私と不審人物
ばっしゃばっしゃと雨が降る。
私はうんざりとビニール傘の柄をクルリとまわした。
バケツをひっくり返したような大雨とはこのことを言うんだろう。近所のコンビニに行くのにも一苦労だ。
大学進学のため上京して早2ヶ月が経った。
キャンパスライフにも慣れ、まあそこそこ友達もできた。
そして何より憧れの一人暮らし。うるさい兄妹に部屋を追い出される心配はないし、なによりゆっくりと自分の時間がとれる。ビバ!一人暮らし!
家事やら自炊やらめんどくさいことは多々あるが、この自由が引き換えならそんなものどうということはない。
勢いよく腕をふるとがさりとコンビニで買ってきたお菓子とジュースの入った袋が揺れる。その袋の外側は雨にぬれてびじょびじょだ。家に帰ったらまずタオルを用意しなければいけないな、とため息をついた。
見なれた道に入ると私のマイホーム(月家賃2万円)はすぐそこだ。
愛しの木製のドアがもう懐かしく感じる。
「ん・・・?あれ?」
私は思わず袋を持った手で目をこすった。
我が家のドアに人影が見えた。でもここら辺は住宅街で人様のドアにもたれかかるなんて迷惑行為など考えられない。
しかしその人影は変わらず私の目の前にあった。よっぱらいには見えない。というよりこの土砂降りの中傘が見当たらないのは不思議だ。いやでももしかしたら雨は傘をささないという主義の人なのかもしれない。かの英国紳士など傘はささずに帽子とマントで雨を防ぐというし。
とはいえここに人がいては私が中に入れない。私はとりあえずその人を起こすことに決めた。
「もしもーし、ここ私の家なんですけど。起きてますかー?」
私が肩を揺らすと不審人物の頭が面白いようにぐらぐらと揺れる。
反応はない。
「起きてますか―死んでますか―返事してくださーい」
「う・・・」
おっ。少しだけ反応があった。
私は救急車を呼ばずに済んだことにほっと息をつき、改めて不審人物を観察した。
不審人物が身につけているのは真っ黒な着物。しかも動きやすいよう細身の袴まで履いている。手甲と脚絆まで付けていて行動重視なものとみた。まさかこんな所で本格的な時代劇の衣装を見るとは思わなかった。そのうえやけにぼろぼろだ。
口元にはショールのように薄い布が巻かれ、それが雨に濡れて息をするには辛そうだった。
見た目は15~17の少年といったところか。いやもしかしたらショートカットの女の子かもしれない。
どちらにしてもこんなところで人の家のドアにもたれかかっているとは何事だ。こいつが起きたら是非親御さんに話をさせてもらわなければならない。
私は憤慨してその子の腕を取ってぐいとこちらへ引っ張った。どうにかドアと隙間を開けて鍵を開けようとしたのだ。なんの反応もなく私にもたれかかる着物の子。
そして背中にあった傷をみて私はさーっと血が下がる音を聞いた気がした。
まず現代社会ではテレビの中でしか見られないような切り傷。もしかしてこの子は虐待でもされていたのか。
私の手がどろりとした赤いもので染まる。いや、酸素に触れていたためかそれは黒ずんでもいた。私の腕の中にいるその子は雨に濡れて冷たく、微かにする息がぎりぎりその子が今生きていると知らせてくれていた。
私は慌てて鍵を開けてドアを開き、着物の子を家へ運びいれた。
まず私が上がって洗面台にあるバスタオルをしこたま持ってきた。
そして濡れそぼって体温を奪うしかない着物を剥き、バスタオルで包む。
このことで分かったのはこの子が男の子ということだ。
年頃の乙女としては悲しいことだが、なんていうかアレなどは自分の兄妹で嫌というほど拝まされているから何も衝撃もない。
傷に触らないように注意して消毒液を振りまく。そのとき彼は苦しそうなうめき声をあげた。ごめんねーちょっとしみるからねー。
こうして改めて傷を見たわけだが、背中に2、3本ほど鋭い刃物で切られ、体のあちこちに切り傷や痣があった。
幸い深いものや化膿してしまったものはなく、素人の私でもなんとか治療できるようなものだ。
なんとか血止めのガーゼを包帯で止め、恥ずかしながら間違って買ってしまった大き目のサイズのジャージを着せる。
傷に障らないよう、うつ伏せで少年を布団に寝かすと今度は熱が出てきた。ああもう小さい頃の弟だってこんなに手はかからないぞ!
どうにか常備してあるスポーツドリンクと解熱剤を飲ませるとようやく楽になったらしく、少年は健やかな寝息を立て始めた。うんうん、よく眠って怪我なんて治してしまえ。
そこまでたってやっと私は自分がずぶぬれのままだということに気がついた。
気がつくと寒くなる。私はくしゅんとくしゃみをすると慌てて熱いシャワーを浴びに風呂へ向かった。
看病する側が風邪をひいてどうする。