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第五話「暴」

第五話「暴」

 粉砂糖を振ったような、真白い一室だった。辰巳は大きな病院には縁がない。

 保健室よりも強い臭いが、頭を重くした。

 好きでこのようなところにいるわけではない。それは、前川にとっても同じことだ。その右半身は痛々しいもので、手足が包帯で巻かれており、それぞれ吊るされている。頭にも手術後の包帯が巻かれている。

 前川の足元で後部が寝ている。こちらは眼元を赤く腫らしている。面会開始時間と同時に入室し、今日も前川が無事であることを確認するなり、眠ってしまったのだ。

 辰巳は客用椅子に座り、リモコンでテレビを点けた。丁度、昼過ぎのニュースが流れた。なんでもない、ひったくりが事故で死んだニュースに、前川は笑った。

 それが自嘲なのかどうかは、定かではない。

「俺さ、探偵になるのが夢なんだ。話したことなかったよな」

 前川が頭に巻いた包帯をなぞり、晴れ晴れとした外を眺める。

「お前ならなれるよ」

 その態度は淡々としている。

 前川本人を前にして、辰巳は思い出す。

 中学時代、前川は辰巳のバイト先にわざわざ足を運んだ。クラスの中心人物だったので、辰巳にはすぐに分かった。背は低いが、顔と頭は良い。

 前川はそのときのように笑う。

「ハハッ。真似事でさえ、こんな有様だよ。それでどうやって、コイツと上手くやっていけるのかって話だ。収入面も、言わずもがな」

「なんにせよ、無事でよかったよ。先のことは追々、考えればいい。今はゆっくり休め」

「いいから聞いてくれよ。俺の親父、警察官でさ。俺も親父みたいに、人のために働きたいって思っているんだ。昔から、人を見るのも好きだった。他人を知るのが好きだった」

 一拍置いて前川は続けた。視線を動かすことはない。外を向いたままだ。

「ゲスだろ? だから探偵なんだ。けど、俺じゃあ、ダメだったんだな。ダメだからこんなことになっている。なあ、辰巳?」

 辰巳は手に持っていたリモコンで電源を消し、立ち上がる。

「何があった? ただの事故か?」

「十年くらい前、ウチの学校の生徒が交通事故に遭って死んだの知ってるか? 高校上がってすぐ、ぶっそうな事件はないかって探していたら、そんな記事を見つけたんだ。手始めに、見よう見まねで捜査ってやつを始めた。ちょくちょく、人に尋ねて回ったり、資料ほじくりかえしたり、一年と半分くらいか、それでも、まだ不可解な点が残ってる」

「その事件の核心を突こうとするお前を、証拠隠滅のために車で轢いたってことか? さすがにそれは、自意識過剰すぎるだろ」

「……辰巳は、どう思う? 俺を轢いた人間は、まだ若い大学生くらいに見えた。昨日、土下座しにきたよ」

「お前の思考は病的だ。ついでに医者に診てもらえ」

「お前はたまに辛辣なことを言うんだよな。そういうところ、好きだ」

 病室の戸にかけた手が止まる。

 辰巳は振り返り、眉をひそめた。

「気味が悪い」

「悪い、悪い。話の続きだけど、目ぼしい男女二人を探っていた。後をつけていたんだが、女の方をつけている内に、事故にあったわけだ」

「矛盾していないか。その女が十年前の交通事故の真犯人だと言うのなら、お前の被害妄想はなんだ」

「それは辰巳、お前が一番よく知っているはずだ。その仮説が成り立てば、ヘリが部屋を破壊したことだけじゃない、屋根瓦だってそうだ。そんな存在がいれば、過去の事件も、なにもかも合点がいく」

「お前、おかしいぞ。どうしたんだ。お前の言うそれは、ファンタジーのそれだ」

「いいんだ。俺じゃあ、ダメだってことくらい、もう分かった」

 途中で、遮るようにして辰巳は一室から出ていく。

 前川はその背中だけを最後に確認した。まだ寝ている寿美の頭を撫でて、広い空間に長い息を吐く。

「おしいところまでいったよ。けど、俺じゃあ、ダメだった。俺じゃあ、辰巳の隣にはいられないんだと。せっかく、こっちから話しかけてやったのにな、バカなやつ」

 涙は拭えず、布団を濡らした。前川も過去を想起する。

 記憶を遡行し、予測した辰巳の心情が肺腑に染み入る。その時は、辰巳もまだ人間だったが、前川の知る所ではない。



 アイスクリーム屋でバイトをしていると、様々な人物を見かける。同じ学校の制服を着た生徒であったり、中年のサラリーマンであったり、ギャルであったり。一日、働けば、心身ともに疲労し、寮に戻るなり、横になってしまう。横になったまま、拳銃の出し入れをする。そして、気付かぬうちに寝ている。

 二週間ほどで慣れることができたのは、これまで経験してきたバイトのおかげだ。勉強にも手を付け始めても、体力に余力が出てくる。

「そか、ここでバイトしてるんだったね」

 学期末テストが近づいていた。そうなると休日は学生で賑わってくる。橘が顔を出したのもそんなときだった。しばらく、保健室で会うこともなかったので、辰巳とは久しぶりとなる。他にも三人、友人を連れていた。全員女子だ。

