帰路
「あら、コーディ」
道端を歩くコーディは、森から走って来たにしては速すぎる時間に、そこにいた。しかも町に出ていたらしく、荷物を抱えている。馬もない。
コーディに思えた第3者の気配は、彼ではなかったのだろうか。
ルイサは、先の森での一件を思い起こし、眉をひそめた。
「お帰りなさいませ、ルイサ様」
「乗りなさい。重いでしょう」
「……ご命令ですか?」
「そうよ」
「はい」
荷を馬に乗せ、まるで体重がないかの様にひらりと、コーディはルイサの後ろに座った。ルイサが手綱を彼に渡す。
屋敷までは、未だ遠い。
「お前は私がどこに行っていた、と聞かないのね」
「はい」
「知っていたの?」
「いいえ。母が、今日は休日である、と」
「で、町に買い出しに?」
「はい」
ルイサは一度溜め息を吐いてから、気を取り直して、彼に振り返った。
「何を買ったの?」
「今日の夕食と、明日の昼食の材を。それから……」
「それから?」
珍しく彼の戸惑いらしき淀んだ物言いを聞いて、ルイサはほくそ笑んだ。こういう反応がごくまれにあるが為に、ルイサは、コーディと一緒にいることがうっとおしくない。だが、彼女にとっては、その程度なのだ、コーディといることは。
コーディは若干とまどってから、真っ青な不定形の石が着いたペンダントを取り出した。ルイサの紺碧の澄んだ瞳に映える美しい石だった。
「あら、綺麗。モニクに?」
「はい」
「そう。モニク、喜ぶわ」
何でもない振りをして、ルイサは再び前を向いた。コーディの返事は、即答だった。自分に当ててのプレゼントではなかったのだ、と少しだけ残念がっている自分の気持ちに、ルイサはふと気付いた。
だがそれは、コーディに恋心を抱いてではない、やはり自分が敬愛されるべき者であると言う意識がどこかにあるのだ。
ルイサはそう思い、そして自分を戒めるのだった。
17歳の誕生日。
この世界の1年は、7ヶ月で数える。7人の神々が、それぞれその月の守護神となっているからである。この秋から、ルイサの春の誕生日までは、3ヶ月。12ヶ月の数え方だと、5ヶ月先に当たる。長い様で、案外短いものだ。
3ヶ月先には、セタクが来る。いや、多分諸候騎士の若い男達が、去年より多くやって来るのだろう。
結婚を拒むことが無理ならば、いっそこの3ヶ月の間に、セタクよりもっと良い男と巡り逢えはしないものだろうか。
そんな思いにふけりつつ、ルイサは馬に揺られた。昼間のセタクを思い出す。ぞっとして彼女は、帰って来たことを確認する為に、丘の上の屋敷を見上げた。
「?」
コーディが、喉で低く声を出した。ルイサが彼に振り返った。彼の視線は屋敷の正門に向いている。ルイサもそちらを見て、あ、と言った。
「モニクー! ただいま、お土産が……」
2度、手を振ってからルイサは、気付いてその手を降ろした。おかしいのだ。いくらルイサの乳母とて、正面玄関から出入りすることなど、まず有り得ない筈なのである。きちんと召使いや従者らは、裏口から出入りする様になっているのだ。大それた口をきくモニクも、礼は人一倍重んじる。
「モニク! 何かあったの?!」
ルイサは馬から飛び降りて、モニクに走り寄った。
いつも慌てることなく、自分の分を弁えている、そんな彼女の穏やかな面持ちが、朝の見送りの時と全く違ってしまっていた。
つんのめる様に走って来て、まるでおののいた様に顔を歪め、おろおろと、声を出せないでいる。
「モニク! どうしたの!」
「母さん」
すっと側に寄ったコーディが、母の目線より下までしゃがみ、彼女の肩と手を、しっかりと握った。ルイサも同様に、彼女のもう片方の手を握り締めた。
モニクが、深呼吸をした。
