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第四話「真鯉」

第四話「真鯉」

 どしゃぶりの雨が止まない。暖房の効いた保健室の窓ガラスは、外との温度差で曇る。

 ベッドで上体を起こしている流子が、髪を結いながらあくびをした。

「暇ですね。見るモノが本と、きみくらいしかない」

 カーテンが邪魔で曇ったガラスに落書きができない、と付け加える。

 辰巳は、ケータイで求人情報を見ながら流子を適当にあしらう。暖を取れるのはここか、保健室くらいなので、頻繁に保健室へ顔を出すようになっていた。

「やっぱ、俺の友だち紹介してやろうか」

「遠慮します。今はきみたちだけで十分。話をしすぎるのも、聞きすぎるのも、疲れます」

 橘はバイトで一足先に学校を出るため、自然と二人でいる時間の方が多くなる。

 一息吐いて流子は読書に戻った。

 どちらも喋りたがるような性格ではない。よって、会話は弾まない。どちらかが質問か提案を投げかけて、それで終わりだ。

 雨の音を除けば、室内はしんと静まり返るだろう。保険医は隣の資料室と教員室を行き来し、忙しい。非常時は、辰巳が保険医に連絡を入れる手筈になっていた。

(事務の仕事もあることを知らなかった。それはそうか。)

 バイトの項目にチェックを入れつつ、辰巳は保健室の戸に気を遣う。幸い、室内練習をしている運動部や刃物を扱う美術部、料理研究部、また手芸部からも怪我人は出なかった。

「保険医も忙しいんですよ。放課後に暇を持て余す教師なんていません」

「……」

 代わりに学年主任が保健室を訪れた。恥ずかしそうに髭を弄っている。

 立ち上がって会釈をする辰巳と、ベッドの流子に主任は挨拶を返した。

「いやあ、紙で指を切ってしまってね。保険室のカガミ先生は……いないみたいだね」

「いま事務の仕事で忙しいそうです。呼んできましょうか?」

 邪魔をするわけにはいかない、と答えてから、医療道具の並んでいる棚に近づく。絆創膏を貼りながら、口を開いた。

「上原くんは久しぶりだね。最近は様子を見に来れなくて、ごめんね」

「いろんな先生に来てもらっているので、勉強の方は大丈夫です。それに学年主任が付きっきりでは、逆に申し訳ないです」

「そんなこと気にしないでいいよ。分からないことがあったら、いつでも質問しに来てね。上村くんも、なにか相談したいことがあったら、気軽に職員室を訪ねてきていいから」

 治療を終えて立ち上がる。今度は思い出したかのように足を止めて、二人の方を向く。

「二人はいつのまに、友だちになったんだ?」

 流子がワケを話すと、納得して職員室へと戻っていった。

 流子はえくぼを作る。

「あの先生、一年の時は、よく此処に顔を出してくれたんですよ。なんでも、昔、私と同じような生徒がいたそうで。この学校が積極的に、そういう生徒を受け入れている、ってわけじゃないんですけどね」

 主任がいなくなり、静かになった。流子は本を開き、それ以上、喋る気はなさそうだ。辰巳も口は閉じたまま、ケータイを弄る。

 雨は止まない。辰巳は傘を差し、校門まで流子を送る。校門の前でリムジンが、付着した雨粒まで鈍く光らせながら、主人の帰りを待っていた。

(いやらしい。)

「そう憮然としないでください。雨ですし、寮まで送っていきますよ」

「帰りに花屋、橘のところに寄るからいい」

「そういえば橘さんは、転校生なんですよね。辰巳さんは彼女の前の学校のこと聞いていますか?」

「いいや、なにも聞いてない。おかしな時期に来たから、何か家庭の事情とか、いろいろあったんじゃないのか」

「聞いても、困ったように頬を掻いて、はぐらかすんですよね」

「聞いてやるなよ」

「橘さんのこと、辰巳さんはどう思います? あの子、明るくて素敵な子だと、私は思うんですけど、付き合うとか考えないんですか?」

「元気なやつだとは思うけど、付き合うはねーよ。ありえねえ。それじゃあ、またな」

 立ち話を切り上げ、リムジンから遠ざかろうとする。ドアが開け放たれているもので、てっきり、流子が車内へすぐに非難するものだとばかり、思っていた。

 流子は雨に濡れている。

 返した踵をさらに返した。傘を持った手を突き出すが、流子の手で止められる。

「これから、付き合う気とか、ないんですか」

「はあ? ねえよ。いいから、車に入るか、傘に入るか、どっちかにしろ」

「私はどちらにも、幸せになってほしいんです。辰巳さん、分かってくれませんか」

 辰巳は手を突き返し、無理やり流子を傘に入れた。流子はひどく濡れていた。いつも来ているセーターが透けて、下着が見える。長い髪が柔らかさを失い、べったりと体に張り付いていた。