「ご注文は?」

 レジに立つ辰巳は、淡々とマニュアルに従う。

「じゃあ、マッシュストロベリーとニンジャブラックチョコのカップ、お店で食べまーす」

 後ろからも続いて注文する。橘たちは外の傘付きテーブルまで、アイスを持って移動していった。姦しい会話が遠ざかっていき、次の客を捌く。バイトと言えど、公私混同は良くない。

 他のバイトから、堅物クンと呼称されるようになったことを、辰巳はまだ知らない。そんな堅物クンもぎょっとするような客が、足を運んできた。

 教師だ。それも辰巳のクラスの担任、川鍋真見だ。

「ん? あぁ、そうか」

 と、一人で納得するなり、注文を続けた。

 辰巳のレジを打つ手が、若干、震えていた。急な山場を乗り越えて、ようやくバイトから解放される。テスト週間と言うことで、その期間中にシフトはいれられない。

 店前で伸びをする。帰ったら勉強だ。それを終えたら、気晴らしに外へ出ようと考えていた。まずは目先のテストだ。

 客の邪魔にならないよう、横にはけて、そのまま歩き出す。

 歩き出したが、呼び止められた。橘だ。それも一人だった。

「他のやつらは?」

「デザート食べたら即解散。図書館で勉強して、それで息抜きに何か甘いものーって流れ。それより、聞いてよ。みんな帰るって言うから、じゃあ私は辰巳くん待ってるねって言ったら、変な気、遣われちゃったよ」

 橘は口をへの字に曲げる。

「なんの用事なんだ」

「いや、用事ってほどのものじゃなくて。帰り、一人じゃ寂しいかなって、思っただけ」

「なんだそれ」

「いろんな人とわきあいあいとしているイメージだったから。みんなから、そんなに話したことないから分からない、前川くんと一緒にいる人、って聞いたときは、びっくりした」

「普通、本人の前で言うか?」

「ワガダマリは、作りたくない主義なんですー。軽蔑する?」

「わだかまり、な」

 寮まで歩いて行く。橘もバイトは休みだ。橘はシフトをねじ込もうとしていたが、花屋の店長によって強引に、休みにさせられた。学生の仕事は、学業だという。

 空の雲行きが怪しくなり、あっという間に雨が降り出す。辰巳が以前によった本屋で雨宿りをするハメになった。屋根の下で、雨足が弱くなるのを、もしくは止むのを待つ。

「気、遣ってくれたんだよな」

 辰巳は着ていたジャンパーを投げて渡す。

そのジャンパーを手元で押し引きし、結局、橘は着ることにした。

「前川くん、早く良くなるといいね」

「見た限りじゃあ、ぴんぴんしてたけどな。年明けには松葉杖ついて登校してくるさ」

「今度、私もお見舞いにいこうかな。適当に、花でも見繕って。お菓子とか持って行っていいのかな」

「ダメならダメで、受付でボッシュートだろ」

 また後日、試験勉強をする約束をして、橘と小雨の中で別れた。辰巳は神社に向かう。

 境内には誰もいなかったので、日を改めることにした。

 余暇の時間は勉強に充てた。その合間に繰り返していた拳銃の出し入れが、スムーズになってくる。発砲の練習はできないので、もしもに備えてイメージトレーニングに励む。

 また考える。辰巳の近辺で異常を起こしている輩が何者なのか。前川の付けていた人間が誰なのかは、予想がついた。一人は真鯉だ。

(しかし、狙われる理由が不明だ。)

 ここからも行動にでなければ、辰巳には分かりそうになかった。



 休日だが、辰巳は学校へ向かう。学校の図書室は開放されており、休日にも使用できるので、橘と一緒に勉強する予定だった。全部活動が、活動休止になっているので、市の図書館か、学校は必ず混雑する。

 席が空くはずの昼時を狙う。コンビニでおにぎりを買って、神社へ寄り道。ついでだ。

 神社ではテストのない小学生たちが、ゴムボールを蹴って遊んでいた。それを遠くのベンチから眺めるスーツの男。

辰巳は真鯉の隣に腰掛ける。

「やぁ、辰巳くん。元気にしてたかい?」

 笑顔の映える優男だ。辰巳はどうとも答えずに、おにぎりを貪る。

「なんだか顔つきが変わったね? 僕のアドバイスのおかげかな」

 一つ食べ終え、咀嚼も済んだところで口を開けた。

「分からない。ただ、もやもやする。待つにしても、こうやって動くにしても」

「なるほど……とりあえず、お互いに話せることは話しておこう。目的は同じなんだから、協力を惜しむつもりはないよ」

 真鯉はそう言うと、片手で狐の顔を作り、小指、薬指と順に曲げ丸め、中指を思い切り弾いて音を鳴らす。

 離れた場所でも破裂音が鳴る。子どもたちのゴムボールが割れたのだ。

 宙に飛んでいたボールが割れたその瞬間、真鯉の身体は消え、代わりに猫が一匹、ベンチに尻を付けて座っていた。その様子は辰巳しか見ていない。

キャベツの葉のようにぺらぺらの、ゴムボールだったものが地面に落ちると、元の姿に戻る。ネクタイを締め直し、真鯉が深呼吸した。

「僕たち魔法使いは、なんでもできる。その中でも、突出して得意とする能力がいくつか存在する。それは個人によって異なり、異能力に目覚めた原因や、またなんらかの因果関係と結びつく。僕の場合は、変体だ。家で飼っていた猫と恋人が泥棒に殺されたとき、僕はこの力を得た」

