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処刑

 多分、その使者とやらは、よほどバトラーの気に入らない態度だったらしい。そのことは、ルイサに会わせなかった時点で伺い知れるものだったが、しかし、もっと早くに教えて欲しかった、と彼女は舌打ちした。

 下手をすれば夕刻に間に合わず、処刑されてしまうかも知れない。

 だが、反面、執事の彼女に対する気遣いも、彼女には分かっていた。先ず落ち着くことと、従者1人ごときで取り乱してはいけないことを、バトラーはルイサに諭してくれた。

 朝起きたばかりのルイサでは、そんな使者に合っても毅然と受け止められるべくもなかった、とルイサ本人でさえ思う。バトラーが懸念しても仕方がない。

 ルイサは巧みに馬を操り、王都への道を急いだ。わざわざ王城の前又は中庭で公開処刑を行なうのだろう、その意味は、ルイサ=エヴェンの社会的地位を殺すことにある。ルイサに使者を差し向け、これを言及し、昨夜の件によって威厳と自信を喪失した彼女への更なる打撃にするつもりなのだ。

 おそらく、その思惑通りルイサは、入城すれば先ず間違いなく晒し者にされるだろう。

 だが、それが分かっていても――そこまで分かっていても、ルイサはひたすら走るのだった。

 コーディの為なのかモニクの為なのか、又は自分の為か――自分でも、分からなかった。

 彼が処刑される理由は、分かっていた。

 ルイサが“あの男を殺して”と言ったから――セタク=ジュアンを殺せと命じたから、コーディはセタクの屋敷に行ったに違いない。

 そして捕らえられ、見せしめの為、公開処刑にされる。

「馬鹿な!」

 ルイサは汗で頬に貼り付いた髪を、いまいまし気に払った。

 あれは命令ではなかったのだ、と、今更言っても遅いことは、彼女にも充分分かっていることだった。そうなのだ。コーディは、今迄ルイサが言ったことで「はい」と答えたものを、全て実行して来たではないか。

 まして主が汚され傷付けられた末に吐かれた、呪いの言葉。

 コーディにとって、あれが命令でなく何だったと言うのだろう。

 彼は口にこそ出さなかったが、「はい」と答えたのに違いない。つまり執事の言った通り、彼はルイサを見捨てたのではなかったのだ。しかし……。

 ルイサは、悔やんでも悔やみ切れない想いで、ただ馬を駆け、王城の正門に着いたのだった。

 彼女は、せめてさらし者とされて恥にならない程度の身なりを整え、門兵に向かった。

「公開処刑があると伝令を受けた。私はルイサ=エヴェン、今日の処刑囚の主である。門を通せ!」

 すぐにばれる嘘などつく気のなかったルイサは、鍛えた喉で朗々と叫び、彼女を訝し気に見ていた門兵らを圧倒した。だが所詮小娘と思ったか、兵は門を通そうともせず、言った。

「確認の為、何か証拠を、」

「伝令書だ!」

 舐められた怒りから、ルイサは書を兵に投げ付けると馬に乗ったまま、門を駆け抜けた。

 中庭には既に大勢の観衆が集まっていたが、皆、招待を受けた貴族や騎士ばかりである。処刑の意味する所が伺える。

 処刑台の上には、縛られたコーディと、そして何かしら演説でもしていたのか、今回被害者であるセタクが、立っていた。コーディの首は、未だ体と繋がっている。ルイサは、息を吐いた。

 台の上のセタクが、馬に乗ったままのルイサを見付けるのは、簡単だった。

「ほう、さすが下賎な娘のすること。王の御前であっても、馬の上か」

 早速笑い者にする気らしいセタクの物言いに、ルイサは王城のバルコニーを見た。確かに国王ハイアナ5世とその妃が、ルイサのことを興味深そうに見下ろしている。

 その時、ルイサの斜め後ろで誰かが言った。

「馬上でも踊れるのか?」

 驚いて振り返ったが、誰が言ったものかは、分からなかった。代わりに全ての人間の目が、面白そうに“下賎な娘”を見ていた。酒場で踊り、男に抱かれる娼婦を!