 普段は堂々としている流子だが、珍しく目を反らしていた。そんな流子に、辰巳は空いた手で頬を掻きながら、虚を突いた告白をする。

「どちらかと言えば、お前の方が好みなんだ。橘と付き合う気はねーよ」

 流子は目を見開き、けれど決して狼狽えず、雨音に掻き消されないように言い返す。

「またそうやって、きみは……」

 濡れた長髪を翻して、車内に駆けこんだ。

 舌打ちが辰巳の口から自然と漏れる。雨のせいか、白さが増していた流子の肌が、脳裏に焼き付いて離れようとしなかった。



 休日の午後、バイト先が決まった。アイスクリーム店の店長に履歴書を渡すと、すぐに採用してもらえた。その場にいた他の店員にも軽く挨拶してから、寮に戻る。

 辰巳は花屋に寄り道をする。九月ごろと比べれば、花の彩りも多彩になっていた。冬はどうしても単調になりがちだから、無理をしてでも色は揃える、といった店長の粋な計らいは功をそうしたのか、客足が絶えることはなかった。

「いらっしゃいませー」

 店内には誰もいない。ベルの音で気付いた橘が、店の奥から返事をする。

「よう」

「なーんだ、辰巳くんか」

 たったと早足で橘は顔を出した。品のチェックをしていたため、線の細い手にはボードとボールペンが握られている。そのままカウンターに置いてあった椅子に座り、ボードを再確認する。

「冷やかしなら帰ってねー」

「アイスクリーム屋でバイトすることになったから、それだけ伝えに来たんだ」

「おぉ、やったね! これでカラオケでもなんでも行けるじゃん!」

 立ち上がり、片手でボードを持ったままガッツポーズ、もう一方の手で辰巳の肩を叩く。

「遊びに行くためのバイトじゃないけどな。それに成績落ちたらバイトは辞めさせられる。前にも言ったけど、うちの学校はきびしいぞ」

「息抜きするくらい、へーきへーき。成績だって落とすつもりないし」

 橘は小テスト、抜き打ちテストともに良い成績を出している。余裕綽々だった。

「じゃあ、私、まだやること残ってるから。また遅くなったら迎えに来てほしいかなー」

 辰巳も早々に店を出た。身も凍るような風に吹かれながら、人と車の穏やかな流れに溶け込むように、おもむろに歩き出す。帰路を行く。



 気が付けば寮を囲う塀に沿って歩いている。目を軽く揉み解し、肩を回してから敷居を跨いだ。部屋に着くと何気なくカバンを放り投げ、畳んであった布団にダイブする。

 ふとケータイを見る。着信はない。

(とりあえずは、できることだけを優先。)