 以前、話したことと、過去をクッションに話を続ける。

「先日の事故、そして僕が君を見つけた時の事故、この二つは同一人物が引き起こしたものとして、観ていくとしよう」

「理由は……いや、そうか。調べる方法なんていくらでもあるか」

「幻覚、催眠、《魔法使い》相手には効果がないけど、人の中を弄り回すことは簡単だからね。以前、先輩に同行して山奥の村である魔法使いを探していたんだ。その魔法使いは幻覚、催眠が得意でね。小さい村だが百人を超える村人全員に幻覚を見せていたんだ。また話が反れたね、閑話休題。それで警察に聞いたんだけど、両方とも被害にあったのは、辰巳くんと辰巳くんの学校の生徒だろう?」

 もはや全知の上で尋ねているのでは、と思わせるような口ぶりだった。辰巳は面倒臭そうに頭を掻きながら受け答える。

「狙われる理由がない。魔法使いじゃあないんだ、あいつは。それに一度目の被害者は、子どもだろう」

「そうなると、なにが考えられる?」

 人差し指を立てて問いかけた。その顔は引き締まっている。

 辰巳の手に拳銃が握られた。

「アイツ、モテるから、その犯人は学校の女子生徒かもな」

「ははは。キミも冗談、言うんだね。けどそういうのはいい。今はいいんだ。僕は、キミの以前の部屋に、ヘリコプターが突っ込んだことも知っている。その隣の部屋がキミの友人の部屋であるなら、なぜキミの部屋にヘリをぶつけた? あの商店街の通りだって、キミの学校の通学路だろう」

 拳銃の出し消しが繰り返し行われる。

「事故は……ネンリキってやつか? スプーンを曲げたり、遠くのモノを動かしたり」

「それもできる。けど、もっと痕跡の残りにくい方法があるんだよ。手で一振り、仰ぐだけでいい。足で地面を鳴らすだけでいい。それらから起こる現象は、ピタゴラス装置のように連鎖し、広がっていく。次第に大きく、大きく。バタフライ効果っていうんだけどね」

 二人の間に沈黙の時間が流れる。

 辰巳は踵を上げて爪先で砂利を弄る。空いている手でこめかみを押さえた。

「その話なら魔法使いは、未来予知も出来るってことになるんじゃ、ないのか」

「できないことはないよ。膨大な情報量とそれを処理できるだけの計算能力に特化していればいい話さ。僕がここへ派遣されたのも、上司にそういう能力持ちがいるからなんだ」

「なんだかなあ」

「腑に落ちないだろうが、今は知っていることで予測を立てるしかない。さて、そうなると考えられることはなんだろうね」

「誘っている。もしくはアンタがその人物か」

 拳銃を消して、立ち上がる。遠くの子どもたちはすでに別の遊びに熱中していた。

 真鯉は苦虫をかみつぶしたような顔をする。

「ふぅ……。まぁ、もしくは、ただ単に欲求を抑えられなくなったか。なるほど、誘っている、か。そうなると、キミの存在はもう相手にばれている、と考えた方がいいだろうね」

 次いで、真鯉も腰を上げ、その場で姿を消した。消えたのだ。子どもの一人がそれを見て騒ぎ出したのだが、仲間内の誰にも相手にされず、いじけだす。

 辰巳は一度だけ神社を振り返り、また爪先を学校へ向けた。橘と図書室で合流して勉強に勤しむ。本分は忘れない。



 橘の他にも二人の顔見知りがいた。白の肌をした女子生徒、流子もまた、図書室の机の上で試験に向けて単語帳を開いていた。

 辰巳と橘は、流子の向かいに座り、小声で挨拶をしてから各々、机と向かう。できるだけ、教え合うことはしなかった。あまりうるさいと、白い眼で見られる。

 緊張した空間での勉強は捗る。

 図書室の椅子が生徒で埋まった。制服着用が義務付けられているので、休日に生徒が集まる光景は珍しく、冷やかしにくる教師もいる。

 川鍋だ。冷やかしの対象は一人だった。川鍋が流子の隣に立ち、ノートを覗く。

「おかしいですね。窓が閉まっているはずなのに、羽虫が迷い込んだみたいです」

「心配しているんだ。分からないことがあったらいつでも職員室にくるんだぞ。お前はまともに、授業に出られていないんだ」

「図書室では静かにしてください。迷惑です」

「そう言うなって、ほら見せてみろ」

「……鬱陶しい」

「分かった。分かったよ。余計なお世話だったな」

 そう言うなり、立ち去っていく。

 日も傾いてきて電気が点く。しかし、しびれを切らした生徒たちは立ち上がっては伸びをして、そそくさと席を離れていく。どんどんと居なくなり、最後は辰巳、橘、流子の三人だけになった。その中でも流子の手は動き続けたままだ。

