLover's Barにいるのだから致し方ない。自身を見下ろすと、チェックのスーツを身に付けているのに気付く。今のエリヤは、おそらく誰の目から見てもケリー=コストマンに他ならない。鏡がないのが救いだった。

「ケリーじゃないか」

 バーカウンターの奥側の隅で、男が手を振っていた。

「この時間にいるなんて珍しいな。毎週水曜日はミーティングだったんじゃないのか?」

 ――へー、そうだったのか。

 そんな話、まったく聞いていなかった。身代わりとして行動させるのなら、それ相応の情報を提示して欲しいものだ。

「ん、まあね。今日は例外なんだ」

 ケリーの声で答えて、背筋が凍るほどの悪寒が走る。

「経営者は大変だな。親のグループ会社の1つを任せてもらってんだろ?」

 だから、聞いてない。

 次に会った時に何て言ってやろうか思案しながら、曖昧に頷いておいた。

 年齢は幾つくらいなのだろう?――エリヤは、男の容姿を不自然に思われない程度に窺った。髪は茶、スーツは焦げ茶、身長はエリヤと同じくらいだろうか――否。今のエリヤの視点はケリー=コストマンなのだから、ケリーと同じくらいと言うのが正しい。猫のような目をした男だった。

「それよりだ、ケリー」

 猫目の口調が一転、真剣なものに変わる。となりのイスを叩き、座れと促す彼に従って、エリヤは歩み寄った。自分がケリーの偽者である以上、知り合いとの接触は極力回避したいところだが、露骨に拒否しても不審がられるだけだ。

 座ろうとして――急に腕をつかまれる。

「ケリーの探してる女の事だがな」

 内心焦ったエリヤは、それを聞いて安心した。バレたわけではないらしい。唇の端を吊り上げると、妙に悪人面に見える男だった。

「知ってるのか?」

 口走ってしまってから、軽率だと後悔した。

「俺は知らねぇよ。前にも言ったじゃないか。昨日、ジントニックの女の事を調べとけって俺に行ったのはどこのどいつだ? そんな忘れっぽいヤツでもないだろ」

「ああ、そうだった」

 ケリーの事だ、人を使って当たり前だった。何も、エリヤたちだけに人探しを頼むばかりでなく、情報集めに人を動かしていても当然である。よもや、Lover's Barの中にいるとは予想していなかったのだが。

 それにしても。

 ――人間関係ぐらい教えとけよ。

 もしもエリヤだと、入れ替わっているとバレてもケリーの不注意だ――早々に責任転嫁した。

「で? 何かわかったのか?」

 問うと、猫目はエリヤの胸元に人差し指を突き付けた。

「あの女、滅多にLover's Barに来ないんだな。ほとんど週末にしか来ないケリーが会わなくたって不思議じゃない。あの女は、週初めにしか来ないんだ」

 彼は試すような目で見上げて来る。ケリーであるエリヤに、一体何を求めているのだろう。唇を吊り上げたまま先を続けようとしない猫目に息苦しさすら覚えた。

 腕を放そうとしない猫目の手を剥がして、エリヤはイスに腰掛けた。

「今日はクールと言うより、無愛想だな」

「部下がつまらない失敗をしたんだよ」

 ごく自然に言葉が出た。しかしそれが功を奏したらしく、彼はなるほどと神妙に頷いただけで訝るには至らなかった。横目で様子を窺っていたエリヤは、悟られないように安堵の息をついた。

「おかしいと思わないか?」

 おもむろに尋ねられ、内心戸惑う。

 何が? どこが?

「週初めより、週末の方がここの利用者は多い。会社経営だ何だと忙しいヤツらが多いからな。利用者が多い方が、より多くの男と話ができる――出会いやすいはずだ。にもかかわらず、ジントニックの女は、人の集まりの少ない週初めにしか現れない」

 たしかに、それはおかしい。利用者の多い時間帯・日にちを選んだ方が相手を見付けやすくなるはずなのに。

 奥から女の笑い声が聞こえて、猫目の顔が険しくなった。その肩越しに奥を覗こうとエリヤは背を伸ばしたのだが、突き当りから左側に広がるスペースの奥など、物理的に見えようはずがない。

「あの女はやめとけ、ケリー」

 猫目の瞳は軽蔑を孕んで、エリヤを見上げた。

「いつでもああやって男をはべらせて、参っちまった男を片っ端から切ってく女だ。いくらケリーでも、あの女は荷が重過ぎる」

 頭上で手を振って吐き棄てる。エリヤは大人しく居住まいを正す事にした。女の笑い声しか聞こえなかったのだが、注意して聞いてみれば男の声の方が多い。

「ケリー」

 いつの間にか猫目の表情から侮蔑は雲散し、意味深な笑みを口元に浮かべていた。

「ジントニックの女――その名前を聞きたいだろ?」

「わかったのか?」

 名前さえわかればこっちのものだ。素性を探る事がぐんと容易になる。偽名の可能性が頭をよぎるが、Lover's Barのシステム上IDチェックがあるのだから、そこは信用しても良いと判断した。

 猫目の唇が動く。何の躊躇なく。


「――カルラ=クリスティ――」


 体が硬直するのを実感した。間接がジョークみたいに硬化する。動かした途端に折れそうだ。心臓の音が爆音に聞こえる。気管が苦しい。カルラ=クリスティ。胸中で呟いた音吐。首筋がぞわぞわする。何だこれ。眩暈感。脳はしかし冴えていた。真夏の夜の夢。オルゴールの音が好きなのだって涼しげじゃないそれでいて寂しげでだけどどんな音楽よりも胸に届くのよそう思ったりしないのあなたって寂しい人でもそれを自覚してないみたいあなたのその右目は何を見てるのたまにはオルゴールに耳を傾けてみてよタバコなんて似合わないよ――――――――エリヤ。

「――――ケリー?」

 猫目が目の前で手を振っていた。心配よりも胡乱を帯びている目と目が合った。

「どうした?」

「ありがとう。おかげでいい情報が手に入ったよ」

 彼の視線から逃れるように、エリヤは席を立つ。

「もう帰っちまうのか?」

 大仰に腕を降り広げながら彼は抗議したが、そんなの知った事ではなかった。

「――お帰りですか?」

 今までずっとグラスを磨いていた女バーテンダーが、業務的な動きで顔を上げる。

「また来るよ」

 彼女と彼に手を上げて、エリヤは努めて笑んだ。

「お待ちしています」

 バーテンダーは微笑んで、猫目は呆れて――

 ――俺って、女の微笑みに弱いんだよな。

 とうにわかり切っている事を思った。


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