 ルイサは、落ち着けと自分に何度も言い聞かせた。ヒステリーを起こしてセタクを罵った所で、彼に優越感を与えるだけになるのだ。

 先ずルイサは馬を降り、バルコニーに敬礼をした。

「申し訳ございません。我が従者が、騎士ジュアン殿に非礼を働いたとの伝令を受け、大急ぎで駆けつけた次第にございます。先立って国王様には、誠に多大なるご厚遇を賜り、感謝きわまりなく思っております。馬上の非礼にお腹立ちであらば、国王様のお気の安まるまで罰を受ける所存でございます」

 わずか16歳である筈の娘が完璧にこなす礼儀に満足したのか狼狽したのか、王ハイアナ5世は、

「うむ。許そう」

 と頷いて見せた。

 周りの空気も、変わった。

 ルイサの態度は誇り高い騎士のそれであって、どう見ても娼婦ではない。セタクの言葉は本当なのか、と誰もが怪訝な顔をし始めていた。

 セタクが、少し眉をあげた。

「昨夜この男が私の屋敷に押し入り、あろうことか、この私の首を掻こうとした。失礼ながら、貴女の命ではなかったのかね?」

 ルイサは、セタクを睨み付けた。どうせこの男に人生を狂わされるなら、いっそ自身の処刑すら覚悟でセタクの所業を暴露しよう、と口を開けた。しかし、

「いいえ」

 短く、はっきりと。

 すかさず別の者が、答えていた。

 セタクの頬が片方、ピクリと引きつった。

「貴様に声を出す許可など、与えておらん!」

 声が荒くなるセタクと、どっしりと落ち着いた、まるで囚人と思えない態度でそれを受け止めるコーディを、周囲の人々が不思議そうに眺めた。くすりと嘲笑うような息遣いも聞こえ、ハッと気付いたセタクが咳払いを1つして体勢を整えた。しかし蹴飛ばされたコーディが台に伏した、その状況は既に覆せない。

 それでもコーディは、真っ直ぐルイサを見詰めていた。ルイサなりに判断すると、先の態度とその目は、彼女に真実を告げてはいけない、と言ってる気がした。

 だが、目線だけでは分からない。

 ルイサは、思い切って再度、バルコニー上のハイアナ5世を呼んだ。王が、顔を傾げた。

「恐れながら、貴奴を処刑する前に、お願いがございます。貴奴めが何故この様な、騎士ジュアン殿がご立腹されて止まないことをし出来したか、主である私が知らぬままでは、失礼を重ねると言うもの。今しばらく、このルイサ=エヴェンにご猶予を頂けませんでしょうか?」

「良かろう」

 国王はあっさりと、これを許した。

 ルイサは皆に道を開けてもらいながら、なるだけ毅然とした面持ちを保ったまま、処刑台に向かった。

 台は狭い為、その場を嫌々ながらセタクが譲った。台の下で処刑人が、斧を手に持っている。ルイサは顔を逸らして、台への階段を昇った。すれ違う時、セタクは言った。

「貴方が卑しい酒場に出入りしていたことは、事実だ。その上で、どういう態度を取られるのかが、見物だよ」

 それは嘲笑っている言葉だったのだが、ルイサには一瞬、馬鹿な真似をするなと言う含みがある様に聞こえたのだった。

 この男は私を軽蔑しながらも、……軽蔑しようとしながらも、心のどこかで私を認めているのではなかろうか。恐れているのではなかろうか。――だから私の地位を、殺そうとしているのではないか? そんな風に、思えた。