 橘が一番に、声を上げた。サイレンのような唸り声だ。

「んーーー、ちかれた~~。今日はおーわりっ」

 辰巳も流子も、ペンを置いた。日が沈んでからでは、帰りの寒さで体調を崩すかもしれない。本末転倒だ。

 三人は一様に、帰りの支度を始め、片付いた机の上に鞄を乗せてから雑談に耽る。

「流子ちゃん、すっごいペースで教科書ノートめくってたよね。勉強得意なの?」

「好きじゃないですけど、普通です。だと思います。平均点を見る限りでは、中の上くらいですから、悪くはありません」

「うへえ、そうなの……。二人とも、明日にでも私の勉強見てくれないかなー」

「私は構いませんが」

「俺もかよ」

「いいじゃん。ちらっと見たけど、二人とも問題解くの早いし。ってゆーか、辰巳くん、肘で突っついたのに気付いてくれないし」

 流れで図書室を後にする。流子の忘れ物を取りに、保健室へ行けば、川鍋と主任が何やら話し込んでいるところに出くわす。階段での出来事だ。墓参りだの、亡くなるだの、ブッソウな単語が飛び交っていた。

 降りてきた教員たちの話は中断され、三人に声をかける。まずは主任だった。

「いやあ、感心感心。試験用紙の作り甲斐があるってもんだ。もちろん、結果が悪い子たちを見つけて面倒を見るのも楽しいんだけどね。ねえ真見ちゃん?」

 川鍋はそれに意見する。

「センセイ、あまりプレッシャーを与えてやらないでください。あと、川鍋です」

「そういう気はないんだけど。あぁ、上原くん、分からないことがあったら、いつでも呼び出してくれていいから、あまり無理はしないように。いいね?」

「はい。お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、先生方もご存知の通り、赤点だけは取ったタメシがないのです。ですので、今回もさしつかえありません」

「……私の時とは違って、ずいぶんな奴だな」

「ケースバイケース、ですよ。マミちゃん先生」

 いがみ合う川鍋と流子を、主任は傍で笑う。

「まぁまぁ。勉強の方は、辰巳くんと橘くんもいるし、大丈夫そうだね」

「え、私もですか? 私はちょっと今回、自身が……あはは。というか先生、もしかして二年の生徒全員の名前、覚えていたりするんですか?」

「覚えようとはしているけれど、キミたち三人は特別かなあ」

「有名人なんだって、辰巳くんやったね」

「俺に振るなよ」

「上村くんはバイト大丈夫? 無理をするな、とは言わないけれど、辛いならすぐ話しにくるんだよ。生徒あっての教師だから、頼られると安心できる」

「分かりました」

「センセイ、そろそろ」

「あぁ、そうだったな。それじゃあキミたち、また学校でね」

「それで、いつにしましょうか」

「二年ぶりになるんだよねえ。真見ちゃんはどうなんだっけ。そういえば去年、行ったの?」

 教師たちは話をしたまま、去っていく。



 三人も用事を済ませて下駄箱へ向かう。先頭を歩いていた辰巳が昇降口で振り返ると、後ろには流子しかいなかった。

「あれ、橘は?」

「お花摘みに行きました。すぐに来るはずです」

「お前はいいのか?」

 流子は腕を組み、分かりやすく余所を向く。

「そうやって鈍ちんちんでいるのは、やめられないんですね」

「……あのなあ。お前といい、アイツといい。お前らは一体全体、俺をなんだと思っているんだ。失礼極まりない」

「にーぶちーんちーん」

「下品すぎる」

「あははっ。ねえ、辰巳さん。いつまでもそのままでは、なにも変わりませんよ。アナタから、アナタ自身のことを話してくれないと、誰も、なにも反応してくれません。分かっていますよね」

