第3章 アルテミスの日常Ⅲ
「ウガアアアアア!!」
「うおっと危ねぇ!」
サイクロプスが棍棒を力任せに振り続けるが、軽やかにかわすイルドにはかすり傷一つつかない。
このままサイクロプスの体力が尽きるのを待つのも一つの手段だが、時間を無駄にする行為は僕もイルドもあまり好まない。
だからこその僕の存在だ。
僕は腰に装着したウエストポーチからもう一つ武器を取り出す。
それは蜷局状に巻かれたまま収納されていた、広げれば長さ10m程の銀色の鎖、僕が剣以外に使用するもう一つの武器だ。
武器にも種類があり、剣と槍と斧みたいなオーソドックスなものから、手甲や鎖といった一風変わったものまである。
その中でも鎖は、飛び抜けて一風変わっていると言えるだろう。
「行け!」
鎖にマナを流し、勢いよく振るう。
僕の声に呼応するかのように、僕が振るった鎖はその鉄という硬質なイメージからは想像もつかない柔軟な、まるで本物の蛇のような動きでしなりながらサイクロプスの棍棒めがけて飛び込む。
そして僕の手から伸びた鎖は棍棒に巻き付き、がっちりと逃がさないように拘束する。
これが鎖スキルCランク『チェーンバインド』だ。
効果は、鎖で対象を拘束するという単純極まりないが、この武技単体には攻撃力は全くと言っていいほどない。
だが鎖スキルの本領はここからだ。
僕はさらにマナを鎖に注ぎ込む。その瞬間、僕の身体はかなりの速さでサイクロプスに向かって飛翔した。
続けて繰り出したのが鎖スキルCランク『チェーンムーブF』とその名の通りFront(前方)に移動する武技だ。
棍棒を振り下ろす態勢のまま、サイクロプスは不気味な一つ目で僕を見てその目を驚愕に染める。
それはそうだ、先程まで少し離れた場所にいたはずの僕が一秒足らずで目の前まで接近しているのだから。
これが鎖スキルの本領だ。捕捉、移動、接近を短い時間で達成させるためだけの武器、言わばサポート用の武器なのだ。
僕はそんなサイクロプスを一瞥して、迷うことなくすれ違いざまに剣を真横に一閃薙いだ、武技は使わずに。
別に鎖スキルを使っていたから剣スキルを使えなかったわけではなく、単に使う必要がなかっただけだ。
ちなみに説明すると、魔殻は武技以外を通さない防御機構と僕は説明したが、魔物には魔殻が存在しない部位一つだけある。
眼球だ。
何故それを今説明したのかは、僕が斬った部位とサイクロプスの悲鳴を聞けば分かるはずだ。
「ギャアアアアアアア!!!」
たった一つしかない目を斬られたサイクロプスは、持っていた唯一の得物である棍棒まで取り落として右手で血に塗れた目を押さえる。
止めを刺すこともできたけど、僕は戦闘前にサポートに徹すると決めていたのだ。
鎖を回収しながら僕は振り返り、声を上げた。
「イルド、お願い!」
「ああ、任せろリン!」
イルドが光り輝く斧を肩に担ぎ、空高く跳躍する。
この動きは斧スキルCランク『オーバーキラー』だろう。
高空から繰り出される流星の如き一撃は、サイクロプスの魔殻など容易く切り裂くだろう。
着地した僕は剣に付着した血を払い、背中の鞘に戻す。
結果なんて見る必要もない。依頼の成功を確信した僕は、帰ったらお気に入りのカフェテラスで砂糖がたっぷり入ったお気に入りのカフェオレでも飲みながらイルドと談笑でもしようと思いながら、身体を真っ二つにされたサイクロプスには悪いが呑気にも午後の予定を考えていた。
「改めて、お疲れイルド」
「リンもナイスアシストだったぜ」
お互いにねぎらいの言葉をかけながら、椅子に寄り掛かりながら僕たちはカフェテラスでくつろぐ。
あの後、特に何か変わったことがあったわけでもなく、僕たちはサイクロプス討伐依頼の報告を済ませて王都イルフォールへと帰ってきたのだった。
「ま、俺たちにかかればサイクロプスもこんなもんだな」
「でも油断は禁物だよイルド。僕がいたから良かったけど、一人であんな戦い方してたら命がいくつあっても足りないよ」
「リンがいるからあんな戦い方してんだよ、これからも頼むぜ」
軽快に笑う彼をよそに、僕は溜息を吐く。
イルドにあてにされてるからではない、むしろイルドに頼りにされるのは自分にも居場所があるようで嬉しい。
溜息の理由は、僕のイルドからの呼び名だ。
「イルド、いい加減改めない?」
「ん、何をだ?」
「僕の呼び方だよ、リンなんて女の子みたいな呼び方やめてよ、恥ずかしいじゃん」
「良いじゃん、ちょうど外見も女みたいだし」
「よくないよ!コンプレックスなんだよこれ!」
そう、イルドは僕の本名を知っているはずなのにわざわざリンクの「ク」を抜いて、リンなどという女の子みたいな名前で呼んでくるのだ。
しかも僕の容姿は茶髪のポニーテールで身長が低く童顔(らしい)だから余計女の子に間違われるのだ。
傭兵学校で男子トイレに入った時に男子全員に悲鳴を上げられたのは良い思い出……いや、悪い思い出だ、出来れば思い出したくない。
イルドが言うには「普通の女よりもずっと女やってる」とまで言われる始末だ。
これがコンプレックスにならずなんだというのか!
「クッハハハハ!まあ良いじゃねえか、その分学校生活は愉快だっただろ?何せお前を女と勘違いして告白した男共が」
「うあああああ!それ以上は言わないで!」
イルドはなおも肩を震わせ、腹を抱えて、顔を真っ赤にさせて涙まで滲ませてやがる、確実に笑いすぎて腹捩れてるじゃないかこのイルド野郎!!
「大体、イルドは僕が誰が好きなのか知ってるでしょ!?」
「ああ、お前らガキの頃から仲良しだったもんなぁ、あー腹いてぇ」
そう、僕には子供のころから好きな女の子がいるのだ。
幼いころから僕とイルドとその子の三人で一緒にいたのだけど、僕とイルドは傭兵学校に、その子は騎士学校に行くことになって最近めっきり会うことがなくなってしまった。
出来ることなら、また彼女に会いたい。そして叶うならば君と……
「まあ、また会えるさ。死に別れたわけじゃないしな、それに案外すぐ会えるかもしれねえぞ?」
「えっ、どうして?」
そう言うと、イルドはブラックコーヒーに口をつけ、一息吐くとこう言ったのだ。
「そこにいるからな」
イルドが何を言ったのか、よく分からなかった。
「……は?」
「いや、だから後ろ後ろ」
後ろというのは僕の後方のことだろうか、ゆっくり僕が振り返るとそこには……
「や、久しぶりね、リンク」
「リリ、ア……?」
赤い、炎を髣髴とさせる赤いセミロングの髪、ルビーのように輝く真紅の瞳、背は僕と同じくらいだろうか、成長した彼女はその輝きに負けないぐらい美しかった。
リリア・ルノアール、幼いころから一緒だった僕とイルドの幼馴染で、僕の初恋の人が僕の目の前に立っていたのだ。
この時の僕はまだ知らなかった。
リリアとの再会が、国どころか世界全体を揺るがすほどの事態になるとは。