 ルイサは、コーディを見下ろした。

 コーディもまた、ルイサを主と認めてくれていた。“仕事”以上の仕え方をして来てくれた、とルイサは確信している。

 ルイサは、小声で話し掛けた。

「馬鹿なことを。私のあれは命令では、」

「ルイサ様」

 コーディもまた小声で、真っ直ぐルイサを見上げて言った。ルイサの口から不利な言葉が出るのを防いだのだ。

 処刑台は案外高く、セタクらが耳をそば立てているが聞こえていないらしかった。それでも万が一聞こえていれば、どういう扱いをされるか分かったものではない。

「ルイサ様、私の処刑は免れません。ですから、私を殴りなさい」

「……え?」

 命令形であった。

 迷いのない目に、ルイサはたじろいだ。従者の身で、ルイサに命令など。しかも“殴れ”などと。

「私は、ジュアン様がルイサ様を力ずくになされたと勘違いし、勝手に報復へと走ったのです」

 だからルイサにとって見れば、この従者は良い恥さらしであり、殴りたくなる程の怒りを持っても当然なのだ、と。コーディの目は、そう語っていた。

 ルイサは信じられないものを見ている気がした。

 自分が死ぬことによって、ルイサどころかセタクの体裁をも守ろうとしている、信じられない程、忠義の堅い男を。

「どうして……どうして、そんな事が出来るの」

 そう聞いたルイサの声は小さくなく、セタクの耳に届いてしまった。観衆も二人の様子を見詰めている。もう小声で話し続けることは、不可能だった。

 コーディは、ルイサに自分を殴るきっかけを与えた。

 膝で立ち、はっきりと言ったのである。

 彼の表情にはいつもと全く変わりのない瞳と、若干の笑みがあった。

「私が1人の男として、貴女を慕っていたからです」

 一瞬――。

 中庭一帯が、シンとなった。

 ――次いで、ザワリ、とどよみきが大きく広がったのだった。

 そのどよめきの中、ボンヤリとルイサは彼を見下ろした。

 彼の目は冷たく主を突き離している様に見えて、その実、いつもルイサだけを見守っていたのではないか。

 変わりない一定の距離を保ち、命令にのみ全力で尽くし、それ以上の余計な言動を重ねない――それがコーディの、従者としての立場を考慮してルイサに出来る優しさの全てだったのだ。

 ルイサに対し芝居を演じているかの、この言葉は、真実だ。

 かと言ってルイサもまた、嘘の愛でコーディに寄り添う真似など出来なかった。彼は最初で最後の命令をルイサにしたのだし、それが1番彼女らしく生きる道だろうからだ。

 おまえの言葉、無駄にはしない!

 心の中で叫び、ルイサは、力いっぱい彼の頬に平手を打った。

 集まった者すべてを閉口させる破裂音が広場に響いた。

「無礼者!!」

 涙を堪える為の顔の上気が、かえって都合が良かった。

「おまえは……身分を何と心得る! いや、それより以前に、由緒正しきジュアン家の第一位継承者にして騎士であられるセタク殿が、そんな事をこの私に、する訳がないであろう!」

 セタクが、ぎくりとした。

 観衆がどよめきながら、壇上の2人を見守った。

「先立っての父ネイアスの遺言により、この身はエヴェンを離れられぬ。セタク殿は、私への求婚の取り消しと激励に参られたのだ。それを、よりによって私が汚されたなどとは、もしそんなことが、例えば真実であってみよ! セタク殿は誠意なき背徳者となってしまうではないか! 私だけでなく貴様、セタク殿に、いくら謝罪しても足らぬ無礼を働いたのだぞ!!」

 そうだそうだ、と言う観衆の声が高まり、コーディは先程まで示していた貫禄を一気に消し去る程“愚かな者”としてその姿を万人にさらした。

 その影でセタクは、同時に、

「やられた」

 と呟いた。

 まんまと、小娘に計られた。

 これでセタクが、下手にルイサを売女呼ばわりしようものなら、自分も背徳者扱いである。酒場の件も黙認せねばならないだろうし、ルイサ曰く「激励に」行ったなら、今後エヴェン家の領地にジュアン家が手を出すことは疑念の種にもなろう。

 観衆の中にはルイサを見直したり、又は尊敬の念、恋慕の情さえ抱いた者とて現われた。国王ハイアナ5世とて例外ではない。騎士セタクの公開処刑の行ないを正統に肯定し、同時に観衆がセタクに対して若干抱いていた疑惑すら見事に晴らしたルイサの短い演説に、ハイアナ5世は感嘆したのだった。

 ルイサは、台を降りた。

 その退場には、拍手が沸いた。

 能面の様な表情の中、コーディが目だけをルイサに向けていた。変わらない、優しく冷たい目を。

 ルイサは振り返らなかった。

 彼女の前に立ったセタクと、目を合わせる。

 ルイサは彼に深く敬礼をし――顔を上げて、笑った。セタクは、笑わなかった。

「ルイサ=エヴェン。2度とこの様なことのなき様に」

 再度敬礼で返すルイサの側をセタクが通り過ぎようとした時、彼女が小声で言った。

「ないでしょうね。2度と」

 そして。

 中庭を去るルイサの背で――斧をドスンと振り下ろす音と共に、観衆が、沸いた。

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