 目蓋が閉じていく。

 腹が空くと、目が覚めた。寮の飯にありつこうと、灯りを付けてから部屋を出た。

 廊下の角で人とぶつかる。完全に辰巳の不注意だった。

「すいません」

 相手は髪の長い女子だ。その女子が、食事時に辰巳の隣の席を陣取る女子であることに、謝るまで気付かなかった。

 長髪女子は、伸びきっている前髪を弄りながら、辰巳の行く手を阻む。

「いえ……お気になさらず。最近はお疲れみたいですから」

「っ。あまり気味の悪いことは言わないでくれ」

 長髪女子の横を通りすぎる。ハンバーグ定食を盆に載せて、食堂の椅子に着いた。

 同じように席に着く長髪女子に、ため息が出た。また隣に座るわけだ。

「お疲れみたいですけど……大丈夫ですかね。そんな悠長に構えていて」

 賑わってきた食堂では、二人の会話も誰かの雑音だ。

 辰巳は荒々しく箸を置いた。その音も食堂の賑わいに消えていく。

「ふざけるな。お前が一番、怪しいんだ」

 壁と向き合ったまま、互いに視線を交えず、話を続ける。

「なら……何故、撃たないんですか」

「いまこの場で出してみろ。その後の処理はどうしろと」

「それが悠長だと言っている。ならお前はずっと、何かが起きてから動くと、そう言うのか。実にお前らしいな」

 高圧的な口調に変化したことで、辰巳は尻込みする。的を射ていることもあり、茶を濁すような反応しかできなかった。

「そうは、言っていない」

「放っておくつもりだった。ただお前がそれで死なれては、私も困るんだ。私もお前に付きっきりではいられない」

「なら、知っていること、全て喋ってくれよ。その方がアンタにとっても都合がいいんじゃないのか」

「もう知っているだろうに。拳銃のことも、お前の言う《魔法使い》ってやつらのことも。それに箱を開けずとも、箱ごとぶっつぶせば、中身を気にかけることもない。自分に見えないものは存在しないに等しいし、お前にはそれを行使する権利と、義務が与えられている。私がそれを許したんだ。大いに力を振るえばいい。お前はそういう運命にあるんだ」

 長髪の女子は箸でハンバーグを串刺しにし、品無く一口で食べきる。

その隣で箸を握りしめる辰巳が、食事を再開するころには、長髪の女子は食堂から居なくなっていた。

(トチ狂って撃ちまくればいいのか。そんなわけないだろう。)

 すっかり冷めてしまった夕食を腹に詰め込んだ。



 放課後に大通りの本屋へ寄る。出っ張った屋根には、鼠が通れるほどの穴が空いていた。

 紙芝居を作ろうと思い、資料を探す。外装、内装ともに古めかしく、陳列する本も色褪せているものばかりだ。

 切り株のような顔をした老婆が、レジ前の椅子に座っていた。手を震わせながら、細めで新聞を読む。レジに来た辰巳に気付かず、風通りの良い店で息を引き取るように眠り始めた。

 辰巳は一歩離れたところで老婆を見ていた。買おうとしていた本を置き、手近な本に目を移す。膝を折り、腰を落とすと丁度、老婆の持つ新聞の主見出しが目につく。

(幼子を捨てる、親。既存の事件とも照らし合わせて、淡々と書き綴られている。)

 新しく手にした本は絵本だ。表紙では白いドレスを着た女性が、指で水面を波立たせている。老婆以外の店の人が出てくるまで、ぺらぺらと厚紙を捲る。

 老婆の孫である女性が階段から降りてきた。若い20代の女性だ。

「おばあちゃーん、お布団用意しておいたよー」

 女性に頭を下げられながら、本屋を出た。手にした二冊の本で物語を書くことにした。

 神社へ足を運んだのはそれからすぐのことだ。新年度には地元へ戻るつもりなので、いくつか仕上げて置くつもりでいた。完成させた状態で、次はボランティアとしての活動を視野に入れる。

 しかし、父の言いなりになるのは癪だった。

 砂利を踏み鳴らす音、幼い声の応酬に、石壁の向こうからでも、はしゃぎ回っていることが分かる。

 いきなり、声をかけては不審者扱いされかねない。視察するだけで、その場を通り過ぎようとした。しかし、鳥居越しで見た境内には、子どもたちと一緒に笑う、スーツの男がいた。賽銭箱前の階段に腰を掛けており、少し頬の削れた面立ちが哀愁を漂わせる。

 鳥居を潜った辰巳に合わせ、男は腰を上げた。男の方から歩み寄る。

「最近、つけていたのはキミだったのか。まさか、キミの方から顔を見せてくれるなんて思わなかったよ」

 参道から外れたところに設置された長椅子に、二人して座る。男はしばらくの間、子どもたちの様子を眺めていた。


     ○


 しびれを切らしたのは辰巳の方だった。

「何で、知っているんだ」

 一呼吸置いてから、膝に手を置いて男も口を開いた。

「結構前にここら辺で大きな交通事故があっただろう。大きいと言うのは語弊があるか。それはいいとして、あの時の屋根瓦、持ってきたのは僕なんだ」

 辰巳は静かに耳を傾けていた。

(複数の中心が存在し、それを囲う環境の一部でしかない。そして男も、その中心の一人。)