「旦那様が……!」
◇
ネイアス=エヴェンは、それから2ヶ月――1年を12ヶ月に換算した場合の約3ヶ月半、ちょうど1月末に当たるが――生き長らえた。
ルイサの誕生日までは40日だった。
わずか40日を乗り越えずして、誇り高き騎士団長ネイアス=エヴェンは、この世を去ったのだ。
父親の不調を知った日から、ルイサは願掛けに髪を伸ばしていた為、綺麗に揃った髪ではなかったが結い上げることが出来た。遅れ毛が首筋に落ちる様子と、帽子の下で美しい顔を暗く沈めていることが、彼女をいつもより5つは年上に見せ、そして黒の喪服が更なる落ち着いた雰囲気を彼女に与えていた。
しかし、彼女の日頃明るく振る舞う姿を知る町の人々には、一層の悲しみを誘っていた。
「あんなにお若くて綺麗な方お1人が、残されて……」
「結婚も未だ決まっていないまま、領主様が亡くなられたろう? あの土地もどうなることやら」
「土地もとにかく、あのルイサ様の花嫁姿を誰より楽しみになさってらっしゃったのが、ネイアス様だった筈よ。お可哀相……」
そんな声が葬儀当日、葬列を作るエヴェン家の一人娘に向けて、町のあちこちからささやかれたのだった。
今の彼女には、そのささやきを受けて、エヴェン家は――この町は大丈夫である、と言う堂々とした態度を彼らに返すことが、出来なかった。
優しい、どこまでも優しく、思慮深くルイサを愛した父に対して、ルイサが何も出来なかった、何もしてあげられなかった後悔と口惜しさと悲しみが、彼女の心中に渦巻くだけであった。
医者の話によれば、あの日倒れた以前――少なくとも半年前から、兆候があった筈だ、とのことだった。ネイアスがさり気なく隠していたのだろう。仕事や学問やで擦れ違い、お互い顔を合わせる機会も少なかった。
それが、冬の訪れを感じさせる辺りから。
風が肌寒くなり空気が乾いた、それに因って病状が悪化し、倒れてしまったのだ、と医者は言った。
そんな早い頃から分かっていた病気なら、気付いていたなら、手の打ち様もあったろうに。
歯を喰いしばるルイサだったが、医者に対してなどでなく、そんな父親の容体を見抜けなかった自分自身に対して怒りと情けなさを感じていた。
これから、どうして行けば良いのだろう?
ルイサは葬列の中、歩きながら、思いを巡らせる。
エヴェン家を、どうして行けば良いのだろう?
国王に、どう対処すれば良いのだろう?
領土を、どうして行けば良いのだろう?
私は、誰と結婚すれば良いのだろう?
そう思うと、真っ先に浮かべたくない男の顔が、脳裏に浮かんで来る。ルイサは、帽子の下で顔を歪めた。
セタク=ジュアンは、数多く寄って来る騎士や貴族の中でも取り分け名声と地位と力を持っている。エヴェン家をそのままジュアン家に明け渡した所で混乱もしないだろうし、セタクの父のみならず、セタク自身、その性格の不備を補って余りある才覚を持つ。世代交代も目前にしている、そんなセタク=ジュアンとの結婚は、政略としてルイサが取るに充分すぎる選択だった。
そのことが、そこまで分かり切っているだけに、嫌だった。
この選択は、エヴェン家を絶やす。
だが町は栄え、ルイサ自身も裕福に暮らせることだろう。
ジュアン家は国王との繋がりも深い為、その地位が揺らぐこともない。
セタクなら、女のルイサがどうやっても辿り着けないだろう騎士団長の――ゆくゆくは、大将軍の地位にまで上り詰めることも、不可能ではないのだ。
だからこそ、嫌だった。
「私は……私の心まで、殺したくはありません。お父様」
ルイサは、小さく呟いた。
葬列の中、ゆっくりと進んで行く柩は、全くの荷物の様に、淡々と葬儀場に運ばれて行ったのだった。