「卵が先か、ニワトリが先かってか」

「違いますよ。他人を知りたければ、まず自分のことを話さないと、ってことです。完全にニワトリが先です」

「別に俺は知りたくなんか」

「〈俺のことをなんだと思っている〉か、知りたいのでは?」

「……チッ」

「うわあ、陰湿です」

 辰巳と流子の間で火花が散る。そこへ橘が割って入ってきて、流れで帰路に着いた。校門を出てすぐに、橘は後ろ歩きで二人の方を向く。

「もう二人とも、喧嘩はよくないよ」

「じゃれ合いです。それに言うではないですか、喧嘩するほど仲が良いって」

「自分でいうな」

「もうっ。仲良くしないなら私も仲良くしないからねっ」

「ゴ、ゴメンナサイ。ワタシ、タツミサン、ダーイスキ」

「川鍋先生とも仲よくしてよね」

「それはちょっと」

「……うん。そういえば流子ちゃん、迎えはないの? 普通に歩いてるけど、大丈夫?」

「はい。今日はこれから用事があるので、しばらくは自由時間なんです。体調もここ数カ月は良好ですので、ご心配なく」

「そうなんだ。じゃあ、うちで息抜きにゲームでもやる?」

 橘と流子が姦しく、辰巳の前を歩く。

 橘の部屋には、机、テレビ、本棚と揃い踏みだ。辰巳の部屋とは違う。入るなり、電気を点けて回り、灯りと暖を確保する。

 テレビ台の中から、ファミコンを出して橘はドヤ顔する。食堂の開く五時半まで、それで暇を潰した。コントローラーは二つ。

 番を待っていた辰巳は、机の上に置いてある写真立てを見つけた。清水の舞台を背景に中学生二人が写っている。

「辰巳くんの番だよう」

「あれ、中学の時の写真か。隣の子、かわいいな」

「あーうん。いい子だったよ。幼馴染なんだ」

 辰巳にコントローラーを押し付けながら、そう言った。



 また三人で寮を出た。日も沈みきり、寒さも増す。早く学校を出た意味とはなんだったのか。しかし、誰も野暮なことは言わない。

 乾いた風に身を震わせるのは流子で、辰巳がそれを見てコートを投げ渡す。

 軽いお辞儀をした後に、口を開きながら歩きはじめる。二人もそれに着いていく。

「私、あんなテレビゲームなんて久しぶりにやりました。横スクロールするドットですよ。ナウでヤングな現代人からすればレトロすぎるんじゃ」

「少なくとも大人数でやるようなものじゃない」

「避難ゴウゴウだよう……ひどいよう……」

「前々から思っていましたが、橘さんって体に比べて幼稚ですよね」

「流子ちゃんにも言われた……だってその方が楽なんだもん。難しいこと考えたくなーい」

 黒光りする高級車を前に、橘はいじけていたことすら忘れてしまう。上の空のまま、辰巳に着いていく。

 途中で振り向く辰巳に、橘はケロリとした顔で不思議そうに小首を傾げた。

「なに?」

「なにって、あんまり表紙抜かしてるから、ちゃんとついてきているかなって」

「大丈夫だよ。大丈夫だけど、お嬢様って、令嬢って初めて聞いたから」

「あいつも、自分の事、話そうとしないからな」

 寮内入ろうとしたところで、橘が転びそうになってバランスを崩す。そこには小石があった。おおげさに手を振り、耐え切ってから寮を背にして辰巳を見る。

「み、耳の痛いお言葉で」

「誰にも、話したくないことの一つや二つあるもんだ」

「聞きたい?」

「別に俺だって、言われたから、聞くんじゃない」

「辰巳くん……?」

「お前の秘密は、変わってるだろ? 人に言えないようなこと、人が恐れるようなこと。人に話しても信じてもらえそうにないこと。例えば、それが原因で――」

 二人のケータイが同時に鳴る。先に出たのは橘の方だった。辰巳も仕方なく、ポケットを探る。辰巳の方は猫塚からだった。

 猫塚は息を切らしていた。不規則な息遣いだけが聞こえてくる。

「どうした? おい」

「え、えへへ……。ちょっと……風邪を引いてしまいまして……」

「あ? 嘘吐いてんじゃねえ。そんなくだらないことで電話してくるやつか、お前は」

「くだらなくていいよ……。話したくて、電話したんだから……。風邪引いてると、人肌が恋しくなるんだよ……」

 言葉と言葉に合間が生まれ、段々と、か細いなっていく。平常でないことは確かだった。

「お前、もしかして」

「大丈夫……私なら、大丈夫」

 電話は切れ、辰巳の視界からは、橘がいなくなっていた。辰巳はケータイを握りしめながら、辺りを見回す。影も見られないと分かるなり、ケータイをしまう。

 結果から言えば、辰巳のかまかけは成功した。

 寮の門で目頭を押さえる辰巳に、背後から声をかけたのは、真鯉だった。真鯉は三人の後を一日中、つけて回っていた。ばれないよう、黒い猫の姿をしていたのだが、人の言葉を話すためにはそうもいかない。

 いつものスーツ姿で、辰巳の傍に寄る。

「彼女なら走っていったよ。電話では花屋の人と話していたみたいだけど」

「そうか」

「追うかい? キミの方もだいぶ、忙しいんじゃない?」

「……追う」

「あの反応。あれは、能力持ち。魔法使いだよ。いつから気付いていたんだい?」

「ああいう性格してるから、些細な事情で転校してきたのなら、簡単に話すだろうと思っただけだ。時期も合う。学校の生徒を襲う理由が分からないが」

「欲を抑えられなくなったのかもね。追って聞けばいい話さ」

 真鯉が猫に化け直す。

 辰巳はバッグを隅に放り、駆け足で寮を出た。音を鳴らさずに、しかし威力を抑えず冷たい地面を蹴る。それでも、道中、橘の姿を見つけることはなかった。



 花屋のある一本道に出ると、早足に切り替える。着崩れしたコートを直した。流子の温もりはとっくに消えているが、かすかに甘い匂いがする。

 辰巳は深く息を吸い込んだ。橘のことを優先する。猫塚でもない。ましてや流子など知ったことではない。

 辰巳は花屋の扉を開けた。カランカランと、ベルが鳴る。

 店の中央に居た橘が振り向いた。

「なんで……って、聞くだけ無駄か。そういう、ことなんだよね」

 掠れた声でそう言う。空気が一瞬で淀む。

 辰巳はすかさず拳銃を構えた。銃口の先には、橘一人。まだ、引き金に指はかけず、問いただす。

「俺の前の部屋、生徒の通学路、飛鳥。全部、お前がやったことなのか」

「え……? 待って。私じゃっ! ってゆーか、そもそも辰巳くんがそうなら……」

 店の外で、鈍く重い音がして、橘の言い分を遮る。音の正体は橘の視点からなら、容易に確認できた。透明のガラス扉の向こうに黒い影が落ちた。それは猫やカラスの類ではなかった。