「って言っても証拠も何もないから、証明のしようがないんだけど。厄介なことに能力持ち同士は、一触即発の関係にあって、顔を合わせれば即殺し合い。本当に嘆かわしいことだよ」

 年相応の知識を兼ね備えていることが明確になる。

「屋根瓦で、子どもを助けようとしたんだろ、アンタ」

 辰巳の目が、ぎん、と見開いた。


     ○


「あぁ。そうしたらキミが横から飛び出してきた。そのとき、キミの手に握られていたものも確かに見た。現実離れした、アレだ。見間違えようがない」

 男は額から汗を垂らした。身体中が緊張し、本人でなくても体が震えていることが分かる。男にとっては賭けだ。

 男の意思に呼応して、辰巳の手に拳銃が現れる。黒光りする銃口は、地に向けて垂れ下がっていた。

「アンタは今、俺を殺すか、殺すまいか迷っている」

 打って変わって、辰巳は冷静でいる。観測できないものと対峙するよりも、幾分かマシであった。拳銃はひんやりとしている。

「……その銃は、ヤバい。何度も能力持ちと対峙してきたが、そんなもの、いままで目にしたことがない。キミがもし敵なら、そうするしかないんだ」

「出会い頭はそうでもなかったな。なんでだ」

「そういう経験あるだろう? お化けなんているわけないって思っているのに、お化けをこわいと思うアレ。ちょっと違うか」

 拳銃が消えると、男はばっと背もたれに寄りかかる。頬が緩んでいた。

「なにがおかしい」

「仕事とは言え、キミらのような子どもを手に掛けるのは苦痛でしかない」

「仕事? やっぱり、そういう、組織みたいなのって存在するのか。なんかロマンあふれてるのな」

「組織というか、会社というか。能力持ちの事件なんて、揉み消さなきゃならないから、後処理とか大変だよ。デスクが埋まるほどの山みたいな書類を片付けるんだ。しかし、キミはそれほど、詳しいってわけでもなさそうだけど、全く知らないわけでもないんだよね」

 男は辰巳の肩を叩こうと手を伸ばす。だが弾かれて、触れられなかった。

「記憶を読めることも知ってるんだね。ごめん、そっちの方が手っ取り早いと思って」

 新たな事実は、以前の水の少女、猫塚の動顛と繋がる。

「アンタ、名前は」

「僕は真鯉明志(まごいあかし)。ちなみに、キミと同じように、僕もキミのことをつけていたんだよ」

 男と話をしながら街中まで行く。魔法使いという呼び方に笑いながら男は、雑踏に揉み消されないよう、辰巳に知識を与える。男の言う、能力持ちとは《魔法使い》と同義であることから、猫塚の推測と同じようなことまで、話してみせた。



「五感でなにかを捉えたときに、人は能力持ち、《魔法使い》へと変化する。焼きついた記憶が、能力に反映、そして開花するんだ」

「人によって、能力は違うのか」

「全員、なんでもできるようになるけど、それぞれ得意なものが違うんだ。僕の先輩は、個々が発揮できる能力をエネルギー量として数値化した際、上限は一律で、出力の違いで差が生じる、と言っていたよ」

 駅ビルのファミレスに入店して、窓際のテーブル席に対面して座る。男は、奢るとだけ言って、注文を先んずる。

 辰巳は、コップの水を飲み、なぜ背中を見せるような真似をしたのか、男に聞いた。破綻している行動原理には同意しかねる。

「アンタ、よく生きてこられたな」

「周りの人に助けられてきたからだよ。代わりに色々なものを失って、半分死んでいるようなもんさ。情けない話、こっちに越してきたのも、傷心旅行が目的でもあるんだ」

 男は目を伏せ、コップの氷を揺らす。カラリと音が鳴った。

 人で込んでいる割には、早々に、料理が運ばれてきた。物静かにしていた男も、子どものような笑みで、注文したハンバーグに齧りつく。

 その間、辰巳は後から運ばれてきたポテトを、ちまちま口に運んだ。男は自社の説明や仕事の愚痴を延々と話し続けた。

 ハンバーグを食べ終わった男がデザートを追加注文したので、辰巳はそそくさと席を立つ。店を出て携帯を確認すると、メールが一件、届いていた。橘からだ。

 メールは二分前に届いていた。内容は、店長が戻らない、の一文だけだ。

 男を店に置いて、駆け出した。花屋まではだいぶ距離がある。橘の杞憂だとも考えたが、足を動かすことを優先させる。鞄を鷲掴み、速く、より速くなることを意識しながら走った。噴き出す汗も拭わずに、ひたすら走る。