 橘は拳銃をもろともせず、走り出し、辰巳を退けた。扉を開けて影の正体を確認するなり、息を呑んだ。目を見開いた。

 辰巳も反射的にそちらを向く。まず異臭がした。生臭い魚のような、鼻を突く臭い。橘の後ろから様子を伺う。

 人気のない通りで、花屋の前に転がっていたのは、花屋の店長だった。背中に、えぐられたかのように歪な穴を開けて、仰向けのまま倒れていた。

 すぐに死体から目を反らし、四方八方に目を凝らしたのは橘だ。

「クソッ……なんで……なんでなんでなんで……!」

 そして右手の屋根の上に人影を見つけるなり、飛び出した。驚異的な跳躍力は、《魔法使い》のなせる技。数メートル先の屋根に着地し、逃げる人影を追跡する。人影もまた《魔法使い》であり、捕まえるのは容易でない。

 辰巳も走る。まだ試したことの無い跳躍で、不器用に近くの屋根に乗る。屋根から見る景色はまた違い、高層ビルの立ち並ぶ街の方まで、燦然とした夜景が見渡せた。また冷気が強く感じられた。

「真鯉さん」

 呼ぶと、音も無く、真鯉は隣に現れる。猫に化けて店の影に隠れていた。

「さっきのやつが、あの人を店の前に落していった。と言っても、空から突然降ってきたから、どんなやつだったかまでは、分からなかったけど」

「学校の人間だ。それも、生徒の事情をよく知る人間。橘……さっきの子が、本当の狙いだったってわけだ」

 人影と橘は、学校の方角へ飛び跳ねていく。



 怪しく光る月の下では、白い校舎も眩しく見える。校舎の隙間を風が吹き抜け、人の不安を煽る音が、辺りを包む。

 門の前で、辰巳は立ち止まった。

「妙だ。明かりがない」

 生徒は兎も角として、教員なら雑務残務に追われている時間帯。校舎内から明かりが漏れ出していない。校門から渡り廊下越しに、職員室は見える。グラウンドのライトも消えている。サッカークラブか、野球クラブかが使用しているはずだった。

 真鯉は辰巳を追い越し、先に校内へ入る。

「人払いってやつさ。難しい話じゃないよ。それより、本当に学校の人間だったのなら、戦闘を相手の庭で行うっていうのが辛いね」

「二手に分かれた方がいいのか」

「いや、行動は一緒にした方がいい。生存第一だよ」

 二人は一階から探し回った。一階には見当たらず、二階へ登っていく。強襲に備えて無言でいる。

 辰巳は《魔法使い》の可能性について考えていた。《魔法使い》の力のみで影響を与えることが出来るのは、自身以外の《魔法使い》ではない存在だけ。毒への耐性のようなもので、《魔法使い》相手には通じないわけだ。だから、校内へ入れた。

 相手がどんな手段で襲ってくるのか分からない状況下。最低限、考えられることは真鯉に任せ、数週間後にはテストが行われている教室を見て回る。まず猫姿の真鯉が教室内に入り、確認をする。そして辰巳が拳銃を構えて続く。この繰り返しだ。

 一階の保健室に入るとき、辰巳は鼻を擦った。

(生臭い、魚の臭い。血か。)

 先に入っていた真鯉が尻尾を振った。保健室を見回すが、橘と人影の争った痕跡は、どこにも見当たらない。

 しんとした二階に上がる。やはり見つからない。音すらしない。



 三階へ上る階段で、ようやく血痕を見つけた。明かりがないため、中央に撒き散らされていても、気付くのが遅れた。

(わざとらしいにもほどがある。)