 一歩一歩の間隔が伸びる。それほど足を伸ばしているわけでもない。ましてや、バネは人並みだ。バクチクを鳴らしたかのような音を残し、足が地面から離れている時間の方が長くなっていく。幸い、人の目はない。

 花屋の前で、勢いを殺し、店内に早足で入った。

「な、なんの音?」

 音の炸裂に、橘は縮こまっていた。

 店長の姿はない。花で飾られた、こぢんまりとした店内で、橘は一人、植木鉢の置き換えをしているところだった。

「出たきり、連絡はないのか」

「え、あ、うん。いつもなら戻ってきている時間なんだけど、どうしよう。どうしよう」

 橘はおろおろと店内をうろつく。外はもう暗い。

 昼ごろに車を出しても、夕方には店長も戻っている。注文を入れるのは大抵、常連で今回もそこに花を届けに行っていた。

「落ち着け。警察に電話は?」

「ううん、してない。だって、帰ってくるかもしれないし、それなのに電話するなんて大げさだし……というか、汗だくじゃん。タオル持ってくるよ」

 忙しなく、一拍も置かずに、店の奥へすっ飛んでいく。

「お前は店で待ってろ。そこら一帯、探しに行ってくる。その、店長はどこに出かけたか分かるか?」

 タオルを受け取るなり、辰巳は鞄を放って、探す場所を確認する。

 身振りも含めて、説明しようとした橘だったが、口を開けたまま、黙ってしまう。その視線は辰巳ではなく、店の入り口に向けられていた。



 辰巳が、その視線の先へ振り向く。店のドアは開き、店長とそれからスーツの男が談笑しながら入ってくる。

 唖然とする二人を見て、店長は手を合わせて軽く、頭を下げた。

「ごめんなさい。少し、お届け先で話し込んじゃって、それから帰ってくるときに事故の渋滞に引っ掛かって、遅れちゃいました」

 店長の携帯の充電は切れていた。このご時世、公衆電話は見つからない。それでは連絡も取れないわけだ。男と合流したのは店の前だと言う。

 スーツの男は手を上げて、辰巳に挨拶をする。先ほどまで話していた真鯉という男だ。

 その後、橘と辰巳、真鯉は一緒に店を出た。

「あの、お店によく来てくれますよね? 知り合いですか、店長の」

 寮に向かう途中、橘が真鯉へ、訝しげに質問した。真鯉は歯を浮かせ、頬を掻く。

「こちらに越してきた時にね。たまたま、道案内をしてもらったんだ。それからお店で顔を合わせて、うん。まあ、知り合いだね」

「そうなんですか。けど、あんまり通い詰めると、怪しまれますよ。確かに店長、押しには弱いですけど」

「ははっ……そういうつもりは無いかな」

 橘と寮の前で別れた。辰巳と真鯉はまた二人になる。

 電灯の淡い明かりを跨ぎ、細道を行く。近道だ。京を彷彿とさせる古めかしい家々。その裏通りでは、砂利がよく鳴る。

 砂利の音に消え入りそうな声で、辰巳は後ろ向かって話しかけた。

「随分と都合がいい、そう思った」

 真鯉はきょとんとする。何が、と尋ねれば、辰巳は素早く返す。

「俺はいままで、そういうものを見たことがない。知った途端、そういった事象が浮き彫りになってきた。警戒もするようになった」

「見えないものが、突然見えるようになったら、誰でも疑心暗鬼になるよ。いままで何を見てきたんだ、こうも簡単に見逃してしまっていたのか、そう考えてしまう」

「アンタの存在だってそうだ。対処法も知らないのに、疑っている」

「相対性理論とか、量子物理学とか、話は歪曲していっちゃうけど、見えたものだけ絶対に信じさえすれば、死にはしないはずだよ。キミはやけに怯えているように見える」

「アンタ、甘いよ。甘い。俺よりも、魔法使いを見てきたんだろ」

「あぁ、そうだ。次の瞬間には首が飛んでいるかもしれない。けどね、知識のある魔法使いなら、無暗に襲おうとは思わない。そして知識のない魔法使いに一度ばかり襲われようと、完全優位な状況が、揺らぐことはない。それはキミにも言えることだ。キミの能力はどうにも、キナ臭い。キミがその秘密を話さないのなら、この秘密も開示するわけには、いかないな」