 それでも登る。猫の足よりも先に出た。

 血痕は一つの教室に続いていた。辰巳のクラスの隣。橘のいる教室だ。

 誰もいない。辰巳はそう一瞬だけ思った。後方の席の影に隠れて、見えなかっただけだ。その人物と同じ列に立つことでようやく、存在を認識できる。

 橘が、誰かを抱えてすすり泣いていた。その腕の中には、花屋の店長と同じように、無残に風穴を開けられた生徒が眠っている。

 月明かりが差し込み、鼻から上が露わになる。一目で命がないと分かるほど、血の気の無い顔をしていた。

「流子、なのか?」

 橘が顔を上げて、大粒の涙を零した。涙は流子の青白い頬に落ち、弾け、眩い光となって霧散する。

 橘の怒号が飛んだ。

「どうして、どうして……こんな……ひどいっ!」

 教室に響き渡る。それに辰巳は、目を細めた。

「……落ち着け」

「……かってる……! わかってる……!」

 もう息の無い流子の手を、橘は自身の胸元で握りしめ、嗚咽を止めようとする。今にも嘔吐してしまいそうなほど、呼吸を乱していた。

 人影が流子をも手に掛けた。

 辰巳は屈んで流子の顔を再確認する。

「橘、まずここから離れよう。お前、狙われてるんだろ」

「……してやる! 殺してやる! 見てるんだろ! 出てこいよ!」

 橘は泣き喚く。いくら呼ぼうと花屋の前にいた人影が、現れることはない。

 そこへ遅れて、真鯉が人の姿で入ってきた。

「辰巳くん、どうなって」

 それが混乱を招いた。

 不安定な状態の橘を刺激する。

「あっ……あああああああああ!」

 橘は飛びかかった。

 辰巳や机を飛び越え、両手を翳す。

 両手に生まれたのは、野球ボールほどの薄赤の塊――火だった。

 橘自信を表すような明りを放ち、小さな火は瞬く間に膨張、そして爆発する。光と熱、轟音の順に教室を埋め尽くした。

 机や椅子、壁は焦げ、窓ガラスが外に向かって飛び散った。



 辰巳は吹き飛ばされるような形で、窓から外へ出た。火の尾を避け、反射的に流子を抱えていた。

 空中で体制を立て直すことに成功し、ガラスの雨の中、着地に成功する。反動も、衝撃もない。

 外気よりも冷たい流子を抱えながら、三階の教室を見上げる。火災はないが、爆発音が連続して聞こえてきた。橘と真鯉が対峙している。

 辰巳は保健室に向かい、ベッドに流子を寝かす。《魔法使い》には、誰かに触れることで記憶を読み取ることができるようだが、それはできなかった。

 爆発の音を追って、三階へ上る。廊下で見つけた人影へ、橘と真鯉でないことが分かるなり、即座に発砲。その廊下は熱気に包まれており、あちこちが破損していた。

 橘と真鯉はいない。遠く離れた場所から聞こえる爆発音から、未だ戦闘中だと分かる。

「誰だ、お前は」

 銃弾は肩を捉えた。

 人影は辰巳の言葉に応じる。その声は女性のものだ。

「おかしなことを言うな。やっぱり、お前も普通じゃないのか」

 人影は撃ち抜かれた肩を抑え、ギョロリと双眸を見開く。

 辰巳の立っている場所が突如として隆起した。人影が力を働かせたのだ。

 天井と廊下に挟まれる前に、辰巳は人影に向かって走り出した。人影の方からも、生き物の口のように隆起が始まり、進路が途絶える。

 足を止め、すぐに焼き払われた教室の中へ方向転換する。だが、波打つように隆起が迫ってくる。

 ドアと机が潰されていく。



 また三階から身を投げるハメとなった。教室の方へ拳銃を構えていたため、着地には失敗する。衝撃はないものの、慣性で転がり、復帰に時間がかった。

 立ち上がる頃には、人影も同じ地面に降りてきていた。

 月明かりに照らされていたのは、辰巳も知る人物だ。

「川鍋先生、アンタか」

 車のない駐車場で睨みあう。

「ヘリの時からおかしいとは思っていたが、お前があの瓦屋根をやったのか? それとも橘とやり合っている男か? お前には何度か触れているが、中が見られない。見られないどころか、奇妙な記憶を見せられる。どういう細工だ?」

 質問攻めだ。饒舌な川鍋は、闇に紛れられる喪服を着ていた。

 鈍色の数珠が巻かれた腕を上げ、棒立ちの辰巳を指差す。

「まあいいか。その記憶のようにお前を殺せば全部同じ。目的の橘からはだいぶズレたが、前川のやつも、流子と同じように殺してやらないとなあ。まず私の気が済まない」

 川鍋はゆっくりと距離を詰めていく。それほど余裕に満ち満ちていた。散ったガラス片を踏み鳴らし、手を伸ばせば触れることの出来る位置まで、近づく。


     〇


 辰巳は静かに佇む。川鍋の手が伸ばされた所で、言葉を発した。触れるか、触れないか、紙一重のところで、動きは止まる。

「アンタ、教師として最高だよ。見習いたいくらいだ」

「命乞いねえ。私の機嫌を損ねて、苦しくなるだけだぞ」

「普通の《魔法使い》じゃないってことを確定的にしてくれた。それと、これはお礼だ。モヤを増やしてくれた礼だ」

 血管が浮き出るほど、強く銃を握りしめ、その銃口を川鍋の横腹に突きつける。

「ほざけよ、小僧」

 それとほぼ同時に、川鍋の手が辰巳の胸に触れた。


     〇


 拳銃の先から、人一人分の記憶が入りこむ。辰巳は奥歯を噛んで、吐き気を抑えこんだ。その記憶は、女子学生の胸に穴を開けたところから始まる。辰巳の知らない生徒だ。場所は保健室。視界はわずかにぼやけている。

 次に、その死体を交通事故として隠ぺいする映像が流れだす。トラックとぶつかり、ばらばらになる死体。また映像が切り替わり、どんどんと人に穴が空いていく。

 狂った笑いが木霊する。川鍋の声だ。辰巳はその心情すら、垣間見る。

 嫉妬と、人から感情を奪う快感。前者は《魔法使い》に目覚めたきっかけだった。後者は《魔法使い》になってから、能動的に生まれたものだ。

 花屋の店長、流子との対峙の時には、すでに嫉妬は薄れ、消えかかっていた。最初の記憶と同じように、夜の保健室内が映像となり、辰巳を襲う――。



 ――ドアを開けると、保健室の中央に流子が佇んでいた。窓は閉め切られ、カーテンの隙間を縫って、外から月の光が漏れ入る。

「おお、こんな時間に呼び出して悪かったな。今日中に渡しておかないといけないものがあってな。本来、こちらから出向かなければならないんだが……」

「白々しい。マミちゃん先生、いや川鍋真見。私がそんなにダブりますか」

「ん? なんのことだ?」

「昔の友人とダブる、そう聞いているんです。私のように病弱だったらしいですね。髪はこんな感じですか。顔はこんな感じですか。そんなに、構ってちゃんが嫌いでしたか」

 流子はその場で回って見せる。

「だから、なんの話だ?」

「とぼけるなよ、異常者が。私はお前も、もう一人の私も、大嫌いなんだ」

「……どこで触ったか知らんが、お前も私と同じだったか。だがそれは間違ってるなあ。お前に死んでもらうことは変わらんが、恨むなら玩具に選ばれた橘を恨むんだな」

 川鍋の手が近づいていき、流子の胸に触れる。だが流子は逃げもせずに、それを押し返すように声を張る。

「死ぬ間際で、助けられた。だけど、この体は私のものだ。聞いているかもう一人の私。お前のいう運命だけは、覆してやる。私は上村辰巳も、橘音色もっ」

 音も無く、胸の中央に穴が空き、声と共に映像が途絶えた――。



 川鍋はいままでと同じように、何度もやってきたことを、脳内に思い浮かべる。一度目は同級生相手に、二度目は親、三度からは数えておらず、最近では花屋の店長と、流子だった。触れれば、穴が空く。そして怪しまれない様に、人の記憶を弄る。

 今回もそのつもりでいた。だが、辰巳に変化が見られない。

「なんで、なんで、穴が!」

 声を震わせる。辰巳の胸を何度も押した。その体はよろけもせず、逆に川鍋が足を引く始末。頭の中には、辰巳の胸に穴を開けた記憶が流れ込む。

 想像と現実が混じり、よろける川鍋に、辰巳は拳銃を構え直した。

「アンタの考え、記憶、全て知ったよ。《魔法使い》ってのは厄介だな。それら全てを奪う感覚がやめられない、下種な欲が生まれるのも頷ける。同意はしたくないがな」

「なんで、穴が空かないんだ!」

「俺は事実、何度も死んでいる。何度も死んでここにいる。見たんだろ、俺も見たよ。何度も頭を過ぎる」

 川鍋は影へ影へと後退していった。

「反吐が出る」

 引き金に指がかかる。外道にかける情けはない。

 辰巳の指が止まった。視線も余所へと反れる。それを好機と捉えた川鍋は、後方へ大きく跳躍した。

「はっ、はーはっはっはー! 頓馬が! 場数が違うんだよ!」

 指を止めた要因がその先にあるとも知らず、川鍋は高笑いを上げた。

 その場凌ぎを踏み潰す、橘の飛来。それは、少し軌道がずれようと、瑣末な問題だ。それほどまでに広がる火炎だった。

「死にさらせえええええええええ!!」

 紅色の一線。火炎は川鍋を呑みこみ、青色の球へと形状を変えて、爆ぜた。火花に紛れて、黒ずんだ人の型が地へと落下する。



 その様子を辰巳はじっと見ていた。すす汚れた真鯉が戻ってきても労わず、川鍋の落下を眺めていた。

「辰巳くん!」

 地に足を付けて、橘が駆け寄る。その背後で、立ち上がる川鍋に、橘は気付けていない。

 辰巳は真鯉を止め、代わりに走り出した。

 黒焦げの川鍋が胸部を膨らませる。骨の見える腕を垂れ下げながら、吐き出したのは、火の槍だった。

 切っ先は橘に向いている。

 火が背中に突き立つ寸前で、辰巳は橘の腕を引っ張った。肩を掠める槍。服に引火した。

「っ……! まだっ……!」

 橘は肩の火を素手で掴み、川鍋の方へ向き直った。掴んだ火は、細い指と指の間から漏れして大きく渦巻く。腕を振りかぶって、焼け焦げた川鍋へつま先を向け直す。

 川鍋はまだ諦めていない。背が折れるほど反り返り、再び肺に空気を溜める。



 ついに辰巳は二つの火に挟まれる。掻いた汗が一瞬で蒸発するほどの熱感。

 渦巻く火。それは辰巳が、橘を抱き寄せることによって、小ぶりな灯火となった。

 辰巳は銃を構え、発砲した。標準を合わせずとも弾丸は、川鍋から放たれた槍と衝突。槍を次々と消滅させる。

「た……辰巳くん……。どうして……どうして……」

 辰巳の影で、橘が声を細くして、拳を握っていた。

 弾倉の弾丸が全て放たれた。火の槍を突きぬけ、瞬く間に、川鍋の身体へ吸い込まれていく。足に二発、腹部に一発、胸部に二発、頭部に三発の計八発。

 川鍋が糸の切れた人形のように、膝から崩れ、後ろへ倒れた。ついに絶命する。

 だがその最期を見届けることなく、辰巳は橘の記憶に身を投じていた。目蓋を閉じ、見ていた。

 幼少時の家の火事を境に、《魔法使い》として生きていく人生。それが橘だった。行く場所行く場所で火事を起こし、親戚間でたらい回しにされる。自制できるようになったのは孤児院に引き取られたときだった。

 孤児院で出会った友人も、《魔法使い》になってしまい、その暴走を止めるため、殺めてしまう。そうして思い出を築いてきた土地を捨て、転校してきた。

 それでも波乱は続く。川鍋に目を付けられ、良いように弄ばれた。

 その橘が、辰巳に触れて泣いた。橘も同じように、映像として見た。

 他者への、拒否反応。時には、自ら嫌われに行こうと立ち回る。辰巳は何も求めていなかった。他者への興味関心が欠如している。精神的な死であり、あらゆる苦難からの解放。無で空っぽだった。



 そして辰巳を焼き殺す、身に覚えのない記憶が流れ込み、橘は堪らず嘔吐してしまう。

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