 普段は公園にいる、とだけ去り際に放ち、真鯉は家の影の、そのまた更に奥、光の届かない宵闇の中へ霧散していった。肉体が液体よろしく、蒸発したかのようだった。

 それもまた、能力の成せる技。魔法使いとは、辰巳の予想以上に果てしない存在だった。



 寮に戻ると、食堂がいやに騒がしかった。いつも騒がしいのだが、聞きなれない言葉が飛び交っていて、情報が机や生徒を越えてやりとりされる。

 しかし、一々、気に欠けるような余力が、辰巳には残されていなかった。隅の席に座った。それを迫害するかのように隣へ座ってくる長髪女子に、睨み当たる。

「なんですかもう……まだ根に持ってるんですか」

 辰巳は壁に向き直り、箸と茶碗を持ってぼそぼそ喋る。

「いま、この街に何人、魔法使いがいるのか、わかるか」

 魔法使い。長髪女子の口調が変わる分かりやすいスイッチだ。

「探そうと思えば、探せる。だがその分、こちらにいられる時間も短くなる。言ってること分かるか?」

「そこまでして、俺に、やらせたいのか」

「勘の冴える奴だ。それくらい、常に敏感でいろよ」

 小馬鹿にするように、長髪女子は眉を上げた。

「アンテナ張ってるだけでいいなら、苦労はしないんだよな」

「相手は不特定多数。こちらは、特定の人物。それでも、やることは同じだ。なあに、その身が無事なら、いくらでも方法はある。ただ、お前は動かなさ過ぎた」

 辰巳は部屋に戻り、何度も拳銃の出し入れを繰り返した。両手で重み、手触りに慣れる。暗闇の中で構え、引き金を引く。弾はないので、何も起こらない。思い返したのは、脳裏に焼き付いた夏の日の出来事。

 風呂から出て、紙芝居を作りはじめる。部屋の中央に出しておいた机で、気付かないうちに寝てしまい、意識が戻ったのは日が出てからだった。



 学校へ向かうまで、長髪女子と顔を合わせなかった。

 校舎入り口では辰巳の学年主任が、めずらしくあいさつ運動をしていた。寒い中、生徒全員に声をかけ、その調子を確かめている。辰巳も例外なく声をかけられた。

「おはよう辰巳くん」

 一人で登校してきた辰巳を見て、主任の眉が少し浮く。

「おはようございます」

「めずらしいね。一人なのかい?」

「まあ、はい」

 辰巳は歩みを止めず、そのまま校舎に入っていった。

 教室は賑わう。辰巳はいつものように、席に着いた。睡眠時間が少ないはずなのに、頭はしっかりと冴えていた。普段は気に掛けないような周囲の声にも、耳が傾いた。

 その賑わいが、昨晩の食堂と同じ話題で造られたものであることも、要因の一つ。

「――で事故、あったんだってね」

「じゃあ、やっぱり――ないし」

「――飛鳥くん、来てないもんね。寿美も可哀そう」

「最近、事故多くね? この間も――」

「夏休みのときも――このガッコ、呪われてるんじゃ」

 一日の授業が終わっても、前の二席は空いたままだった。

「よし。全員、元気だなー」

 担任教師の川鍋は素知らぬ顔で、帰りのホームルームを終え、教室を出て行く。教室の誰も、口を閉ざしたままだ。

 頬杖を突いてぽかんとしている辰巳を、川鍋が教室の外から呼びつけた。

そのまま階段の影の方へ、辰巳は連行される。辰巳の歩みは牛の歩みのようだった。

「今朝に学校の方へ連絡があった。とりあえず、無事だと言うことは伝えておく。橘にも、心配はいらない、とそう伝えておいてくれ」

 事故に遭ったのは辰巳の知り合いだった。辰巳はどうしてか、昔のこと――前川との出会いを思い出した。

(……なぜアイツは、俺に話しかけた。)

 拳銃を握りしめた。校内に魔法使いがいる。


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